7 お面のドワっ娘
オープンカフェへと場所を移すべく、僕は何やら甘い香りの漂ってくるバスケットを落っことさないように慎重に抱えて森の中を歩く。
タルトが歩くのに合わせていては時間がかかり過ぎるので、僕がシルヒメさんからバスケットを受け取って、シルヒメさんがタルトを抱っこして運ぶことになったからだ。「落っことしたらヒキガエルなのです」とタルトに脅されているので命懸けだけど、鞄を背負ったうえでタルトを抱っこして運ぶのは僕の体格では無理があった。
タルトなら落っことしても問題ないから気楽でよかったのに……
僕たちのいる場所は魔導院の敷地内にある錬金術や調薬で使う素材を採取するための森でそれなりの広さがある。森に入ってからタルトの墜落地点まではたっぷり15分以上歩いたはずなのに、10分とかからずに森を抜けて石畳で舗装された道に出た。あれ? こんなに浅い所にいたの?
タルトから逃げた時にかなりの距離を走ったのだろうかと首を傾げていると、すぐ近くを専門課程の先輩たちがバタバタと駆けていく。なんだか騒がしい。
「何か落ちてきたって? 最初に見つければ貴重な素材が手に入るかもしれないな!」
……探してもクレーターしか残っていませんよ。
余計なことを言って捉まりたくはないので、罪悪感を感じながらも無言で見送る。まさか、落っこちてきたのが3歳児だなんてお釈迦様でも思うまい。教えたところでどうせ信じてもらえないのが落ちだ。
授業の無い時期にもかかわらず学内は結構活気がある。来週になれば新学期が始まり新入生が入学してくるからだろう、魔導院にも前世の学校と同じようにサークルや研究会といった課外活動を行うグループがあって新入生勧誘の準備を始めているみたいだ。
アーカン王国は前世と同じく1年は12か月、1週間は7日の暦を採用している。おそらくは過去の転生者が持ち込んだものが定着したのだろう。ただ、1年は395日と前世より30日ほど多いので1か月の長さが異なる。今が3月の末で来週から4月だ。
新学期が始まる時期が春なのは転生者の影響というよりも気候のせいだろう。この世界の主な移動手段は馬車で、雪が残っているうちは移動が大変だから。
僕も飼育サークルという動物や人に馴れる魔獣を飼育するサークルに所属している。当番制で動物たちのお世話をしなければならないけど、加入特典が魅力的すぎるので加入しない手はなかった。動物を使ったサーカス的な見せ物をやるらしいので、探せばどこかで練習しているはずだ。
ウチのサークルはいないかなと目を走らせながら歩いていくうちに、困ったことに気が付いた。
――どうしよう……むっちゃ目立ってる……
道行く人がみんなこっち見てる。すれ違った人たちが振り向いて指差してきてるよ。それもそうだろう。3歳児を抱えた全身真っ白な美人メイドが目立たないはずがない。ここは魔導院の教養課程エリアで今いる生徒は留年生を含めても14歳までだ。きっと、日本人女性に紛れたハリウッドスターのごとく浮きまくっているに違いない……
「あんまり目立ちたくはないよね?」
「下僕はそれほど視線が気になるのですか? 14歳の病気を患っているとはいえ、呆れるほど自意識過剰なのです」
ぐっ……タルトの外見が3歳児でなかったらグーパンチをお見舞いしてやるのに……
好奇の視線に晒されるのは不愉快かと思って気を遣ってやったのに、返ってきたのは僕の中二病を指摘する言葉とは、タルトにはいずれ下剋上という言葉を教えてあげないといけないようだ。そもそも人をビックリさせるのが好きみたいだから、注目を浴びるのは気にならないのかもしれない。この目立ちたがり屋め。
食堂や購買、そしてオープンカフェのある厚生棟に向かって歩いていると、同じく厚生棟に向かってお喋りをしながらゆっくりと移動している十数人の女子生徒たちに追いついた。
あ……これ同級生の女の子たちや……
3歳児のペットにされたとは一番知られたくない相手が目の前にいた。皆、見慣れないドレス姿なので気が付かなかったよ。歩調を緩めて距離を取ろうとするも、お喋りに夢中な女の子たちの牛歩戦術の前になかなか距離が開いてくれない。
「あれ? アーレイ君じゃないですか」
「あ、モロリン伯爵。そんなバスケット抱えてどっか行くの?」
あうっ……よりによってこのふたりに見つかってしまうとは……
ふたりは数少ない僕と友達付き合いをしてくれる女の子で、最初に僕に気付いたのがデフォルメされたドクロのお面がトレードマークのパナシャ・ドクロワルさん。ドクロワル男爵の孫娘にあたる。僕をモロリン伯爵と呼んだのが、事故で失った左腕の代わりに魔術で動く機械仕掛けのゴーレム腕を振り回すクセーラ・カリューア伯爵令嬢だ。
アフタヌーンドレスと言うのだろうか、ふたりとも明るい色合いで肌の露出が控えめな袖付き脛丈のドレスを揺らしながら、お喋りをしていた女の子たちから離れてこっちに近づいてくる。
3歳児のペットになった僕を軽蔑するだろうか。もう友達ではいてくれなくなるかもしれない……
「後ろの方はお友達ですか? ご家族では……ないですよね?」
「まさか……愛人と隠し子……?」
タルトとシルヒメさんに気付いたふたりが僕との関係を尋ねてくる。それはない。それはないよクセーラさん。愛人はともかく、タルトほどの子供がいるとしたら僕は7歳かそこらで『命中』させていたことになる。残念だけど、僕はまだ薬室に実包を装填できるほど成長していない。
「え~と……。実は精霊と契約してね……」
「わたくしはこの者と契約した精霊……のようなものなのです。こちらはわたくしに仕えるシルキーなのですよ」
「「…………ええぇぇぇっ!」」
しばらく何を言われたのか理解できないように固まっていたふたりが、ドレスアップした女性らしからぬはしたない声を上げる。突如として上がった大声にお喋りに興じていた女の子たちの視線が集中した。
「せ、精霊? この子が精霊なんですかっ?」
「シルキー? シルキーを使役してる人なんてここの公爵様くらいしか知らないよっ!」
マズイ。精霊というのはそれほどショッキングな内容だっただろうか。首席や次席だって使役してるんだし、とりあえず落ち着いて……。ほら、お喋りをしていた女の子たちが全員こっちに来ちゃったよ。
ふたりは気が付いていないようだけど、いつの間にか僕たちは周りを取り囲まれてしまっていた。
「精霊って本物?」
「アーレイってCクラス落ちしたよね」
「まさかゴブリンが人さらい……」
「でも、あっちのメイドなら逆に取り押さえられるでしょ」
周囲から色々言われてるけどふたりは気にした様子もなく、ドクロワルさんはドクロのお面を近づけてタルトをのぞき込んでいるし、クセーラさんはシルキーにおそるおそる触れようとしている。
「ホンモノ……」
女の子たちの間からさらにちっちゃい女の子がふたり出てきた。シルヒメさんを指差してホンモノと言ったのは、背丈が僕と同じくらいのブラウンの髪の女の子。もうひとりは体つきは小学校低学年に見えるけど、身長は僕の半分もない黄色に近いオレンジの髪の少女で、僕の抱えているバスケットの中身をしきりに気にしている。
彼女たちは人ではなく精霊だ。そして精霊たちがいるってことは使役者である首席と次席も一緒にいるということだ。
「アーレイ君、これから2年生のAクラスになった女子でお茶会を催すところでしたの――」
中世のドレスのような、たっぷりと布を使っていて、とてもひとりでは着付けられないだろうドレスに身を包んだ色の濃い金髪の女の子が前に出てきた。学年首席のゾルディエッタ・ペドロリアンさんだ。ペドロリアン侯爵の孫娘にあたる人で、おそらくはこのお茶会の主催者だろう。
静かな声に怒りを感じる。そりゃ、自分のセットした会合をビックリ水でおじゃんにさせられたら怒るよね……
「――貴方にも是非参加していただけないかしら? もちろんそちらの方々もご一緒に……」
怒られるのではなく、意外にもお茶会へのお招きだった。女子会に参加するなんてなんか気まずいし、トークに自信がない僕はお断りしたいところだけど……
チラリと首席の顔色を窺ってみるものの、彼女の冷たい笑顔が僕に選択権がないことを如実に示していた。「皆さんの関心がすっかりさらわれてしまいました。私の顔を潰すアーレイ君ではありませんわよね?」と耳打ちされては断るわけにはいかない。
タルトの方はというとシルヒメさんから降ろしてもらって、首席の使役するオレンジ髪の蜜の精霊とじゃれあっている。自分より小さな子が珍しいのか一生懸命抱っこしようとしているみたいだ。
ブラウンの髪を持つ次席の発芽の精霊はシルヒメさんと並んで微笑ましそうにじゃれあうふたりを見守っていて、同級生の女の子たちは周りを取り囲んできゃあきゃあと黄色い歓声を上げている。この様子なら問題はないかとタルトに今のやりとりを話したら、「好都合なのです」と二つ返事で了承されたのでお招きを受けることが決定した。
案内された茶会室はすでに準備万端で整えられている。首席は数は多くないけど侯爵家の使用人を魔導院に連れてきているので、彼女たちが事前に席を整えてくれたのだろう。侍女の人とメイドさんがふたりにコックの人が来ているみたいだ。首席が侍女の人に何か耳打ちすると、すぐに僕たちの席が用意された。
シルヒメさんはタルトを椅子に座らせると、いそいそと給仕のお手伝いに行く。首席は自分の使用人にやらせるからと言ったのだけど、タルト曰く、シルキーは仕事を取り上げられると拗ねてしまうので好きにやらせるのがいいらしい。
「アーレイ君とお茶会でご一緒するなんて、礼法の授業以来ですね」
ヨレヨレになった魔導院の制服のまま着飾った女の子たちに交じることになり緊張して硬くなっている僕に、右隣の席に腰かけたドクロワルさんが明るい口調で声を掛けてくれた。彼女がいつも着用している頬より上の部分を覆うゆるキャラのような間の抜けたドクロのお面は表情を読ませてくれないけど、瑞々しい桜色の思わずチュウしたくなる唇は両端が吊り上って微笑んでいるように見える。
1年生の間は僕と同じBクラスに所属していたけど、新学期から彼女はAクラスに上がり、僕はCクラスに落ちたので別々のクラスになってしまった。
まだ入学して間もないころ、彼女がそのドクロのお面を外せとクラスメートの男連中に迫られていたところへ割って入ったことがあって――もちろん、カッコイイところを見せて仲良くなろうという下心満点の行動だ――結局、その時の僕は何の役にも立てないままゴブリン扱いされた挙句、邪魔をするなと摘み出され、彼女に迫る男連中を殴り飛ばした喧嘩っ早くて素行不良でエッチなことに興味津々など~しようもない男に美味しいところを全部持っていかれたのだけど、そのことがあってからは僕にも普通に話しかけてくれるようになった。
僕にとっては魔導院でできた最初の友達といえる子なので、自分の成績が悪いためとはいえちょっと寂しい。
何しろ彼女は他の男子生徒にはあまり魅力的には映らないかもしれないけど、僕にとってはドストライクな女の子だ。恋人にしたい女の子脳内ランキング第1位。その理由は彼女が人族の父親とドワーフの母親の間に生まれたハーフだから。
彼女がしきりに気にしているポチャ体型もドワっ子の僕にとってはスリムなドワーフにしか見えない。小柄なのにとても女性的な柔らかさを感じさせる体つきで、ドレスの胸元を押し上げている膨らみには無限の可能性が詰まっている。ウエストのくびれはあるのがわかる程度でいいから、お願いだからこれ以上痩せないで欲しい。
この国で夜会服として着られているのが中世ドレスのようにコルセットでおなかを締め上げて着るドレスなためか、女子生徒たちはとにかく細いウエストと針金のようにほっそりとした手足を美しいと考えている。だけど、体の小さい僕はガリガリの細身で背が高い女性って正直怖いんだよね。
彼女がお面を外さないのは趣味ではなく目を保護するため。暗い洞窟に住みほんの少しの明かりでも目が見えるドワーフに陽光は眩しすぎる。洞窟から出るのは決まって夜で、陽刑といって直射日光を目に入れる刑罰があるくらいだ。
ハーフとはいえドクロワルさんの目も光に敏感で、お面の覗き穴にあたる眼窩の部分にはサングラスのような色の濃いレンズがはめ込まれている。もみあげのおっさんに似合うようなサングラスをされるくらいなら、ゆるいドクロのお面の方が愛嬌があって良いだろう。
もっとも、本人はドワーフっぽい丸顔で童顔なのが恥ずかしいからとも言っている。ドワっ子の僕はドワ顔のほうが見慣れているといつも言ってるのだけど、残念ながら素顔を見せてくれたことは一度もない。
それでも僕は彼女が美少女であることに微塵も疑いを抱いていない。陽に当たらないドワーフは髪も瞳も肌も色が薄いのが特徴だ。そして、彼女の髪はドワーフでも珍しい僅かに赤みがかった色の薄い金髪。そう、ヒロインの証ピンク髪である。
普段は背中の辺りまである髪を自然に垂らしているけど、今日は頭の後ろでお団子にしていて大人びた雰囲気にドキッとする。顔を隠したミステリアスなピンク髪のポチャインなんて超絶美少女と相場が決まっているのに、「ブスだから隠してる」なんて口にするバカは何もわかっちゃいないんだ。
「そういえばドクロワルさんのドレス姿も久しぶりだね。すごく春らしい良い色だよ」
ドクロワルさんは明るい黄緑色のドレスを身にまとっている。父の教えには「女性を敵に回すな。とにかく褒めろ」とあったのでまずはヨイショだ。最近の彼女は僕のことを目の離せないやんちゃな弟と見ているふしがある。保護者ポジションが確定してしまう前に、どうにかしてお友達から出世しなければ……