74 禁書の罠
その日の朝、Cクラスの教室は騒然としていた。僕の机を取り囲むようにクラスメートたちが集まっている。僕にも理由はわからな……いや、理由はわかっているんだけど、どうして僕の机からこんなものが出てきたのか皆目見当もつかない。
僕の手には一冊の『禁書』が握られていた。
「モロニダス……お前、とうとう我慢できずに禁書に手を出したのか……」
「だめだよ伯爵。それは伯爵が持っていていいものじゃないよ……」
愕然とするヘルネストに悲しげな表情のロリボーデさんが、そのような汚らわしいものは今すぐ燃やしてしまえと勧めてくる。でも、まだ中も確認してないし……
「禁書ですって……ゴブリンはやっぱりケダモノなのね……」
「汚らわしいっ。ゴブリンなんて呪われればいいんだわっ」
「アーレイ。何も言わず禁書を渡すんだ。今なら見なかったことにしておいてやる」
Cクラスの女子たちはドン引きしながら汚物を見るような眼差しで僕を睨みつけていた。男子生徒のひとりが「今ならまだ間に合う」と禁書の引き渡しを求めてくる。だけど、誰の仕業かもわからないまま唯一の手掛かりまで失うわけにはいかない。
絶対に渡すもんか……
「おとなしく渡す気はないということか……」
かばうように胸に禁書を抱え込むと、僕を取り囲んでいる男どもがジリジリと包囲を狭めてきた。
冗談じゃない。このまま取り上げられては、禁書を所持していたのは僕ということにされてしまう。禁書所持という無実の罪をでっち上げて僕を捕らえさせること。きっと、それこそが犯人の狙いなのだ。
机の中にこっそりと禁書なんてものを仕込んだ真犯人を捕まえて、僕が無実であることを証明しなければならない。どうにかして、ここを突破しなければ……
「ベリノーチ先生に敬礼っ!」
あらたまった姿勢で教室の扉に向かって僕が敬礼して見せると、すっかり鉄仮面に調教されているバカな男どもは条件反射的に振り返ってそこにいないベリノーチ先生に敬礼した。僕から注意が逸れた一瞬の隙をついて、もうひとつある教室の扉から逃げ出す。
よっしゃぁ! とりあえず人目に付かないところに隠れて禁書の内容を改めなければ……
――バフッ!
僕が廊下を駆けながらどこに身を隠そうかと思案を巡らせた瞬間、突如として横から飛んできた投網のようなものに絡めとられた。そのままグイグイと引っ張られる。
なんだこれはっ?
「伯爵~、見て見て~。新開発の投網弾だよっ」
「クセーラさんっ。よりによってこんな時にっ!」
ここはAクラス前の廊下で、僕を網にかけたのはクセーラさんだった。こちらの事情なんて考えもせず、ハーケンの代わりに投網を撃ち出せるように改造した巻き上げ機付きゴーレム腕を「どうだ?」と見せびらかしてくる。
「放してよっ。どうしてこんな事するのさっ?」
抜け出そうにも網が身体中に引っかかっているうえ、クセーラさんの巻き上げ機で引っ張られているので簡単には外れそうもない。
「あれれ~。伯爵、どうしてそんなに怒ってるの?」
怒るよっ。いきなり投網なんかにかけられたら魚じゃなくたって怒るよっ。
「待てアーレイ……貴様、何を持っている? その手にしている本はなんだ?」
ヤバイッ! よりによって【禁書王】に目を付けられてしまった。彼に続いて首席、次席、ムジヒダネさんにドクロワルさんまでソロゾロと教室から出てきて僕を取り囲む。
ここはAクラス。一番知られてはいけない人たちが集まっている教室だった。
「エロスロード君。アーレイ君の持っている本がどうかして?」
「禁書の気配を感じる……アーレイ、それをこちらに渡したまえ」
ズブリール・エロスロード。人呼んで【禁書王】。禁じられたものの王とも呼ばれる成績第3位の男子生徒で、実家のエロスロード伯爵家は代々【禁書庫の管理人】を自称する禁書の蒐集家として有名だ。エロスロード伯爵の禁書庫には、実に一万冊を超える禁書が収められているという。
「禁書ですって? アーレイ君、そのような物を神聖な学び舎に持ち込むなんて、覚悟はできていますわね?」
「待って首席っ。持ち込んだのは僕じゃないよっ」
「じゃあ、どうしてそんな大事そうに胸に抱えてるんですかっ?」
ノシノシと近寄ってきたドクロワルさんがグワシッと僕の足を捕まえて網から引き摺り出す。すぐに【禁書王】が僕の手から乱暴に禁書を取り上げた。
「間違いない。指定番号B010766。昨年指定されたばかりの禁書だ」
「有罪……禁書所持の現行犯ね……足の裏を皮がむけるまで棒で打った後……石を背負わせて院内中を引き回しましょう……サクラノーメ……」
「任務了解……」
これは禁書で間違いないと【禁書王】がひとつ頷くと、次席が即決裁判で血も涙もない判決を言い渡した。執行を命じられた【ヴァイオレンス公爵】が僕の首根っこを掴んで刑場に連れて行こうとする。
「そんな非道な刑罰はないよっ。たかが発禁本じゃないかっ!」
禁書とは、太古の危険な術式が記録されているわけでも、読んだ人間が発狂してしまう類のものでも、ましてや悪魔が封印されている書物でもない。その正式名称を「貴族院青少年倫理委員会指定発行禁止図書類」という。早い話がエロ本であった。
「これは誰かの陰謀だよっ。僕に罪を着せようと机の中に禁書を仕込んだんだよっ!」
「ならばなぜ隠し持って逃げる必要があった?」
「取り上げられちゃったら、そこで僕が犯人にされて終わりじゃないかっ」
そうだ。僕は決して禁書の内容に期待していたわけでも、脳裏に焼き付けておこうと思ったわけでもない。これが真犯人に繋がる唯一の手掛かりなのだから、取り上げられるわけにはいかなかったのだと我が身の無実を主張する。
「ほう、中を見る気はなかったというのだな?」
僕を追いかけてCクラスの教室から出てきたタルトをヒョイと抱き上げた【禁書王】が、3歳児を僕の目の前に突き付けながら尋ねてくる。
「もっ、もちろんさっ」
「今、目を逸らしたのです」
タルトォォォ――――!
だめだった。僕の本能が3歳児の無垢な視線に耐えられず、いけないとわかっていながらも一瞬だけ目を逸らさずにはいられなかったところをタルトは見逃してくれなかった。
「有罪ですわね」
「有罪だな」
「有罪ですね」
「有罪なのです」
首席と【禁書王】とドクロワルさんに加えてタルトからも有罪判決を言い渡されてしまう。ここに僕に味方してくれる真実の探求者はひとりもいない。なんとかして逃げ出さねば……
「あぁぁぁっ! ヘルネストがロリボーデさんとイチャイチャしてるっ!」
「ヘル君っ!」
僕の首根っこを掴んでいたムジヒダネさんの手が緩んだ瞬間、その手を振り切ってその場から逃げ出す。飛び下りるような勢いで階段を駆け下り、校舎の裏口から外に飛び出すと近くにある林の中に身を潜めた。
僕にはロゥリング感覚がある。一度でも姿を見失わせてしまえばこっちのもんだ。発芽の精霊のテリトリーに捉えられないように注意していれば……
そう思った瞬間、僕の足元の地面が緩んだ。これってまさかっ?
すぐさまその場から離れ、近くに生えていた木に掴まって根っこの上に足を置く。校舎の方に目を向ければ、裏口から首席たちを引き連れたタルトが出てくるところだった。その小さな手には、いつの間にやら『ヴィヴィアナピット』の魔導器が握られている。
これまで感じたことのない絶望が僕を襲う。ロゥリングレーダーの使い手から追われるなんてまったくの想定外だ。木の陰からこっそり覗いている僕の方を向き直ったタルトは、ニヤリとお前の居場所などお見通しだと言わんばかりの薄笑いを浮かべた。
四半刻ほども逃げ回っただろうか。僕は自ら編み出した「泥洲乱忍愚」をタルトに仕掛けられ、底なし沼に腰まで埋まって力尽きていた。もう指一本動かす力も残っていない。
木に登って動かなければ追いつかれ、地面に降りれば底なし沼に追われる。隠れる場所のない校舎に戻れば、足の速いムジヒダネさんから逃げきることは不可能だ。対抗術式となる『ヴィヴィアナロック』の魔導器は鞄と一緒に置いてきてしまったので、どうにもならないとわかっていながらも走り続けるしかなかった。
「酷いよタルト。君にはひと欠片の慈悲すらないのかい?」
「追っかけて欲しかったから逃げたのではなかったのですか?」
3歳児は追っかけっこをして遊んでいるつもりだったようだ。追いかけて欲しくて逃げるなんて、あざと過ぎて今時流行らないぞ。
「どんなに強くても……スタミナを奪われてしまったら……こうなるのよ……」
「なるほど、あの男がやられるわけだわ……」
底なし沼にハマって動けなくなっている僕を指差した次席が、試合での強さなどあてにならんから心しておけとムジヒダネさんに教訓を垂れている。
「ロゥリング族ならではの使い方だな。術式自体はそう複雑なものではなさそうだ」
術式研究が大好きな【禁書王】は、これならヴィヴィアナ様に頼らなくとも再現できそうだとひとりでブツブツ呟いていた。クセーラさんとドクロワルさんは禁書を持ち込んだ挙句、バレて逃げ出すとは往生際が悪いとすっかり僕を犯人だと勘違いしてプンスカ怒っている。誰ひとりとして僕を底なし沼から引っ張り上げようとはしてくれない。
「禁書を教室に持ち込むなんて、伯爵は乙女の敵だよっ」
「本当だよぅ。気付いたら机の中に禁書が入ってたんだよぅ。お願いだから信じてよぅ」
「結論を急ぐべきではないだろう。いくらアーレイとはいえ、教室で堂々と広げるわけにもいかない禁書を机の中に隠すとはいささか不自然だ」
このまま底なし沼に沈めてやろうとクセーラさんが棒で突いてきたけど、本当に隠す気があったのなら、もっと安全な隠し場所はいくらでもあったはずだと【禁書王】が止めてくれた。
「アーレイは私たちの常識を超えたチャレンジャーよ……禁書を机の中に隠すくらいやってのける……」
「そうですっ。アーレイ君は何をするかわかりませんっ」
「次席ぃぃぃ……ドクロワルさんまで……」
運動会のかくれんぼでどこに隠れていたのか思い出せ。誰もやらないという思い込みに囚われては僕に裏をかかれると、次席とドクロワルさんがそろって指摘する。
「思いがけないことをしますけど、アーレイ君はそれなりに周到ですわ。言い逃れできない自分の机に隠すとは思えませんわね」
「首席、僕を信じてくれるの……」
ヘルネストと違って迂闊に露見させる僕ではない。抜き打ち所持品チェック程度では自分のものだとバレないように隠すはずで、Cクラスの生徒に見つかるなど【禁書王】の言うとおり不自然。これは明らかに仕組まれた罠だと首席が微笑む。
さすがは首席だ。同じサークルに所属しているだけあって、僕のことをよくわかっている。ありがたくて涙が溢れそうだよ。
「ですからそれは囮です。本命は巧妙に隠してあるに違いありませんわ。素直に吐いた方がアーレイ君のためでしてよ」
あまりにも酷い決めつけだった。このまま沈められたくなかったら残りの隠し場所を吐けと、イイ笑顔を浮かべた首席が楽しそうに僕を棒で突き始める。せつなくて涙が溢れてきた。
「お仕置きはそれくらいにしておきたまえよ。真犯人は別にいると気付かない君たちではないだろう」
「えっ。そうなの?」
棒で突つかれ底なし沼に首まで埋まってきたあたりで、【禁書王】がお遊びに時間をかけるなと首席たちを制止する。禁書を持ち込んだのは僕ではないとわかっていながら、お仕置きに棒で突いていたのだという。
「どうして僕がお仕置きされるのさっ?」
「あのふたりが無茶なマネをしないようお目付け役をお願いしましたのに、そのアーレイ君が魔物より危険な騎士に剣を向けたとはどういう了見ですの?」
「私の忠告を無視した……結果的に被害はなかったけど……アーレイにはお仕置きが必要……」
発芽の精霊に引っ張り上げてもらったところで、こんな酷い仕打ちをされる覚えはないと抗議するものの、僕がリコリウスと勝手に交戦した件を持ち出されてお尻を棒で引っ叩かれた。
リアリィ先生にもさんざん叱られたのに、このふたりはまだ許してくれてなかったようだ。
僕へのお仕置きが済んだところで、こういったことが起きるのは想定済みだったと【禁書王】が明かす。
「今年に入ってからアーレイは首席や次席にさんざん贈り物をしているからな。精霊を連れていることもあって、面白く思わない奴らが増えてきているんだ」
「私や首席に直接尋ねてくる者はまだいないけど……エリオヤージュはそれとなく問われたそうよ……アーレイを派閥に迎える気なのかって……」
ジラント革の装備品、初級再生薬の作り方、再生鉄に魔獣の赤ちゃんと僕はいろいろなものをふたりに提供した。他の生徒たちがおいそれとマネできないようなものばかりだ。仮に今僕が派閥に招かれたりしたら、自分より首席や次席に近しいポジションを占めるのではないかと危機感を募らせている生徒が増えているらしい。
こういった嫌がらせは今後も続く。通用しないとわかるとより一層手の込んだことを始めるので、適当にお仕置きされて上手くいったと思わせておく方が得策なのだとか。
「先輩方を納得させなければなりませんから、Cクラスのアーレイ君を派閥に迎えるのは現実的ではないとわかりそうなものですのに……」
派閥は同学年だけではないのだ。Cクラスの落ちこぼれでしかない僕を派閥に招こうとすれば、先輩たちから猛反発を喰らうに決まっている。それを抑えるのは首席や次席でも容易なことではない。
「だからアーレイは早くAクラスになる……精霊と契約しているAクラスの生徒……反対できる者は少ない……」
「アンドレーアさんの子分として東部派に加わりたいのなら、Cクラスのままでもよろしいのですけど……」
今のままではアンドレーアの子分になるしかない。Aクラスに上がれば東部派以外からも受け入れられる。特待生ともなれば好きな派閥を選べる立場になるだろう。無所属のままでいる気がないのなら、禁書なんて後生大事に抱えていないで勉強しろと首席と次席が僕のお尻を棒でグニグニと突く。
せっかくの禁書は取り上げられて、もっと勉強しろとお説教されるなんてあんまりだよ。僕はこんなに頑張っているのに……




