63 神判を告げる紅金の御子
ここは浪人ギルド内にある食堂。今はちょうどランチタイムで浪人たちも多いのだけど、僕たちの周りだけはまるで超常的な力でも働いているかのようにぽっかりと空いていた。一緒にいるのがカリューア姉妹であればこうはならなかっただろう。ふたりは同じ受講生の女性陣と別のテーブルで親睦を深めている。
僕と同席しているのは、ゴシック調ドレスの女性と左腕に包帯巻いている女の子だった。
ゴシック調ドレスの女性は【闇に魅初められし魔性】と名乗った。腰まで届くストレートの黒髪にヘッドドレスを着けている。本人は口にしないけど上流階級の出身だろう。
髪の毛を邪魔臭くなるほど伸ばすのは、魔導院の女子生徒にショートヘアの子がいないのと同じ理由。夜会服を身に着けたとき結い上げるのに必要だからだ。脚を包むのは真冬に穿くような分厚い生地で織られた黒タイツ……に見せかけた鎧下である。
この女性は魔術を扱えると思って間違いない。
紫のワンピースに片腕包帯の女の子は【免れ得ぬ黄昏の姫】。背中に届くくらいの癖のある赤毛で、左腕の包帯は【神々を喰らう混沌の竜】を封じるためのものらしい。レイピアと呼ばれる細身の剣を下げている。この子はおそらく平民だろう。
武器はそれを向ける相手を考慮して選ぶもの。持ち主が仮想敵に据えている相手を映し出す鏡だ。レイピアが有効なのは非武装の人族程度で、まともな貴族や士族であれば自分の敵は領民だと言いふらすような武器をこれ見よがしにぶら下げたりはしない。
「わたしはモロリーヌといいます。今年、10歳になりました」
10歳には見えないだろうけど、看護士講座に申し込めるのは浪人ギルドに登録できる10歳からだ。ロゥリング族であることはもちろん明かせない。組織に伝わったら、一発で正体がバレてしまう。
「転生を繰り返す我らに人としての名はあまり意味がないわ。そなたの魂に刻まれし真名を聞かせなさい」
「オゥ……」
いきなり真名。ソウルネームときましたか……
闇の魔性レディが怪しく微笑みながら、「覚醒が完全ではないの?」と尋ねてくる。あなたたちが変な方向に覚醒し過ぎなんです……言ってはいけないひと言が口走るのをギリギリのところで飲み込む。
「姫があなたに背負わされし宿命を見定めてあげるです」
自分をさすのに「姫」だなんて、アキマヘン嬢だって使ってないというのに……
黄昏の姫ガールは上流階級というものを盛大に勘違いしていそうだ。言っておくけど、一人称に「妾」とか「麿」とか「アテクシ」を使う子なんて魔導院にはいないぞ。
僕の同意を待たずに真鍮で出来た鉄アレイのようなものを取り出した姫ガールは、両手の指を複雑に絡めて「ジュゲーム、ジュゲーム……」と怪しげな呪文を唱え始めた。
「クーネルトコロニスムトコロ……」
この鉄アレイのようなものは、もしかして仏様が持っているアレだろうか?
指を絡めているのは印?
唱えている呪文は真言のつもりか?
寿限無は落語であって真言ではないのだけど、きっとまたどこぞのバカ転生者の仕業だろう。ブルマーを男にも穿かせるとか、ロクでもないことを伝えた奴がいるのだ。
「ポンポコピーノッ、ポンポコナーノッ……」
姫ガールはイケナイ薬をキメてしまった人のように、白目を剥いてビクンビクンと体を仰け反らせながら一心不乱に寿限無を唱えている。ここまでくると、痛い人を通り越してかわいそうな人に思えてきた。
ネタ元を知っていることが凄く申し訳なく、自然と涙が溢れてくる。笑いを堪えるのに必死で……
「姫は真言を唱えることで魂の世界に感覚を同調させることができるです」
寿限無を唱え終えた姫ガールは息を整えながら聞いてもいないのに解説を始めた。
いや、それ落語だから。真言陀羅尼とは別物だから。
「姫は見たのです。思い出しただけで背筋が凍り付きそうになる、あなたに課せられた口にするのもおぞましい宿命を……」
ブルブルと震える両腕で自分を抱きしめながら、姫ガールは恐怖に青ざめた顔を僕の方へと向ける。この子はホラー映画なら謎のメッセージを残して最初に殺される役だな。後ろで雷でも鳴ってくれてればそれなりの雰囲気が出せただろう。
ただ、どれほどの名演技もギラギラと燃え上がる太陽の下でやられてはギャグでしかない。無理に噴き出すのを堪えているせいで、もうわき腹が引きつる寸前だ。
「あの、おぞましいなら無理に口にしなくっても……」
「姫の言葉に耳を傾けるですっ!」
これ以上続けられたらお腹が爆発してしまうので話題を逸らしたかったのだけど、姫ガールに怒鳴りつけられてしまった。口にするのもおぞましいと言っておきながら、最後まで話さないと気が済まない性格のようだ。
「魂に刻まれし真名。それは宿命を示す名でもあるのです。あなたの宿命は――」
姫ガールは左手で顔を隠し、もったいぶるようにゆっくりと上げた右手で僕を指差す。全力で聞き流そう。そうしなければ、お腹が捻じ切れるまで笑い転げてしまうに違いない。
「――【絡みつく真紅の茨】。それこそがあなたの宿命。あなたの真名ですっ」
「チェンジでお願いしますっ!」
おいぃぃぃ。なんでここでゲイ霊の名が出てくるっ?
タルトとの契約が優先されるので効力は発生していないけど、確かに僕は【真紅の茨】とも契約している。まさか本当に寿限無で僕がゲイ霊と契約していることがわかったっていうのか?
真相はわからないけど、僕の宿命が【真紅の茨】だなんて考えるだけでもおぞましい。何でもいいから、とにかく別の名前に変えなくてはっ。
「他のにしてよっ。何でもいいからっ。【ニューゴブリン】でかまわないからっ」
「また、ずいぶんな嫌がりようね。いったい何が見えて?」
「あんなことや、こんなことや、あまつさえそんなことまで……」
魔性レディに尋ねられた姫ガールは顔を赤らめて僕から視線を逸らす。
なに? なにが見えたっていうの? 僕、あのゲイ霊に何されるの?
「やだよっ。【真紅の茨】だけは絶対にやだよっ。舌噛んで死ぬよっ」
「むぅ。姫がせっかく考えたのに気に入らないと言うですか?」
考えたのかよっ!
魔性レディと姫ガールはああでもないこうでもないと僕の真名を話し合い始めた。話を聞いていると、どうやらモロリーヌの着ている服が真紅だったから【真紅の茨】と思いついたらしい。最終的に僕は【神判を告げる紅金の御子】と名付けられた。
結局なんでも良かったんじゃないか。驚かせやがって……
「では、その片腕手袋と眼帯に隠された秘密を語ってもらいましょうか」
魔性レディがさあ話せと迫ってくるので、とっても気が進まないけど右腕には【赫き闇より産まれし堕ちた獣】が封じられているのだと答える。
「ぺっ。姫のパクリとは独創性の欠片もないです」
せっかく考えたソウルネームを拒絶されて姫ガールはご機嫌斜めのようだ。たまたまカブッてしまっただけなのに、自分のパクリであると一方的に僕を非難する。
その左腕の包帯だって、どっかで聞きかじったネタをパクッただけだろうに……
「左目に宿った【終焉を映す滅びの魔眼】のせいで組織に追われているの。だから、わたしの近くにいるとお姉さんたちまで危険に……」
自分と一緒だと組織に狙われると警告して、それとなく距離を取ることにした。彼女たちの仲間にされてしまったら、いつどこで笑い殺されるか知れたものじゃない。
「奇遇ね……我もこの身に流れる闇の血を求める機関に追われているのよ」
「じっ、実は姫も真言の秘密を独占しようとする結社から身を隠しているです」
……パクりやがった。さっきまで僕をパクリだと非難していたその口で盛大にパクりやがった。
正体不明の謎の組織に追われているという、ベッタベタにベタな設定が彼女たちの琴線に触れてしまったようだ。闇の一族の血を引いているとか、真言を受け継ぐ最後の生き残りであるとか、最初に自己紹介したときには口にしなかった設定がガンガン盛られていく。
やってもうた……
彼女たちから距離を置くための警告が完全に裏目に出てしまった。追われている3人がこの街で出遭ったことは、ひとりでは飲み込まれてしまう宿命の波に抗うための必然だと魔性レディが語り、姫ガールも本来は重ならないはずの宿命が交差するこの時に、すべての過去と未来が収束されていると謎理論を展開する。
これはダメだ……余計なことを口にすれば深みにはまるだけだ。
逃げるのは諦めて、このふたりには盾になってもらうことにしよう。アーレイ家の依頼人と会った時のメンバーに成人はひとりもいなかったから、僕を探すとすれば子供だけの集団に目を付けるはずだ。
成人女性ふたりと少女ひとりの3人組は隠れ蓑にちょうどいい。組織《アーレイ領軍》に狙われてるってちゃんと警告はしたんだから、後から文句を言われる筋合いもない……と思う。
「姫たちは追われる身です。御子も周りに気を配るですよ」
機関だの結社だのといった設定を追加したふたりは、あからさまに周囲を警戒するような素振りを始めた。もう何者かに追われてますって全身でアピールしまくっている。本物の逃亡者ならそんな素振り見せるわけないだろうに……
頭が痛いよ……わき腹も……
看護士講座の初日を終え何事もなく宿に帰ったその日の晩、僕の腹筋は崩壊していた。
「思い出し笑いでこれ程だなんて……もう呪いと言ってもいいわね……」
「下僕はどうしてしまったのですか?」
床に崩れ落ちてヒューヒューと息も絶え絶えになっている僕を、次席とタルトが呆れたように見降ろしている。笑い過ぎてお腹が苦しいのだけど、泡を吹きそうなほど一心不乱に寿限無を唱える姫ガールの顔が頭に浮かんできて止められないのだ。
「もうダメ……助けて……お願いだから……僕の記憶を消して……」
「いったい何を見たというのですか。少し下僕の記憶を覗かせるのです」
僕とタルトが交わしたペット用の契約には、意識を共有して従僕が目にしたものを知る権限が主に与えられている。それで僕の記憶を覗くつもりみたいだ。
いいだろう。せいぜい後悔させてやろうじゃないか……
「タルちゃんっ!」
しばらく何も言わず目をつぶっていたタルトが突然その場にパタリと倒れ、クセーラさんが悲鳴を上げながら慌てて駆け寄る。
そして――もがき苦しむように手足をバタバタとさせながら、叫ぶように意味不明な声を上げて爆笑を始めた。床をバンバンと打ち鳴らし、家具にぶつかるのもお構いなしにゴロゴロと転げまわる。
引っかかったな。バカめ……
「伯爵っ。タルちゃんがおかしくなっちゃったよっ。笑っている場合じゃないよっ」
残念ながら僕には笑うことしかできない。タルトの爆笑につられてしまって、僕もまた思い出し笑いを止めることができないからだ。
「このわたくしを引っかけるとは……下僕はなかなかやるのです……刃も毒も効かないわたくしに……このような攻撃を仕掛けてきたのは……下僕が初めてなのですよ」
笑いを堪えられない3歳児が、涙を流しながらよくもやってくれたなと背中をバシバシ叩いてくる。隕石みたいに落っこちても、ドラゴンに丸呑みされても平気だと言うタルトだけど、どうやら精神攻撃には無防備だったようだ。
ゲラゲラ笑いながら意地悪な下僕にはお仕置きだと圧し掛かってきた。
「他人の記憶を覗こうなんてするからだよ……僕の苦しみを味わうといいよ……」
「下僕の記憶を覗くなど……二度と御免なのです……」
タルトに一発かましてやれたのはいいのだけど、状況はより一層悪化している。ひとりならともかく、ふたりというのがヤバい。片方が笑い始めた途端、もう片方もつられて思い出してしまうので、いつまでたっても収拾がつかないのだ。
「手の施しようがないわ……放っておいて……お風呂に行きましょう……」
互いに思い出し笑いを誘発し合う僕とタルトを置き去りにして、カリューア姉妹と発芽の精霊はお風呂に行った。呆れられてしまったのかシルヒメさんまで一緒だ。
半刻ほどしてようやく笑いが収まってきたので僕とタルトもお風呂に向かう。タルトが僕と一緒に男湯に来たけど、まあ3歳児だから問題はないだろう。
「なんだいそれは?」
シャンプーハットを被せてタルトの髪を洗っているところにヘビマスターがやってきた。シャンプーハットが珍しいようだ。
「忌々しい泡が垂れてくるのを防ぐ、素敵な髪洗い帽子なのです」
「頭を洗うのを嫌がる子供に被せる帽子か……需要は限られてそうだし、高値も付けられないな……」
商人だけあって商品化できるか考えたようだ。まあ、無理だろう。必需品ではないからお金に余裕のない人は買ってくれないし、購買層が小さな子供のいる裕福な家庭だけでは市場が小さすぎる。
商売のタネになりそうな定番の現代知識チートはほとんどやり尽くされてしまっているのだ。この世界で再現可能だけど普及していないものは、イコール儲からないものと考えた方がいい。
「そうそう商売のタネなんて転がっちゃいませんよ」
「君は幼いのにずいぶんと大人びているなぁ。娘に見習わせたいもんだよ……」
おっといけない。7歳にしか見えない子供が口にする台詞じゃなかった……
ヘビマスターはロゥリング族のことを知らないらしく、僕のことも人族の子供だと思っている。ロゥリング族との交易には取引枠があって、もちろんそれは貴族たちに独占されているから、普通の商人は存在すら知らないのも当然なのだ。
わざわざ説明してロゥリング族がいるとふれ回られても困るので、知り合いの口癖だと適当に誤魔化しておいた。
部屋に戻っておやすみの時間。今日、主人用の寝室で寝るのは僕とタルトとゴレームたんだけである。
僕たちふたりが突如として笑い始めるせいだ。一方が噴き出すともう片方も笑いだすので、落ち着いて寝ていられないと他の人たちは使用人の寝室に避難して行った。
「下僕がおかしな記憶を拾ってきたせいで、とうとうシルヒメまであっちの部屋に行ってしまったではありませんか」
広いベッドの上でジタバタと笑い転げながら3歳児が僕を攻める。タルトがクセーラさんから制御を奪い取ったらしく、ゴレームたんまでお腹を震わせていた。
「もう僕たちは一蓮托生だよ。同じ思いを味わってもらうからね」
「よいのです。よいのです。そういう約束なのです。わたくしと下僕はいつだって一緒なのですよ」
タルトが僕のお腹に抱き着いてブフーブフーと噴き出している。こうなってしまったら、明日に引き摺らないためにも飽きるまでとことん笑い倒すしかない。僕たちはふたりで寿限無を唱えたり、いもしない追手を警戒する振りをしながら夜が更けるまで声を抑えることなく笑い続けた。隣の寝室からの抗議の壁ドンも完無視だ。
笑い疲れるまで笑ってようやく満足したらしく、タルトは笑った顔のまま寝息をたて始める。3歳児の幸せそうな寝顔が僕に睡魔を連れてきてくれた。




