91 狙われたおっぱい
王太子殿下が鋭い目で僕を睨みつけてくる。答えてもらいたいことだと?
僕のことを調べたと言っていた。ならば、タルトのことを知っていてもおかしくない。自分に引き渡せと言うつもりか?
「そう警戒しないで欲しい。これは命令ではないし、寄越せなんて言うつもりもない。ただ、教えてもらいたいだけだ」
どうせ僕に断るという選択肢はないのだろう。確かに命令ではない。それは脅迫と言うのだ。
「あの学長のところにいたシルキーは、なにをプレゼントされれば喜ぶだろうか?」
……なぬ?
「君ではなくて、君の精霊が従えているそうだね。人族と契約していないのであれば……」
「タルトでなくて、シルヒメさんを?」
「彼女はシルヒメと言うのか。儚げでたおやかで気品に溢れた彼女に相応しい名だ」
汁姫と聞いて僕がまず思い浮かべるのは田西宿実の悪友が貸してくれたDVDタイトルなのだけど、前世にも泡姫という名前をかわいいと思う人もいたそうだから、感性というものは人それぞれなのだろう。
「あのおっぱ……いや、シルキーを振り向かせるにはどうしたらいいだろう?」
……今、おっぱいと言おうとしなかったか?
どうやらこの王太子様はおっぱい星人であったらしい。だけど、学長のところのおっぱいはひとつではなかったはずだ。
「リアリィ先生ではなくて?」
「メルクリア・リアリィ準爵か……彼女には……」
王太子様がどこか遠くを見るような目付きになった。
「…………とっくに断られているよ」
空を見上げたまま涙を流す王太子様。どうやら、聞いてはいけないことだったようだ。
春にあった先生の授爵式で見初めて声をかけたらしいのだけど、ホンマニ公爵様の出した条件は王太子様を廃位してリアリィ家に婿入りさせること。とても呑める条件ではない。
「交渉をと思ったのだけど、アプローチを間違えて公爵の逆鱗に触れてしまった。彼女の話を蒸し返したら、それこそ生きて王都の土を踏めないかもしれない」
「兄様。いったい、なにをなさったんです?」
公爵様をそこまで怒らせるなんて、なにをトチったのだとアキマヘン嬢が尋ねる。
「魔導院の運営に口出しするためと誤解されてしまったんだ。王位を継げるのがアキマヘン家だけだと思うなと椅子を蹴り倒す勢いだった」
思い出しただけでも震えがくると王太子様は額に手を当てて俯いた。
貴族たちからの干渉を受けない学府。50年にわたって辛酸をなめさせられ続け、その後も私塾としての立場を貫いてきたのはひとえにそのためだ。名声を確立した今になって王様がそれを手中にしようとすれば、そりゃぁ公爵様は激怒されるだろう。
「それは……やっちまいましたね……」
「あのおっぱ……いや、準爵のことを忘れさせてくれるおっぱ……じゃくて女性をようやく見つけることができた。どうにかして、あのシルキーを振り向かせることはできないだろうか?」
どんだけおっぱいに執着があるんだこの王太子様は。もしかして、おっぱい星の王子さまなのか?
「シルキーは仕事中毒なところがあって、仕事を与えられると喜ぶみたいですけど……」
「それは……契約した後の話だろう?」
「そうなりますね」
服とか下着とか、なにか贈られて喜ぶものを知らないかとおっぱい王太子が尋ねてくるけど、タルトならともかく、シルヒメさんが欲しがるものなんて思い浮かばない。初めて会った時には名を欲しがっていたらしいけど、それはもうタルトが贈っちゃったし……
「クックック……シルヒメが喜ぶものを知りたいのですか?」
いつの間にか黒スケに跨ったタルトがやってきていた。自分だけは答えを知っているぞと言わんばかりのニヤニヤ笑いを浮かべている。この3歳児がこんな笑い方をするときは、たいていロクなことにならないから耳を貸さない方がいいと思う。
「君と契約しているという精霊だね……」
「簡単なのですよ。ヴィヴィアナへの信仰を捨て、この国の人々にシルヒメをお祀りさせればよいのです」
「そんなこと……」
できるわけがない。ヴィヴィアナ様の加護を失ったら農作物の生産量はガタ落ちになるだろう。農業国であるアーカン王国の経済は大打撃を受け、周辺諸国への食糧供給国としての機能すら失われかねない。それはもう、一国だけの問題では済まないのだと王太子様は言う。
「お前の祖先はそれをやり遂げたのですよ。ヴィヴィアナとの盟約がその証なのです」
「それって、建国王様の……」
建国王がそれを為し得たからこそ、ヴィヴィアナ様との盟約が今も続いている。タルトの言葉にアキマヘン嬢が息を飲んだ。
「同じこともできない者にシルヒメは渡さないのです」
また、とんでもない条件を出したものだ。これならばまだ、ホンマニ公爵様の条件を呑んでリアリィ先生のところに婿入りする方が現実的と言えるだろう。王様になるのに同じこともできないのかと言われた王太子様は絶望に顔を染め上げていた。
「まだだ。まだ希望がなくなったわけではない。ここに来る途中で見かけた生徒。彼女の未来には期待が持てる」
リアリィ先生とシルヒメさんに加えて、まだ次があんのか……
このおっぱい王太子は節操がないな……
「へんてこなお面をつけたピンク色の髪の女子生徒なのだが、君、心当たりはないかな?」
「ドクロワルさんをっ?」
「ドクロワル? 彼女はドクロワル男爵家の娘なのか。南部派とは実に都合がいい」
しまったぁぁぁ――――っ!
なに口を滑らせているんだっ。ヘルネストの迂闊がうつったかっ!
アキマヘン家は南部派の首領だ。ホンマニ公爵様やタルトのように条件をつけてくる相手なんていない。娘を寄越せと言われれば、喜んで差し出すだろう。
彼女のおっぱいを守れるのは僕しかいないっ。
「ドクロワルさんのおっぱいは僕のものだっ。誰にも渡さないっ」
「なるほど、同志だったか。だけど、彼女のおっぱいは誰のものでもない。私が手に入れたっていいはずだ」
「11歳のおっぱいに目を付けるなんてっ。貴族院青少年倫理委員会が黙っていませんよっ」
「おっぱいに年齢は関係ない。大きさがすべてだよ。君」
なにかを持ち上げるように両手の指をワキワキと動かす王太子。
「形とか先っちょの色とか、いろいろあるでしょうっ」
「もちろんだ。だけど、大きさに比べたら些細な問題にすぎない。優先順位を間違える私ではないよ」
くっ……さすがはおっぱい星の王子さまだ。わかっていやがる……
「だが、彼女のおっぱいはまだ私の理想に達していない。同士アーレイ。君にもチャンスは残っているよ」
「チャンスだって?」
「未成熟な果実を摘み取っては君の言うとおり倫理委員会に吊し上げられてしまう。この手でもぎ取りたくなるほど彼女のおっぱいが成熟するまでは、私は手を出さないと約束しよう」
あまり時間は残されていないと思うがねと王太子がより一層ワサワサと指を動かす。ドクロワルさんのおっぱいがリアリィ級やシルヒメ級に届く前に自分のものにできたならば手を引くと言うことか……
「やってやるさっ。あのおっぱいは誰にも渡さな――」
「おふたりが女性の敵だということがよくわかりました」
「兄様……このようなところで恥ずかしげもなく……」
やばいっ。クゲナンデス先輩とアキマヘン嬢が目を三角にして殺気を放っている。ふたりともムジヒダネ級よりはワンサイズ上のちっぱいだということを忘れていた。
「お前たちっ。この痴れ者を捕らえなさいっ」
「君たちは私の護衛だろう。なにをするっ?」
これ以上、おっぱいおっぱいと放言させるのはよろしくないと判断したのだろう。アキマヘン嬢の命令を受けた王太子の護衛たちが自らの護衛対象を捕らえる。今からお説教だとアキマヘン嬢に連れて行かれてしまった。
「女の子の胸しか見ていない不埒者に、あの子は任せられません」
「あうっ……」
僕はクゲナンデス先輩にアルゼンチンバックブリーカーで締め上げられていた。『武技』の成績はそれほど良くないと聞いていたのに、引っこ抜くように持ち上げて一瞬で決める早業だ。サンダース先輩にでも習ったのだろうか。
入学当時のドクロワルさんは派閥内でも浮いた存在だった。宮廷貴族な南部派は伝統とか血統を重要視するから、ドワーフの血が混じった混血児だと相手にしてもらえなかったのだ。居場所のなかった彼女を派閥に受け入れさせようと骨を折ってくれたのがクゲナンデス先輩。かわいい妹分をおっぱい野郎の好きにさせてなるものかと、僕の背中をギシギシと痛めつけてくる。
「おっぱいしか見ていないわけじゃないですよっ」
「では、あの子のどこがそんなに気に入ったのか聴かせていただきましょう」
ドクロワルさんは僕の理想を詰め込んだようなドワッ子なので、どんくさいところも含めて全部なのだけど、それでは思いつかなかっただけだと先輩に誤解されてしまうだろう。一度しか見たことのない顔と言うのもなんだし……
「どうしました。早く答えないと背骨が大変なことになりますよ」
「真っ白でムチムチした太もも……とか……」
クゲナンデス先輩の殺気が膨れ上がる。あ……これはあかん……
「成敗っ!」
馬場に向かって走り込んだ先輩が勢いよくジャンプして尻もちをついた。着地の衝撃に意識が遠くなっていく。
誰がこんな技教えやがったんだ……
気が付けばもう山陰に日は沈み、空も暗くなり始めていた。ベッドに寝かされている僕の隣で湯たんぽが気持ちよさそうに寝息をたてている。知らない天井……じゃないっ!
慌てて跳ね起きて体に変わったところがないか確認する。ここは中央管理棟の治療室。【魔薬王】の人体実験室だ。意識を失っている間に何をされたかわかったものではない。
「あ、目が覚めましたか。痛いところとか残ってないですか?」
ここの副責任者に任命されたドクロワルさんが尋ねてくる。プロセルピーネ先生の姿はない。留守だったのか……いや、最近はドクロワルさんも人体改造をしたがっているから安心はできない。お尻に手を当ててみる。
よかった。少なくともサソリの尻尾は生えていないようだ。
「先生はいないの?」
「先生なら騎士の方とどこかに出かけられました。危険な催しがあるわけでもないので、わたしひとりで充分だろうって」
春に会ったコナカケイルという騎士といつの間にか仲良くなっていたようだ。ちなみに、彼はモチカさんのお兄さんだそうである。
「戻ったわよ~。なんかあった~?」
治療室を弟子に任せておデートに出かけていたプロセルピーネ先生が戻ってきた。
「アーレイ君が運び込まれた以外は特に何も」
「あぁ~。あんたお祭りの日に手ぇかけさすんじゃないわよ。はい、これお土産」
先生がなにやら箱のようなものを差し出す。
「ピンドンの気配を感じたのですっ」
熟睡していたはずの湯たんぽがガバリと跳ね起きた。先生はどうやらフルーツパーラーでデートと洒落込んでいたようで、箱の中身はプリンと果物の盛り合わせ。言わずと知れた、ピンドンである。
「あんた、いっちょ前にピンドンなんて頼んだの? よくお金あったわね」
「ありませんよ。ありませんけど、タルトが注文しちゃったんですよ」
皆でピンドンをつつきながら、次席にすっかり乗せられてツケ払いだと説明した。
「お金なんて後で払えばいいのです。ピンドンは今を逃したら口にできないではありませんか」
お金を借りて資産を購入し、運用しながら返済するという方法があることくらいは僕だって知っている。だけど、くっちゃ寝ばかりしている3歳児が偉そうに宣うことではないはずだ。
「はぁ……シルヒメさんに期待するしかないね……」
次席に借金なんて作ったら、なにを要求されるかわかったもんじゃない。なんとかシルヒメさんのお手当で払い切れて欲しかった。
「じゃあ、急病人はバカな甥がひとりだけだってリアリィに報告してくるわ」
プロセルピーネ先生が報告のために治療室を後にし、僕たちだけが残される。今、ドクロワルさんに気持ちを打ち明けられたなら、あのおっぱい王太子を出し抜けるかもしれない。
でも……まだダメだ……
彼女は特待生の椅子が約束された優等生。僕は所属する派閥すらない落ちこぼれ。今、彼女に告白することは、「ヒモにしてください」と言うのも同然で、そんなことを言われたらドクロワルさんだって困るだろう。
来年Aクラスになって、その次の年、特待生の最終選抜に残れるくらいでないと、彼女のおっぱ……じゃなくって背中には手が届かない。隣に並んだと胸を張れるまで、この想いは秘めておく。
ドクロワルさんのやさしさに甘えることだけはしたくないのだ。




