76 ヘルネストの災難
「ごめんなさいヘル君。私、あなたの言っていることが理解できない……」
「サクラ……どうしてわかってくれないんだ……」
突然、ヘルネストから一緒には行けないと話を切り出されたムジヒダネさんは困惑の色を隠せないでいた。
「でも、いくらなんでもそんな言い訳ってないわ……」
「こうするしか……こうする他に方法はなかったんだ……」
俺はお前を裏切ってなんかいない。信じてくれとヘルネストが弁解するものの、【ヴァイオレンス公爵】のご機嫌は一気に氷点下だ。
「課題はあらかじめ示されていた……にもかかわらず構築済みの術式を用意していない……その状況が私には理解できないわ……」
「えっ。課題が出されるってわかっていたのに予習していないんですか?」
次席とドクロワルさんが揃って不思議そうに顔を見合わせている。
今日は授業のないお休みの日で、プロセルピーネ先生の素材採集を兼ねてキノコ狩りに行く約束をしていた。それなのに、『工作』の授業時間内に課題が終わりそうになかったヘルネストは、飼育サークルのペット部門で入用になる物の買い出しを手伝うという条件で、ひと足先に終わらせたロリボーデさんに術式を丸パクリさせてもらったらしい。
そう、奴は女の子と出かける約束をダブルブッキングさせやがったのだ。
ここにCクラスの落ちこぼれは僕とヘルネストしかいない。カリューア姉妹にムジヒダネさん、ドクロワルさんと女子は全員Aクラスである。
彼女たちによると、Aクラスではあらかじめ構築した術式を用意しておいて、授業中は順番に採点を受けるだけなのが当たり前。先生から指摘された部分の修正くらいはするものの、授業中に慌てふためいて術式構築しているという状況が想像できないという。
「許嫁との約束をすっぽかして侯爵とデートするウカツ君……最低だねっ。乙女の敵だよっ」
憐れヘルネストはクセーラさんに乙女の敵、最低の二股野郎認定されてしまった。どてっ腹にボディブローを叩き込まれ、わき腹を抉るような膝蹴りを喰らって迂闊なる二股バレ男はうめき声を上げながら地面に転がる。まったくの容赦なしだけど同情の余地はない。
「そういう時はまず『ごめんなさい』じゃないのヘル君?」
いきなり言い訳全開じゃ【ヴァイオレンス公爵】でなくたって怒るよ……
「さっさと行くわよ。キノコが動物に食べられてなくなっちゃうじゃない」
黒スケに跨ったプロセルピーネ先生がそんなウカツは捨て置けと出発を宣言した。
「あ゛~、づがれだお~」
採集場所に到着したところで、女の子たちの中で一番体力のないクセーラさんがぶっ倒れた。ドワーフのドクロワルさんと一揆スタイルの次席はケロリとしている。深窓の令嬢を装っていても、実はファーマーである次席はスタミナならムジヒダネさんに負けない。生来、瞬発力に長けたタイプらしく、ムジヒダネさんはガッツリ鍛えてはいるものの持久力はあまり伸びないようだ。
活発そうに見えて一番運動しないのがクセーラさんである。もっとも、片腕がゴーレムなため体のバランスが悪く、疲れやすくて長時間の運動は苦手だからこれは仕方がない。
「情けないわね……アーレイだってピンピンしてるのに……」
「伯爵はコケトリスに乗ってただけじゃないっ」
僕とタルト、そして発芽の精霊はコケトリスだ。今日はイナホリプルも連れてきているので、タルトと発芽の精霊はそっちに騎乗してもらった。まだ人を乗せるには至ってないけど、精霊なら問題なく乗っけてくれる。
体が小さくて歩幅も狭い僕たちは皆のペースについて行けないから、これは勘弁して欲しい。
「それじゃあ始めるけど、バシリスクがいないんだから知らないキノコに手ぇ出すんじゃないわよ」
プロセルピーネ先生がキノコを探しながら野外授業を始めた。キノコ以外にもいろんな植物の毒や利用法を説明してくれる。次席とムジヒダネさんは左右にピッタリと張り付いて先生の言葉に耳を傾け、すでに知識を叩き込まれているドクロワルさんは素材採集。タルトは相変わらず毒キノコを拾い集め、クセーラさんと発芽の精霊が食用キノコの採集班だ。
僕はコケトリスのお世話係。本来の生息環境に近いせいか、山に連れてくるとコケトリスたちはご機嫌になるので、イナホリプルがはしゃぎ過ぎて迷子にならないよう見張っておく。
「見るのです下僕、いっぱいキノコが採れたのですよ」
満面のドヤ笑みを浮かべたタルトが、毒キノコでいっぱいになった3歳児用のちっちゃいカゴを見せびらかしにきた。大きいカゴに中身を移してやろうと僕がカゴを受け取ろうとすると、3歳児は体の後ろに毒キノコを隠す。
「わたくしが拾ってきたキノコを取り上げようというのですか?」
「こっちのカゴに空けてあげるよ。そうすれば、また拾いに行けるから……」
毒キノコの詰め合わせなんて、欲しがる人間がいると思っているのかこの3歳児は?
触らないように注意しながら大きいカゴに毒キノコをドバッと空けてちっちゃいカゴをタルトに返す。3歳児は上機嫌でフフフン……♪と鼻歌を唄いながら毒キノコを探しに戻っていった。
「伯爵ぅ~。テーブルお願い~」
お昼も過ぎたころになって、食用キノコが集まったのかクセーラさんがテーブルを要求してくる。8人で囲めるようなバカでかいテーブルを僕は携帯していた。それは『ヴィヴィアナロック』の魔導器。水の壁を水平になるように展開して、その上に敷物を被せれば絶対に揺るがない立派なテーブルとなる。
呼ばれたところに行ってみると、クセーラさんが夏学期の間に作った調合用ゴーレム腕に仕込まれている魔導バーナーを用いて竃に火を起こしていた。薄笑いを浮かべながら並べられた炭にブゴォォォ……と炎を浴びせる姿はまるで放火魔のようだ。
「それで焦って約束を忘れるとか、とってもウカツ君らしいねっ」
皆でキノコの串焼きを口にしながら『工作』の授業中にあったことを話すと、クセーラさんにCクラスはやることが面白いとゲラゲラ笑われる。事前に課題を済ませておくのが当たり前なAクラスの女の子たちはすっかり呆れ顔になってしまった。
「精霊を理由に課題を怠けようなんて、未達成の評価は当然ね」
「未達成にされた奴らに……西部派は含まれているのかしら……?」
ベリノーチ先生を怒らせた底辺ズに西部派はいないのだけど、未達成とされたのが彼らだけとは限らず、その中に西部派の生徒が含まれている可能性はある。
「課題を締め切られる元凶になった3人は西部派じゃないんだけど……他は何とも……」
「関係ないわ……あの程度の課題で未達成なんて……サクラノーメ……戻ったらウカツを締め上げて吐かせなさい……」
「必ず……」
血も涙もない次席は、約束をすっぽかされてご機嫌斜めなムジヒダネさんにヘルネストを折檻する命令を下した。もう【ヴァイオレンス公爵】の気が晴れるまで地獄の責め苦にあわされることは確実だ。
友よ……何もできない僕を許したまへ……
「アーレイ君は魔導院祭で何をするか決めてるんですか?」
ひとりの男の運命が決まったところで、ドクロワルさんが尋ねてきた。
魔導院祭というのは、前世の学校で言うところの文化祭に当たる催しで、10月の終わりに秋のヴィヴィアナ様祭りに先立って開かれる。運動会や競技会が派閥対抗ガチバトルなのに対して、魔導院祭はサークルやクラス単位で出し物を競う緩いお祭りだ。ぶっちゃけ紅葉が見ごろを迎えるシーズンに、お金を持っている上流階級の観光客を呼び込むためのイベントのような気がしなくもない。
まだひと月以上先のことだと思っていたので、なんにも考えていないと答えると、Aクラスではお芝居をやらないかという話が出ていると教えてくれた。
「こんなシナリオはどうかと提案しようと思っているのですけど……」
なにやら候補が書かれたらしきメモを渡されたので目を通す。
『オムツ売りの少女』……お金に困ってオムツを売る少女の立身出世物語。
『オムヅきんちゃん』……オムツを被った覆面義賊が主人公のドタバタ大活劇。
『幼衣を脱ぐ日』……男の子とオムツの別離を描いた酸っぱいラヴストーリー。
『みにくいオムツの子』……いじめ抜かれていた幼児が立ち上がる復讐劇。
「全部却下で……」
「どっ、どうしてですかっ?」
どうしてもこうしてもない。なんでここまでオムツにこだわるんだ。それに、ものすっごく嫌な予感がする。誰に演じさせる気なんだこれ?
「サークルでやる出し物を考えるよ。コケトリスも3羽になったことだし……」
このままでは巻き込まれてしまいそうなので、サークルの出し物に参加することにしてしまう。コケトリスで曲芸でもすればいいだろう。Aクラスの出し物に協力させられたら、なにをさせられるかわかったもんじゃない。
「園芸サークルはフルーツパーラーを開くから……来てくれれば歓迎するわ……お金を払ってくれる限り……」
クックック……と次席が黒い笑みを浮かべている。温室で作ったバナナやメロンを提供するお店なんて、とんでもない料金を請求されそうだ。「ドンペリ入りま~す」みたいな大人のお店になってしまうんじゃなかろうか。
「下僕……フルーツパーラーというのは、いろんな果実が食べ放題なところではありませんか?」
瞳をキラキラと輝かせた3歳児がジュルジュルと涎をすすりながら尋ねてくる。
これまでにも転生者がいたと思われるこの世界には、前世のような保存方法や物流手段もいちおうは存在していた。ただ、魔術で冷蔵してワイバーンで空輸なんて大貴族くらいしかできないから普及はしていない。一度に運べる量に対してコストがかかり過ぎるのだ。
そのため、傷みやすい果物はジャムや瓶詰、はたまたお酒など保存性の高い物に加工して出荷されるのが普通である。産地でしか口にできないもぎたてフルーツは非常に高価で、そして3歳児はそんな贅沢品に目がなかった。
次席め……タルトがこうなるとわかっていてバラしやがったな……
「タルト、これは僕たちからお金を巻き上げようという次席の罠だよ」
「人聞きの悪い……正当な対価を頂くだけ……不当な高額請求をするつもりはないわ……」
「お金なんて好きなだけくれてやればよろしいではありませんか」
タルトはお金の使い方も稼ぎ方も知っている。価値の尺度や流通手段というその機能も正しく理解していた。それなのに、なぜか貯金という概念だけは頑として受け入れようとしないのだ。あればあるだけ使ってしまおうとする我慢を知らない3歳児だった。
「君がすぐ使っちゃうから、その好きなだけが僕の手元にはないのっ」
「お金なんて取っておいても食べられないのです。持っているだけでは役に立たないのです」
「お金は使ってこそ価値があるという言葉は確かにあるのですけど……」
ドクロワルさんの言うとおり、貯めるだけでは意味がないということは僕にだってわかっている。だけど、財布を空にするような勢いで浪費する必要はどこにもない。配分されている果物で充分だと僕が言うと、タルトはふてくされて3歳児キックを繰り出してきた。
しばらくは初級再生薬の材料に困らないくらいドッサリと採集して魔導院に戻ると、ロリボーデさんのお手伝いを終えたらしいヘルネストが手を振りながらやってきた。
「サクラノーメ……頼んだわよ……」
「任せて……」
ヘルネストは自分を待ち受けている運命にまだ気付いていない。誘われれるままムジヒダネさんを追ってどこかへと姿を消す。
――そして、二度と僕の前に姿を現すことはなかった……
……ということにならなければいいけどね。ヘルネストが正直に白状したところで簡単には楽にしてもらえない。それが真実だとムジヒダネさんが納得するまで地獄から解放されることはないのだ。
その魂に安らぎのあらんことを……




