9 日本人臭い男
呼ばれてもいない女子会に乱入してくるなんて、お前たちはヨッパライのおっさんか?
男子生徒たちの顔を確認して、あぁやっぱりコイツかとため息を漏らす。男どもの中心にいるのは何かと自分を誇示したがる侯爵家の坊ちゃまだ。その名もバグジード・シャチョナルドという。
Aクラスではあるものの、成績順位では10位以内にもいなかったはずなのに、よくもまあ偉そうな顔で首席の催したお茶会に踏み込んでこれるものだと感心するよ。
他の男どももよくこんな奴に付き合うものだ。「空気読めないのか?」と言いたくなるけど、案外、本当に読めないのかもしれない。なにせ、ここに集まっているのは皆11歳の子供だ。年齢的には小学6年生でしかなく、女の子を異性として意識し始めてなんとか気を引きたいけど、どうしていいかわからないのだろう。
好きな子をイジメちゃう男の子と同じで、つい勇み足をしてしまった彼らを責めはすまい。田西宿実にだって黒歴史のひとつやふたつはあったのだから。
「申し訳ないのですけど、今日は『Aクラスになった女子だけのゴブリンを鑑賞するお茶会』ですから、男子の方々にはご遠慮いただけないかしら」
躊躇なく僕をゴブリンだと断じた首席が男子生徒たちに退出を促す。さすがに僕は首席の意図が汲み取れないようなお子ちゃまじゃない。この男どもの言い分はどうせ「僕(男)が招かれるのなら自分だって」といったところだろう。先に「ここには女子とゴブリン(オス)しかいません」と言われてしまえば、男どもは僕がここにいることを理由にできなくなる。
とっても釈然としないけど、ここは首席の言い分に乗っておくのが正解だと理解できてしまい……それが無性に悲しかった。
「ゴブーリ、ゴブゴブ、ゴブリーニョ……」
クレーターから這い出した時にタルトが使ったゴブリン語とやらを真似て、「ゴブゴブ」言いながら即興のゴブリンダンスを踊ってみせる。時折、ポーズを決めて「ゲッ」とか「ペッ」とかはしたない音を発するのも忘れない。
「アーレイ……お前、いいのか……それで?」
近くにいた男子生徒が汚らわしいものを見るような目でドン引きしながら尋ねてくるけど、これは勇み足をしてしまった君たちが穏便に引き下がれるようにやってあげているのだよ。ここで意地を張ってしまえば、これから1年間同じクラスになる女の子たちと決裂してしまうのだ。
僕も首席もちゃんと逃げ道を用意したうえで誘導してあげているのだから、男なら引き際ってものをわきまえたまえ。
「ゴブリンなんて魔物がいたのでは危ないだろう。護衛が必要だ」
バカがいた。バグジードがズカズカと首席に近づいて、自分の家の使用人でもないメイドさんに席を用意するよう言いつける。それも首席の隣に用意しろと言わんばかりの態度だ。もちろんメイドさんはピクリとも動かない。
奴は本当に自分の事しか考えていない。さっきからなにか言いたそうな侍女の人を、首席が片手を上げて制しているのに気付いてもいないようだ。
魔導院次席卒業生である彼女は上流階級に属する成人した女性で、子供が逆らうことなど許さないだけの身分を持っているに違いない。この国の身分制度では貴族の子供は貴族ではない。まだ上流階級に属する一員としての教育を終えていない候補者にすぎないからだ。
ただ、大人の身分を盾に強引に仲裁しても子供は納得してくれない。クラスの子たちの間に遺恨を残さず、男どものメンツも潰してしまわぬよう、首席は自分の手で穏便に片を付けたいのだろう。
「護衛が必要? それは私に対する侮辱かしら? ゴブリンの1体も始末できないと……」
女の子たちの中では首席に次いで背が高く、よく引き締まった体つきをしたひとりの女の子が席を立った。彼女を見た男どもの顔色が血の気を失ったように青くなる。自分たちが踏み込んだ茶会室が、実は地雷原であったことに遅まきながら気が付いたようだ。
Aクラスの女の子が集まっているのだから、その中に彼女がいることくらい予想できただろうに……
サクラノーメ・ムジヒダネ子爵令嬢。普段は艶のある黒髪を姫カットにした和風美人だけど、今日は頭の後ろの高い位置で束ね桜色のドレスに身を包んでいる。ちょうど、『かわいい』から『美人』へと変わってゆく最中の、幼さを残しながらも将来の美しさを予感させる顔つきをした美少女でありながら、同級生一同から畏怖の念をもって【ヴァイオレンス公爵】の称号を贈られた女の子だ。
彼女はとりわけ武芸に秀でており、槍も剣も自在に使いこなし格闘術も得意とする。1対1の接近戦では無類の強さを誇り、男子も含めて同学年に敵はいない。
その大和撫子のような外見に似合わず「お好きな音楽は?」と問われれば「極めた関節が壊されていくときの音」と微笑みながら答える猛者であり、なにより敵と見做した相手にはとことん非情な性格から決して敵に回してはいけない人物と周囲に恐れられていた。
ムジヒダネさんがいる限り、僕が不埒なマネに及ぼうとすれば一瞬で取り押さえられ折檻を加えられるだろう。秒殺……いや、瞬殺することも可能だろうけど、彼女を相手に苦しまずに楽にしてもらえるなんて温情を期待してはいけない。
先ほど、「ゴブリンは魔物。慈悲など無用……」と言って僕を処刑する気マンマンだったのはもちろん彼女だ。
「いやっ、ムジヒダネ嬢がいらっしゃるなら僕たちの出る幕じゃない……」
「まさか、ゴブリンを鑑賞する茶会だなんて予想できなかったものでね……」
「女子だけの茶会にお邪魔するのも不粋だね。失礼させてもらってもいいかな……」
男どもはムジヒダネさんが有形力の行使に訴える前に自らの不利を悟ったようだ。彼らは特段バグジードと親しい仲ではない。おおかた、僕が女の子たちと茶会室でご一緒していることを知らされて、奴に「Aクラスの自分たちのほうが招かれるに相応しい」とでも煽られたのだろう。
非常識だとわかっていたけど、気になる異性とお近づきになれるという誘惑に抗えなかっただけなんだ。
成績優秀な彼らの見せた年相応の子供らしさが微笑ましく、そして前世での黒歴史を思い出し恥ずかしい気持ちでいっぱいになった僕は、スゴスゴと逃げるように退室していく彼らの背中に心の中で声を掛ける。
――君たちを笑ったりしないさ。それは、かつての僕自身の姿なのだから……
そして、仲間に見捨てられたバグジードだけが独り取り残された。ゆっくりとした隙のない足取りでバグジードに近づきながらムジヒダネさんが静かな声で問いかける。
「ゴブリンごときに私が後れを取るとでも? それとも私より強いという自負かしら?」
バグジードは体長が7メートルを超えるヒハキワイバーンという亜竜を使い魔として使役しているがゆえに、戦闘になれば同学年では最強と目されているけど、奴自身にムジヒダネさんを相手にできるほどの実力があるわけじゃない。それなのに、彼女の実力を疑っているとも、使い魔がいなくても自分の方が強いとも解釈できるひと言を不用意に口にしてしまうあたり、「侯爵家の跡取りとして躾けられていない」という風聞は正しいのだろう。
奴も実家の侯爵家から使用人を連れてきているけど、首席みたいにお目付け役を兼ねた侍従は付けられずやりたい放題が許されている。まるで、侯爵家には奴を教育する気がないみたいに……
「わざわざ僕が足を運んだというのに君たちときたら……興醒めだよ。お子様はせいぜいゴブリンを楽しむといい……」
芝居がかった口調で言い放ち「やれやれ仕方ない」といったジェスチャーを、まるでパントマイムでもしているかのような大袈裟でわざとらしい身振りで示しながらバグジードは茶会室から出て行った。最後に僕に向かって憎々し気な視線を送ってくることも忘れないなかなかの大根役者ぶりだ。「ねぇ、今どんな気持ち?」と尋ねたら何と答えるだろう。
「ふたりとも助かりました。感謝いたしますわ」
「礼ならアーレイに。ゴブリンの振りをしてくれたので話が早くて済んだ」
「ゴブゴブ……」
「ゴブリン扱いしたことは謝罪いたしますから、それはもう結構ですのよ」
首席とムジヒダネさんからはお礼の言葉を頂戴し、他の子たちも僕を見てクスクス笑ってくれている。このままゴブリン芸人になるのも悪くないかもしれないと思ったけど、タルトには叱られてしまった。僕のゴブリン語があまりにも酷く、中には女の子には聞かせられない、口にするのも憚られるような汚い言葉が混じっていたそうだ。
ゴブリン芸人になるためにはゴブリン語を習得しなければならないだろう。
「本心を隠すにしても……あの演技はやり過ぎ……」
「大物ぶって余裕を見せたい小物って感じが凄いよねっ」
「跡継ぎ候補から外されてるって噂、本当でしょうか……」
「周りにいる連中を見なさいよ。派閥の中心からは距離を置かれてるわ……」
お茶会は再開され、話題はバグジードへと移った。同じクラスで机を並べる彼女たちにとっては他人ごとではない。
「まあ私もそうですから大声では申せませんけど、公爵家や侯爵家の子息子女で魔導院に送られるのは、その者の教育にお金を掛けたくないって事情もあるんですのよ」
首席の言葉に皆が耳を澄ます。彼女が言うには、公爵や侯爵といった大貴族の跡取りは、ここの教師陣みたいな人を集めた教師団によって実家で教育されるのが普通だそうだ。上流階級の人を専属教師として何人も、何年も雇い入れるのでもちろん莫大な費用が掛かる。
首席の家はまだ祖父が侯爵位にあるものの、父親が爵位を継いでもいいように、下の弟はそうやって育てる予定らしい。まあ、他家の事情は知らないので、あくまで一般論だと首席は笑う。
魔導院はエリート校だと思っていたけど、真のスーパーエリートは教育費の掛け方が違った。
「彼はたしか……長男だったはず……」
「それで育てるのにお金を掛けたくないって……」
「本人はまだ跡継ぎのつもりでいるみたいですけど……」
「やっぱり例の噂、本当じゃないの?」
例の噂というのは僕も何度か耳にしている。バグジードに関しては、『8歳にして自分の身の回りの世話をする使用人に、当主である侯爵様でなく自分にだけ忠誠を尽くすよう教育、若しくは脅迫していたことが発覚し、侯爵様から危険人物と見做されている』という出所不明の噂がまことしやかに囁かれているのだ。
加えて、シャチョナルド侯爵家の分家筋にあたる専門課程のブチョナルド先輩という人が、「彼のことを僕に聞くな」と言って否定も肯定もせず質問することすら許さないため、侯爵家もまだ奴の処遇を決めかねているのではと憶測されていた。
普通に考えれば、8歳の子供がそんなことするはずがない。一笑に付されるのが当然なのだけど、奴の自己中心的で尊大、周囲の大人たちすらどこか見下しているような態度が噂に信憑性を与えた。
そして、その噂を耳にした時、僕はひとつの疑念を抱いたのだ……
――アイツ、僕と同じ転生者じゃないのか?
バグジードにはずっと違和感を感じていた。どうしてそう考えるのか。どこでそんな着想を得たのか。前世では当たり前だったけど、この世界の上流階級の認識とはズレている。
僕と同じ転生者と考えれば納得がいった。奴はあまりにも日本人臭過ぎるのだ。
自由、平等、公平、権利といった言葉をまるで金科玉条であるかのように使うし、『差別=悪』という単純な図式もよく利用するけど、どれもこの国の上流階級の人たちの間では軽視されている類のものだ。僕が父親からそう教えられたように、上流階級の家であれば大切なのは義務だと教育される。
自由や平等を求めるのは平民のすることで、上流階級に属する者のすることではないと思われているのだ。
そして、誤って人を傷つけることは意図的な暴力よりも罪が軽いという認識もズレている。バグジードはなにか嫌がらせをしたときに「手が滑った」とか「よく見えなかった」などと簡単に口にするけど、上流階級の家に育った子であればそんな言い訳はしない。
貴族や士族といった上流階級とはすなわち魔力を有する武力階級であって、自らの判断でその力を行使することが認められているのだ。自分の判断に絶対の自信を持つ上流階級の人たちにとって、意図的な暴力とは正しい力の行使であって、誤って他人を傷つけることこそ恥ずべき行為と言える。
上流階級にある人であれば、自分がそうすべきと判断するに足る理由があったと主張するのが当たり前で、「わざとじゃない」なんて子供じみた言い訳を口にすることはない。
しかも、奴はカタナ――前世での日本刀――なんぞ持っていて、刃を上に向けてベルトに差す。この世界では刃を下に向けて腰か肩から吊るすのが一般的だ。ドワーフ国で僕も同じことをやらかして、刀鍛冶のおっちゃんに変わったことをする子供だと指摘されてしまったから、この世界でのカタナの扱いについて聞き出しておいた。
武器としての実用性は低いけど、曲線が美しいので美術品として飾るか儀仗兵に持たせるとカッコイイというのが日本刀の評価らしい。
まあ、必ずしも同じ日本人とは限らないだろうけど、とてもよく似た価値観を持っていて、そしてこの世界を遅れた世界と見下しているように感じる。教師にも敬意を払っているとは思えず、「お前から学ぶことなど何もない」とでも言いたげな態度をとるし、歴史上の偉人の話に「僕ならもっと上手くやる」などと平気で口にするらしい。
こんな遅れた世界のことなど学ぶ必要はないとでも考えているのかもしれない。だから、自分の認識とこの世界の常識を擦り合わせきれていないのではないだろうか。家族に転生者であることを悟られたくなかった僕は、前世の常識をこの世界に当て嵌めてしまわないよう苦労したものだ。奴に違和感を感じたのもそのせいかもしれない。
女の子たちはバグジードを成人後は実家から放逐される可能性のある人物リストに加えたようだ。この国の成人年齢は16歳。ちょうど卒業と同時に成人する計算なので、魔導院で将来のお相手を見繕っておこうとする人も少なくない。皆、ハズレなんて引きたくないのだ。
それで正解だと思う。8歳で自分だけの家臣を持ちたがった転生者だとしたら、それこそ立身出世のために何をしでかすかわからない。近づかないのが一番さ。