642 連合の綻びる時
ひとり残らず住人が消え去ったシツジブルクを制圧した翌日、連合陸軍の第二師団とドラスレイ王国軍、そして【知の女神】様に仕える巫女のオクタヴィアさんは今後の行動方針をめぐって意見を対立させていた。もう【暁の女神】様の信者はどこにもいない。この国の全土でシツジブルクと同じことが起きたのだから、軍を神殿へ向かわせて直接女神様をとっ捕まえるべきだとオクタヴィアさんが呼びかけたものの、連合軍司令本部からの命令が解除されたわけではないことを理由にルルギッタン王子は方針を改めない考えだ。明日にでも予定どおり穀倉地帯へ向けて南下を始めたいと言い張る。一方で、その情報の真偽を手っ取り早く確認するためにも最も近い鉱山集落へ向かうのが正解だとチキンナー将軍も神殿へは向かわない意向を示した。
「巫女殿のおっしゃられることを疑うわけではありませんが、位置的には第一師団の方が近い場所にいます。神殿の制圧には彼らが向かうことでしょう」
オクタヴィアさんの話を信じるのであれば、山脈の南端から回り込もうとしていた第一師団に、エーオス海への侵入を図っていた連合海軍も抵抗を受けなくなったはず。距離的には彼らの方がはるかに近いので、後から第二師団が到着してもやることが残っていないとルルギッタン王子は考えているそうだ。だったら、このまま南下して穀倉地帯を制圧するべきだという。
「思い込みで軍を動かすわけにはまいりません。情報の真偽を確かめるため、まずは近隣の集落へ向かい裏を取るのが先決と考えます」
ここで議論を重ねている暇があるなら実際に別の場所を確認した方が早いと、チキンナー将軍はドラスレイ王国軍単独で鉱山集落の制圧に向かう構えである。指揮官に抜擢されるだけあって、両者ともに建前を巧みに使う。一番乗りできないから神殿へは向かいたくないという本音をオクタヴィアさんは見抜けていないようだ。指揮官ふたりの意識は、すでに戦後処理が始まった時にどの国がどの地域を実効支配しているかという段階へ移っている。道理を説いても仕方がない。
「西方諸国の政治には関心がありませんので、僕は失礼させていただきますよ。約束どおり、ここからは各々の目的を優先することでよろしいでしょう」
これはもう国家間の縄張り争い。すなわち政治の話だから、東方にあるアーカン王国の苦学生が首を突っ込んでよい話題ではないと告げて席を立つ。こいつらは政治のことを考えていると耳にして、オクタヴィアさんも指揮官ズの思惑を察したようだ。この不信心者どもめとまなじりを吊り上げる。
「王子様や将軍様ともなれば、自国に対して果たさなければいけない責任ってもんがあるんです。本人を責めたところで無意味ですよ」
「見透かされているようで悔しいけど、そのとおりだよ。君のように自由ではいられない」
気候がお米の栽培に適さないというダーストリア王国の目的は、豊かな穀倉地帯と他国を経由せずに収穫物を本国へ搬出するための港を手に入れることだろう。ドラスレイ王国は国土と隣接していて容易に街道をつなげられる鉱山集落群が欲しいに違いない。戦争が終結した段階で自国軍の占領下にあれば、戦後処理において有利に交渉を進められるというわけだ。ふたりとも命じられた任務を遂行しているにすぎないのだから責めたって仕方がないとエキサイトするダメ巫女様をたしなめれば、しょせん自分たちも身分や立場に縛られている小物なのだとルルギッタン王子はため息を吐き出した。
「本当に自由なら落第のリスクを負ってまでこんな遠くにきません」
「君も誰かに命じられてここにいるのかい?」
なんか勘違いされているようなので、すき好んでこんな場所にいるわけじゃないと告げておく。落第したら追加で1年分の授業料を工面しなければいけなくなるし、僕が魔導院の生徒でいる間にドクロ山はどんどん遠ざかってしまうだろう。こっちだって命綱なしの綱渡りをしている状態なのだ。ど~でもよい政治の話に時間を割いていられる余裕はないと退室するべく出口へ向かえば、僕になにかを命じられる奴なんているのかと王子様が疑問を口にした。はてしなく遺憾であるものの、下僕にはご主人様がいるに決まっている。
「迎えに行くって、約束しちゃいましたもんで……」
命じられたわけじゃないけれど、迎えに行くと伝えてしまったのだ。はたさなければならない約束があることを告げて、僕はすっかり政治が話題の中心となった作戦会議室を後にした。
すでに礼拝殿をあさって巡礼のしおりは入手してある。神殿までのアクセスルートから、敷地内の見取り図や各施設の説明まで掲載してあるご機嫌マップだ。シツジブルクで済ませておくべき用事は、もうひとつしか残っていない。
「というわけで、オクタヴィアさん。本日をもってあなたを解雇します」
「人聞きの悪い言い方をしないでください」
半ズボン伯爵に約束したとおり、オクタヴィアさんに同行いただくのはここまでだ。補給部隊を引き連れて到着したマクダナル少将に、帝都までしっかり送り届けてくれるよう依頼しておく。
「彼女は帝国でも有数の高貴な家柄の出身です。詳しく知りたければ半ズボン伯爵に尋ねるといいでしょう」
「伯爵閣下が気に留めるほどなのか……」
女神様の指示には逆らえないと黙認したけど、連合軍の占領地域から出ていくことがないよう頼まれているのだと伝える。伯爵様が無事を気にかけるほどの貴族家なんて数えるほどしかないぞとマクダナル少将はこめかみを引きつらせていたものの、部隊と一緒に間違いなく帝都まで帰還させると引き受けてくれた。戦後処理で有利な立場を得たいという各国の思惑を薄々感じ取っているらしく、仲間割れが始まる前に第二師団を解散させるようルルギッタン王子に進言する考えだそうな。ダーストリア王国のためにこき使われるなんてまっぴら御免だと不満を口にする部隊をまとめて帰路につく予定だという。
「ギョエピィィィ……」
「よしよし、これからはご主人様にいっぱい食べさせてもらうんだよ」
オクタヴィアさんにクビを言い渡したことで、もうこの都市に留まる理由はなくなった。厩舎に赴いてバナナンテを房から出し手綱と鞍を着けていたところ、ご主人様が自分に鞍を乗せようとしないことからエリザベスは別れを察したようだ。悲し気な鳴き声を上げながら鼻先を擦り付けてきた。これからはオクタヴィアさんがご馳走を用意してくれるからと首筋を撫でてやる。ダメ巫女様が般若の如き形相を浮かべていたものの、大切な使い魔をタラシ込まれて不機嫌になっているのか、勝手な約束をするなと怒っているのかはわからない。ロゥリング感覚で感じ取れるのは魔力に現れた感情だけで、考えていることまで読み取れるわけではないのだ。
「んひひひ……次はどこへ向かうんです? ご馳走が私たちを待ってますよ」
一方、モーマンタインさんはついてくる気マンマンで、次なるご馳走はどこだと尋ねてくる。すっかり3歳児にも劣らない食いしん坊モンスターと化してしまったようだ。飯抜きを言い渡して鍛え直そうにも、ここまで堕落してしまってはもはや手遅れ。かくなる上は、食事にイボ汁を混ぜ込んでご馳走へのトラウマを植え付けるしかない。
「すっかりモロニダスさんに手懐けられてしまいました。どうしてくれるんですか?」
ギョエー、ギョエーと別れを惜しむように鳴き声を上げるエリザベスをヨチヨチと慰めながら、仕留めたその場で魔術を使って心臓を動かし血を搾り尽くしたお肉なんて、帝国ではそもそも入手手段がない。とんでもない贅沢品を毎日のように食べさせやがってとオクタヴィアさんが頬を膨らます。
「治療士が使ってる蘇生法を応用したものだから、ギャップ軍医なら知ってると思うよ。獲物から血を抜くだけなら人の治療に使えるほどの精度は求められない」
技術自体は西方諸国にも伝わっているはずだから、ダメ巫女様が習得してしまえば問題は解決だ。近いうちにご主人様が同じようなお肉を食べさせてくれるから期待していいぞと語りかければ、エリザベスは鳴くのをやめて問い質すような視線をオクタヴィアさんへと向けた。なんて約束をしやがんだとダメ巫女様がまなじりを吊り上げたものの、大切な使い魔のためなんだからそれくらい勉強してあげればいいと思う。
「はぁ、マンドレイクの締め方も検証しなければなりませんし、やることが山積みです」
ここに至ってはやるしかないと諦めがついたのか、オクタヴィアさんがガックリと肩を落とす。マンドレイクの締め方だけでなく、培養素といった新素材からオムツ揚げのレシピまで僕から得られた情報を報告書にまとめなければならないそうな。ここでお別れして任務完了ではないのだぞと恨めし気な視線を向けてきた。
「僕だって帰国したら秋の終わりに期末考査と研究発表が待ち構えてるんですからね。忙しいのは自分だけと思わないでください」
だけど、それは僕も同じだ。ドクロ山を目指す苦学生にとって、ここでのことは余計な手間以外のなにものでもない。僕ばかりが楽をしているように感じられるなら、それは人族社会でたびたび確認される隣家の芝生が青く見えるという謎現象だからしっかり解明しておくよう言い渡す。
「魔導院と言うのですか。モロニダスさんが在籍されているという学府は?」
「正式名称はホンマニ魔導院といって、ホンマニ公爵様が経営している私塾です。国立でないばかりか、国の助成制度も全部断って独立を貫いている学府ですので政治力は及びません。王国との交渉結果なんて知ったことではないと無視されます」
グリピィナ夫人たちが東方諸国との技術交流を画策していることを思い出したようで、オクタヴィアさんが僕のいる学府のことを尋ねてきた。アーカン王国が外交交渉でなにを約束しようとも魔導院に対して強制することはできない。生徒を交流させたいなら経営者であるホンマニ公爵様と交渉すること。さもなくば、留学先は最高学府とされている国立高等学習院になると忠告しておく。こんな遠方でも母校のPRを忘れないなんて、リアリィ先生は僕を模範的生徒に指名してくれてもよいと思う。
荷物を鞍に縛り付けて出発の準備が整うと、再びエリザベスがピョエー、ピョエーと鳴きながら鼻先をこすりつけてくる。スプリンターと呼ばれるハシリドレイク種は群れで行動する習性があるため、生まれつき寂しがり屋なのかもしれない。
「ごめんよ。でも、君よりも寂しがり屋で甘えん坊な3歳児が迎えにくるのを待ってるんだ」
群れの一員が離れていくことは好くないことだと本能的に理解しているのだろう。それはつまり、僕を群れの仲間だと受け入れていた証拠。ありがとうと感謝のナデナデをしてやりながら、それでも迎えにいってやらなきゃならない奴がいるのだと謝罪を伝える。
「モロニダスさんには果たさなければならない使命があるのですよ。我慢してください。きっと女神様も褒めてくださいますから……」
オクタヴィアさんもヨチヨチと別れを惜しむ使い魔を慰めてくれた。【知の女神】様に仕える巫女で、皇帝の娘でもある彼女が東方諸国へ派遣されるとは思えない。僕がなにかの理由で再び西方諸国を訪れない限り、二度と会うことは叶わないだろう。最後に顎の下をヨシヨシと撫でてやり、ご主人様にいっぱいご馳走してもらうよう告げてバナナンテに跨る。僕にできるのはふたりがこれからも幸せであるようお祈りしておくことだけだ。
また会いましょうとは口にせずシツジブルクを後にする。城門まで見送りにきてくれたエリザベスの魔力は、離れて姿が見えなくなるまでぶっすりと僕に突き刺さってきていた。
シツジブルクを発った僕たちは巡礼のしおりにあるルートに従って【暁の女神】様の神殿を目指す。人族がいなくなったことを察したのかイノシシやクマといったけしからん獣どもが我が物顔で畑に居座っていたので、食料の調達に難儀することもなく順調に進むことができた。野菜や穀物もいただき放題とあってモーマンタインさんはすっかり上機嫌だ。誰にも収穫されないまま腐らせてはもったいない精霊の罰が当たるなどとぬかしながらご馳走を要求してくる。
「ここが神殿の門前町みたいですね」
街道を突っ走ること10日、僕たちは【暁の女神】様の神殿がある山のふもとに位置するデデルポポイという街に到着した。アーカン王国で例えるならモウホンマーニに相当する街で、参拝客が訪れる以外にこれといった産業のないど田舎の宿場町なせいか、連合陸軍の第一師団には無視されたようだ。部隊の中核を担う神聖マリジル帝国軍も、やっぱり戦後処理を見据えて旨味の大きい都市から制圧しているのだろう。【知の女神】様陣営は敗北寸前だというのに、敵軍が消滅したことですっかり勝ったつもりでいるあたりは滑稽と言わざるを得ない。
デデルポポイから先は目に見えて傾斜のある山道となる。巡礼のしおりにある敷地内見取り図によれば、ひと言に神殿と言ってもすべてが一カ所にまとまっているわけではないようだ。信者が参拝する拝殿に、依代が保管されていたと思われる本殿、儀式を行う場所らしい祭祀殿に聖職者たちの養成所と、山中にいくつもの施設がバラバラに建てられている。この中からタルトの居場所を探さなければならないのだけど、ここにきて厄介な問題が浮上していた。
――レーダー妨害とか……ここまで【暁の女神】様は計算してたってのか?
おそらくは暁の聖杯という1億もの魂が詰まったお宝があるせいだろう。太陽のようにど派手な魔力を放つ存在があって、他の魔力は真昼間の星みたいに塗り潰されてしまっている。ロゥリングレーダーで識別できるのはせいぜい100メートル以内といったところだ。近づけばさらに狭まるかもしれない。
――ちっきしょうめ。ロゥリング族対策に、こんな手があったとはね……