666 零れ落ちた未来
年老いてはいるもののわりと大柄なメスのシカを仕留めてお城へと戻ったところ、クセーラさんが見覚えのあるおっさんを連れて出迎えてくれた。おかしい。狩猟をしている最中に僕はタイムスリップでもしてしまったのだろうか。なにかの見間違いではないのかと目をこすってみたけれど、目の前にいるおっさんは40年前と変わらずおっさん……いや、エロオヤジのままだ。
「この人、【皇帝】の息子?」
「僕だよ、アーレイ」
区別がつけがたいほど生徒だったころの【皇帝】にそっくりだけど、もしかして子供だろうか。とても奥さんの血が入っているとは思えない。よもや、プロセルピーネ先生がとうとうクローン技術にまで手を出してしまったかと尋ねてみたところ、本人で間違いないそうだ。40年以上が経過してもエロオヤジはエロオヤジのままだった。
「城で待機しているはずのピーチ小隊が伝令を届けに来た時は、なにか大事件でもあったのかと焦ったよ。まぁ、充分大事ではあったけどね」
カリューア領軍の兵站責任者として【皇帝】は遠征軍の拠点で任務に励んでいたらしい。そこへウォールカリュアーの護りに残してきたピーチ小隊が飛んできたものだから、変事でも起きたかと遠征軍司令部は一時騒然となったそうな。投下された伝令筒を開いてみれば退学者がどうなどと意味不明なことに加え、兵站責任者を解任のうえお城へ呼び戻す指示が書かれている。作戦行動中に更迭だなんてと参謀たちは首を傾げていたものの、【皇帝】は僕が帰還したのだと察することができた。これは重要人物がお城を訪れている報せで、伯爵様は自分に別の仕事を言いつけるつもり。遠征期間中の復帰は絶望的だろうと司令官に説明し、大急ぎで引継ぎを済ませて戻ってきたという。
「思ったとおり王都へ向かうからって、不在にしている間の目付役を言いつけられてしまったよ。しばらくはハニーと一緒にいられると期待してたのに……」
「恥ずかしい呼び方するんじゃないよっ」
王都なんかに行っちゃわないでくれとクセーラさんの肩を抱き寄せるエロオヤジ。いい歳して恥ずかしいことはやめろとバシバシ引っ叩かれている。
――【皇帝】は次席から依代のことも聞かされてそうだな……
口の軽い脳筋どもが出かけている間に帰還するなんてタイムリーな奴だと、次席から今後のことを伝えられているに違いない。だから、クセーラさんが次席と王都へ向かうことも知っているのだろう。まぁ、それはそれとして、今問い質すべきは……
「クセーラさんをハニーと呼ぶってことは?」
「僕たち結婚しました」
「だからっ、ペタペタくっついてくるんじゃないよっ」
嫁さんの腰を背後から抱きしめイッエーィと結婚報告をしてくる【皇帝】。離れろ無礼者とペチペチ叩かれるのもお構いなしだ。どうしようもなくなったクセーラさんがベコーンたんに助けを求め、押しのける精霊の力でエロオヤジを引きはがす。
「【皇帝】と結婚するしかなかったなんて、社交場に霧化燃料弾でも撃ち込んだの?」
「しないよっ。そんなことっ」
お仕置きに嫁さんからバシバシお尻を蹴っ飛ばされ紅潮した顔でハァハァ荒い息を吐いているエロオヤジを選ぶしかないくらい選択の余地がなかったなんて、よっぽどなことをしでかしたに違いない。いったい何をしたのだと問い質したものの、求婚者は50人を超えていたのだとクセーラさんは言い張った。
「それ、断られてもしつこく食い下がってくる相手をダブルカウントしてない?」
「してないよっ。伯爵は私をなんだと思ってるのっ」
「実際、クセーラの人気はすごかったぞ。まぁ、首席と次席は近寄りがたい雰囲気があって、ドクロワルとアンドレーアが叙爵しちまったせいで狙い目だと思われたんだろうが……」
エロオヤジなら50回くらい断られても平然と求婚をくり返しそうだ。重複してカウントすんなと告げたところ、同級生の中でも求婚者数ナンバー1だったのだとヘルネストが教えてくれた。なんでも、首席と次席は寄らば斬るといった空気をまとっていて声をかけるのにも覚悟がいる状態。ドクロワルさんとアンドレーアは貴族になってしまったので、求婚するには他の貴族に仲介してもらう必要があった。結果として、クセーラさん、ロミーオさん、イモクセイさんのサードグループ3人組がモテモテになったのだという。
「それじゃ、なんでエロオヤジを選んだのさ?」
「アーレイ。なにげに冷たくないかい?」
「な~んか、どいつもこいつも胡散臭かったんだよね。洗練された態度で本心を隠してるっていうかさ。伯爵と知り合う前の、ゴーレム腕が目に入らないフリをしてた首席たちに振舞いがそっくりなの」
そんなにモテモテだったなら【皇帝】を選ぶ理由はひとつもないと思ったけど、どうやらクセーラさんは求婚者も魂で嗅ぎ分けたらしい。入学当初、同級生たちから腫れ物のように扱われていた時期があったせいで、丁寧な態度の裏に潜む本音には人一倍敏感なところがある彼女だ。左腕のことには触れなければよいと考えた輩は、見て見ぬふりをする嘘吐き野郎と判定されてしまったことだろう。片腕がないことをハンディキャップとはこれっぽっちも考えていないので、かわいそうな娘だとナイト面するような態度は逆効果にしかならないのである。
「まぁ、いいさ。それより獲物を解体して、赤ちゃんに柔らかく煮た肉のスープをご馳走してあげよう」
「いいねっ。クスナーダもきっと喜ぶよっ」
エロオヤジより赤ちゃんだと、獲物を厨房の隣にある解体作業場へ運び込むよう狩猟監のおっちゃんに指示する。今日は庭でシカ肉バーベキューにしようとクサンドロス氏が場所の手配を引き受けてくれ、みんなに伝えてくるとクセーラさんと【皇帝】が駆けていった。僕はもちろん解体だ。狩猟監のおっちゃんたち慣れているメンバーが手伝ってくれたので、サクサク皮を剥ぎ半身の枝肉にすることができた。ヘルスティンガーのために後ろ脚を外し、高級部位であるロースからはサシが入って柔らかそうな部分を赤ちゃん用に切り出す。
ダシをとるのにアバラ骨が入用なので1本ごとにバラして骨についている肉を削ぎ落としたら、けっこうな端肉が発生してしまった。こんなグチャグチャな肉片をお貴族様に出すわけにはいかないので、まとめてフライパンで焼いて獲物の味見をしておく。皆さんもどうぞと勧めれば狩猟監と配下のおっちゃんたちは大喜びしてくれた。
「これは端肉です。中落ちなどと呼んではいけません。わかっていますね」
「承知しておりやす。屑肉とはいえ、捨てるのは獲物に申し訳ありませんからな」
「普通に美味いところだろそれ……」
いわゆるひとつの中落ちカルビを前にイヒヒヒ……と笑い合うベコッタ司祭と狩猟監のおっちゃんを見て、こいつらつまみ食いを正当化してやがるとヘルネストの奴が批判的な視線を向ける。嫌なら食べなくてよいのだとオアズケを申し渡したところ、こんな見た目の悪い肉を伯爵様に出せるものかとものわかりのよいサクラちゃんが仲間に加わった。誰も嫌とは言ってないと迂闊なる男も中落ちカルビへ手をつける。それでいい。今日から君もドブネズミファミリーの一員だ。
中落ちカルビを平らげたら赤ちゃん用ロース肉の調理に取りかかる。伯爵様のお城だけあって厨房には調理器具が揃っていたので、遠慮なく圧力鍋を使わせてもらおう。鍋に入れやすいよう長いアバラ骨はノコギリで3分割し、ロース肉はブロックのまま投入。水を加えて蓋をしたら、あとはかまどでグツグツ煮るだけだ。タレコミで下味はついているから調味料はいらない。
「伯爵ぅ~、準備できたぁ~? あっ、なんかいい匂いがするねっ」
出来上がるのを待っていたらクセーラさんたちが戻ってきた。鍋の内圧が高まると蓋についている弁が開いてプシュプシュ圧力が抜けるのだけど、その際に骨スープの匂いも一緒に出てきてしまうのだ。厨房へ入ってはいけませんと、匂いを嗅ぎつけたベコーンたんを【皇帝】が抱き上げる。後で食べさせてあげるからと食いしん坊精霊を安心させ、そろそろいい頃合いかと圧力鍋を火からおろす。蓋を開けてみれば、ロース肉は好い具合にトロトロになっていた。崩さないよう慎重に器へ移し、スープはいったん布で濾してからお肉の上へぶっかける。冷めないように蓋をして完成だ。
「みんな集まっちゃって大丈夫なの? 仕事はいいの?」
「伝達事項があるって姉さんが呼び出したから、今日の予定は全部キャンセルだよっ」
赤ちゃん用に作った食事とバーベキュー用の肉、ヘルスティンガーに与える後ろ脚をワゴンに乗っけてゴロゴロ押していく。クセーラさんの息子ふたりは領の重鎮なはず。仕事を放り出して大丈夫なのかと尋ねたところ、領主様からのお呼び出しってことになったという答えが返ってきた。おそらく、ちょうどよい機会だから王都へ行っている間の指示を伝えておこうと次席が考えたのだろう。バーベキュー会場の庭に到着してみれば、いったい何を伝えられたのかクサンドロス氏に側近ふたりが本気なのかと次席を問い質していた。
「なんかただ事じゃない雰囲気だね。姉さん、なにを伝えたの?」
「王都に出向くついでに……来年の春にクサンドロスが襲爵できるよう……準備手続きを依頼してくると伝えたら……覚悟のないダメ嫡子が騒ぎ始めたのよ……」
次席は今年の夏で58歳を迎えたはずだ。そろそろ代替わりを考えてもよい時期ではあるものの、ついでに済ませてくるからといきなり通告したらしい。
「嫌だと言っているわけではありません。まだまだお身体だって障りないのに、どうして突然襲爵なんて言い出したのか尋ねているんです」
「次の春まで半年以上の時間があるのよ……告知期間は充分……突然ではないわ……」
身体だってピンピンしてるではないか。急に代替わりなんて言い始めたら、何かあったのかと不安になる者も出てくるぞとクサンドロス氏がテーブルをバシバシ叩くものの、こういうことは心身ともに健康なうちに済ませておくもんだと次席は取り合わない。【皇帝】に相談役を頼んでおいたから、自分が不在の間に新たな統治体制を構築しておくよう申し渡す。どうやら、エロオヤジを呼び戻した時にはもう腹を決めていたようだ。
「ウチはお父さんも早かったんだよね。王都で退位した王様たちと一緒になって、オムツフリーナちゃんファンクラブ非公式元老院なんて集まりに参加してた」
「まぁ、ボケた挙句に居座られるよりいいんじゃない」
僕の知るカリューア伯爵のおっさんも60歳を迎える前に引退して、王都で怪しげな連中とつるんでいたのだとクセーラさんが教えてくれる。それで正解。体力だけでなく思考まで衰えた末に退き際を見誤るよりずっとマシだと告げ、約束の後ろ脚をヘルスティンガーに与えれば、鋭い嘴で獲物をちぎって呑み込むグリフォンの食事風景が珍しいのか奥様方や子供たちが集まってきた。どうしてみんな他人事みたいな顔してるんだとクサンドロス氏と側近ふたりが不満を表すものの、それはもちろん他人事だからに外ならない。
「やわらか~いお肉だよ~」
「あいう~」
ど~でもいいおっさんのことは放っておいて、クセーラさんの孫に食事を与える。圧力鍋で煮たロース肉はスプーンの腹で軽く押しただけでホロホロ崩れてくるほど柔らかくなっていた。これならば赤ちゃんでも問題ないだろう。まだ湯気を立てていたのでフーフー冷ましてから食べさせてあげれば、クスナーダちゃんは気に入ってくれたのかもっと寄越せと僕に向かってちっちゃい手を懸命に伸ばしてくる。とってもかわいい。我慢できなくなったのか、クセーラさんとベコッタ司祭に発芽の精霊まで自分にもやらせろと僕が手にしているスプーンを奪いにきた。
「げぇぇぇ……」
仕方がないのでクスナーダちゃんを膝の上に抱っこし、赤ちゃんの相手をしたくて堪らない連中から順番に食べさせてもらう。モシャモシャと肉を平らげているうちに立ち上がりたくなったのか足を突っ張り始めたので、脇の下を手で支えて身体を持ち上げてあげればクスナーダちゃんは盛大にゲップをした。お上手、お上手と褒めてあげる。
「すっごい食欲旺盛な赤ちゃんですねぇ」
「次は私に抱っこさせるんだよっ」
ちっちゃいのにモリモリ食べるぞとベコッタ司祭が感心していると、次は自分の番だとクセーラさんに赤ちゃんを取り上げられた。発芽の精霊が差し出したスプーンからチュルチュルすするようにロース肉を呑み込んでいく様子を眺めながら、僕は小さなお皿に肉とスープをとり分けてベコーンたんに与える。契約者は赤ちゃんに夢中だけど、うり坊の姿をしたこの精霊もやっぱり赤ちゃんが大好きなのでヘソを曲げたりはしない。ヨチヨチと縞々模様のある背中をナデナデしていたら、肉が焼けたぞとヘルネストが串焼き肉を渡してくれた。また肉を食べていないと【病魔を祓う癒しの手】様が現れては説明が面倒なので、しっかりと平らげておく。
「まったく、母上はいつも説明もなしに決めてしまうんですから……。おや、この肉は臭みがまったく感じられませんね」
「生贄の血を一滴残らず搾り尽くし……味の付いたタレと入れ替える邪悪な技を……アーレイは身につけているのよ……」
「次席、ファル姉のたわ言を広めるのはやめてくれ」
ギャンギャン言い争っていた次席とクサンドロス氏たちも肉が焼けたと聞いてやってくる。サクラちゃんから受け取った串焼き肉を口にして、まったく血の臭いが残ってないぞとカリューア姉妹の息子たちがモリモリかじっていた。次席のいい加減な解説を魔性レディのたわ言だと言い切るヘルネスト。奥さん方や子供たちも美味しい、美味しいと串焼き肉にかぶりついている。西部派だけあってワイルドだ。
――ずっと、夢見ていたよ。いつか、こんな未来が訪れるんだって……
大切な家族や子供たちと共に過ごす幸せ。僕が手に入れ損なった光景を前にして目頭が熱くなってきた。シルヒメさんの作ってくれたご馳走をドクロワルさんといただき、ふたりの赤ちゃんをタルトが楽しそうに世話をしている。かつて心に描いていた未来は僕の手から零れ落ちてしまった。それでも……
左手の中指にはまった指輪へと視線を落とす。すべてを手に入れることは叶わなくても、ここに残ったひとつにだけはこの手を届かせてみせよう。
まだゲームセットはコールされていないのだから……




