651 約束をはたしに……
「なにを言っているのですっ。正気なのですかっ?」
中途退学しますと告げた途端に噴火を始めるリアリィ山脈。だけど、やるべきことが定まった今、魔導院を卒業する意味はなくなった。というか、足かせになりかねない。
「アーカン王国にいたのではタルトとの約束をはたせません。叙爵資格も爵位も僕には無用のものです」
正体を知らないままタルトを祀っている種族を見つけ出し、いなくなったことを伝え他の神々を信仰するよう促す。この国の周辺にそんな種族はいないだろうから、地位とか身分で縛り付けられては面倒だ。世界中を巡ってひとつ残らず探し出すつもりなので、一国に拠点を構えることはしない。二度とアーカン王国へは戻ってこない覚悟だと告げる。
「一生、流れ者みたいな生活を続けるつもりですかっ?」
そんな生活、長く続けられると思っているのかとベリノーチ先生が鉄仮面を震わせるものの、僕の目的はタルトとの約束をはたすこと。安全で快適な生活環境を手に入れることではない。苦労することも、危険があることも承知のうえだ。
「楽しい時間は充分に堪能できました。後は為すべきことを遂行するのみです」
「全然、充分じゃありませんよっ。そんな台詞を口にするのは10年早いですっ」
タルトとすごした4年間の思い出があれば後はなにもいらないのだと、左手の中指にはめられた指輪に触れる。初めて会った日、なんでも言うことをきくと約束したのだ。あいつの最後の願いは僕が完璧な形で叶えてみせると告げたところ、あと10年間は自分を優先しろとベリノーチ先生がテーブルをペシペシ叩いて叱りつけてきた。
「タルトとの約束がはたされないまま残っている限り、僕がいつかすべてを置いて出ていくことは確実です。なら、身軽なうちの方がいいでしょう」
たとえドクロ山とリアリィ山脈の両方を手に入れたとしても、タルトとの約束は僕の心に残り続けるだろう。10年経ったら置き去りにするとわかっていて手を出すなんておっぱいに失礼だ。おっぱいを大切に思うからこそ無責任なマネはできない。
「昨年発表を済ませたとはいえ、神々の言語はまだまだ研究途上にある。君の持つ知識と発想力は人族の発展に生かして欲しいものだが……」
「あいにくと僕が義理を果たすべき相手は人族じゃありません」
最初の言語で祝詞を作れるのは僕だけなのだから、その知識は種族のために活用してもらいたいと公爵様がおっしゃる。だけど、種族や国家のためにがんばろうって奴は世の中に数えきれないほどいるだろう。それなのに、すべての生き物たちのためを思って古き神々を連れていった3歳児の願いを叶えようとする下僕はひとりしかいないのだ。代わりがいる仕事なんて他の誰かに任せておけばよい。種族の発展と家族との約束、どちらを優先するかと問われれば僕は後者を選ぶ。
「祭主よ。この者は神のしもべとして生きる道を選びとった。それを阻んではならぬ」
このわからず屋めとしばらく互いに睨み合っていたものの、神様に仕えることを妨げてはいけないとヴィヴィアナ様が仲裁してくれた。【絶頂神】様はもちろんのこと、【神々の女王】様や【竈の女神】様も僕をタルトのしもべと認識しているのだから、異を唱えたりすれば神々の機嫌を損ねかねない。神様から何かを取り上げるようなマネは慎むよう告げられ、不敬を働くつもりはないのだと公爵様たちが顔色を青褪めさせる。
「そなたたちも身に余る恩恵を授かったはず。もう充分であろう」
過ぎた欲は身を滅ぼすと、これまでに得られたもので満足するようヴィヴィアナ様が公爵様たちを諭す。タルトのおかげで生徒たちの術式構築力は大きく成長し、僕を通じて完全な魔術語である最初の言語がもたらされた。百年かけても届くことのなかった研究成果がわずか数年で得られたのだから、これ以上を望むのは分不相応だと公爵様も矛を収めてくれる。将来を約束された生徒が退学のうえ流れ者暮らしだなんてとリアリィ先生はまだ納得いかない様子なものの、僕が望むのは栄達ではなく約束をはたすこと。すべて己のために自らの意思で判断したことだと伝えておく。
「ひとつ、聞かせてくれ。私の創設した魔導院は、わずかなりとも君の役に立てただろうか?」
神様に持っていかれてしまったのでは仕方がないと居住まいを正した公爵様が、魔導院に在学していたことに意味はあったかと尋ねてきた。こんな場所にいられるかと生徒が飛び出していくのだから、理事長として見過ごせない事態なのはわかる。魔導院に不満があって出ていくわけではないことをわかっていただきたい。
「頂点を目指すことの大切さと楽しさを教えていただきました。入学できてよかったと感謝していますし、魔導院が僕の母校であることに変わりはありません」
忘れていたことを思い出させてくれたと言う方が正確ではあるのだけど、ここは教わったことにしておく。成績上位にいる連中を出し抜いてやろうと頭を悩ませる日々は、ただひとつの栄冠を目指して練習に明け暮れる日々と同じくらい充実していた。タルトがいるだけでトップに立てるような生温い環境であったなら、それこそ在学している意味を疑っていただろう。足の引っ張り合いではなく、互いに上を目指して競い合える生徒たちを集めてくれたことに感謝している。
「そうか……君の退学手続きを進めさせよう」
たとえ卒業者名簿に名前が載らなくても、魔導院は心の母校。そう告げたところホンマニ公爵様は満足したようにまぶたを伏せ、僕の退学を認めてくれた。
退学するといっても、その日のうちに出ていけるわけではない。コテージを引き払う準備をしなければいけないからだ。本来は原状回復する必要があるのだけれど、タルトが借りていたコテージは来年からドクロ研究所として利用されることが決定済みであるという。そのため、僕は自分の荷物の整理だけすればよいことになった。
「自主退学するとは、どういうことでございますのっ?」
ブンザイモンさんとふたりでタルトとシルヒメさんが残していった衣類などを整理していたところ、どこで話を聞きつけたのか首席が怒鳴り込んできた。その後ろではモチカさんがピシピシと巻きつく精霊を鳴らしている。リアリィ先生あたりが情報をリークさせたのかもしれない。
「やらなきゃいけないことができて、魔導院を卒業する意味がなくなったんだ」
アーカン王国で貴族や士族になるつもりはない。吾輩の士族にしてやるという誘いを角が立たないよう断るのも面倒なので、叙爵資格なんてない方がありがたいのだと説明する。今になってようやく、女子からのお誘いを断るためにマイダディがホモネタに頼った気持ちが理解できた。これだけ言っときゃ大丈夫みたいな言い訳がとにかく心強いのだ。
「私との勝負はどうでもよくなったとおっしゃいますのっ?」
決着はまだついてないぞと怪獣のようなデカ女がドスドス足を踏み鳴らす。とはいえ、特待生どもの鼻を明かしてやるのはもう最優先事項でなくなった。状況は移り変わるものだと教えてあげなければなるまい。
「物事には優先順位ってもんがあるんだ。申し訳ないけど、家族を捨ててまで首席との決着にこだわるつもりはないよ」
「そっ、それは当然でしょうけど……」
僕はタルトとの約束をはたさなければならない。首席との勝負は二の次だと告げれば、そんな当たり前の正論で逃げるなんて卑怯だと負けず嫌いなデカ女は歯をギリギリ鳴らして睨みつけてきた。わかっていただけたようでなによりだ。
「アーレイ君っ。退学するってどういうことですかっ?」
首席を言い包めたのも束の間、ドクロワルさんが血相を変えて飛び込んでくる。続いてアンドレーアとイモクセイさん、カリューア姉妹と脳筋ズ、ロミーオさんにアキマヘン嬢と続々集まってきてしまい荷物整理どころではなくなってしまった。仕方なく庭でバーベキューパーティーを開催し、先に身辺整理を済ませることにする。
「マイフレンド、この国を出るにしても卒業してからじゃダメなのか?」
「自分の士族にしてやると言ってくる貴族が現れると面倒だからね。卒業しない方が身軽でいられるんだ」
タルトとの約束をはたすために、世界中を巡って「道案内の少女」に類するナニカを信仰している種族をひとつ残らず探し出す。やることができたので魔導院を卒業する意味はなくなったと伝えたところ、あと半年なんだし卒業してからでよいではないかとシカ肉を雑にぶっ挿した肉串をモシャモシャしながらヘルネストが口にした。実に迂闊な考えだと評価せざるを得ない。
「間違いなく現れる……ペドロリアンやシュセンドゥだけではない……アキマヘン家やドナイデッカ家が動いても……不思議ではないわね……」
「あうぅぅぅ……それは否定できません」
貴族の誘いを断るのは不敬だと言い出す輩が出てこないとも限らないと叙爵資格を得ない理由を告げれば、そいつは間違いなく現れる。アキマヘン公爵自身はともかく、スカウトを請け負った士族が俺様の顔に泥を塗るつもりかと言い出すことは確実だと次席が賛同してくれた。領主に良い顔をしたくて安請け合いしそうな士族に心当たりがあり過ぎるとアキマヘン嬢も渋い顔をしている。規模のデカイ公爵領だけあって、ゼネリクのように得点稼ぎのスタンドプレーに走る士族はまだまだ多いようだ。
「それより伯爵っ。タルちゃんはもう戻ってこないのっ? 契約は続いてるのにっ」
そんなことより本当にタルトは消えてしまったのかと疑っているのはクセーラさんだ。どこかに隠れているのではないかと僕の袖をグイグイ引っ張ってくる。消滅することを選んだのは古き神々を道連れにするためだから隠れてるってことはないと思うものの、善も悪も正解も誤りも等しく魂で嗅ぎ分ける乙女の勘は侮れない。神様でもわからない答えに理屈をすっ飛ばしてたどり着けるのは、きっと彼女のような天才だけだろう。
「わかってるのは指輪に宿っている契約の精霊がそう判断してるってことだけなんだ。まだ自我もロクに芽生えてない精霊だから聞き出すことはできないってさ」
現時点で判明しているのはこれだけだと、天上から戻ってくる途中で【竈の女神】様から聞き出した内容を伝えておく。購買で売られていたペット用の契約書に人と意思疎通できるような精霊が宿っているはずもなく、只々タルトはいると言い張っているそうな。
「伯爵までいなくなったらこの子たちが寂しがるのね~」
なんのヒントもくれないのかとクセーラさんがガックシと肩を落として食べ物をもらいに去っていき、代わりに僕がいなくなるとこいつらが悲しむのだとロリボーデさんが半身のシカ枝肉をガツガツやっているオオカミ兄弟を指差す。僕のことを狩りができないオオカミのエサ係とでも考えているのだろうか。ちゃんと飼い主が食べさせてあげるべきだと思う。
「まぁ、卒業したら廃用になった家畜をワロスイーツ領から譲ってもらえそうだから、この子たちの心配はいらないわ。士族にもなれないあんただけど、困ったなら戻ってきなさい」
一心不乱にシカ肉をがっついている使い魔の背中をナデナデしてやりながら、出戻ったなら雇ってやるとアンドレーアの奴が口にする。培養素の精製プラントを研究するため、乳の出が悪くなった乳牛や繁殖年齢を過ぎた家畜をワロスイーツ領が提供してくれる約束だそうな。廃用になるまでこき使われた家畜を食肉にしたところで利益には期待できないものの、骨も一緒に手に入るからオオカミは喜んでくれると考えているらしい。僕が再びこの国に戻って来たならコケトリス飼育員の仕事があると、来年にはもう貴族になっているであろう従姉殿がめっちゃ上から目線で言ってきやがった。
「悪くないね。タルトがいたなら、きっと喜んだと思う」
だけどまぁ、行き場がなければ用意してくれると言っているのだから気持ちはありがたく受け取っておく。毎日、ヒヨコたちの相手をしていられるとタルトがいれば大喜び間違いなしだ。3歳児がひょっこり戻ってくることがあったら遠慮なく世話になろう。そう考えながら、バーベキューパーティーに興じる皆の様子を眺める。こっそりアイツが紛れ込んでいるような気がして、ついつい姿を探してしまうのは未練がましいだろうか。
日も暮れてきたころになってようやく、僕は一度言い出したら止められない。閉じ込めておいても逃げ出すに決まっているという結論に至ったようだ。バーベキューパーティーはお開きになり、明日は荷物の片づけを手伝うからと約束して皆が自分の寮へと戻っていく。最後に僕とブンザイモンさん、そしてすっかり研究室で寝泊まりするようになったドクロワルさんが残った。
「アーレイ君。卒業を待てない理由は、本当に叙爵資格が邪魔なだけなんですか?」
バーベキューの後片付けを終え、離れのウッドデッキに置かれた長椅子でひと息ついていたら、隣にドクロワルさんが腰かけてきた。ちっこい僕を持ち上げて膝の上へ移しながら、別の理由を隠しているのではないかと問い質してくる。どんくさいはずのドワッ娘が今日は鋭い。そのとおり叙爵資格がいらないというのは半分方便で、本当の理由は別にあった。話すかどうか迷ったものの、彼女に嘘を吐きたくなかったので伝えることにする。
「この国の人たちは優しいからね。あと半年もいたら、その優しさに甘えてタルトとの約束を忘れてしまうかもしれない。そうなってしまうのが怖いんだ」
タルトのいない生活に慣れてしまわないうちに、思い出が薄れてしまわないうちに魔導院を離れる。それが一番の理由だ。人生という時間は自分のために使えとか、そんなことはタルトだって望んではいないと、グズグズしていたら皆が揃ってこの国を出ていかなくてもよい理由を上げてくるだろう。そして、それでよいのだといつしか僕は自分自身を納得させてしまうかもしれない。そうなるのが嫌だから、一刻も早く魔導院から出ていくことにしたのだ。そう語り聞かせたところ、僕の顔にポタリと冷たい水滴が落ちてきた。
「ドクロワルさん、泣いてるの……」
「だって……そんなこと言われたら、もうかける言葉が見つからないじゃないですか……」
辺りはすっかり暗くなり、空には星が瞬いている。光に敏感な目を保護するためのお面を外したドクロワルさんが、迷惑スカウトを避ける方法なら他にもあったのにとポロポロ涙を零していた。自分やアンドレーアのように叙爵することが内定してしまえば、もう誰も自分の士族になれなんて言葉はかけられない。これまではむしろそうなることを目指しているようだったのに、スカウトを断るのが面倒なんて理由で態度を変えるのは不自然と感じられたそうだ。なにか他に理由があるのなら解決策も思い浮かぶのではと確かめてみたものの、自分には手の施しようがない理由だったという。
「ごめんよ。でも、僕はもうやりたいことを好きなだけやらせてもらった。だから、後はタルトのためにできる限りのことをしてやりたい。それは、僕にしかできないことだから……」
まったく慰めにはならないと知りつつ、自分の夢を追いかける時間は終わったのだと伝える。もう田西宿実のようにはたされることのない約束を残したりはしない。3歳児の最後の願いだけはきっちり叶えてやりたいのだ。
「わかっています。そんなアーレイ君だからわたしは……わたしは…………あなたを止めることはしません……」
僕の頭を撫でながら、退学を取りやめさせることは諦めると涙声で口にするドクロワルさん。彼女を悲しませたくはなかったけど、どうしてもやり遂げたいことができてしまった。いなくなった相手との約束なんてなくなったも同然と割り切れるほど、僕は聞き分けのよい人間ではない。
「ドクロワルさんが幸せであるよう、これから先も祈っているよ」
「わたしもアーレイ君の無事をずっと心配しています。そのことは忘れないでください」
ずっと好きだった。それはもう口に出すことが許されない言葉だ。代わりに、君のことは忘れないと伝える。僕が無事であるよう願っているとドクロワルさんも返してくれ、モロニダス・アーレイの恋は告げることすら叶わずに終わった。
バーベキューパーティーの翌日、人が集まって荷物の整理……というか、タルトが残したものの奪い合いが始まった。結局、ヒヨコさんの着ぐるみはベコーンたん、ペンギンさんのフード付きドレスは発芽の精霊が引き取ることで決着する。両方ともカリューア家が持っていくなんてと首席が非難声明を出したものの、蜜の精霊はすでにクマを譲られているではないかと黙らされた。モロリーヌのステージ衣装は大切に保管しておくとドクロプロデューサーが引き取ったようだ。受け止めてやるから悲しみは吐き出していけと夜分に魔性レディがやってきて、僕は初めてを彼女の中に置いてきた。
三日後には出立の準備が整う。僕はもちろんバナナンテで、ブンザイモンさんとティコアは後部に荷物入れを備えたキャブリオレと呼ばれる馬車だ。馬と一緒にホンマニ公爵様が中古品を譲ってくれた。ブンザイモンさんは荷馬車を御したことがあるくらいでスピードの出る馬車は初めてという話だけど、僕が馬の隣で誘導すればなんとでもなるだろう。
持っていく荷物を載せ終えたところで、最後にタルトと共に3年間すごしたコテージを仰ぎみる。3歳児のわがままに困らされる騒々しくも幸せな思い出の詰まった場所だ。これが見納めになるのかと思うと涙がこみ上げてきそうになるけど、今日は同級生にコケトリス部門の生徒の他、先生たちまで見送りにきてくれている。今さら泣きべそをかいている姿なんて見せられないと寂しさを呑み込む。
「行き詰ったら意地を張らずに戻ってきてください。アーレイ君に手を貸してくれる相手はいくらでも見つかりますから」
困ったら戻ってきて相談しろ。ひとりで無茶するなとリアリィ先生から言い含められる。まだ僕のことを目の離せない問題児だと考えているようだ。その後、ひとりひとりからお別れの挨拶を頂戴する。
「あぁ……結局、精霊はもらえなかったわね」
僕とタルトが精霊を配り歩いていたとま~だ信じているロミーオさんが、最後に恨み言をこぼす。
「クレネーダー嬢。精霊ならここにいるぢゃないか」
「あんだっ。こんな時までそいつをっ」
ところが、ヘイハニー精霊だぜと【皇帝】の奴がピンク色をしたコケトリスサイズのヒヨコを抱えてきやがった。ちょっとは空気を読めとロミーオさんがまなじりを吊り上げる。だけど、欲しがる精霊を目にした時、僕の心にひとつのアイデアがひらめいた。エロオヤジにしてはナイスタイミングだと称賛するしかない。
「【皇帝】、クレクレを貸してくれないかな」
「ちょっとっ。そいつをどうするつもりよっ」
ちょっと貸してくれとピンク色のでっかいヒヨコを受け取る。まさか、無理やり押し付けるつもりではあるまいなとエロオヤジを盾にするロミーオさん。そんなもったいないことはしない。こんなイカした奴を誰かに譲るほど僕はお人好しではないのだ。
「クレクレ。僕はタルトとの約束をきっちりはたしたいんだ。だから、中途半端なところで満足してしまわないよう―――」
「アーレイ君っ、何をするつもりでございますのっ?」
欲しがる精霊へ語りかける僕に気がついて、なにをするつもりだと首席が声をあげた。もちろん、コイツの力を借りるつもりである。
「―――お前の力で僕を支えてくれないかな?」
契約しないかと告げた瞬間、僕の足元にピンク色の魔法陣が浮かび上がる。輝きが強くなり真っ白に染まった視界の中で、僕の手の中からクレクレをつかんでいる感覚が消失した。しばらくして光は収まったものの、ピンク色のヒヨコの姿はどこにもない。
「消えてしまわれたのでしょうか?」
「いいや、いるよ。僕の魔力の中に混ざってる」
逃げてしまったのではと首席は疑っていたものの、僕の魔力の中に僕のものでない魔力が混じっているのを感じる。どうやら、無事に契約できたようだ。
「伯爵っ。あんなのと契約して大丈夫なの?」
「僕はなんとしてもやり遂げる覚悟だからね。そのためならクレクレの力だって借りるさ」
あいつはヤバイ精霊ではなかったのかとクセーラさんに尋ねられたけど、そこは解釈の分かれる部分だろう。次から次へと新しいものを欲しがるのは問題だけど、容易には達成できない目標を追い続けるには適しているのではあるまいか。これまで欲しがる3歳児の相手をしてきた僕だ。欲しがる精霊の一体くらいは飼い慣らしてみせる。
「それじゃ皆、元気でね。僕のいるところまでその名が響いてくることを期待しているよ」
「卒業しておけばよかったと後悔させてあげるから、覚悟しておくんだよっ」
バナナンテに跨って、外国で懐かしい名前を耳にする日を楽しみにしていると最後に伝える。泣きべそかいて戻りたくさせてやると返してくれたのはクセーラさんだ。湿っぽい雰囲気を吹き飛ばしてくれる彼女の存在がありがたい。
キャブリオレを牽くお馬さんを誘導しながら魔導院の正門へ向かう。出ていくまで見送ってくれるのか、みんなもついてきてくれた。門を出る直前に、これが最後と自分に言い聞かせて振り返る。タルトやドクロワルさんと一緒にずっとここで楽しくバカなことをしていられたらと夢見させてくれた僕の母校だ。ひと言くらい感謝を伝えたい。
―――たくさんの出会いと思い出をありがとう。いってきます……
声に出すことなく最後の挨拶を済ませバナナンテに拍車を入れる。もう戻らないと覚悟したはずなのに、どうしてかサヨウナラという言葉は出てこなかった。門を出て魔導院から去っていく僕へ、皆がいつまでも手を振り続けてくれる。気立てのよい多くの友だちに囲まれて、きっと僕は幸せ者だったのだろう。カッポカッポとお馬さんの立てる蹄の音が寂しげに響く。
だけど、思い出を振り返るのはここまでだ。僕にはやり遂げると心に決めたことがある。もう田西宿実のような後悔は残さない。あの日、タルトと交わした約束は必ずはたしてみせようと空を見上げれば、遠い雲の上から懐かしい人たちの送ってくれたエールが聞こえたような気がした。