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道案内の少女  作者: 小睦 博
第4章 勝負の秋学期
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88 舞台劇の稽古

「あれ? ない」


 これからベリノーチ先生のところに提出に行こうと思った矢先、僕は積層型魔法陣用に下書きした魔法陣の1枚が見当たらないことに気が付いた。どこかに置き忘れてしまったろうか?


「伯爵もできてるよねっ。早く提出に行こうよっ」

「まっ、いっか……」


 自分も魔法陣を完成させたクセーラさんが急かしてくる。なくなったのは下書きの途中で必要だから作ったもので、実際に使う魔法陣ではない。別に今さらなくたって困りはしないので、すっぱり忘れて教員室へと向かう。


「……これは、誰の入れ知恵だ?」


 僕は両面焼き法を採用することにした。表と裏の魔法陣の位置を合わせるのが難しいのだけど、それ以外には特段の加工技術を要しないからだ。片方が逆さまになった魔法陣を見たベリノーチ先生は、ゴブリンの知能で思いつくことではないと酷い台詞を口にする。


「シュセンドゥ先輩がやらかしやすいから注意しろと……」

「あぁ、飼育サークルにはあの娘がいたか……」


 僕が気付いていないようなら、ここで加工方法を問い質すつもりだったらしい。ゴブリンの困っている顔を眺める楽しみが減ってしまったと、先生はもう教師とは思えないような台詞を鉄仮面の下で呟いていた。


「合格がもらえたよっ。伯爵はどう?」

「修正はなし。製図台で清書しろってさ」


 リアリィ先生に課題を見てもらっていたクセーラさんがニコニコしながらやってきた。ふたりともここまでは合格だ。ヴィヴィアナ様祭りの後からは魔導器加工の工程に入るので、それまでに魔法陣を清書しておけば授業に追いつく。Aクラスでまだ魔法陣の清書が済んでいないのはクセーラさんだけだけど、Cクラスの大半は例によって授業時間中に終わらせていないので、僕に関してはすでに追いついているといえなくもない。


「伯爵聞いてよ。ダエコが自分も積層型魔法陣にするって……」


 ダイアナエリザベスコーネリアさんは、僕たちにだけ機会を与えるのは公正ではない。最終評価には間に合わせるからと、積層型魔法陣であることを条件に課題のやり直しを認めてもらったそうだ。せっかく30位になったのにこんな博打に打って出るなんてと、リアリィ先生は顔をしかめていたという。


「本人が決めたことだからね。僕たちがとやかく言うことじゃないさ」


 僕が積層型魔法陣にすると聞いて自分もと言い出したクセーラさんは、ダエコのくせにマネしやがってとプンスカ怒っていた。






「吾輩をハフニールめの所まで連れて行くだと? そなたのような小娘がか?」

「私は【道を識る者】、【明日を導く者】、【常しえの案内人】。闇に閉ざされし永遠の夜の街も、海より深きにある地底の牢獄も、空より高きにある天上の宮殿だって、私の知らない道はなく、私に行けない場所もない。魔竜のねぐらへとたどり着きたいなら、この道を行きなさい」


 魔導院祭が近くなり舞台劇の稽古も本格化してきた。今、練習しているのは、口が利けないのは好都合だと小姓にした少女が、主人公ポルデリオンにハフニールのいる場所へ続く道を示すシーン。僕の台詞はこの場面に集中している。

 喋れないはずの少女が実は【道案内の少女】だったと明かされるシーンなので、長いうえに芝居がかった言い回しが多く憶えるのにひと苦労だ。


「ヒッー!」

「そうではありません。イーッ!です。もう一度っ」


 ハフニール役の首席は手下ドラゴンの鳴き声にこだわりがあるらしい。何度もダメ出しされて涙目になったヘルネストが助けを求めるような視線を送ってくる。必死に台本を憶えようとしていた僕を笑った罰だ。首席の気が済むまで付き合わされるといい。


「言葉がいちいち長ったらしいのです。こんな風に喋る者なんて見たことないのです」

「そこはお芝居だもの。観せるための演出は必要よ」


 台本を手にしたタルトが、こんなダラダラと喋るヤツなんていないと文句をつけていた。登場人物が普段通りに話していたのでは盛り上がりに欠けるからと、ロミーオさんが苦笑しながらなだめている。お芝居とはそういうもので、観る側もそれを期待しているらしい。


「衣装が出来上がったわ……全員合わせてみてちょうだい……」

「モロリーヌちゃんもですよ」


 次席が衣装合わせをしろと言ってきた。力はあるので大道具なんかを移動させる係になったドクロワルさんが僕の手を引いて更衣室に……


「ドクロワルさんっ。ここは女子更衣室だよっ」

「モロリーヌちゃんは女の子ですから当然です」


 抵抗は無駄だった。ロゥリング族が力でドワーフに敵うはずもなく、有無を言わさず部屋の中に引きずり込まれる。そこで待ち構えているのはモロリーヌの衣装を手にしたAクラスの女子たち……


「ちょっ……僕は男子更衣室にっ」

「バカ言うもんじゃないわ。ケダモノどもにモロリーヌを任せられるものですか」


 男子更衣室なんかに行ったら禁書に指定されてしまうぞと、女子たちが僕に向かって手を伸ばしてきた。首席に泣き付いてオムツを手にしたドクロワルさんから最終防衛ラインだけは死守したものの、すっかり着せ替え人形にされてしまう。


 僕にモロリーヌ用の粗末――そのまま昼会服に使えそうなくらい上質――なドレスをセットアップした女子たちは、続いてメイク談義を始めた。小姓として拾われた女の子がメイクなんてしているほうがおかしいと思うのだけど、アイシャドウに口紅もひかれる。離れたところから観るお客さんに表情の動きが伝わりやすくなるそうな。


「髪はどうするの?」

「金髪は首席のハフニールと被るわね。ドクロワルみたいな髪色のかつらはないかしら?」

「もちろんあるのです」


 ロミーオさんに尋ねられたタルトが、ドクロワルさんよりやや赤みが濃いピンク色のかつらをローブの袖口から取り出す。タルトのかつらはカットしてもまた伸ばせるので、女子たちはああだこうだと言いながらいろんなヘアスタイルを試してゆく。7回ほど髪を伸ばし直したところで、最終的に両サイドにピョコンと跳ね出るようなツーサイドアップに決定した。


「相変わらず、すげぇ化け方だな……」

「なるほど、これがモロリーヌか……」


 ヘルネストと変装した僕を目にするのは初めてになる【禁書王】が感心していた。女子たちは男どもではこうはいくまいと鼻高々だ。


「時にアーレイ。いや、モロリーヌにひとつ頼みがあるんだが……」

「僕に?」


 俯き加減にメガネの縁を押さえるポーズを取った【禁書王】が流し目をくれながら、僕にやってもらいたいことがあると言い出した。


「ああ、そう難しいことではない。お前にとっては簡単なことだ」

「それなら別にいいけど」


 また新しい術式の実験にでもつき合えというのだろうか。僕は魔力だけはあり余っているので、大量の魔力を必要とする魔導器の耐久試験なんかを頼まれるのは初めてではない。


「ありがたい。では、両手を胸の前で合わせて上目遣いではにかみながら『お兄ちゃま』と呼んでくれ」

「死ねよ。変態メガネ」


 コイツは頭はいいのだけど、どこかネジが抜け落ちてやがる。ちなみに、未だブタさんキャンセラーの開発を諦めておらず、時おりへんてこなメガネをお風呂場にかけて来てはガックリと肩を落としていた。


「バカなことを言ってないで、ご自分の台詞は憶えたのでしょうね?」

「任せてくれたまえ。あの程度の台詞、一度台本に目を通せば充分だ」

「あなたの任せろは信用なりません」


 【禁書王】の役どころはポルデリオンにハフニール討伐を命じる王様。ぶっちゃけチョイ役なのだけど、運動会の玉入れで全打席場外ホームランをやらかしているため首席からの信用はゼロである。今から試験すると耳を引っ張られて連れて行かれてしまった。


「きついところがないか……振付をしてみてちょうだい……」


 喋れない少女という設定なので、正体が明かされるまでは台詞がなくパントマイムで演じなければならない。元になった伝承でのヒロインはお姫様なのだけど、魔竜討伐というストーリーでは主人公の傍らにいる【道案内の少女】のほうが出番が多くダンスパートなんかもある。なにかと動きの激しい役でもあるので、途中で破れたりしないか次席は心配らしい。


「ちょっとでも引っかかるところがあったら……遠慮しないで言うのよ……」


 体の小さい僕が台詞なしで演じるのだから、身振り手振りはバグジード以上に大袈裟にしないと観ている人に伝わらない。ラジヲ体操のように大きく手を回して腰に当て、足を交互に前に出すステップを踏む。きついところはなさそうだ。


「我が姪よ――」


 突如として背後から声がかけられる。この声はまさかっ?


「――踊りならロゥリング娘だった私が仕込んであげるわ♪」

「モロリーヌちゃんのダンスもあるって話をしたら先生が……」


 ドクロワルさんから話を聞いたらしいプロセルピーネ先生がやってきた。お手本にと披露してくれたダンスは元アイドルを自称するだけあって悔しいくらいに上手で、表情から体のひねり方まであざといくらいに可愛らしさが追及されている。外見が老いることのない種族ということもあって、もうアラフォーだというのにジュニアアイドルにしか見えない。


「素人は手や足に注意が向きがちだけど、大事なのは腰よ。腰で表現できて一人前なの」


 手足の動きでなにかを表そうとはするな。常に体全体で演技していることを意識しろ。そのために大切なのは腰だとプロセルピーネ先生が言う。ロゥリング娘は手を後ろに組んだまま、まるでそこに手があるかのように感じさせる訓練をするそうだ。


「うっそ……あれが本当に【魔薬王】なの?」

「なに、このものすっごい敗北感……」


 Aクラスの女子たちがそろって項垂れていた。教養課程ではプロセルピーネ先生の講義を耳にすることはないため、治療士よりも怪しい薬物実験を繰り返すマッド教師というイメージの方が先行している。恐怖の【魔薬王】に女性らしい部分で負けたのがショックだったらしい。


「我は【漆黒の闇を纏いし魔竜】ハフニール。地上の全てを闇で覆い尽くし、薄汚い人族など余さず滅ぼし尽くしてくれよう。貴様らの絶望こそ極上の糧。貴様らの嘆きこそ最上の音楽よ。残された短い時間、せいぜい我を楽しませるがよい」


 この台詞は首席かと思ったら、なんとまぁ魔性レディだった。どうやら首席から演技指導を依頼されたようなのだけど、もうノリノリで闇の血ならぬ14歳の血を全身に滾らせている。


「さすがはファル姉。迫力が違うわ」


 ハフニールの手下ドラゴンA役のムジヒダネさんが感心したように呟く。演技とは思えない迫力があるのは、半ば本気でやっているせいではなかろうか。実に楽しそうに呪いの言葉を吐きまくる魔性レディは、とうとうアドリブまでつけ加え始めた。


「あのバカ。あの調子で興が乗り過ぎると人をぶっ壊し始めるわよ」


 プロセルピーネ先生が渋い顔で物騒なことを口にする。在学中の魔性レディは終始あの調子で、【絶叫王】というあだ名は相手を絶叫させるとともに、自らも「闇に染まれ!」だの「魂を捧げよ!」などと意味不明な叫び声を上げながら関節を粉砕するところからきているそうな。


「ぐあぁぁぁ……ファル姉っ。折れるっ。洒落になってねえっ」

「我は【闇に魅初められし魔性】。我が魔性の虜となった者はことごとく闇に滅するのみ……」


 あ……これはダメだ。ヘルネストの腕を極めた魔性レディは、ハフニールの演技を忘れて独自の14歳設定を語り始めた。魔力を感じるまでもなく、自分に酔いしれていることは顔を見れは明らかである。


「仕方ないわね。パナシャ、例のものの用意を……」

「はいっ、先生」


 ドクロワルさんが鞄の中から野球のボールよりは一回り小さい球を取り出して僕に渡してきた。相手に思いきりぶつければいい。ただ、近づきすぎると巻き込まれるから、少し離れたところから投げるようにと注意される。


 僕にボールを投げろというのか……任せてくれたまえよ……

 ピッチャー田西。ゆっくりと振りかぶって第一球……投げたぁぁぁっ!


 僕の渾身のストレートが魔性レディの残念な胸元のど真ん中に突き刺さる。投げた球の中にはなにやら粉末が仕込んであったようで、青黒い粉塵のようなものが魔性レディとヘルネストを包み込んだ。


「ぎぃやぁぁぁ――!」

「にげぇぇぇ――!」


 ふたつの叫び声が同時に上がり、魔性レディとヘルネストが顔を押さえて床をのたうち回る。


「なにこれっ? もしかして毒?」

「こんなこともあろうかと開発しておいた。【絶叫王】鎮圧用のイボ汁球よ」


 イボナマコの分泌する汁に含まれる苦み成分を抽出して粉末にしたものらしい。効き目に満足したプロセルピーネ先生とドクロワルさんは大成功だとハイタッチを交わして喜んでいる。このふたりは他人を実験台にすることに良心の呵責というものを覚えないのだろうか。


「おのれぇぇぇ――っ。【神判を告げる紅金の御子】っ、そなたの仕業かぁぁぁ――っ!」


 僕のロゥリング感覚にマジもんの怨念を叩きつけながら、魔竜ハフニールはうがいできるところを探してドタドタと走り去っていった。手下ドラゴンBもすぐ後を追ってゆく。


「なんて生々しい……どうにかして舞台で再現できないものかしら……」

「明日まで時間を下さい。今晩中に台本を書き直します」


 憎しみが目に見えるようだと首席が息を飲み、あんなものを見せられては演出家として黙っていられないとロミーオさんが唇を噛みしめていた。


 いや、あれはもう演技じゃないから……マネしなくていいから……


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