92 邪教の聖典
魔導院祭が終わった翌日から3日間は秋のヴィヴィアナ様祭り。派閥に所属していない僕は春に続けてボッチである。今度もまたお酒をお供えしようと、精霊2体にドラゴン1匹を連れてお祭りへと繰り出す。
タルトはヴィヴィアナ様に乳母車を自慢したくて仕方がないらしい。乳母車で出かけるのだと駄々をこねる3歳児に、イリーガルピッチが動かせないのだから我慢するようにと説得を試みたものの、シルヒメさんに押していくよう命じやがった。
抱けば折れてしまいそうな細身にもかかわらず、シルヒメさんはドワーフの鉱夫にも劣らぬ力持ち。僕の知る限り、彼女に勝るパワーの持ち主は【ジャイアント侯爵】唯ひとりである。普段はコケトリスを繋ぐ輪っかに棒を差し込んで押手にすると、衣擦れの音で嬉しそうな鼻歌を奏でながら軽々と押してゆく。
「この乳母車はとっても快適なのです。お前の船なんか羨ましくないのです」
お供え物の受付がある湖畔につくと、3歳児が湖に向かって乳母車を自慢し始めた。スプリングが利いていることを見せつけたいのか、フラットにしたシートの上でピョンピョン飛び跳ねている。
「あらアーレイも来ていたの……」
次席がいた。引き連れているのは西部派……じゃないな。脳筋ズも【皇帝】もいない。
「派閥の方はクセーラに任せてきたわ……このお供え物は園芸サークルのものよ……」
たくさんの果物は園芸サークル名義でお供えしているそうで、サークルの先輩らしき人たちが大きな箱をふたつほど運んできている。片方には温室栽培の果物。もう片方には露地栽培した季節の野菜や穀物を収めてあるという。
「【萌え出づる生命】、バナナを1本寄越すのです」
「ギョイッサー」
あろうことか、タルトは発芽の精霊に命じてお供え物の内からバナナを1本奪い取った。
「わたくしが奪ってやったのですよ。お前に捧げられる供物なんて、こうしてあげるのです」
湖に向かってバナナを見せつけるように掲げた後、皮を剥いてモックモックと食べ始める。お供えされる前のものに手をつけるなんて、なんて意地汚い3歳児だろう。
「次席……ごめん……」
「クスリナのしたことよ……おそらく、これでいいのでしょう……」
精霊同士の関係なんて人族には知り得ないけど、自分はクスリナを信頼している。きっと、こうすることが好い結果に繋がるのだと、次席は発芽の精霊の頭をナデナデしていた。
「アーレイはお酒なのね……ヴィヴィアナ様はお酒を好まれるの……?」
「タルトが教えてくれたんだ。果実から作ったお酒が好きだって」
僕が買ってきたナシのお酒をお供えすると、隣で受付をしてもらっていた次席にどうしてお酒を選んだのだと尋ねられた。ブドウよりリンゴ、リンゴよりナシから造ったお酒がお好みらしいと、タルトから教えてもらったうんちくを語る。
「あなたたち……聞いたわね……」
「「イエスッ。マイ、ミストレスッ!」」
ナシの季節は過ぎてしまったけど、ちょうど収穫したリンゴがある。春のヴィヴィアナ様祭りに向けて醸造の準備にかかれと次席が号令をかけると、園芸サークルの先輩たちは一斉に右拳を胸にあてる敬礼で応えた。
教養課程の2年生が、先輩たちを自分の兵隊にしてしまったのか……
商品価値の低い穀物は毎年お酒にしているものの、季節の果物はそのままでも完売確実な人気商品。そのため、これまで果実酒を造ることはしてこなかったらしい。図書室をひっくり返して酒造りに関する資料を探すのだと、次席は園芸サークルを率いて魔導院へと帰っていった。
お供えが済んだからといって、僕たちまで魔導院に帰れるわけではない。例によって、食いしん坊の3歳児がお祭りの屋台で売られているものを食べたがったからだ。屋台の集まっている広場に行ってみると、春に見たときよりも粉もんが多い印象を受けた。
「なんか粉もんが多いね?」
「今年の収穫を納めるために蔵を空けなきゃならんだろ。だから、秋には在庫が放出されるんだよ」
ザリガニ専門店マック・ア・チーンの出店で新商品のザリ丸くん――タコの代わりにザリガニが入ったタコ焼き――を購入しながら理由を尋ねてみたところ、倉庫に残っていた昨年の収穫が安売りされたせいらしい。
「ヴィヴィアナ様のおかげで豊作は約束されているようなものだからな。毎年、収獲の時期には穀物価格が下落するのさ」
「下僕。わたくしはこっちのザリ玉さんも一緒に食べたいのです」
「毎度ありっ」
ザリガニの入ったお好み焼きを追加で受け取り、空いているスペースに乳母車を止めていただく。ティコアはザリガニがいたく気に入った様子で、食べ終わってしまったというのに口をあんぐりと開けておかわりを要求してくる。もうないと言ったら、サソリの尻尾を振り上げやがった。
ティコアの奴、だんだんタルトに似てきてないか……
そんなにザリガニが食べたいのならと、殻付きのまま丸ごと油で揚げたザリ野郎を与えてみる。ドラゴンの前肢では身を取り出せまいと思っていたら、殻ごとバリバリ噛み砕きながら食べられてしまった。幼体でもドラゴンはドラゴンのようだ。
「下僕。アレを見るのです」
突如としてタルトがひとりの不審人物を指差した。今が真冬であるかのようにコートの前をピッタリと揃え襟を立て、さらに帽子を目深にかぶったうえマフラーで口元を隠している。あからさまに顔を隠してますと言わんばかりの格好だ。細身な体つきからすると女性のようで、重そうな手押し車を押して広場の端っこを通り抜けてゆく。
「邪教の気配を感じるのです。後をつけるのですよ」
邪教だと……
精霊が邪教と呼ぶからには本当に邪悪な宗教なのだろう。ヴィヴィアナ様祭りの真っ最中に無差別テロでも起こすつもりだろうか。あの手押し車の中身は爆弾……いや、人の多いところから離れていくということは盗品かもしれない。
幸いなことに、タルトが魔力を追ってくれるので姿を見られるほど近づかなくて済む。しばらく後をつけたところで、ここが邪教徒の住処だとひとつの建物を指差した。1階が店舗で2階が住居になった造り。窓が閉め切られていて中をうかがい知ることはできない。
お店はやっていないのかと思っていたところ、看板も営業中の札も出ていないのに、チョコチョコお客さんがやってきては中に入っていく。つまり、ここで行われていることを知っている人たちだ。こいつは怪しい。
「乗り込んでとっちめるのです」
パトロール中の領軍兵に伝えにいこうと思っていたのに、タルトがスタスタと玄関に近づいて、シルヒメさんに開けさせた扉から中に入り込んでしまった。助けを呼んでいる暇はない。僕もすぐさま後を追う。
「ここは……」
なんだろう。壁際と部屋の真ん中に島を作るようにテーブルが並べられ、何かを売っているみたいだ。テーブルの上に積まれているのは本か?
「これは邪教の祭典で間違いないのです」
一見、古本市のようにも見えるこの場を、タルトは邪教徒の集会だと断定した。
「ここっ。これはアーレ……アー……アレなので、子供が読むものじゃないですよっ」
いったい何を売っているのかとテーブルのひとつに近づいたところ、売り子をしているお姉さんが僕が読むものではないと積まれた本の上に覆いかぶさった。ますます怪しい。
それに今、僕のことをアーレイと呼ぼうとしなかったか?
初めて見る女性だ。細くて癖のあるふわふわとしたブラウンの髪は金髪といっても差し支えないくらいに色が薄く、顔つきはむっちゃ可愛らしい童顔なのに、本を隠している小柄な体はムチムチグラマーな成人女性のもの。こんなエロ……いや、僕好みの女性を忘れるはずがない。忘れられるはずがないのだ。
「どこかでお会いしましたか?」
「ななっ。なにを言ってるんですかっ。顔を会せるのは初めてですよっ」
おかしい。初めて会った相手に、どうしてこんなに焦る必要があるのだろう。魔力の感じからしても、パニックと言ってもいいくらいに慌てまくっているとわかる。芝居ではない。
んっ……なんだこれっ?
僕の目が本の横に置かれていた販促用ポップを捉えた。そこには――
『大好評シリーズ最新作! モロリーヌの涙 第3章 ~ロード・ズブリールの魔手~』
――と書かれている。モロリーヌ? この人、モロリーヌを知っている?
「……なんでモロリーヌを知ってるんですか?」
「ここっ。これは全部フィクションですよ。ほらっ」
大きくて柔らかそうな胸の下から一冊取り出すと、奥付のページを開いて注意書きを指で示すお姉さん。この物語はフィクションで……というお定まりのアレが表示されている。すかさず著者名を確認したものの、「耽美はBLの内」というふざけたペンネームが記載してあるだけだった。
「ついさっき、ここにヴィヴィアナが来たはずなのです。どこにいるか正直に答えるのです」
「微美穴先生でしたらあそこにっ」
タルトの質問に即答するお姉さん。ヴィヴィアナ様だと?
すると僕たちはヴィヴィアナ様の後をつけてきたのか?
でも、ヴィヴィアナ様をお祀りするのが邪教とはタルトも言っていなかったはずだ?
お姉さんが指差した先では、青みがかった銀髪の女性がドサドサとテーブルに本を積み上げていた。まなじりをつり上げたタルトがツカツカと歩み寄っていく。
「性懲りもなく、また邪教の聖典を広めようというのですか。ヴィヴィアナ?」
「はうっ……【忍び寄るいたずら】様……違うのです。これはっ」
そういえば、春にヴィヴィアナ様が喜ぶものをタルトに尋ねた時に「邪教の聖典」と言っていたな。これがそうなのか?
テーブルの上から1冊拝借してペラペラとページをめくる。
「間違いない。これは唾棄すべき禁書だよタルト……」
「そなたまで、端女の作品をそのように言いおるのかっ」
いつも力を貸しているのにその言い方はないだろうと、ヴィヴィアナ様が喰ってかかってくるものの、こればっかりはたとえ神様でも譲れない。微美穴というペンネームがクレジットされている本の中身は、モロネストという小柄な男の子とヘルニダスという青年の関係を描いた漫画だった。
魔導院のうち棄てられた倉庫で、同性愛であることに葛藤を覚えながらもモロネストへの気持ちを打ち明けるヘルニダス。戸惑いながらもヘルニダスの真摯な告白に心揺さぶられるモロネストとあらすじにはあるのだけど、ストーリーの大半は最初の4ページに集約されていて、その後40ページ以上に渡って延々と目を背けたくなるような描写が続くという最低な内容。誰がモデルにされたのかなど考えるまでもない。
「こんなものをバラ撒いているから、いつまでたっても【神々の女王】の怒りが解けないのです」
「端女も心を入れ替えております。ご覧になってくだされ」
これまでの作品が紹介されている「微美穴コレクション」という分厚いカタログを取り出して、最初のころと今では描いているものが違うと主張するヴィヴィアナ様。確かに初期作品は出だしから汁&汁という感じで、もう汁を描き過ぎて登場人物が背景のようになってしまっていた。
「これは単に作風が変化したというだけでは……」
「なにを言うておる。描かれているものの本質が変わっていることに気付かんのか?」
最初のころは確かに性愛――エロース――を追究していた。今は反省して、フィーリア。すなわち友情を表現しているという。
僕には冒頭にストーリーを展開する4ページが追加されただけとしか思えないけど……
「なにも変わっていないのです。生命を産み出すことのない不毛なエロースなのです」
「なぜご理解いただけぬのです? なにも得られないと知りつつも愛さずにはいられない。見返りを求めることのない無償の愛。これこそ――あがっ!」
僕の手から邪教の聖典を奪い取ったタルトが、有無を言わせずヴィヴィアナ様の顔面に叩きつけた。
「もしひと言でもこれをアガペーと言ったなら、お前をザリガニに変えてティコアに食べさせるのです」
「言いませぬっ。端女はまだ神の愛を理解しきれてはおりませぬっ」
ブルブルと震えながら必死に首を振るヴィヴィアナ様。生き物をヒキガエルに変えてしまえるのは知っていたけど、精霊をザリガニにしてしまうこともできるらしい。
どんだけ高位の精霊なんだ、この3歳児は……
こんな汚れた本は燃やしてしまえというタルトに、この作品だけは発表させてくれと泣いてすがるヴィヴィアナ様。ひと筆ひと筆に魂を込めて描いた入魂の一作だという。とても許容しがたい内容ではあるものの、3歳児の前に五体投地してマジ泣きしているヴィヴィアナ様の姿は見捨てるに忍びない。
金属や宝石を使った細工が盛んなドワーフ国では、とても権威のある品評会が催されていて、多くの職人たちが精魂込めて作った作品を発表し、そして見向きされることなく終わる。自身の最高傑作とも言える作品を、涙ながらに元の金属へと戻してゆく職人たちの背中を見るたびに心が痛んだものだ。
だから、自分の作品を燃やさないでくれと涙を流すヴィヴィアナ様を放っておきたくはなかった。自分のしてきたことが、これまでの苦労がすべて無へと帰した時の哀しさと悔しさ。それがわからない僕ではない。
その涙は、かつて田西宿実が流した涙なのだから……




