82 クセーラのプライド
「見つけたよっ。伯爵っ!」
「へっ……クセーラさん?」
授業が終わって教室から出たところで、僕の目の前に網が広がった。クセーラさんの射出した投網弾だ。避ける間もなく頭から被せられ、巻き上げ機でギリギリと引っ張られる。
「声をかければ済むものをっ、なんで網をかけるのさっ?」
「伯爵が逃げようとするからだよっ」
先日、禁書を持って逃げたのがいけなかったのか、クセーラさんは捕まえておかなければ僕が逃げると考えているようだ。禁書もないのにわざわざ逃げる必要がどこにあるというのだろう。
「積層型魔法陣を組むんだってっ。この私を出し抜こうったってそうはさせないよっ」
どうやら次席から話が伝わったようだ。工師課程の特待生を狙っているクセーラさんが、僕だけそんな課題に手をつけるなんて許せない。自分も同じ条件で時間をもらえるようリアリィ先生に直談判しにいくから一緒に来いという。
「逃げないよっ。逃げないから網を解いてよっ」
「サソリのハサミのつけてもらえば網を破って逃げられるのです」
「絶対に却下だよっ!」
僕の後をついて教室から出てきたタルトがロクでもない解決策を提案してきた。余計なことを言うな。プロセルピーネ先生やドクロワルさんの耳に入ったら、本当に改造されかねないぞ。
「カリューアさんまでこんなリスクのある課題に挑戦しようというのですか?」
教員室でクセーラさんの話を聞いたリアリィ先生は、こんな博打みたいな方法で順位を上げようとするのは感心しないと呆れていた。ゴーレム腕開発にのめり込む前は学年6位で、今また上位10名にランクインできそうなのだから、着実に成績を伸ばすことを考えるべきではないかと口にする。
失敗しても今より下のクラスに落ちようがない僕とは置かれている状況が違うのだ。
「承知の上だよっ。伯爵に出し抜かれたら私の立場がないんだよっ」
伊達にゴーレム腕を何本も作っていたわけではなく、木材加工や金属加工をさせたら同学年でクセーラさんの右に出る生徒はいない。同級生が積層型魔法陣を用いた魔導器を完成させるのを指をくわえて眺めているなんて、プライドにかけて許せないと吼える。
認めてもらえないなら授業そっちのけで積層型魔法陣の研究をするまでだとボイコット宣言が飛び出すに至り、リアリィ先生はしぶしぶ僕と同じ条件で課題の提出を猶予してくれた。
「さっそく図書室に行って教本を探そうよっ」
「クソビッチは落ち着きが足りないのです。教本は逃げないのです」
図書室に向かおうとするクセーラさんをタルトが制止する。図書室で本を読み始めたら、お昼ご飯を忘れられてしまうと食いしん坊3歳児は譲らない構えだ。仕方がないので先に食事を済まそうと食堂へ向かったところ、脳筋ズと次席もやってきていた。
「また未達成だなんて……お仕置きが足りなかったようね……」
「まあ、あんまり責めないでやってくれないか」
「期限を短縮されたわけじゃない。伸ばしてもらえなかっただけ。酌量の余地はないわ」
未達成にされた西部派にはお仕置きだという次席に、元凶となったヘルネストが減刑を嘆願いたものの、本来の期限に間に合っていないのだから手加減する必要はないとムジヒダネさんが無情に却下する。確かにそのとおりなんだけど、ヘルネストは恨まれるだろうな……
「時間外に課題を済ませるなら……先にやるのも後にやるのも同じなのに……」
どうして先に済ませておかないのだという次席。Aクラスの彼女には永遠に理解できないだろう。期限が過ぎるまで手をつけない。今日やることは明日やる。それがCクラスなのだ。
「クセーラはどんな術式にしたんだ?」
「ネトネトの泥をくっつける術式だよっ」
ヘルネストが話題を逸らそうとクセーラさんに話を振ってきた。クセーラさんの術式は接着剤みたいにネバネバしている泥の触手。強靭さはないので拘束から抜け出すのは難しくないのだけど、ネトネトの泥がくっついたままになって長時間動きを阻害するという。
「姉妹だからかしら、次席と発想が似ているわ」
「いいえ……クセーラの術式は……首席の精霊がモデルだそうよ……」
次席の術式に近いとムジヒダネさんが言ったところ、蜜の精霊の力を模倣したものだと次席が明かした。昨年、【ヴァイオレンス公爵】をマジ泣きさせたアレか……
あんな精霊が戦闘の役に立つものかとなめてかかったムジヒダネさんは、試合開始早々にヌルヌルの蜜を頭からぶっかけられた。足元が滑ってまともに立っていることができず、グラウンドで関節技に持ち込もうにも手が滑るので首席を掴むことができない。
一方、精霊の使役者である首席は普段と同じように動けた。必殺のヌトリングミキサーを喰らって、もう許してくれと大泣きさせられたのだ。
「あんな破廉恥な力を模倣するなんて……」
鎧下の中に大量の蜜を注ぎ込まれ、上からグチュグチュにかき回される感覚を思い出したのか、ムジヒダネさんは顔を赤らめさせて体を震わせていた。10歳の女の子を相手に、首席もけしからん技を仕掛けたものだと感心する。
「ヌルヌルの蜜だと拘束術式にならないからねっ。代わりにネトネトの泥にしたんだよっ」
いつまでも最強でいられると思うなと、クセーラさんが【ヴァイオレンス公爵】に挑戦状を叩きつける。教養課程の公式試合には精霊も使い魔も、もちろんゴーレムも参加させられないから、ムジヒダネさんの天下を崩すのは難しいと思うけどね。
「次席も似たような術式なの?」
「田んぼを作って歩みを止めさせる術式よ……例の術式を参考にさせてもらったわ……」
【禁書王】と同じく『ヴィヴィアナピット』を模倣した術式で、研究に主眼を置く【禁書王】は完全再現を目指すだろうから、次席は実用性を重視したカスタマイズにしたらしい。膝が埋まる程度の深さしかない分、広い範囲を水田のように変えてしまえるという。
「上手くすれば……田植え前に田んぼを整備するのにも使える……はず……」
拘束術式を耕作術式にしてしまうあたり、次席は根っからのファーマーだった。
食事を済ませた後、ヘルネストとムジヒダネさんは訓練場へと出かけて行く。僕とクセーラさんが図書室に向かおうとしたところ、次席がその前にと僕たちを購買へと連れてきて、まずこれを読めと一冊の本を指し示した。
「専門課程の教本は……この基礎教本を理解していることを前提に書かれている……この教本を読んでおかないと……言葉の意味から調べるハメになるわ……」
専門課程の基礎教本だそうだ。どの課程に進んでも必要になるから、ひと足先に購入してしまうのがいいと勧めてくれる。最新の教本は図書室に納められるから、改訂があった時だけ自分で修正すればいいという。
「姉さん。今すぐ買ってちょうだいっ」
「そんな本を買う前に、わたくしのおやつを用意するのです」
クセーラさんはさっそく購入してくれと、お金を管理している次席にせびる。いずれ必要になるのならと僕も購入しようとしたところ、図書室にある本にお金を使うくらいならとタルトがおやつを要求してきた。
「今、お昼ご飯を食べたばっかりじゃないか」
「ご飯とおやつは別なのです」
お腹がいっぱいになることを知らない3歳児は当たり前のように別腹理論を口にする。蜜の精霊も自重の100倍近い肥料を食べ尽してしまったというし、精霊の食べたものがどこに行くのか不思議でしょうがない。プロセルピーネ先生に解剖させて確かめたいくらいだ。
砂糖とバターを練り込んで焼いた甘いパンを買ってあげて、今日は天気もいいのでヴィヴィアナ湖畔の広場で日向ぼっこしながら教本に目を通すことにした。
「あ゛ぁ~。かわいいなぁ~。うらやましいなぁ~」
【思い出のがらくた箱】から取り出した乳母車でお昼寝を始めたタルトとティコアを、クセーラさんがいつまでも眺めている。せっかく次席に買ってもらった教本を取り出す気配さえない。
「ゴレームたんは……いいんだ。ど~せまた、上から目線でサソリの尻尾を付ければいいとか言われるに決まってる……」
「言わないって……」
課題の方は大丈夫なのかと心配になる。落第になったら冬学期に補習を受けないといけなくなるし、来年のクラス分けは秋学期の終わりの順位で決められるから、Bクラスに落とされかねない。なにより……
「落第したらお仕置きだよ。きっと……」
「はうあっ」
あの次席が落第した妹を許しておくはずがない。言葉では言い表せないようなお仕置きが待っているに違いないのだ。自分の賭けたチップが落第だけではないことに気が付いたらしいクセーラさんは、ガクガク震えながら教本を取り出すとぎこちない手つきでめくり始めた。
教本によると、専門課程では魔術用語の短縮形みたいなのを使うのが当たり前らしい。ただし、組み合わせによっては使えなかったり、慣用句のような効率のいい表現があったりする。他にも、繰り返し発動とか条件分岐を組み込んだ術式なんかもあるそうだ。
基礎教本なので載っているのはその一例だけ。詳しくは個別の教本に譲ると書いてあった。
「ゴブリンが何をしている。本なんか読んだって、人間になれるわけでもあるまいし」
ふむふむと教本を読んでいたところ、何の用があるんだかバグジードの奴が声をかけてきた。ジラントの革を狙って謹慎処分を喰らったバカどもを引き連れている。裏切られたにもかかわらずまだつるんでいたなんて、懲りない奴だな……
「あなたたちっ。とうとうバグジード派に鞍替えしたんだねっ」
バグジードと一緒にいる奴らの中には、僕の部屋に空き巣に入った西部派のふたりもいた。
「次席はもう、俺とは口もきいてくれない……」
「僕たちを西部派にいられなくしたのは、君のお姉さんじゃないか……」
クセーラさんに糾弾されたふたりはバツの悪そうな顔をしながらも、次席が自分たちを派閥から追い出したせいだと弁解する。見限られてもついて行くほどバグジードに人望があるのかと一瞬驚いたけど、どうやら奴の傘下に入るしか選択肢が残されていなかったようだ。
逆に言えば、今のバグジードに味方するのは彼らのように派閥から村八分にされた生徒だけ。だから、自分を売ろうとした連中と今でもつるんでいる。
強がってはいるものの、バグジードも仲間を選んではいられないのだろう。
「新派閥を結成したにしては、あまりパッとしない顔ぶれだね」
「彼らはゴブリンと違って将来を見据えているのさ。ブチョナルドは今年卒業だし、シュセンドゥだって来年にはいなくなる。東部派をまとめられるのは僕だけだ」
コイツ、先輩たちがいなくなれば派閥リーダーの座が自分のところに転がり落ちてくると考えていやがるのか……
「お前だって東部派貴族の血筋だろう。僕をあのスカした王女に紹介する名誉をくれてやるよ」
何の用かと思ったら、アキマヘン嬢に紹介して欲しかったのか。スカした王女って言うことは、王女殿下と呼びかけて完ムシされたな。イナホリプルの訓練をする時に、自分の騎獣がどんな動きをするのかは知っておくべきだと連れ出して首席の警告は伝達済みだ。
侯爵家の嫡子なのに王女と公爵の娘の区別がつかないのかと呆れかえっていたよ。
「東部派の一員として迎え入れてやるというんだ。ゴブリンには過ぎた申し出だろう」
東部派ならアンドレーアの子分になればいい。交渉にすらなっていないのに、どうしてコイツはこうも自信満々なんだ?
「そんな空手形を渡されてもね……」
「あなたたち。コイツが東部派を仕切るようになるって本気で信じてるわけじゃないよねっ?」
クセーラさんはもう噴き出す寸前だった。東部派で重用してもらえるなんて空約束を本気にしたのかと、片手で抑えた口元からプププ……と笑いが漏れ出している。
「空約束だって……それすらしてくれない首席や次席よりマシじゃない……」
北部派だった女子が怒りに身を震わせながらクセーラさんを睨みつけた。彼女だってわかってはいたのだろう。それでも、バグジードのわずかな可能性に賭けるしかなかったのだ。
「首席も次席も……どうしてアーレイばっかり……」
「あなたと違って、伯爵は皆にできないことができるからだよっ」
Cクラスの僕が贔屓されて、どうして同じ派閥の自分がないがしろにされるのだと恨み言を口にした女子生徒に、間髪を入れずそれは当然のことだとクセーラさんが答えた。タルトがいることを別にしても、僕はコケトリスという騎獣を扱えるし、ドワーフの隠された技術も知っている。プロセルピーネ先生から魔法薬の作り方を指導してもらえ、モロリーヌはお人形さんみたいでかわいいと彼女がマネできない部分を列挙していく。
いや、モロリーヌはちょっと……やめて……
「なにも見ていないんだねっ。首席や姉さんが好意を持つのは、ふたりより優れたところのある生徒ばっかりなんだよっ」
総合成績で劣ってはいても、個々の科目では引けを取らない生徒たち。学ぶところや得るものがあるからこそ、彼らとの関係を大切にする。バグジードと違って、自分に盲従するだけの支持者なんて必要としていないのだとクセーラさんは言い切った。
「僕が支持者を必要としているだと……」
「だからこんな役に立たない取り巻きを連れているんだねっ」
彼らが有益な人脈であったなら、アキマヘン嬢に紹介しろなんて僕のところに来る必要はなかった。腰巾着をぞろぞろと連れているのは、力になってくれる友達がいない証拠だとクセーラさんが見下したように嗤う。
「頂点に立つ者に友人なんて必要ない」
「いないのと必要がないのとでは、意味がまったく違うのです」
騒がせ過ぎただろうか、眠りについていたはずの3歳児が目を覚ましてしまった。乳母車からのぞかせた顔はまなじりが吊り上っていて、あからさまに不機嫌なご様子だ。
「お前達が騒ぐからバナナが逃げてしまったではありませんか。覚悟するのです」
「なに? なにを言っている?」
唐突にバナナが逃げたなどと言われて話についていけないバグジード。だけど、奴の事情などお構いなしにタルトはパンパンと柏手を打つように手を鳴らした。
「ヴィヴィアナ。やってしまうのです」




