86 その名はダエコ
「あれ?」
その日、クセーラさんと課題を進めようと図書室に来た僕は、とある異変に気が付いた。
「伯爵ぅ~。教本はどうしたの~」
図書室の本棚から、工師課程と術師課程の教本がごっそりなくなっていたのだ。手ぶらで本棚の列から出てきた僕にクセーラさんが怪訝そうな面持ちで尋ねてくる。
「いや、それがね……」
「こっ、これは私たちに課題をこなさせないようにする陰謀だよっ」
スカスカになった本棚を目にしたクセーラさんが、犯人を捜し出してとっちめてやると怒りの炎を燃やす。何でも陰謀論によるのはどうかと思うけど、以前見たときには誰も持ち出していなかった専門課程の教本が、今日に限ってほとんど残っていないというのはあまりにも不自然だ。
「こんなつまらないいたずらをするような者なんて放っておけばよいのです」
ここに残っている魔力から犯人を追えないかとタルトに尋ねたところ、美学のないいたずらをする相手にこちらから会いに行くなんてまっぴらだと断られてしまった。【忍び寄るいたずら】と呼ばれているだけあって、いたずらには一家言あるようだ。
犯人捜しに時間を費やせるほど暇なら一緒にお昼寝をしろと言われ、そんな余裕はなかったことを思い出す。図書室にないなら別のところから調達するしかなく、クセーラさんは西部派の先輩から借りられないか確認しに園芸サークルに向かった。
僕が向かうのはもちろん飼育サークル。シュセンドゥ先輩なら使わなくなった教本くらい持っているかもしれない。あの先輩に借りを作ったら何を要求されるかわからないという不安と、今度こそ大人のチュウをされてしまうかもという期待を胸にサークルのたまり場に顔を出す。
「工師課程の教本? ああ、もう使ってないからあげるわよ」
シュセンドゥ先輩は気前が良かった。特待生くらいになると、教本よりも自分でまとめた研究ノートの方がよっぽど使えるようになるらしく、もう一年以上埃を被っているから僕に譲ってくれるという。残念なことに、メルエラが目を光らせているのでチュウはなしだ。
「あら、それなら私も……」
クゲナンデス先輩までいらなくなった教本をくれると言い出した。部屋の本棚に空きを作りたいらしい。誰もが手にする教本なんて場所を取るだけだと、特待生の余裕を口にする。恐ろしいことに、サンダース先輩が殺気の込められた視線を突き刺してくるのでチュウなど望みようがない。
「シャチョナルドにしてはずいぶんと小賢しいわね」
図書室に教本が残っていないことを話したところで、実家の権威を振りかざすバグジードらしからぬ手口だとシュセンドゥ先輩が口にする。
「アーレイ君に課題をこなされて困るのは彼だけではありませんから……」
「他にもいるのっ?」
僕はいったいどれだけの人間に恨まれているのだと不安になったところで、私怨とはまた違うと首席が説明してくれた。
昨年、Bクラスだったドクロワルさんたち数名が、今年からAクラス入りした。Aクラスの定員は30名と決まっているので、当然同じ数の生徒がBクラスに転落している。そして、春学期の成績でバグジードが31位に後退した。
「30位になった子は、昨年Aクラスだった北部派の女子です。今の順位を何としても維持しようと、手段は選ばないでしょう」
北部派を取り仕切る首席としては、そんなことをしている暇があるのなら勉強して少しでも成績を伸ばして欲しいのだけれども、Bクラスというだけで取りたてて見所のない平凡な生徒というレッテルを貼られてしまうのが現状。それは特待生の選抜にも影響してくるので、口で言ったくらいで止まるものではないという。
「ダイアナエリザベスコーネリアさんにも困ったものです」
「は? 30位が3人もいるの?」
「そんなお約束のボケにツッコムと思ったら大間違いですわよ」
30位になった女子は、ダイアナエリザベスコーネリア・パクリスギという、ひとつに決められなかったから全部付けましたみたいな名前の生徒らしい。【禁書王】の実家に仕える士族の娘で、明確なルール違反をしない限り立場上黙認するしかないと首席はすまなそうに言った。
「本を借りただけでルール違反とは言えないからね。北部派の子なんだし首席はその子の味方でいなよ」
「そうはまいりません。アーレイ君には何としても彼女を追い抜いてもらいます」
「なんでまたそこまで……」
武人気質な西部派。宮廷貴族な南部派に対して、ホンマニ公爵様をトップに頂く北部派は歴史的に学問を重んじてきた。自分の成績を上げるのではなく、他者を貶めることで順位を上げるなんてことを続けていたら、卒業生の質は年々下がる一方になる。それは魔導院を設立した公爵様と、私塾でしかない魔導院を今の地位にまで押し上げた先輩方への明確な裏切り行為だと首席は怒りも露わに拳を掌に叩きつけた。
「他の派閥ならいざ知らず、北部派の生徒がそれでは公爵様に顔向けできません」
魔導院の経営は決して平坦な道ではなかった。最初は生徒がほとんど集まらず、北部派の貴族たちを説得して数名の生徒に入学してもらい公爵様自ら教鞭を取ったという。それが変わったのは設立から50年を過ぎたあたり。卒業生たちが国の要職を占めるようになって、ようやく日の目を見ることができたのだと首席が涙ながらに語る。
「先人たちの執念の結晶を踏みにじる不心得者など許しておけるものですか。アーレイ君、秋学期の成績で彼女に負けるようなら、わかっていますわね……」
ちょっ……お仕置きですかっ?
これは酷い。首席のうっ憤を晴らすために、僕はダエコ――長いので省略した――さん以上の成績を修めなければいけなくなってしまった。
「ペドロリアン。あんた詳しいわね」
「魔導院200年史にそうありました。ここの生徒であるならば、一度は読んでおくべきです」
もう涙なしには語れない感動の大作だと、ヨッパライの如くテーブルをドンドンと叩きながら首席が勧めてくる。ホンマニ公爵様の直筆サイン入り初版本はペドロリアン家の家宝とされているそうだ。高貴なお嬢様然としている首席に、こんな一面があるなんて思っていなかったよ。
「ちゃんと聞いていますか? アーレイ君っ」
ダメだ。とうとう同じ話をリピートし始めた。シュセンドゥ先輩とクゲナンデス先輩は教本を取ってくると口実を作って逃げ出してしまい、僕だけが首席の前に残される。
延々と語られ続ける魔導院の歴史は、間違いなく学長の挨拶より長かった。
「言われてみれば、あの子の使いそうな手口だねっ」
頂いた教本を受け取って図書室に戻ると、上手いこと教本を借りられたらしいクセーラさんがすでに課題を始めていた。首席から聞いた話を伝えると、いかにも彼女のやりそうなことだと頬を膨らませる。
ルール違反スレスレの陰湿な手口を使う。違反行為は他人にやらせて、自分の手は汚さないタイプというのが次席の人物評らしい。なるほど、首席も表だって文句は言えないわけだ。
「伯爵はいいよねっ。借りるつもりが譲ってもらえるなんてっ」
教養課程の教本は全員同じなので、授業料に含まれていて魔導院から支給される。専門課程になると人によって必要な教本が異なるので、自費で購入しなければならない。全部揃えるとなると、これが結構な値段になるのだ。
クセーラさんが僕ばっかりズルイと頬を膨らませる。
「特待生はこんな教本使わないってさ」
教本にあることを覚えるのではなく、さらに研究を深めることが課題となる。先人より一歩でも先に進むには、いつまでも教本に頼っていてはいけないらしい。工師課程の特待生を目指しているクセーラさんは、僕に言われてぐぬぬ……と歯噛みしていた。
期限も迫ってきているので、あまり遊んでいる余裕はない。最初に作った術式に術師課程の技法をちょっと加えて魔力効率を改善させる。それを、重なり合うふたつの魔法陣に配置していくのだけれど、無駄なくコンパクトに納めるのはなかなか難しい。完成形の示されていない三次元パズルのようだ。
気が付けば日は傾いて、カラーン、カラーンと鐘の音が響いてきた。校舎を閉めるから退出しなさいという合図である。3歳児がいつものお昼寝部屋で待っているので、これから迎えに行かないといけない。
「伯爵ぅ、終わった~?」
「まだまだだね。二層の魔法陣にするだけなら簡単なんだけど……」
「やっぱり~。効率を落とさず綺麗にまとめるのがこんなに難しいなんて~」
クセーラさんも僕と同じところで引っかかっているらしい。積層型魔法陣を採用する最大のメリットは魔法陣を小さくまとめて魔導器をコンパクトにできるところだから、ここで妥協してしまっては良い評価は得られない。
期限に間に合うかなぁと話しながら校舎を出ようとしたところ、なにやら言い争っている人だかりに遭遇した。Bクラスの連中に、クダシーナ君と数名のCクラスの生徒が取り囲まれている。
性懲りもなく、また課題を取り上げようとしているのか?
「伯爵、あれ……」
クセーラさんが通路の陰に身を隠すようにして様子をうかがっている女子生徒を指差した。金髪の三つ編みおさげにメガネという、地味なんだか派手なんだかどっちつかずな女の子。ダイアナエリザベスコーネリアさんだという。
「あいつがやらせてるのかなっ?」
「ん~。多分、間違いないね。あの子、なにかに期待してる」
人だかりに気を取られているダエコさんの魔力から感じられたのは強い期待感だった。クダシーナ君も成績を急上昇させているから、自分を脅かすようになる前に潰しておこうというのだろうか。
「どうしよ――えっ?」
僕がさてどうしようかと口にする間もなく、クセーラさんは砲口に挿し込むようにして固定されている手首を無言で引っこ抜くと、警告もなしに強化型『エアバースト』をぶっ放した。ダエコさんが隠れているすぐ横の壁に着弾し、彼女を通路へと吹き飛ばす。
「は~いダエコ。久しぶりだねっ。長いんでダエコって呼ぶことにしたから、よろしくっ」
クセーラさんが超わざとらしく、クダシーナ君を囲んでいる連中にまで届くような大声で明るく挨拶した。人だかりとなっていた生徒たちが一斉に振り向いて、クセーラさんと通路に転がり出たダエコさんに視線が集まる。
「カリューアさん……突然なにをっ?」
「ダエコが恥ずかしそうに隠れてるから応援してあげるんだよっ。お目当ては……ズバリ彼だねっ」
伯爵家のお嬢様であるクセーラさんは、バグジードと違って手が滑ったなんて言い訳はしなかった。意中のお相手に話しかけられないシャイガールを応援してあげるのだと、クダシーナ君を指差す。
ある意味、スゲェ……
僕やヘルネストではダエコさんを糾弾するくらいしか思いつかず、偶然通りがかっただけ。何の証拠があるのだと言い逃れされてしまうのが関の山だったろう。とっさの機転で勘違いからお節介を焼く迷惑ヒロインを思い付くとは、やはりあの次席の妹なのだと感心する。
「ほらほらっ。あなたたち、ここはダエコに譲りなよっ」
「ちっ、違うんですっ。違いますから失礼しますっ」
このままではクダシーナ君への告白を強要されかねないダエコさんは、いきなり『エアバースト』をぶち込まれたことに抗議することもなくそそくさと逃げて行った。
「ちょっとっ。あなたたちが気を利かせないから、ダエコ行っちゃったじゃないっ」
迷惑ヒロインを演じ続けているクセーラさんは、お前たちは乙女の恋路を阻む邪魔者かとゴーレム腕の砲口を突き付けて、集まっていたBクラスの連中も追い払ってしまう。ちらりと顔を確認したところ、以前教室にきた奴らとは違って北部派が多い印象だった。
「ご迷惑をおかけしました。ありがとうございます……」
「お礼はいらないよっ。別にあなたを助けたかったわけじゃないから、勘違いしないでねっ」
お礼を述べるクダシーナ君に、聞く人が聞いたら余計勘違いしてしまいそうな言葉をかけるクセーラさん。そこにCクラスのクラスメートに呼ばれたのかヘルネストが駆けつけてきた。
「ウカツ君おっそ~い。もう、このクセーラさんが華麗かつスマートに解決しちゃったよっ」
クセーラさんが鼻高々といった顔で、どうだと言わんばかりに手を腰に当て胸を反らす。華麗かつスマートと言うのはどうかと思うけど、ヘルネストみたいに喧嘩騒ぎに発展させたりしない手腕はさすがAクラスと唸らざるを得ない。
「クセーラにモロニダスか。あいつらも悪いところに居合わせたな……」
「その言い方はないよっ。反省室に送られずに済んだって、私に感謝するところだよっ」
これはクセーラさんの主張を認めないわけにはいかないだろう。昨年、喧嘩騒ぎを起こすたびにヘルネストは反省室に送られていたのだ。僕としても反省室が空いてなくて補習をお流れにされてしまうのは困る。
でも、人畜無害な僕を暴れん坊のクセーラさんと一緒にはしないでおくれ……