8 激笑のティーパーティー
お茶会での話題の中心は僕……ではなく、意外なことにシルヒメさんとなった。
最初は僕とタルトにお茶を淹れてくれていたのだけど、香りに惹かれた女の子が興味を示すと彼女たちの分を別に用意してくれた。僕と、そして意外にもタルトは紅茶に砂糖すら入れないストレート派だけど、女の子にはミルクティーが人気なのでお茶っ葉も淹れ方も変えたらしい。
淹れ直してもらったお茶に口を付けた首席はより目になったまま固まった後、お茶を淹れるのはシルヒメさんにお任せるよう指示を出した。
シルヒメさんはお茶の淹れ方から給仕の際の仕種まで見とれてしまうような美しさがある。メイドとして完成された立ち振る舞いを見せつけられて、隣で給仕しているメイドさんの目がだんだんと潤んできた。メイド精霊は元から人が敵う相手ではないのだから泣かないで欲しい。
「すごいです。わたし、お茶をこんなに美味しいと感じたのは初めてです」
「これがシルキー……ゴレ研の奴らが血を吐きそうね……」
ドクロワルさんとその右隣に座ったクセーラさんがお茶を口にしながら感心したように呟く。クセーラさんが言った「ゴレ研」というのはゴーレム研究会という課外活動を行っているグループのことで、彼女が常日頃から叩き潰したくて、叩き潰したくて仕方がないと目の敵にしている連中だ。
僕には紅茶にミルクを入れて飲む感覚が理解できない。お茶はさっぱりとしていた方が好みだし、渋さの中にほんのりとした甘みを感じるのがお茶のいいところなのに、ミルクはすべてを台無しにしてしまう悪魔の混入物だ。ただ、女の子たちには別の考えがあるのだろう。
ミルクがたっぷりと注がれ本来の味が判らなくなった紅茶を「おいしい、おいしい」と喜んで口にしている。そこに水を差すほど僕は命知らずじゃない。
「これは我が家にも――っ!」
首席がなにか言いかけた瞬間、後ろに控えていた侍女の人が彼女の後頭部に素早い動きでチョップを入れるのが見えた。あの侍女の人が首席にツッコミを入れるところを見るのは初めてじゃないから驚くには値しない。
20歳くらいに見える彼女はペドロリアン侯爵家の分家の令嬢で、3年前にこの魔導院を次席で卒業した大先輩だそうだ。つまり、侍女というのは隠れ蓑で実のところはお目付け役兼家庭教師である。
今のは上流階級特有の言い回し的に不適格ということのようだ。メイドさんの肩がビクッと跳ね上がったのを僕も見逃さなかった。そりゃシルキーなんて雇われた日にはメイドさんはお払い箱だもの、多くの使用人を抱える侯爵家では迂闊なひと言が戦力外通告と受け取られかねないのだろう。
うっかり口を滑らせることも許されないなんて、身分の高い人は大変だ。
シルヒメさんの話題で盛り上がるなか、メイドさんがエッグタルトを盛りつけたお皿を運んできた。シルヒメさんの持っていたバスケットの中身がこれだったらしい。
「ヌトヌト、お前の出番なのです。今すぐこっちに来るのですよ」
タルトが大はしゃぎで首席の使役する蜜の精霊に自分の方に来るように呼びかけた。ヌトヌトというのは蜜の精霊のことで、首席は自分の精霊をヌトリエッタという名で呼んでいる。
お茶会の人数が多いのでテーブルを2卓に分けて、次席と発芽の精霊はこちらの卓のタルトの隣に、首席と蜜の精霊はもうひとつのテーブルに着いていたのだけど、タルトが呼びかけると首席の膝の上から離れてフヨフヨと宙を浮いてやってきた。この蜜の精霊は発芽の精霊と違って喋らないけど、映画に出てくるティンカーベルみたいに宙を浮いて移動する。
「ここにちょろっとお前の蜜を垂らして欲しいのですよ」
自分の前にあるエッグタルトを指差しながらタルトが蜜を垂らせと要求する。他人の使役している精霊に勝手に命令するなんて……と思ったけど、蜜の精霊は使役者である首席の意向を伺うことなく、タルトに言われるまま指先からポタポタとお皿に蜜を垂らしていく。タルトの言っていた格が違うとはこのことなのか?
自我を持っているとはいえ、使役者を無視してタルトに従う精霊に首席も言葉を失っている。そこに、横からもう一枚のお皿が差し出された。
「ワタシモ……」
タルトの左隣に座っていた次席の使役する発芽の精霊だった。タルトのお皿に続いて彼女のお皿にも蜜を垂らしてゆく精霊はどこか嬉しそうで喜んでいるように見える。蜜の精霊を追ってこちらの卓に来ていた首席はその様子を眺めた後、「蜜が必要な方はおっしゃってください」と女の子たちに声を掛けた。
全員が手を挙げたのは言うまでもない。
「あうぅ~……美味しい。すごく美味しいのですけど……おなかが……。おなかが~」
ドクロワルさんがプルプル震えながら悲しみの声を上げているけど、甘い物の誘惑には抗えないようでお皿の上のエッグタルトはしっかりと減っている。クセーラさんに「代わりに食べてあげようか?」と意地悪そうに尋ねられて、「食べますっ。わたしが食べるんですっ!」と全身でお皿をかばっていた。
僕が我慢するのは体に好くないと言ったら、「アーレイ君にはダイエットに付き合ってもらいますからねっ」と言って、吹っ切れたらしくペロリと平らげてしまう。
――やってもうた……
墓穴を掘るとは正にこのことだ。ドクロワルさんはドワーフの血のせいか小柄なわりに体力、とりわけ持久力に優れている。ロゥリング族の血を引く僕とは正反対で、彼女のダイエットに付き合って体力の限界に挑戦させられたことは一度や二度ではない。
彼女の「ダイエットに付き合ってもらう」とは、すなわち「地獄のしごきが待ってますよ」という意味であって、女の子との甘酸っぱい展開を期待すれば裏切られるだけだ。約束されたお仕置きの日を想い気が遠くなる。
僕は……生き延びることができるか……
誰よりも体重を気にするドクロワルさんすら虜にしたエッグタルトは無茶苦茶好評なようだった。シルヒメさんお手製かと思ったのだけど、タルトが言うには違うらしい。誰とは教えてくれなかったけど、料理の神様みたいな人が作ったらしくて、知ったところで意味がない。知らない方が良く、探すのは無駄だときっぱり言い渡されてしまった。
「きちんとした竃さえあればシルヒメが充分に美味しいお菓子を焼いてくれるのです」
タルトの言葉に女の子たちの目がいっせいに餓えた肉食獣のような光を宿す。ギュピーンという効果音が聞こえてきそうだ。首席がなにか言いたそうにしていたけど、大先輩の手が頭の後ろで垂直に立てられていることを察したのか言葉を飲み込んだようだった。
「伯爵、その子はなんの精霊なの?」
クセーラさんが話題を僕たちに移してきた。伯爵というのは同級生たちが遊びで、主に残念な方向に特徴のある生徒に授与した爵位だ。僕は【ゴブリン伯爵】と呼ばれていて、クセーラさんが【ゴーレム子爵】でドクロワルさんは【ドクロ男爵】。他にも【皇帝】、【禁書王】、【ヴァイオレンス公爵】、【ジャイアント侯爵】なんて子たちもいる。
あだ名に爵位をつけるのはどの学年でもやっている伝統的な遊びらしい。
「ん~、名前はタルト。いたずらをする子供の精霊らしいよ」
「ふふっ……やんちゃしたがるアーレイ君にぴったりの可愛らしい精霊さんですね」
やめて~。ドクロワルさんがどんどん保護者ポジションに近づいて行ってしまう。僕は確かにちっちゃいけど君と同い年なんだ、お姉さんぶった発言は厳に慎んで……いや、綺麗なドクロお姉さんに優しく包み込まれてゴチソウサマされてしまうのも……アリだな。
「これほどの精霊……どこに宿っていたの……」
妄想を膨らませている僕に次席が鋭い目を向けて質問してきた。クサンサ・カリューア伯爵令嬢、クセーラさんの双子のお姉さんだ。
左腕を除けば見分けがつかないくらいそっくりな双子なのに、親しみやすい暴れん坊のクセーラさんとは真逆の、いかにも深窓の令嬢といった物静かな雰囲気を漂わせている。濃いブラウンの髪を発芽の精霊とおそろいのハーフアップにしていて、おとなし目で清楚な印象があるので男子からの人気も高い。
僕のことは妹の友達と考えているみたいで、同級生以上、友人未満といった距離感を感じる。
本当のところを答えてしまうと、僕がルール違反をしようとしていたことがバレてしまう。調合の素材を見つけに森を散策している最中、たまたま出会って契約したのだと説明したけど、案の定、女の子たちから追究の声が上がった。
「たまたま出会った精霊と契約?」
「そんな都合のいい話、あってたまるもんですか」
「奴は嘘を吐いているわ……」
「嘘つきのゴブリンは吊るすしかないわね……」
マズイ! このままでは拷問にかけられる……
首席と次席の精霊はちっちゃくて仕種が可愛らしいと女の子たちの憧れの的だった。加えて、まんま3歳児のタルトと美味しいお茶とお菓子を提供してくれるシルヒメさんを見せつけられた彼女たちの目は、羨望と嫉妬と野心と欲望、そして殺意に燃え上がり、仲間を求めるゾンビのような動きでジリジリと包囲を狭めて迫ってくる。
捕まったら僕の命が危うい。
「皆さん、精霊との契約って案外そんなものですのよ」
「ええ……私の時もそう……」
首席と次席からかけられた言葉にゾンビたちの動きがピタリと停止した。僕も初めて聞くのだけど、首席も次席も、唐突に精霊の方から姿を現してくれてそのまま契約したのだそうだ。
魔導院に入学する前、首席は侯爵家の所有するカエデ林で見つけた樹液をたくさん出してくれる1本の古いカエデの木を自分のお気に入りとして大切にしていたらしい。毎年、樹液を採取する時期を楽しみにしていたのだけど、魔導院に入学する年齢になったので暫くの間お別れだと挨拶に行ったら蜜の精霊が姿を現したという。
次席も似たようなもので、忘れられて使われていなかった古い花壇に種をまいたらあっという間に花が成長するので、自分だけの秘密の花壇として楽しんでいたら、ある日ひょっこり発芽の精霊が現れた。精霊との契約というのはお芝居みたいに特別で印象的なところはなく、道端でたまたま目にしたカエルを拾うくらいあっけないものなのだと次席は語った。
「あっけなく感じるのはお前たちが選ばれる側の存在だからなのです。精霊はお前たちをよくよく観察したうえで姿を現しているのですよ」
タルトがここぞとばかりに口を挟む。皆の驚いたような視線を独り占めして満面のドヤ顔だ。コイツはやっぱり目立ちたがりで間違いない。
「精霊は自分と同じ想いを抱くものに惹かれて自ら姿を現すのです。探したり、捕まえたり、呼び出したりしようとすればロクな結果にならないのですよ。相手を選ぶのはお前たちではありません。選ぶのはわたくしたちなのです」
耳が痛い……。ルール違反を犯してまで呼び出したのが【真紅の茨】で、タルトにコロッと騙されて下僕にされた僕にあてつけているのだろうか。
「では、タルトちゃんはアーレイ君のどこに惹かれたんですか?」
「何でも言うことを聞く。魂を捧げてもいい。と泣きながら縋り付いてくるので仕方がなかったのです」
「ちょ――――!」
ドクロワルさんの問いかけに、タルトは考えられる最悪の回答をしやがった。たとえそれが事実であったとしても、その部分だけを抽出して教えることもないじゃないか!
3歳児に縋り付いて契約を迫っている姿を想像したのだろう、僕を見る女の子たちの視線が一気に冷たくなる。
「いつだって君のそばにいる。いつまでも君を大切にする。と誓ってくれたので、わたくしも契約に応じることにしたのです」
「それ言うっ! それ言っちゃう?」
恥ずかしそうに両手で頬を押さえながら暴露するタルト。でも、僕と目が合った時、その顔にニヤニヤといたずらっぽい笑みを浮かべた。コイツ楽しんでやがる!
「アーレイ君、こんな小さな子にいったい何を誓っているんですか?」
「伯爵って、実はゴブリンじゃなくって、ケダモノだったんだね……」
「変質者? いえ、もはや性犯罪者と呼ぶ方が相応しいですわね……」
「ゴブリンは魔物。慈悲など無用……」
僕に向けられる女の子たちの視線はもはや絶対零度に達し、一部の子は腕をまくり上げ僕を処刑する気マンマンである。
「ち、違うんだ! お願いだから僕の話も聞いてよっ!」
僕は【真紅の茨】を呼び出してしまったところからタルトに騙されてペットにされるまでの一部始終を話し、泣きながら命乞いをするハメになった。唯一、僕が何を捧げ物としたのかだけは明らかにしないでおく。11歳の女の子たちの前で口にすることじゃないしね。
僕の話を聴き終えた女の子たちは、皆その場にうずくまりお腹を押さえてプルプル震えている。首席も人目を憚らず椅子の座面に突っ伏して必死に笑いを堪えていた。ツッコミを入れるべき侍女の人は……ダメだ。一緒になって震えている。
「さすがはアーレイ君、私たちにできないことをやってのけますわね……」
「そこに憧れはしないけど……腹筋はシビレたわ……」
ようやく落ち着いたらしい首席と次席が涙を拭いながら立ち上がり、さり気なく近寄ったシルヒメさんが乱れてしまった首席の髪とドレスを直す。メイドさんたちは泣いていた……お腹を抱えながら……
「もうっ。ルール違反なんてしようとするからそんな目にあうんですっ!」
「でも、精霊と契約できたんだから、伯爵としてはよかったねっ」
ドクロワルさんがまるで僕のロリオカンになったかのように叱りつけてくる。お願いだから保護者になんかならないで。クセーラさんの言うことは、まあそのとおりと言えなくもない。女の子たちは「まったく、笑わせるんじゃないわよ」と愚痴をこぼしながら自らの席に戻っていった。
和やかな雰囲気でお茶会は再開され、首席の用意してくれたクッキーなんかに皆が舌鼓を打っていたところ、唐突に茶会室のドアが外側から開かれ数名の男子生徒が押し入ってきた。
「ゾルディエッタ。Aクラスになった者同士の茶会に、Aクラスの僕たちを招かないのは失礼じゃないか」