644 竜殺し
バシまっしぐらはほんのちょっとでも血に混じったら体内で毒が増えていく致死量という概念をぶっ飛ばした猛毒だ。いったん身体の中に入ったが最後、あらゆる毒物への耐性を得るというバシリスクしか助からない。バシリスク器官を移植したバシリスク怪人が生き残れるかどうかは永遠の謎。答えを確かめるような行為は厳に慎むべきだと思う。
「モーマンタインさん。ヒメバシリスクを捕まえてきてください」
危険極まりない毒をそこら辺に付着したまま残していくわけにはいかない。余った分や零れた毒はしっかり舐めとってもらう必要があるので、扱う際にはあらかじめバシリスクを用意しておくのがマナーだ。どこの集落でもヒメバシリスクは飼っているので、人がいなくなって野良化した奴がこの街にも残っているだろう。見つけて連れてくるようモーマンタインさんにお願いすれば、近くでゴロゴロしていたのをすぐに確保してくれた。エメラルドグリーンに黒と黄色のラインが入ったなかなか見栄えの良い体色をしているものの、めっちゃやる気のなさそうな顔つきをしていてダラリと身体を弛緩させている。
「しっかり押さえておいてください。暴れられたら危ないですからね」
ガッチリ抱いているようモーマンタインさんに告げ、かまどで水を張ったフライパンを火にかける。水がプクプクし始めたら火からおろし、真ん中に陶器の器を置く。熱し過ぎてバシまっしぐらが気化したら僕たちまでヤバイので、培養素が形を失う程度の温度に抑えておく必要があるのだ。温まった器にバシまっしぐら味のグミキャンディーをいくつか落とせばすぐに液体状へと変化して、匂いを嗅ぎつけたのかやる気ゼロだったバシリスクがウシ獣人の腕から逃れようと暴れ出した。
「耐性がついたら食べさせてやるからな。痛いのは我慢するんだぞ」
針の先にバシまっしぐらをちょっぴりつけて脚の一本にプスリと刺す。すぐに毒が増えてきたのか、バシリスクは身体を激しく痙攣させて口から泡を噴き始めた。ビックリしたモーマンタインさんに床へ放り出される。だけど、毒で死んだバシリスクはいないというタルトの言葉どおり耐性を身につけた模様。しばらくするとムックリ起き上がって、ご馳走クレクレと僕にしがみついてきた。とりあえず針の先に付着している毒を舐めさせてやる。
「この毒は血に混じると増殖します。いずれは血液すべてが毒に変わり、バシリスク以外は助かりません」
「んもぉぉぉ――――うっ。なんてものを持ち歩いてるんですかっ?」
バシリスク以外の生き物は毒々モンスターになってお陀仏だ。いくらドラゴン様でも体内でネズミ算式に増えていく毒には耐えられまいと伝えれば、とんでもない危険物を隠していやがったとウシ獣人はこめかみを引きつらせた。
「もともとはバシリスクへのご褒美として作られた毒なんですけどね。熟成された毒成分が味に深みを与えるのだとか……」
「だから、こんなに喜んでるんですか……」
竹べらの先に付着させたバシまっしぐらを舐めさせてやれば、ヒメバシリスクはもっともっととおねだりするように8本ある脚でガッシリしがみついてきた。さっきまでのふて腐れた態度が嘘のようだとモーマンタインさんが目を丸くしていたので、感心している暇があったらバシリスクを取り押さえておくよう言い渡す。放っておいたら全部食べられてしまうに決まっているのだ。
鏃にバシまっしぐらを塗り付け冷めるのを待つ。培養素の効果で再び固まったら革袋をかけて縛りつけておく。ドラゴンが僕を執拗に狙うならワンチャンあるかもしれないとモーマンタインさんは考えたようで、剣にバシまっしぐらを塗布するよう頼まれた。切っ先の近くにたがねで何本か溝を掘り、そこを埋めるような形で仕込む。グサリとやれば体温でとけた毒が血に混じることだろう。
「ゥメエ゛ェェェ……」
余ったバシまっしぐらはヒメバシリスクへのご褒美だ。毒がなによりのご馳走。猛毒であればあるほど好いというこの魔獣は、もう一滴たりとも残さないという覚悟で危険極まりない毒を平らげてくれた。こいつが一緒なら危ないキノコを誤って口にすることもないし、毒殺されることを恐れる必要もない。毒入りの食事も毒を塗布した食器類も、たちどころに嗅ぎつけられてしまうからだ。人族はバシリスクへの感謝が足りないとタルトが口にしていたのもわかる気がする。
「それじゃ、明日に備えておやすみしますよ」
「夜襲はしないんですか?」
「鱗のないところを狙えないと困りますからね。明るい方がいいんです」
明日、お天道様が昇ったらリベンジに向かうと宣言したところ、夜陰に乗じて接近する方が安全ではないかとモーマンタインさんに問い質された。近づくだけならそれでよいのだけど、僕の弓矢でドラゴン様の頑丈な鱗を貫けるとは思えない。バシまっしぐらを打ち込むためには粘膜が露出しているところにブスリとやるしかなく、真っ暗闇の中では狙いがつけられないので夜襲はなしだ。明るい方が好都合なのだと告げて、ご馳走を平らげて満足したのか僕の膝の上で身体を丸めたヒメバシリスクを抱き上げる。こいつは今晩の抱き枕。サイズ的にも3歳児の代わりにちょうどよい。
新しい敷き藁をどっさり使わせていただいたバナナンテの房に入り、快適な翼の下へともぐり込む。すぐにモーマンタインさんもやってきてヨチヨチと抱っこしてくれた。肝心なところでしくじらないよう、柔らかいウシおっぱいを枕にしっかりと身体を休めさせていただく。
――もう少しだ。あとちょっとで魔導院へ帰れる……
神様たちのせいで起きた厄介事も終わりが見えてきた。さっさと片付けてタルトと一緒に魔導院へ戻りたい。学年末の試験に研究発表とやることは山積みだけど、首席を始めとする特待生たちを出し抜くことに頭を悩ませる日々を今は懐かしく感じる。みんなは遠征実習を終えてモウヴィヴィアーナへ帰還を始めたころだろうか。迂闊な脳筋どもが大怪我をして、治療のついでとドクロワルさんに怪しげな臓器を移植されていないか心配でならない。やっぱり、あのけしからんおっぱいは僕がしっかり見張っておかないとダメだ。
人類の平和を守るためにもドクロ山を手に入れなければと決意して目を閉じる。なのに、その夜の夢に出てきたのはそれぞれにダイエットの敵、四天王が待ち構えている頂が4つある山だった。
夜が明けたら今日こそ決戦の時と気合を入れ直し、【暁の女神】様の神殿を目指してデデルポポイの街を発つ。妨害により識別可能な距離がガッツリ制限されているロゥリングレーダーに注意を払いつつ森の中を進んでいけば、ドラゴン様は最初に出会った場所に鎮座されていた。僕たちの接近には気づいていないようだ。
「まず、こいつをくらわせて怒らせます」
先端に霧化イボ汁鏃の付いた矢を手に取って作戦を説明する。くっそ苦いイボ汁をくらったところで僕が姿を現せば、犯人はお前かと激怒することは確実。怒りの咆哮を放とうと顎を大きく開くに違いないので、口腔内に本命の毒矢を叩き込む作戦だ。ドラゴン様が僕を抹殺しようと追いかけるようならモーマンタインさんに後ろ脚をブスリとやってもらう。
「失敗した場合はモーマンタインさんが隠れている辺りに後ろ脚がくるよう誘導します。真横から鱗の隙間を狙って剣を突き立て、結果にかかわらず森の中へ逃げ込んでください」
上手く刺さらなくてもリトライは禁止。すぐにその場から離脱するよう言い含めておく。あれだけの巨体で小回りがきくはずもなく、空を飛んで炎を吐いても上空からでは葉っぱの天井に遮られて地表までは届かない。霧の魔導器もあることだし、森の中に逃げ込んじまえばこっちのもんだ。まだバシまっしぐらは残っているから、失敗してもまた次の手を考えればよい。
「合流地点はデデルポポイにしましょう。僕を見失っても探したりせず、まっすぐ引き返してください。いいですね?」
毒が効いてくるまでには時間がかかるだろうから、作戦実行後はいったん撤退だ。全速力でトンズラするよう指示すれば、モーマンタインさんはガッテン承知と頷いた。それでは位置につけとふたてに分かれる。準備が整ったことを確認し木立のわずかな隙間を通して霧化イボ汁鏃を鼻先に射込めば、着弾と同時に青黒い霧がモワッと広がりドラゴン様が怒りの咆哮を轟かせた。
『――ぶっころぉぉぉすっ!』
ドラゴン様でも苦味はどうにもならないようだ。放たれる魔力から激怒していることが伝わってくる。バシまっしぐらを塗布した毒矢を弓につがえながらバナナンテを開けた場所へ飛び出させれば、思ったとおり僕に向かってでっかい前脚を踏み出すと威嚇するように大きな顎を開いた。今がチャンスだ。
「一発必中、モロニダストライクッ」
ここが勝負どころと渾身の一射を放つ。だけど、ドラゴン様は視覚が発達していた模様。口腔内に飛び込んで来ようとする小さな矢をしっかり捉えたようで、とっさの反応で顎を閉じてみせた。必殺の毒矢が牙に当たって弾き返される。
――ちっ、弓矢じゃ防御されちまうか……
見てからガード余裕でしたとドラゴン様の魔力から優越感が伝わってくる。目玉や口腔といった頭部にある鱗で守られてない部分を弓矢で狙っても、すべて弾かれてしまうだろう。他に鱗のない部分なんてお尻の穴しか思いつかないけど、そもそも弓で狙えるような位置にはない。こうなってはモーマンタインさんだけが頼りだ。ヘイヘイ、こっちだとドラゴン様を誘導しながらヴィヴィアナロックの魔導器を腰袋から引っ張り出す。ブレスの一発くらい水の壁で耐えなきゃいけなくなるかもしれない。
「引っかかりましたねっ。こっちが本命ですよっ」
「なんでっ?」
いつ炎のブレスを吐かれても防御できるよう、慎重に40メートルほどの距離を保ちながらドラゴン様を誘導していたところ、僕は囮。我こそが本命なりと高らかに唱えながらモーマンタインさんが森の中から飛び出してきた。だけど、タイミングが早過ぎる。いったいどうしてと疑問が頭に浮かんだのも束の間、僕を追って踏み出されたドラゴン様の左前脚へ駆け寄ると、鱗と鱗の隙間を狙って力任せに剣を突き立てた。
「すぐに離れてっ!」
手ごたえを感じたのか、やったぜと僕に向かって右拳の親指を立ててみせるモーマンタインさん。そんなことを伝えている暇があったら今すぐ逃げろと叫ぶ。そこはドラゴンの爪が届く攻撃範囲内だ。どうして僕が後ろ脚を狙うよう指示したのかわからない彼女ではないはずなのに……
『獣人がっ。かすり傷ひとつで勝ち誇るなぁぁぁ――――っ!』
傷つけられたことが気に障ったのか、ドラゴン様が咆哮を響かせながら上半身を起こす。そして、身体をひねりながら鋭い爪の並ぶ右前脚をひと振りした。かわしきれなかったモーマンタインさんが捉えられ、最初に隠れていた森の中まで撥ね飛ばされる。
「くそっ……」
腰袋から霧の魔導器を引き抜き、連続で発動させて周辺を濃霧で覆う。これでドラゴン様は僕たちの居場所を見失うはずだ。弱まっていく魔力を頼りにバナナンテを駆けさせモーマンタインさんのもとへたどり着いたものの、彼女はもう僕では手の施しようがないほどの傷を負わされていた。わき腹から胸元にかけてざっくりと切り裂かれ、どうやって止血すればよいのかすらわからない。
「よかった……無事だったんですね……」
「全然よくないよっ。後ろ脚を狙うよう言ったのにっ」
傍らにひざまずくと、僕に気づいたのかモーマンタインさんが薄っすらと目を開いた。僕が無事でよかったと弱々しく微笑む。
「モロニダスさんがたどり着くことが重要だって……私にもわかります……囮なんてさせられません……」
「……僕がドラゴンに狙われないよう、あんな無茶を?」
これまで耳にしたやり取りから、僕をタルトのもとまでたどり着かせることが最優先だとモーマンタインさんは判断していたらしい。僕はブレスの一発くらい耐える覚悟だったけど、そんな危険を冒させないために前脚を狙ったのだという。あえて隙を見せてまでやったぜと伝えてきたのも、自分がなにも言えなくなる前にドラゴン様はもう時間の問題だと報せておくためだったようだ。
「選択を委ねられたとは……この戦争の結末を選べるんじゃないですか……そこにドラゴンが立ち塞がったなら……【竜殺し】の技を受け継ぐ者のひとりとして……役目を果たすだけです……」
迂闊に彼女の前で情報を開示し過ぎたのかもしれない。僕に委ねられた選択の意味までモーマンタインさんはしっかり察していた。神様ではなく、生き物のひとりがこの先訪れる未来を決定することができる。それをドラゴンが邪魔するならば、排除するのが【剣聖】の役割だと満足したように息を吐き出す。
「モロニダスさんに雇われてから……私の人生は変わりました……毎日がこんなに楽しみだったことはありません……きっと――」
毎日のご馳走が楽しみで仕方なかったとまぶたを閉じるモーマンタインさん。弱まっていく魔力から感じ取れるのは、やり遂げたという満足感と安堵だ。視界がにじむ中、いっちゃヤダと手を握り締めたものの、どうにもできないことは僕が一番わかっている。
「――気前のいい神様がご褒美を先払いしてくださったんですね……」
報酬はもういただいたと最期に言い残して、ウシ獣人の剣聖様は息を引き取った。