65 姿を現した機関
ドラゴンのせいで街に他領の兵士が増えた。今は右を見ても左を見ても兵士たちの姿が目に付く。明後日にはテストだというのに、こう兵士が多くてはアーレイ領軍の兵士が増えても判別できない。困ったものである。
そして、組織とは別に機関、若しくは結社に動きがあった。
視線を感じるのだ。それも、決まって魔性レディや姫ガールが一緒の時に……
僕のロゥリングレーダーは個体の識別ができないままだけど、「僕に無関心な相手」と「僕に意識を向けている相手」を区別することはできる。ターゲットを含む僕たちに意識を向けたから、ロゥリング感覚に捉えられたのだろう。
姫ガールに告ろうとタイミングを計っているシャイボーイであればいいのだけど、それにしては姿の隠し方が徹底している。常に人ごみの中を隠れるように移動して、はっきりと姿が捉えられる場所には絶対に出てこない。
ヤツは間違いなくプロのストーカーだ。
競技会の観衆の中からピンポイントでクセーラさんを探し当てるタルトなら一発で見つけてくれるんだろうけど、残念ながら3歳児はピクニックに行ってしまったし、なにかご褒美を用意しなければ教えてはくれない。
とりあえず、機関か結社かだけでも探っておくか……
「ドクロ先生が一緒だから、今日はわたしがふたりをお送りしますよ」
ストーカーにつけられたままふたりを宿まで送っていけば、ターゲットがどちらなのかはっきりするだろう。姫ガールが泊まっている宿へと案内してもらうと、そこは隊商向けに一階部分が倉庫や積み降ろし場になっている頑丈な造りの建物だった。姫ガールは商会のお嬢様で隊商についてハゲマッソーまで来たそうだ。
「隊商の看護士がもう歳です。姫が代わりの看護士になって隠居させてあげるですよ」
隊商の看護士を務めている人物は、お爺ちゃんと呼ぶには早いけどそろそろ旅暮らしは厳しい年齢だという。息子が靴職人になって工房とお店を構えているので、姫ガールが看護士になったら引退して一緒に暮らせるらしい。
「姫の靴も誂えてもらったです。モウシュセンドゥに来たら注文するといいです」
たしか、東の海沿いにあるシュセンドゥ先輩の実家が治める街だったはず。ずいぶんと遠くまで来たもんだ。隊商の足ではひと月くらいかかったのではなかろうか。
「お嬢、連日こちらに泊まられては商会長が寂しがっておられますよ」
「お父様の目付きがイヤラシイです。姫はこっちの宿の方が落ち着きます」
商会のお仕着せっぽい服を着た青年が出迎えに来た。姫ガールは思春期真っ只中のようで、彼女の父親は商談の都合もあって高級宿に宿泊しているのだけど、パパの視線が嫌だとこちらに泊まっているらしい。
「隊商向けの宿などお嬢には相応しくありません」
「隊商の看護士が隊を離れてどうするです」
このような宿は相応しくないという青年の言い分を、隊員の健康管理が仕事なのだから自分だけ高級宿に泊まっていては役に立たんと姫ガールが突っぱねる。青年にとって姫ガールは、あくまでも商会のお嬢様なのだろう。隊商の看護士など、彼女の品位を下げるだけだと言い聞かせている。
魔力同調が使える治療士はほぼ軍に独占されているんだから、看護士は立派な仕事だと思うんだけどなぁ……
「キミたちもお嬢のそばに侍るなど分不相応だと自覚してくれたまえ……」
「ダニーオ。なにを言うですかっ」
僕たちをジロリと睨んだダニーオ青年が、商会長は元士族で姫ガールはその娘。自分たちと同じだと思うなとえっらそうに言い残して、わめく姫ガールを連れて行った。
いや、元士族って……今は平民だべ……
「元士族って、平民の間ではステイタスなの?」
「そんな話、聞いたこともありません」
「我の出自を見破った御子ほどの眼力もないというのに……」
あまりのお貴族様っぷりに3人揃ってポカーンである。姫ガールパパも今は平民で、ダニーオ自身はその使用人に過ぎないのにある意味スゲェ……
なかなか面白いものが見れた。平民の生まれであれほどのお貴族様はなかなかいないとお喋りしながら、今度は魔性レディの宿に向かう。
視線は……ついてきているな。ターゲットは魔性レディだったようだ。
「つけられてますね。機関とやらの正体にお心当たりは?」
「御子を追っている組織では……いえ、違うから我らを送ると言い出したのね」
上流階級である魔性レディは察しが良い。焦って振りむいたりせず、気付かない振りをしたまま「どうして御子にだけわかるの?」と尋ねてくる。
「魔性も他人の視線を感じ取ることがあるでしょう。わたしの種族は人よりずっと敏感なんです」
「獣人には見えないわ……」
「獣人ではありませんから……」
ブッブー。正解はゴブリンでした。ゴブリ君人形はボッシュートになります。
「モロリーヌちゃんは霧の中でもジラントの位置がわかるんです」
「霧の中でジラントを見つけるなんて、ホラ話にしか聞こえないわよ……」
今はロゥリング族について説明している時間はない。そういうもんだと理解してもらう。
「わたしだけの時には感じません。ふたりが一緒にいる時だけ視線を感じました。そして、姫と別れてからもついてきています」
「なるほど、狙いは我というわけね……」
人通りの多い街中で白昼堂々襲われることはないだろうから、相手の正体を探ることはしない。今は狙われているのが魔性レディだということだけわかれば充分だ。
「わたしたちのコテージに移ってはいかがですか?」
「そこまで世話にはなれないわ。我よりも姫が巻き込まれないよう見張っていてちょうだい」
ドクロワルさんがコテージに来ないかと提案したけど、追手がいるとわかっただけで充分だと断られてしまった。上流階級向けの高級宿は警戒も厳重だし、コテージにはタルトと発芽の精霊がいるから不審者が忍び込んでくればすぐに見つかる。むしろ、囮としてコテージに移ってくれた方が手っ取り早いのだけど……
「コテージは防衛体制が整ってますから、相手をおびき出すのに良いかと思うのですが……」
「御子の申し出はありがたいけど、我にもプライドというものがあるのよ」
魔性レディはどこかの士族で、もしかしたら魔導院出身の先輩かもしれない。未だ平民の後輩を巻き込むというのは承服できないのだろう。
「では、わたしたちは相手の姿を確認して帰ります。お気をつけて……」
旅行客向けだろうか、高級というわけでもないけど浪人がねぐらにするには立派な宿に魔性レディを送り届け、僕とドクロワルさんは来た道を引き返す。案の定、魔性レディをつけてきた気配は急に引き返したりせず、何食わぬ顔で僕たちとすれ違った。
もう僕にマークされているとも知らずに……
20代半ばと30代くらいの男ふたり。目立った武器は所持していないけど、この暑いのに外套で装備を隠している。態度から察するに若い男の方が主人っぽい。
すれ違うまでは僕たちを警戒していたのか視線をビンビン感じたけど、通り過ぎた後は興味を失ったようで周囲の気配に紛れてしまった。こちらが感付いていることはバレていないようだ。
僕は子供にしか見えないし、ドクロワルさんはお面のせいで表情なんか読めないからね。
「クジャクなのですっ」
コテージに戻った僕たちを待っていたのは3歳児が拾ってきたクジャクの雛だった。オスらしいので、成長すれば美しい羽を広げてくれるという。僕はひとつ不思議に思ったことがあるので尋ねてみることにした。
「チミはどうして蛇を食べる生き物ばっかり拾ってくるかな?」
ミミズクもカワウソもクジャクも蛇と一緒には飼えないというのに、どうしてポコポコ拾ってくるのだろう。実は蛇が嫌いなのか?
「下僕はわたくしが蛇を苛めていると言いたいのですか?」
ふくれっ面になったタルトがゲシゲシと3歳児キックを繰り出してくる。
「考えなしに何でも拾ってくるからだよ……」
「下僕の言いたいことはわかったのです。明日は蛇を食べないサソリを探してくるのですよ」
「やめてよっ。サソリだけは絶対にダメだよっ。見たら潰すからねっ!」
サソリはヤバイ。田西宿実の幼い頃に映画でサソリに刺された人が死んでいくシーンを視てからというもの、僕は部屋の中にサソリがいると思っただけで眠れなくなるほど大のサソリ恐怖症なのだ。
「人を殺せるほどの毒を持ったサソリは少ないのですけれど……」
「そんなの関係ないよっ。サソリを抹殺するためなら、僕は地上の全てを焼き払うよっ!」
ドクロワルさんがサソリの毒は大したことないと言うけど、あの生き物は地上に残しておいてはいけない。サソリの生息している国は草一本、虫一匹に至るまで焼き滅ぼして世界を浄化すべきである。
「サソリなら毒蛇の飼育箱がそのまま使えるのです」
「サソリダメッ。絶対っ! 部屋に火を放つよっ!」
3歳児は毒蛇の飼育箱には返しが付いているのでサソリは這い出してこないと言うけど、何事にも絶対などというものはない。奴らが絶滅したと確認されるまで僕の戦いは続くのだ。
「むぅ。下僕がそんなにサソリを嫌がるとは思ってもみなかったのです」
「安心する……そのクジャクとサソリは一緒には飼えない……あっという間に食べられる……」
そうだった。クジャクは毒蛇以外にサソリも食べてくれるんだった。よし、このクジャクを部屋の守護神として飼うことにしよう。
「よしよし、美味しいコオロギをあげるから、サソリどもを一匹残らず食べ尽しておくれ……」
白いクジャクなのだけどまだ黄色い羽毛が残っている雛は、庭で捕まえたコオロギを千切って与えると元気いっぱいに啄んでくれる。こいつがサソリを食べてくれるかと思うと神様に見えてくるから不思議だ。
エサ代は3歳児のおやつをカットすればいいな。
「伯爵にも怖いものがあったんだねっ」
クセーラさんは僕のことを恐れを知らないゴブリンだとでも思っていたのだろうか。失敬な……
「それで……あのふたりを送って行って……なにかわかったの……」
魔性レディたちを宿まで送っていったことには、なにか理由があったのだろうと次席は察していたようだ。僕たちを監視する視線を感じたので、送るついでに相手を確認してきたことと、ストーカーと思しきふたり組の男のことを話しておく。
「この時期に体をすっぽりと覆う外套……鎧下を着けるのが当たり前な相手ね……浪人なら暑くて被っていられないでしょうに……」
そいつらはどこかの領の騎士ではないかと次席があたりを付ける。鎧下には体温調節の魔法陣が縫われていて、真夏に外套でも暑さは感じない。季節感を無視した格好をおかしいと思わないのは、自分はおろか周囲まで日常的に鎧下を使っている証拠だ。
そんな環境にいるのは騎士しかいない。
「外套の下は……魔導甲冑ではないでしょうけど……魔導軽装甲くらいは着けてそうね……」
魔導軽装甲というのは、早い話がショボい魔導甲冑である。秘匿術式がふんだんに搭載された魔導甲冑は機密兵器なので、厳重に管理されていて騎士といえど許可なく持ち出すことはできない。
魔導甲冑から秘匿術式を除き、騎士でなくとも使えるよう魔力の使用量を抑え、飛行術式なしでも活動できるよう軽量化されたもの。それが魔導軽装甲だ。
一部の領軍には魔導兵という兵科があって、騎士になるには魔力が足りない兵士に使わせていたりもするし、騎士であっても公用でなければ魔導軽装甲を身に着けている。騎士課程の先輩たちが装着している防具も自作した魔導軽装甲といえるだろう。
「騎士に追われてるなんて、犯罪でも犯したのかな?」
「非合法な活動をしているのは追っている方……犯罪捜査ならここの領主の協力を仰ぐはず……隠れて追跡しているのは後ろ暗い理由があるからよ……」
領外に逃亡した犯罪者を捕らえるのであれば、逃亡先の領主に協力を依頼するのが筋。自分たちには捜査権も逮捕権もないからだ。
看護士講座は2週間もこの街に拘束されるのだから、逃亡中に申し込むとは考えにくい。闇の血を求める機関はあくまでも後付け設定で、魔性レディには追われているという自覚はなかったはずだと次席は推測する。
それもそうだ。僕だって組織に出くわすとわかっていたら申し込まなかった。
「彼女は良識的だけど……相手はどうだかわからないわね……」
魔性レディは成人した上流階級の一員だ。こちらから厄介事に首を突っ込む必要はないけど、相手次第では巻き込まれてしまうので警戒はしておくに越したことはない。明日からはいくつかの魔導器を隠し持ち、クセーラさんも強化型『エアバースト』のゴーレム腕に戻すことにした。
「いい……人に尋ねられたら……太古の邪神【矩粗微津乳】が封じられていると答えるのよ……」
「それ、私もやるのっ?」
邪神が封じられていると言いながら、次席が包帯でグルグル巻きにされたゴーレム腕をクセーラさんに手渡す。ようこそクセーラさん。これで君も14歳の仲間入りだ。
僕も荷物の中から装飾された短刀を取り出して、鞘から抜いて刀身を確認する。刀身に使われているのはラトルジラントの毒牙。短刀としての実用性は低いけど素材の魔術耐性が高いので、乳母車のご褒美だとタルトが魔法陣を仕込んでくれた。
つまりは、短刀の形をした魔導器だ。元が一対の毒牙なので、西洋剣のような鍔のある『タルトドリル』と合口拵えで鍔のない『ヴィヴィアナピット(僕命名)』のふた振りがある。
殺傷性が高く手加減の利かない『タルトドリル』は街中で人を相手に使うもんじゃないから、『ヴィヴィアナピット』の方を腰につければいいだろう。護り刀という習わしはこの国にもあって、意匠を凝らした短刀は格式の高い礼装に欠かせない装身具のひとつとされている。スーパー職人のシュセンドゥ先輩が、控え目に見えて実は技巧的という将来どんな身分になっても使えるよう拵えてくれたので、モロリーヌが身につけていても不自然ではない。
羽子板魔導器はさすがに奇異に見られるだろうから、ドクロワルさんからたすき掛けにできるポシェットを借りて残りを隠し持つ。これでよし……
「姉さん。さすがにそれはどうかと思うよ……」
「どうして……すべて農作業のためのものよ……」
次席はジラント革の長手袋にイカス鎌を持って行こうとしていた。たしかに長手袋も農作業にいいだろうと贈ったものだし、イカス鎌はまごうことなき農具だ。田舎ファーマーの次席が身に着けていても理屈の上ではおかしくないのだけど……
「領主の館に殴り込もうとしている武装農民にしか見えないよ……」
一揆という言葉が実に似合いそうな次席だった。