89 舞台劇の終わりに
今日と明日は魔導院祭。そのすぐ後に秋のヴィヴィアナ様祭りと続く。モウヴィヴィアーナの街には裕福そうな観光客が溢れかえり、警備も強化されているのかパトロール中の領軍兵の姿もそこかしこに見られようになった。
「下僕、下僕。早くバナナを食べに行くのです」
「こんな朝から開いてないってば」
たった今、朝ご飯を済ませたばかりだというのに、タルトはフルーツパーラーが待ちきれないようだ。今すぐ連れて行けと僕の上着を引っ張ってくる。
「お昼前には連れて行ってあげるから、今はリアリィ先生のところに行くよ」
バナナ、バナナと騒がしい3歳児とティコア、そしてシルヒメさんを連れて中央管理棟へと向かう。シルヒメさんにはリアリィ先生のお手伝いでしっかり稼いでもらわなければならない。
「助かります。今日明日と大層な身分の方もお見えになりますけど、シルキーであれば満足していただけるでしょう」
秋のヴィヴィアナ様祭りは今年の豊作を感謝する新嘗祭でもあるので、王様の名代として王族の方も参加される。魔導院祭にまで来ることはあまりなかったのだけど、今年はアキマヘン嬢が入学したので顔を見にくるらしい。
そんな人をもてなす席に出せるほど教育されたメイドなんて魔導院にはいないけど、天の采配の如くシルキーがいてくれた。メイド精霊でおもてなしというのも実に魔導院らしく、これでホンマニ公爵様に恥をかかせなくて済むとリアリィ先生はご機嫌である。
「わたしくのバナナのために、しっかりと働くのですよ」
「――――♪」
暴虐無人なタルトの言いつけにもシルヒメさんは嬉しそうにガサガサと衣擦れの音を立てた。
まだお客さんが来るにも、フルーツパーラーの開店にも早いので我らがCクラスの様子を伺いにいく。教室ではクラスメートたちが床に敷物を引いて、鮮やかな色合いのクッションを並べていた。
「グズグズするなこの能無しどもっ」
速やかに準備しろとベリノーチ先生が発破をかけている。出し物を決められず刑罰の研究発表になりかけたところで、やることが思いつかないのなら自分の手伝いをさせてやろうと先生が言ったのだ。先生の仕事は、運動会の時と同じく迷子の預り所である。
シルヒメさんはリアリィ先生に取られてしまい、フルーツパーラーに入り浸る気マンマンのタルトにもお手伝いを断られてしまった。迷子たちの遊び相手を探していたベリノーチ先生にとって、出し物を決められないCクラスはこれ以上ないくらい好都合だったことだろう。
「先生~、ペット連れて来ました~」
ロリボーデさんがペット部門から小動物を借りてきた。マリネズミというボールのように丸くなるネズミに、オナガウサギというリスの様なフワフワな尻尾を持ったウサギ。ヒヨコっぽさの抜けてきたクジャクの雛も連れて来ている。
「そっちの端っこにもクッションを置くのです。ぶつかったら痛いではありませんか」
さっそく真っ白なオナガウサギの1匹を抱っこして、まるでそこが自分のための場所であるかのようにクッションのひとつを占領したタルトが、子供がぶつかりそうな場所はちゃんと隠せと指示する。言ってることは正しいと思うのだけど、ゴロゴロしているだけの3歳児にこうも偉そうな態度を取られると逆らいたくなるのは僕だけだろうか。
「先生。エスコート部隊、準備整いましたっ」
チアリーディングの格好をした女子と、ピエロの格好をした男子がベリノーチ先生の前に整列した。運動会の時に首席がしていたことを採用したらしい。子供の気を引くためなのか、鈴とかラッパを手にしている。
「よろしいっ。そろそろ来場者がやってくる時間だ。エスコート部隊は出撃せよっ。迷子はひとりたりとも見逃すなっ!」
「「サー、イエッサーッ!」」
ベリノーチ先生の号令でエスコート部隊が飛び出していく。窓から外を見れば、正門の方からやってくる身なりのいい人たちの姿が目に映った。タルトが待ちきれずにいるフルーツパーラーもまもなく開店するだろう。
オナガウサギに気を取られて忘れてくんないかな……
「あなたは必ず来るって……私にはわかっていたわ……」
僕の淡い期待はあっさりと裏切られた。次席はあろうことか、園芸サークルの先輩たちに看板を持たせてフルーツパーラーがオープンしたとそこかしこにふれ回らせたのだ。それを見逃してくれるような3歳児ではない。
「一番日当たりの良い席を用意しておいたのよ……」
「はなまるビッチは気が利くのです」
ものは言いようだ。案内された窓際席は、道行く人からタルトの姿がよく見える。つまりはサクラ。上流階級の人たちでさえ口にする機会が限られている南国フルーツを美味しそうに頬張る3歳児の姿を見せつけて、財布のひもを緩めさせようという腹積もりだろう。
「代金はアーレイに請求するから……遠慮なく注文してちょうだい……」
「上から順番に持ってくるのです」
うおぉぉぉい?
次席から渡されたお品書きをチラリと一瞥したタルトは、高級な店では決してやってはいけない注文をしやがった。しかも、このお品書き。メニューだけでプライスがないじゃないか。
「ちょっ……待っ……」
「オーダーはすでにいただいたわ……足りない分は待ってあげる……安心しなさい……」
注文を受けてしまえばこっちのものだと言わんばかりに、おすまし顔を取り繕うのをやめた次席がニンマリと笑みを浮かべた。払いきれない分はツケ払いにしてやると、まったくありがたくない宣告を受けてしまう。
「次席は僕を丸裸にするつもりなのっ?」
「アーレイは私より先生を優先した……その報いは受け取ってもらう……」
どうやら、シルヒメさんをリアリィ先生に貸してしまったことを根に持っている様子。シルキーの淹れてくれるお茶は温室栽培のフルーツと並ぶ目玉商品になるはずだった。僕のせいで売り上げ予測を大幅に下方修正せざるを得なくなり、お茶っ葉や茶器なんかにかけられる予算が減ったしまったと睨みつけてくる。
魔導院祭が終われば秋のヴィヴィアナ様祭り。ホンマニ公爵様の主催するパーティーで素晴らしいものだったという評判が伝われば、サークルの先輩たちの仕官にも有利に働いただろう。よくも自分の目論見をぶち壊してくれたなと次席は頬を膨らませた。
「運動会や競技会と違って成績には反映されないけど……魔導院祭は遊びじゃない……取りたてを……楽しみにしていることね……」
「そんなぁ……」
それは獲らぬ狸の皮算用というものだ。酷い八つ当たりである。
「むぐむぐ……このすっぱいソースがバナナの甘みを引き立てるとともに、口の中をさっぱりさせてくれるのです。このちょこっと垂らされたジャムがまた小憎らしい味わい深さを……」
僕の絶望などお構いなしに、食通気取りの3歳児はヨーグルトにベリージャムがトッピングされたバナナを美味しそうに頬張っていた。
テコでも動かなくなってしまったタルトとティコアを次席に預け、僕は舞台劇の行われる講堂に向かう。ステージ裏の楽屋に到着した途端、総監督のロミーオさんに「遅いっ」と丸めた台本でポコリと頭を叩かれ、モチカさんの巻きつく精霊に捕らえられる。
「ひとりでは支度できないのですから、早めに来るくらいの気は遣うところですわよ」
連行された更衣室でメイクを施されながら首席のお小言をいただいてしまった。準備に一番時間がかかるのに一番最後に来るなんて、どれだけ大物のつもりなのだとプンスカ怒っていらっしゃる。支度を済ませてステージ裏に戻ったころには、次第のひとつ前にある演奏サークルの出し物が終わって、舞台装置なんかのセットが始められていた。
「男爵~。それ、もうちょっと右に寄せて~」
「これっくらいでいいですか?」
指揮を執るクセーラさんに指示されて、力持ちのドクロワルさんが位置を調整している。ゴーレム技術を利用した稼働ギミック付き舞台装置の製作と操作を任されたのはもちろんクセーラさん。ゴーレム腕の固定金具にもなっている彼女のゴーレムコントローラーはもの凄いマルチチャンネル型で、こまごまとしたギミックもそれひとつで全部操作してしまえるそうだ。
「一番いい枠を取れたんだから、トチるんじゃないわよっ」
ロミーオさんが出演者たちを鼓舞する。出し物をする時間帯はくじ引きで決められるのだけど、首席はお昼の時間が過ぎて一番お客さんの多くなるゴールデンタイムを引き当てた。席はもう半分以上が埋まっていて、舞台が始まれば立ち見の人も出てくるだろう。
「なんか緊張するね……」
「お稽古ではちゃんとできてたじゃないですか。可愛らしかったですよ」
プルプル震えている僕をドクロワルさんが励ましてくれる。隣では、首席がまだ席に空きがあると不満そうな顔をしていた。
くそぅ……涼しい顔しやがって……
だけど、この講堂の収容人員はせいぜい500人。田西宿実が憧れた舞台に比べたら100分の1に近い。この程度の観客にビビッて練習したことができなくなる僕ではないぞ。
「大丈夫、これは武者震いってやつだ――いたっ」
「そんなふてぶてしい笑みを浮かべた少女がどこにいるのよ。自分の役を忘れてないでしょうね?」
不敵に笑ってドクロワルさんにサムズアップしてみせたところ、ロミーオさんに台本で引っ叩かれてしまった。ちゃんと役を作れということらしい。総監督に笑顔を指導されているところで開演の時間となり、「ポルデリオンの竜殺し」の幕があげられた。
「アーレイは女の子のダンスが上手くなったわね。プロセルピーネ先生のおかげかしら」
ポルデリオンと【道案内の少女】のダンスシーンを終えて舞台袖に引っ込んだところでロミーオ総監督からお褒めいただく。あまり時間はなかったのだけど、プロセルピーネ先生からは何をするにもまず腰から動けと教えられた。腰、肩、腕の順番に動きが伝わると女性らしいしなやかな演技になる。手足が先行すると素人のタコ踊りになるらしい。
「おのれぇぇぇ――っ。よくも我が半身をっ。薄汚い人族がぁぁぁ――っ!」
舞台の方はハフニールのパート。魔性レディの憎しみをシナリオに取り入れようと頭を捻るロミーオさんにタルトが入れ知恵し、半身であるニードヘグという竜を討ち滅ぼされたため、ハフニールは人族滅亡を企てたという設定が付け加えられた。ただの悪竜から復讐者へと役柄を大きく変えられた首席はすべての台詞が書き直されたのだけど、ずっと良くなったとノリノリで人族への呪いを吐き散らかしている。
「ただ人族を恨んでいたではなく、復讐というわかりやすい目的を示されれば観る側も共感しやすくなる。悔しいけど、あの精霊の言うとおりにして正解だったわ」
一晩で台本を書き直したロミーオさんは、溢れるアイデアにペンが滑りまくり、気が付いたら朝だったらしい。思いついたことの半分も盛り込めなかったと悔しがっていた。
「次はあなたの見せ場よ。台詞、忘れてないでしょうね?」
「任せてよ」
少女の正体が【道案内の少女】だと明かされるシーン。唯一台詞があり、僕が登場する最後の場面でもある。道を示した後のことが語られることはなく、彼女の行方を知る者は誰もいない。ただ、ひっそりと消えるのみだ。
「何故……神々は人族に許しを与える……。何故……我が想いを叶えてくださらぬ……」
ポルデリオンの凱旋でハッピーエンドを迎えるはずだったラストシーンは、ハフニールが神々の不公平を訴えながら息を引き取る場面に差し替えられた。復讐を誓うハフニールパートが追加されたため、尺が足りなくなってしまったらしい。首席渾身の演技に観ている人たちはすっかり引き込まれている様子で、固唾をのんで魔竜の最期を見守っていた。
これで一旦幕が下ろされて、再び上げられたところでカーテンコール。ロミーオさんが舞台に上がり、衣装係や大道具係といった生徒たちを順に紹介してゆく。登場人物の演者は最後。その中でも僕は一番最後に回されていた。
理由はちっちゃいから。ハフニールの冠を被った首席とは、実に70センチという身長差があるので、他の人たちに混じると見えなくなってしまう。そこで、幕が半ばまで下がり他の人たちが隠れてきた辺りで登場させれば僕に注目を集められるというわけだ。
「ポルデリオンを演じました、エリオヤージュ・ムケズール君です」
マイクのような役割を果たす拡声の魔導器をもったロミーオさんに名を呼ばれ、【皇帝】が客席に向かって丁寧に頭を下げる。次に紹介される首席がムジヒダネさんとヘルネストを両脇に従えて舞台へと上がってゆき、客席に向かって手を振り一礼したところで幕が下がり始めた。
そろそろ僕の出番だ。
「道あっ――」
最後の最後で、ロミーオさんが手を滑らせて拡声の魔導器を取り落としてしまう。
「時間がないわっ。アーレイッ、自分で名乗りなさいっ」
足元に転がってきた魔導器を拾い上げた僕にロミーオさんが自己紹介しろと指示してくる。幕はすでに下がり始めているので、今から止めるように指示しても間に合わない。実は男の子ですとカミングアウトするのも気恥ずかしかった僕は、魔導器を握り込んだ右手の人差し指だけを立てて口元にあてると、いたずらっぽく微笑みながら――
「抜け道を……知っているのですよ……」
――それだけを口にした。