72 夏学期の終わり
まだ暑さの残る中、生徒たちが遠征実習から帰還し一週間が過ぎた。
僕たちはなんとか看護士の資格を手に入れて、正式に治療士となったドクロワルさんは秋学期から中央管理棟治療室の副責任者だ。軍医の先生のひとりがホンマニ領軍へ配置換えになるため、その後任にさせられてしまったらしい。
そして、これまでリアリィ先生が兼任していた教養課程の看護教員に新しい先生が赴任した。
その名を【闇に魅初められし魔性】という。
嫡子が亡くなったことを早馬で報せ、モウホンマーニで領主の裁定を待っていた魔性レディの元に届いた指示は「しばらくの間、帰ってくんな」というものだった。旗頭を失ったリコリウス派が崩壊し、これまで冷遇されていた派閥が息を吹き返したことでムジヒダネ家内部はゴタゴタする。家中が落ち着かないうちに帰ってこられては、リコリウス派の残党や彼女を取り込もうとする派閥が騒ぎ出すので領外にいて欲しいらしい。
今年から主任教員になって忙しくなってしまったため、代わりの看護教員を探していたリアリィ先生がこれ幸いと魔性レディを雇い入れた。
「ムジヒダネさんを抑えられる先生が来て下さって助かりましたわ」
ワーナビー指導員にこそ敵わないものの、サンダース先輩とは互角以上に渡りあえるから、『武技』の授業のたびに相手をコテンパンにしようとする【ヴァイオレンス公爵】から目を離せるようになると首席が満足そうに微笑んだ。
ムジヒダネさんも勝てるとわかっている同級生より、魔性レディを打倒することに情熱を傾けているらしい。
「ああもぅ……可愛らしいですわね。本当に頂いてしまってよろしいんですの?」
蜜の精霊の手から一心不乱に魚のすり身をモシャっているカワウソの赤ちゃんを見て首席が小さくため息を吐いた。カワウソを飼うには水遊びさせられる場所が必要になる。寮住まいの子では難しかろうと、コテージの庭に池を持っている首席のところに連れてきたのだ。
「タライで水遊びさせられるうちはいいけど、大きくなったらそうもいかないからね。首席が引き取ってくれるとありがたいんだ」
「ヌトリエッタがこんなに気に入ってしまっては、お断りできないではありませんか……」
本人も満更ではなさそうで、首席は顔を綻ばせたままプンプンと怒ったふりをする。
「モチカ、例のものを……」
首席が合図を送ると、モチカさんに指示されたメイドさんたちがなにやら荷物を運んでくる。
「お礼と言っては何ですが、受け取ってくださいますね」
それはモロリーヌ用の夜会服一式だった。薄紫色の裾の長いドレスに下着から履物、ワイヤーを重ねたパニエまで……
「これって……」
「礼法やダンスの練習には必要になりますでしょう?」
「いや……あの……」
「モロリーヌさんにはシルキーがいらっしゃいますから、着付けも問題ありませんわね」
見た目だけの女の子など人前には出せないから、きちんと女の子の作法も身に付けるようにと言い渡された。人前ってなに?
礼法にダンスって、上流階級の社交の場にモロリーヌを連れ出そうっていうの?
「ゾルビッチはよくわかっているのです。変装とは見た目だけではないのです」
こうして僕はカワウソと引き換えに夜会用のドレスを手に入れた。
おかしい。最近、ナニカがおかしい……
ミミズクの雛は夜間偵察のできる使い魔が欲しかったと【皇帝】が引き取った。変態はどこで手に入れたのか魔導院の女子制服をくれた。
クジャクの雛は魔導院に寄贈され、飼育サークルのペット部門で飼われることになった。リアリィ先生がお礼にと高級化粧品セットを持ってきた。
魔性レディはグリフォンのお礼として鏡の付いた化粧台を、ドクロワルさんは看護士になったお祝いだとエプロンと一体になったようなメイド服にナースキャップを渡してきた。
オオカミの一匹はロリボーデさんが使い魔にしたのだけど、お礼は運動会の時に着ていたような長袖ワンピースだった。
モロリーヌが看護士講座の間に着ていた服は返さなくていいと言われ、洗って僕の部屋に置いてある。どうしたことか、モロリーヌのものばかりが増えていく。
ナニカが間違っている。いったいなにが起こっているんだ……
漠然とした不安を抱え込んだまま、僕はいただいた夜会服を押し入れにしまい込んだ。
夏学期の最終日、僕たちは再び湖水浴に来ていた。再生鉄に看護士講座と忙しかったため、ほとんど遊んでいる暇がなかったのだ。今日くらいは砂浜でゴロゴロして過ごそうということになった。
「モロニダス……。それが御子の世を忍ぶ仮の姿なのね……」
「いや……モロリーヌの方が仮の姿で……」
胸元がおへそまでえぐれている大胆な黒の水着を身に着けた魔性レディが、変装を解いた僕の姿を見て目を細める。
「姫がニルヴァーナで視たことに間違いはないわ。御子があなたの魂の姿なのよ……」
今度は魂の姿ときやがった。魔導院はこんな人を雇って大丈夫なのだろうか。14歳の病気が蔓延するのではないかとため息を吐いた僕の足首にナニカが巻きつく。
「男の子の格好をしているなんてダメじゃないですか。この前の水着はどうしちゃったんですか?」
「心配しなくても、ちゃんと新しい水着を用意してありますわよ」
はうっ。前回、湖水浴に来たときに僕をモロリーヌにしたドクロワルさんと首席がやってきた。足に巻きついているのはモチカさんの巻きつく精霊だ。
「この精霊は……ショタリアンですか」
「卒業以来ですね。先輩が看護教員になるなんて、最初に聞いた時は耳を疑いましたよ」
僕の体に精霊を巻きつけながら、モチカさんが魔導院でふたつ上の先輩だったという魔性レディに挨拶する。
「それでは先生、アーレイ君はお借りいたしますわ」
僕は再びふたりに引き摺って行かれ、前と同じ紫がかった銀髪のかつらに首席が用意したというみずいろの水着を着せられた。
「前のめりで歩かない。背筋を伸ばして胸は反らし、足は踵ではなくつま先から地面に接するように。腕を前後に振ってはいけません」
水着姿だから体の動きがわかりやすくて丁度いいと、首席の指導で女の子らしい歩き方とやらを練習させられる。おいっちにー、おいっちにーとパレードをする兵隊さんの如く砂浜を歩かされ、休憩が許されて座り込めば「足を開いて座るのははしたない」と女の子の座り方をさせられた。
タルトに助けを求めたものの、自分の下僕であるなら変装のひとつくらいできるようになれと冷たい。ヘルネストや【皇帝】ならと期待したけど、首席に睨まれたふたりは心のこもっていない励ましの言葉を残して逃げていく。
哀しいことに、ここに僕の味方はひとりもいなかったのだ。
「もうモロリーヌの出番なんてないよっ。モロリーヌはもう帰ってこないんだよっ」
「そうはいきません。モロリーヌさんを立派なレディに仕立て上げて弟に紹介するのですから」
「なにそれっ? どういうことっ?」
首席の弟は侯爵位を継ぐ候補者という話だったはずだ。そんな人にモロリーヌを紹介して大丈夫なのか?
「弟は実家で教育されますから、同年代の女の子と交流する機会がありませんの。社交の場で悪い娘に騙される前に、手痛い教訓を与えてあげるのが姉の務めというものでしてよ」
こういうことは口で説明するよりも、一度思い知らせる方が本人のためだ。弟のためとはいえ心を鬼にしなければならないのは辛いと、首席は悪魔の如き薄ら笑いを浮かべていた。
弟さんにいたずらしたいだけにしか見えないよ……
「それに、モロリーヌさんほど貴婦人の身辺警護に向いている人がどこにいます?」
姿を隠して近づくことを許さず、防御壁としても枷としても恐ろしく強固な『ヴィヴィアナロック』の術式を所持している。男の子や女の子の特徴が現れる前の子供にしか見えないから、行儀見習いの小娘に見せかけて貴婦人のそばに配置しても怪しまれないと首席はいう。
「いや……ほら……僕はモロに出すからすぐにバレちゃうよ……」
「そんなダジャレで誤魔化されると思ったら大間違いですわよ」
地獄のレッスンが再開され、歩き方だけでなく手の置き方や振り向き方におねだりの仕方までやらされる。首席とドクロワルさんがお手本を見せてくれるから、美少女ふたりの可愛らしい所作を堪能できるのは嬉しいんだけど、自分がやるはめになるとつい顔が引きつってお叱りを受けてしまう。
そのうち、やれこっちの方が愛らしいだの、こうしたほうが可憐に見えるだのと、ふたりは男を欺くあざといポーズ談義を始めてしまった。
「モロリーヌでお人形さんごっこをするのに……声をかけてくれないなんて薄情だわ……」
とうとう次席までやってきて、発芽の精霊で研究した成果を見せてやろうと足の開き方から首を傾ける角度に至るまで細かく演技指導される。
「不意にぶつかったときの転び方はこう……スカートはここまで上げて……足は開き過ぎず期待を持たせる感じで……」
「やりますわねクサンサさん。それでは、両手に荷物を持って何もないところでの転び方を私が……」
「待ってよっ。ナニカ違う方向に走ってるよっ」
ダメだこの人たちは。当初の目的は遥か彼方へ飛び去ってしまい、もう僕に恥ずかしいポーズを取らせて楽しむことしか考えてない。
「モロリーヌちゃん。まだ、高いところにあるものを取ろうとして脚立から落っこちる飛び技が……」
「むぅ……それはまさか……」
「知っているのですか。クサンサさん?」
なにやら知識がありそうなことをほのめかした次席に、首席が相槌を打つように問い質した。
「かつて王宮を震撼させたという……偶然を装って相手の唇を奪う掟破りの空中殺法……南部派に伝わっていると……噂だけは聞いたことがあるわ……」
「それをドクロワル家が? なんて怖ろしい……」
「なに怪しげな暗殺拳みたいな解説してるのさっ!」
次席の説明に首席が唇をわななかせる。そんなロクでもないことを代々伝えているなんて、違う意味で戦慄を覚えるよ。この国の貴族たちは大丈夫なのか。
「いいですか、ぐらついた脚立の上で体を半分ひねって背中から落っこちるように見せかけるんです。相手が受け止めようとしたところに、空中でさらに半分ひねりを加えて顔から落ちるんですよ」
ドクロワルさんがひねりが重要で、ひねりが足らないと横向きに落っこちて怪我をする。肩から上半身をひねるのではなく、腰から体全体をひねるのだと小さく跳ねながら体を回してみせた。
どんくさいのに変なところだけ器用だな……
「お姉さんがお手本を見せてあげますから。モロリーヌちゃんは下で受け止めてくださいね」
お手本……受け止める……僕がドクロワルさんを……
「待ってっ。それは僕の上にドクロワルさんが落っこちてくるってこと?」
チュウどころではない。自重の2倍はあるドワーフに潰されたら、貧弱なロゥリング族なんて背骨が曲がって死んでしまうぞっ。
「大丈夫ですよ。体重もそんなに変わるわけじゃありませんし……」
「そんなにって……」
「そんなに変わらないですよ。ね?」
今ここにある選択肢はなんだっ。体重を指摘すれば撲殺される。何も言わなければ圧殺される。第三のっ。第三の選択肢はないのかっ?
救いを求めて視線を巡らすも、首席も次席もあからさまに目を逸らしやがった。神は僕を見放したのか……
脚立代わりの『ヴィヴィアナロック』の水の壁によっこいしょとドクロワルさんが上がる。田西宿実が幼いころ見たプロレス中継で、トップロープに上った相手にわざわざ自分から近づいていくプロレスラーを不思議に思ったものだけど、その理由がようやくわかった。
フライングボディプレスは……受け止めなきゃいけないんだね……
「よく見ててくださいね」
水の壁の端っこから身を乗り出したドクロワルさんが僕に向かってクルリと背中を向けた。真っ白な背中と水着に包まれたお尻が眩しい。空中で体にひねりを加えながら、僕に向かって真っすぐに落っこちてくる。
つっ……つぶされるっ!
僕は恐怖を抑えきれず、こっそり手にしていた『ヴィヴィアナピット』を自分の足元に展開させた。砂浜が緩んで体が沈み、チュウを狙っていたドクロワルさんの目測が外れて……
――ズゴンッ!
僕の額にもの凄い衝撃が走り目眩がした。底なし沼のおかげで潰されることはなかったけど、ドクロお面でのくい打ちを喰らって胸までめり込む。ドクロワルさんはビダァァァン!とお腹から底なし沼に着水したようだ。
この衝撃……やばかった。まともに受け止めていたら、水揚げされた深海魚みたいに口から胃袋が飛び出てしまったに違いない。
「モロリーヌちゃんなにを……」
あっ……
体を起こしたドクロワルさんの顔から、壊れてしまったドクロお面が剥がれ落ちる。透明感のある色の薄い肌に灰色に近い薄紫色の真ん丸な瞳。初めて目にした彼女の素顔は、僕の想像を遥かに超えるドワッ子美少女だった。
ヤバイ……今晩、眠れなくなりそう……
「まぶしっ。光がっ……」
いけないっ。ドワーフが夏の日差しなんて直視したら失明する危険すらある。光が目に入らないように色の濃い布で顔をグルグル巻きにし、首席に付き添ってもらって寮の自室まで送り届けてもらう。
部屋に戻ればお面のスペアはたくさんあるらしいので、新しいものに付け替えてくるそうだ。
「あいたたた……」
「こぶになっているわ……女の子なんだから……顔は大切にしなさい……」
次席に見てもらったところ、こぶにはなっているけど血は出ていないらしい。あんなことをして傷が付いたらどうするのだとお叱りを受ける。額に一筋の傷というのもカッコイイのではないかと口にしたら、青筋を立てた次席にサソリ固めを極められた。
夏休み、もとい夏学期の最後の夜。僕は笑いを止められずにいた。
グフフフ……。まさかまさか、ドクロワルさんがあれほどだとは思わなかった。首席や次席だって充分可愛いのだけど、ふたりはおろか清楚で気品があると評判のクゲナンデス先輩すら及ばない。ひと目見たら忘れられないほどの美少女っぷりだ。
白百合寮の女の子たちは当然見たことあるんだろうけど、男子で彼女の素顔を知っているのは僕だけだろう。女の子のかわいいを信用する男なんていないから、バカな男どもはお面の下に隠された真実に気が付いてすらいない。今のうちだ。今のうちにお友達……いや被保護者から抜け出して親しい仲にならなければ。
フヒヒヒ……。彼女の笑顔は僕だけのものだ。誰にも渡さないぞ……
「気持ち悪い笑いを漏らしながら腰を振るのはやめるのです」
おっといけない。つい夢中になってタルトをギュウギュウと締め上げてしまった。そんな獲物を捕らえたタコみたいな抱っこがあるかと3歳児はおかんむりである。
「抱っこが下手くそな下僕なんていらないのです。【真紅の茨】に下げ渡してしまうのですよ」
「ほ~らほ~らいい子だね~。ちゃんと抱っこするから止めようね~」
危なかった。タルトにとって僕の価値は抱っこであるらしい。タヌキのぬいぐるみを抱っこさせお腹をナデナデしてご機嫌を取ってあげると、3歳児は心地好さそうにスゥスゥと寝息をたて始める。憂いなど何ひとつないとでも言いたげな屈託のない寝顔が憎らしい。
僕はとてもじゃないけど眠れそうもないのに……
眠ろうと思って目を閉じると、グラビアアイドルのように水着で可愛らしいポーズを取る首席やドクロワルさんの姿が浮かんできてしまうのだ。ドクロワルさんはもちろんお面を外した素顔に補正されている。
つい、タルトを抱っこする腕に力が入ってしまい、眠りを妨げられた3歳児はとうとう僕をベッドから追い出した。




