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道案内の少女  作者: 小睦 博
第3章 モロリーヌの夏休み
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67 姿を消した黄昏の姫

「イヤァァァ――――!」


 その日の朝は、時を告げる雄鶏の鳴き声ではなく、僕の口から出たとは信じがたい耳をつんざくような悲鳴から始まった。


「なにを騒いでいるのですか?」

「サソリッ! サソリの尻尾がっ!」


 目が覚めたら僕の足にサソリの尻尾が絡みついていた。大きな毒針の付いた尻尾の先端が僕の太ももを撫でるように蠢いている。

 気持ちよくまどろんでいたのに何事だとタルトが不機嫌そうに尋ねてくるけど、3歳児の機嫌なんかにかまっていられる状況ではない。サソリに巻きつかれているのだっ。


「取ってっ。タルト取ってっ。刺される前に取ってっ!」


 恐怖に体がこわばって腕も脚も動かすことができない。サイボーグより頑丈で毒も効かないタルトに取ってくれるよう泣きながら縋りつく。


「ティコアの尻尾なのです。下僕が気に入ったのですよ」

「ティコ……ア……」


 ……思い出してきた。僕は昨晩、サソリの尻尾を持ったドラゴンを抱っこして寝かされたのだった。猫と同じで尻尾を巻きつけるのは相手を気に入った証拠なのだという。


「なんでもいいから早く取ってよぅ。毒針が刺さったら死んじゃうよぅ……」


 薄い掛布団をめくってみると、当のティコアは僕の悲鳴など聞こえなかったかのように丸くなって寝たままだ。サソリではなかったけど、サソリの尻尾であることに変わりはなく、ご飯の夢でも見てプスリとやられたら助からない。ティコアは尻尾の先に感覚があるのか、しきりに僕の脚をスリスリしてくる。


「チクッとしたっ。今、チクッっとしたよっ!」


 太ももを尖ったものでツンツンされるのを感じる。もう、怖くて目も開けていられない。お願いだから助けてくれとブルブル震えながら3歳児に命乞いをする。


「もう刺さっているのです」

「ギイヤァァァ――――!」


 毒がっ。毒が回ってくるっ。


「体がっ! 体が動かないよっ!」


 逃げなきゃいけないのに、体が突っ張ってしまって動かせないっ。


「目がぁ――――! 目が見えないぃぃぃ――――!」


 光を感じているのに僕の目はなにも映さない。視界が赤みを帯び、下半身から熱のような感覚が這い上がってくる。

 これが……死の感覚なのか……


「たすけて……しにたく……ない……」


 意識が遠のいていく……こんな終わり方……転生トラックより酷いよ……






「あんなに力いっぱい目をつぶっていたら、何も見えなくて当たり前なのです」


 自分で瞼を閉じておきながら見えないと絶叫するなんて間抜けすぎると、朝食のオムレツをモグモグしながらタルトが呆れていた。僕はティコアの毒針に刺されたと思い込んで、恐怖のあまり体を硬直させて気を失ってしまったらしい。

 僕の太ももをツンツンしていたのは、毒針ではなくて毛だか触角だかのような感覚器。猫のヒゲみたいなものだそうだ。


「ププー、陛下のお約束のボケを超えたねっ」


 クセーラさんの言うお約束のボケとは、頭の上にメガネを乗っけて「メガネはどこに行った」と探す実にベタな【禁書王】の持ちネタである。それよりは絶対ウケるから、首席たちにも教えてあげようとクセーラさんがニタニタ笑う。


 好きにしてください……


 そんなことは些細な話でしかない。次席とドクロワルさんから向けられた生暖かい視線に頭を抱える。

 僕は……それ以上にやらかしてしまっていた……


「モロリーヌの夜尿症のことは……ここにいる全員が知っている……今さら隠す必要はないわ……」

「恥ずかしがらなくていいんですよ。焦らないで、ゆっくり治していきましょうね」


 迫りくる死の恐怖の前に、僕はオムツのお世話になってしまったのだ。


 ふたりは僕が寝ている間に粗相をしてしまったから、サソリに刺された振りをして誤魔化そうとしているのだとすっかり勘違いしている。次席には夜尿症の烙印を押され、ドクロワルさんの保護者モードが「お姉さん」から「主治医の先生」にランクアップしてしまった。

 もう死にたい……


「今日は治療士協会の説明と午後からペーパーテストだねっ。終わってみれば短かったねっ」

「テストが終わってないのに……気を抜くと不合格になるわよ……」


 看護士講座も今日で終わりだというクセーラさんを、最後まで気を緩めるなと次席がたしなめる。


「9割正解すれば合格ですから難しくはありません。緊張しなくても大丈夫ですよ」

「まってドクロワルさん。その9割ってなにっ?」


 僕たちをリラックスさせようとするドクロワルさんの言葉の中に、聞き逃してはいけないひと言があった。テストは4分の3が解ければ合格。7割5分が及第点だったはずだ。


「コテージで勉強させる代わりに合格水準を引き上げるようにって先生の指示が……」


 ――ブフウゥゥゥッ!


 クセーラさんが口にしていた紅茶を噴き出しながらひっくり返った。


「なにそれっ。聞いてないよっ!」

「あの先生のことだから……なにかあるとは思っていたけど……」


 タダでコテージを使わせてくれるようなプロセルピーネ先生ではない。何某かのお礼は必要だろうと思っていたけど、まさかこう来るとはと次席も顔を青ざめさせている。


「男爵は言うの遅いよっ。そんなだまし討ちみたいなやり方は無効だよっ」


 このような卑劣なやり方は人の道に反するとクセーラさんが猛烈に抗議するけど、半分しか人族でないドクロワルさんは譲ってくれない。なんと、9割という合格ラインは伝えなくても構わない。知らせるなら一番動揺を誘えるタイミングを計れというのが先生の指示だったそうだ。


「先生は知っていようがいまいが、この程度の結果も出せないなら資格は与えるなと……」

「テストの直前に……満点合格と言われなかっただけマシね……」


 暗い顔で俯いた次席が朝の内に知らされただけマシだと呟く。このタイミングで知らせてくれたドクロワルさんには、むしろ感謝しなければいけないのだろう。

 何も知らされないまま不合格にされる可能性すらあったのだから……


 ピクニックに出かける前に魔獣たちのお世話をしておくよう3歳児に言い含めて、足取りも重く浪人ギルドへと向かう。テストの前に全力で復習しておかなければ合格ラインに届かない。

 講師が来る前の時間も復習に充て、講座が始まる時間になっていつもと違うことに気が付いた。


 ――魔性レディと姫ガールがいない?


 治療士協会の説明は履修項目ではなくただの案内で、テストに合格さえすれば資格はもらえるのだけど、あんな格好にもかかわらず講座は真面目に聴いていたふたりだ。理由もなく欠席するとは思えない。

 なにかあったと考えるべきだろう……


「待ちなさい……余計なことに首を突っ込んでいられるほど……私たちに余裕はないわ……」


 席を立った僕を次席が引き留めてきた。彼女の言わんとするところは理解できる。たまたま一緒になった受講生がどんなドラブルに巻き込まれようとも、僕たちには関わり合いのないことで、事件であればこの街の警吏に任せればいい。

 自分の目的を第一に考えろと言いたいのだろう。


 いないのが魔性レディだけなら僕もそう考えた。彼女はどこかの貴族に仕える士族なのだから、自分の面倒は自分で見させればいい。


 ただ、姫ガールは別だ。彼女は魔性レディが狙われていることも、機関のことも14歳のフカシだと思っている。僕がふたりを送っていったせいで機関に目をつけられたのであれば、それは僕の失態。魔性レディが自分より姫を見張っていろと言ったのは、こうなる可能性を考えていたからに違いない。


「テストには間に合うように戻るから……」

「クセーラ……パナシャとコテージに戻って勉強していなさい……精霊たちと一緒にいるのよ……」


 僕の首根っこを掴んで引き留めた次席が、荷物をまとめながらクセーラさんにコテージに戻るよう指示する。


「姉さん。行くなら私もっ」

「急ぎなさい……精霊たちがピクニックに出かけてしまうわ……」


 自分も連れて行けと言ったクセーラさんだったけど、タルトたちがピクニックに出かける前に止めろと言われ駆け出して行った。ドクロワルさんもすぐに後を追う。


「僕だけでいいよ。ちょっと様子を見てくるだけだから……」

「あなたは理性的なのに……ときにサクラノーメより無謀になる……私が見張っておく……」


 ジト目で僕を睨んだ次席が姫ガールの宿に向かうから案内しろと言う。僕としては次席だって巻き込みたくないのに……






 姫ガールの泊まっていた宿は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。なにやら使用人たちがバタバタと駆けまわっている。誰か事情を聴かせてくれそうな相手はいないかと探してみたら、人が集まっているところの真ん中にヘビマスターがいた。隣にはダニーオ青年も控えている。


 そういえば、商会長は別の宿に泊まってるって言ってたな。もしかして、ヘビマスターが姫ガールの父親なのか?


「看護士講座に来ないから様子を見に来たのですけど、姫になにかあったのですか?」

「君たちには関係ない。嘴を挟むのは僭越だと理解したまえ」


 案の定、ダニーオは僕たちなど相手にしてくれなかった。


「ヘビマスターの娘というのが姫のことだったのですか?」

「おいっ。その方はウチの商会長だっ。馴れ馴れしい口を利くんじゃないっ」

「いや、いいんだ。ダニーオ下がっていなさい」


 彼をヘビマスターと呼ぶのは僕とタルトしかいない。モロリーヌの正体に気付いたヘビマスターがダニーオを下がらせる。元士族であるヘビマスターは、精霊を連れて自分と同じ宿にいた僕が上流階級に縁のある子供だと気が付いているだろう。


 話を聞かせてもらったところ、姫ガールは朝になったらいなくなっていたという。早くに目を覚まして散歩にでも出かけたのかと思っていたけど、朝食の時間になっても、看護士講座に出かける時間になっても戻ってこない。これはおかしいと使用人たちが探して見たものの、どこにも姿が見当たらないということのようだ。


「身代金の要求などは……」

「今のところない。警吏に訴えるにしても、ただいなくなったというだけでは……」


 遺体が見つかったわけでも、犯人からなにかを要求されているわけでもない。それでは家出や迷子だと思われて動いてくれないだろう。それは家族の責任であり、犯罪でないなら警吏が捜索する理由はないのだ。


「わたしの方でも探してみますよ。もしかしたら、タルトが力を貸してくれるかもしれません」

「あの精霊の子供かい?」

「いろいろ見つけてくるのが上手みたいですから……」


 姫ガールを攫ったのが機関であるなら、ヘビマスターではなく魔性レディに要求を突き付けている可能性が高い。ヘビマスターはそのことを知らないから、そっちの方は僕たちで当たろうと魔性レディの泊まっていた宿に向かう。


「あの女性でしたら、もうお出かけになられましたが……」


 宿の主人に魔性レディがいないか尋ねたところ、いつもと異なり浪人のように武装してどこかへ出かけたらしい。もちろん、どこに向かったかなど知らないという。


「姫を人質に呼び出された……場所は……人目を避けるなら街の南側……」


 街の北側にはホンマニ領軍を初めとする各領軍が駐屯地を構えている。西側は前線から戻ってくる兵士たちで、東側は自領に帰郷していく兵や商人たちで人通りが多い。

 こっそり相手を呼び出すなら南側を選ぶはずだと、次席はコテージへ足を急がせる。


「街の中ってことは?」

「ない……警吏に動かれて……困るのは機関の方……」


 街の中で魔術戦闘など始めればあっという間に警吏が飛んでくるから、魔性レディは派手に魔術をばら撒いて、自分と道連れに機関を警吏に捕らえさせてしまえばいい。ことが明るみに出されて困るのは機関の方だから、警吏の目の届かない街の外へ呼び出すに決まっているのだそうだ。

 コテージに戻るとピクニックを禁止されたタルトたちが暇そうにゴロゴロしていた。


「待つのです。わたくしをのけ者にして、下僕だけピクニックに出かけるのですか?」


 イリーガルピッチを連れ出したところで3歳児が置いてきぼりにするなとねだってくる。ピクニックではないのだけど、自分から連れて行けと言ったのだから僕としては好都合だ。

 存分に協力してもらおうじゃないか……


 着替えている時間も惜しいと、そのままの格好でイリーガルピッチに跨り鞍の前にタルトを乗っける。コケトリスの足についてこれない次席たちは、ドクロワルさんの荷馬車で後から来てもらおう。


「伯爵っ。信号弾だよっ」


 クセーラさんが信号弾という名の着色された煙を拭きながら飛んで爆発するロケット花火を投げ渡してくれた。


「私たちの目的は姫だけ……忘れないでちょうだい……」


 姫ガールが捕まっているなら救出する。そうでないなら、魔性レディは放っておけと次席は言いたいのだろう。僕はひとつ頷くとイリーガルピッチを街の南門へと駆けさせた。

 南門の警備をしていた兵士が「そんな装備で大丈夫か?」と声をかけてきたけど、無視してイリーガルピッチを駆け抜けさせる。コケトリスがいれば大丈夫だ。問題ない。


「姫の魔力なんてわからないよね?」

「あったこともない相手の魔力なんてわかるはずないのです」


 タルトは魔性レディにも姫ガールにも会っていないから、魔力で居場所を特定することは不可能だ。だけど、街の外で感じる人の気配は数えるほどしかない。総当たりで確認して回れば……


「あっちで喧嘩してる者がいるのです」


 タルトが街の南に広がる森の中を指差す。僕も感じた。襲いかかる寸前のチャーリーのように殺気が膨らみ、そして爆発するように発散されていく魔力……


 見つけたっ! 競技会でも感じた、誰かが魔術戦闘をしている時の感覚だ。


「タルトッ。落っこちないでよっ」

「誰にものを言っているのですか?」


 そう遠くはない。イリーガルピッチを駆けさせながら魔力を探る。動いている気配はみっつ。3人とも魔術を使っているから、魔性レディと例のふたりだろう。


 姫ガールらしき気配は……近くには感じられないな……どうするか……


 姫ガールが縛られてでもいれば裏からこっそり助け出してしまおうと思っていたのだけど、ここには連れてこられていないようだ。魔性レディと機関の争いには加わるなと次席も言っていたし……


「貴様っ。我を隷属させようなどとっ!」


 戦闘が行われている場所に近づくと魔性レディの怒号が聞こえてきた。隷属って、彼女を僕みたいなペットにしようとしてるってことか?

 確かに隷属の術式というのはあるのだけど、重大な欠陥があるから使う人などいないとリアリィ先生が補習の際に言っていたぞ……


「俺に従わぬお前が悪いのだ……」

「貴様を領主と仰ぐくらいなら、士族の身分など犬に喰わせてやるわっ!」

「隷属させれば、そのような口も叩けまい……」


 魔性レディを隷属させて無理やり自分の士族にしようってのか。スカウトするにしても、やり方ってもんがあるだろうに……


 相手に気取られないよう足音を殺してイリーガルピッチを進ませると、木々の合間から魔導軽装甲に身を包んだ魔性レディの姿が見えた。怪我をしているのか右脚を引き摺っている。どこからか放たれた火球をリアリィ先生も使っていた渦を巻く水の壁で防ぐけど、後ろからもうひとりの男が迫っていた。


 ――気付いていないのかっ……


 見殺しにすべきなのだ。僕とはかかわりのない理由で争っているのだから。僕はここの警吏じゃないし、機関を取り押さえる権限もない。自衛のためでもなく通りすがりの人間を魔術で攻撃したりすれば、それはただの暴漢である。


 だけど……僕の左手は気付かないうちに『ヴィヴィアナピット』の魔導器を握りしめていた。魔性レディの背後に迫った男がゴツイ棍棒のような武器を振り上げる。


 ――次席、ごめんっ……


 これが間違いだと知りつつ、僕は左手の魔導器に魔力を流し込んだ。


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