632 それはいつものやり取りだけど……
「マンドレイクというのは……その、あのマンドレイクなのかい?」
「魔法薬の材料に使うマンドレイクで間違いありません。モロニダスさんは悲鳴を上げさせずに収穫する方法を心得ているんです。悔しいですが、予想に反して美味でした」
マンドレイクを料理に使うというのが信じられないようで、自分の知っているマンドレイクを指しているのかとルルギッタン王子がオクタヴィアさんに尋ねていた。悲鳴を上げて干からびたマンドレイクのイメージしかないのだろう。正しく収穫すればちゃんと美味しいのだとダメ巫女様が説明している間に、荷物に入っている〆マンドレイクを取ってくるようモーマンタインさんにお願いする。言葉で説明するより実物を見せた方が早い。
「これが締めたマンドレイクです。根っこに風を感じるとものすごい悲鳴を上げますけど、水が触れる分には問題ありません。なので、水中で締めてしまえばいいんですよ」
引っこ抜くと蓄えていた栄養を全部使い果たすまで仲間に警告を発し続けるけど、水に沈めた状態で締めれば瑞々しいまま収穫できる。上手に締められれば大根みたいに白くなるのだと〆マンドレイクをテーブルの上に置けば、自分が知っているマンドレイクとは全然違うとルルギッタン王子とチキンナー将軍が目を丸くしていた。
「この状態でも魔法薬の材料として使えるのかね?」
「干からびたマンドレイクよりよっぽど有用な成分が残っているそうです。ただ、これに合わせた調合方法の研究はしなければなりませんが……」
魔法薬材料としても使えるのかとチキンナー将軍から尋ねられたので、悲鳴を上げさせたマンドレイクよりよっぽど優れている。すでにアーカン王国では干しマンドレイクから〆マンドレイクへの切り替えが始まっており、遠からず東方諸国へ広まることは確実だと告げたところ、オクタヴィアさんとルルギッタン王子から射抜くような魔力がぶっすりと突き刺さってきた。無視できない話だったらしい。
「東方諸国は我々の想像を超えて発展しているようだね」
「技術交流の計画を急ぎませんと……」
大陸東方の玄関口となるエウフォリア教国が敵対勢力の側についているのでは技術交流なんて望むべくもない。さっさと戦争を終わらせなければと話し合うふたり。このまま東方諸国と差が開く一方になったら、西方諸国は辺境にある遅れた国家群になってしまうと危機感を募らせている。
「んもぉぉぉう。早く作りましょうよぅ」
「私も興味がある。店主に交渉してみよう」
一方、モーマンタインさんは将来の心配より目先のご馳走だと僕の肩をつかんでユサユサ揺すぶってきた。どうやらショバ通のようで、チキンナー将軍が交渉を引き受けてくれる。店主でショバ打ち職人のショバンニさんは、香りがよい代わりにボソッとして歯ごたえがないことを本人も気にしていたらしい。工程を説明してくれることと、試食させることを条件に厨房の使用を許してくれた。
「マンドレイクはまず首を落とし、四肢を切断してから皮をむきます」
「ンモーッ、その説明はありませんよっ」
厨房に移動して、まずはマンドレイクの下処理からだ。包丁で花と大きな塊から出っ張っている部分を切り落とし、皮が残らないよう丁寧にむいてみせたところ、食事が美味しくなくなるような解説はやめろとモーマンタインさんからツッコまれた。他になんと表現すればよいのだろう。言葉で伝えるには限界があるってことを理解していただきたい。
ショバンニのおっさんから自分にもやらせてくれと頼まれたので、マンドレイクの皮むきをお願いする。出来上がりを確認したところ、薄くむくことを優先したのか微妙に固い部分が残っていた。すり潰しても残って口当たりを台無しにするから、ちょっとでも固くなっているところは確実に削ぎ落としておくようリテイクを言い渡す。
「モロニダスさん、偉そうです」
「きちんと説明してくれるのはありがたいよ。私は亡くなった父からショバ打ちを教えられたけど、何が問題なのか伝えられないことの方が多かったもんだ」
プロの職人さんに失礼だぞとモーマンタインさんが唇を尖らせたものの、このまま作業を続けたらどこで失敗するのか示してくれる先生は貴重なのだとショバンニさんは笑っていた。先代は説明が下手くそでダメダメ言ってばかりだったから、どこをどう改善すべきなのかさっぱりだったそうな。
皮をむき終えたマンドレイクはみじん切りにし、すり鉢とすりこぎを使ってすり潰す。ショバ粉を練るときに水分調整がしやすいよう、ここで加える水はちょっぴりにしておいたものの、ネバネバがしぶとくてロゥリング族の筋力ではつらくなってきた。パワー溢れるウシ獣人にバトンタッチすれば、鼻歌交じりにゴリゴリすり潰していきやがる。理不尽なまでに不公平な種族格差に憤りを禁じ得ない。
「このネバり具合なら3割もいらないでしょう。その半分で打ってください」
モーマンタインさんは小麦粉のつなぎ3割でショバを打っていたという話だったけど、マンドレイクのネバネバはもち米レベルだ。試しにつなぎ1割5分で打たせてみたところ、なんかうどんみたいにモチモチしてツヤのある生地ができあがった。弾力があって復元性が高く、力自慢のウシ獣人が伸ばすのに四苦八苦している。
「んもぉぉぉう。伸ばしても伸ばしても縮んできまぁす……」
「半分でも多かったかな?」
「私に打たせてもらえないだろうか。つなぎは5分でいい」
しつこく元に戻ろうとして素直に伸びていかないとモーマンタインさんが泣き言を口にする。1割5分でも多すぎたようだ。表面から薄く削っていけば茹でられる形状になるかなと思案していたところ、ショバンニさんが自分にやらせてくれと言い出した。つなぎのマンとろは5分にしてみようという。プロのショバ打ち職人さんが手を貸してくれるのは正直ありがたい。もっけの幸いとお願いしてみたら、なかなか良い具合の生地が仕上がった。
「伸ばすのにも支障はないし、途中で千切れたりもしない。後は味だな……」
ショバンニのおっさんが職人らしい手際の良さで生地を伸ばしていく。ショバ粉と水だけで打った生地よりも粘り気があって扱いやすいと上機嫌だ。問題は味というか風味で、ここの常連客はつなぎを使ったショバにはない豊かな香りを楽しみにしているショバ通ばかり。香りが薄くなってしまうようではお客さんをガッカリさせてしまう。さっそく試食してみようという話になり、細長いショバに切り分け茹でてみる。
「んもぉぉぉ――――う。香りも歯ごたえもバッチリですよっ」
「これは……まさか、こんなつなぎがあったなんて……」
茹であがったショバを冷水で締めて食してみれば、これは抜群に食べてる感があるとモーマンタインさんは大喜びだ。香りが失われないままショバにコシが出たうえ、喉越しも滑らかになるなんて信じられないとショバンニさんは目をまん丸にしている。魔法薬の材料には明るくないようで、このマンドレイクはどこで栽培されているのかと尋ねられた。
「マンドレイクは魔物の領域に自生している魔法薬の材料なのですが、畑での栽培に成功したという話は聞いたことがありません。多分、逃げてしまうからでしょう」
「逃げる? 植物ではないのか?」
マンドレイクは薬学における通称名で、草本としての正式名称は擬人花。普段は2メートルくらいの地中に潜っていて、モグラほど活発ではないものの移動をする。夏が近くなると地表付近まで上がってきて陽当たりの好い場所に花を咲かせるので、そのタイミングで見つけて収穫するしかない。美味しいのは正しいやり方で締めたマンドレイクだけなので、魔法薬材料として流通しているものには手を出さないよう告げたところ、なんてこったいとショバンニさんは頭を抱えてしまった。古い参道から200メートルほど外れた地点で見つけたから、この辺りには自生しているのではないかと伝えておく。
「その正しい締め方を巫女殿はご存じではありませんか?」
「それは、実際に見せていただきましたから……」
「よもや、帝国に独占させるおつもりではありますまいな?」
僕たちがたまたま見つけたのを収穫してきたと耳にして、肝心なマンドレイクの締め方を秘匿しているのではないかとルルギッタン王子がオクタヴィアさんに疑いの視線を向ける。目の前でやってもらったから把握していると答えたダメ巫女様を、ひとり占めはさせぬと今度はチキンナー将軍が問い質す。
「神殿に戻ったら技術資料として公開するつもりです」
「それはよいことを聞きました。オクタヴィアさんが一刻も早く神殿に戻れるよう、おふたりは僕に協力する理由ができましたね」
神殿には学府が併設されているのだけど、そこで発表された研究資料は原則として公開されるそうだ。イケナイ薬の精製法など一部の例外を除き、料金さえ払えば誰でも閲覧できるという。そいつは実に好都合だ。僕が【暁の女神】様の勢力圏に侵入したらオクタヴィアさんの仕事は終わりなので、知りたければ忍び込み易くなるよう敵軍を引きつけろと部隊を指揮するふたりへ告げる。ま~た権力者を誑かしてやがるとモーマンタインさんがジト目になっていたけど、酷い誤解だ。彼らは自身のためにできることをやってくれればそれで充分。騙して利用しようなどというつもりは毛頭ない。
ぐぬぬぬ……と王子様と将軍が揃って歯噛みしているけれど、僕の提案はみんなが幸せになれるイカしたやり方。受け入れなければ自国が不利益を被るだけだと告げて、ご馳走の準備に取りかかる。ショバはショバンニさんに任せ、僕はつけ合わせだ。お蕎麦のご馳走といったら、やっぱり天ざるだろう。魚介類がないのは残念だけど、夏野菜のオムツ揚げを添えることにした。ナス、ししとう、トウモロコシに鶏肉があったのでとり天もいけそうだ。後はここへ短冊切りにしたマンドレイクを加える。田西宿実の世界に山芋をすり潰さずに揚げるというレシピがあったような気がするので試してみようと思う。
「ンモーッ、見ているだけで涎が垂れてしまいそうですねぇ」
調理に関してはまったく役に立ちそうにないルルギッタン王子とチキンナー将軍にオクタヴィアさんをお茶でもしばいていろと厨房から追い出して料理に取りかかる。茹であがった打ちたてショバと揚がったオムツ揚げを見て、もう辛抱堪らんとモーマンタインさんが表情を緩ませていた。そろそろ限界と判断し、先に食べていなさいと天ざるショバを役に立たない3名のもとへ運んでもらう。ウシ獣人とショバンニさんが食事を乗せたお盆を持って厨房から出ていき、残りのマンドレイクをジュワジュワ揚げている最中、誰もいないはずの背後からコトリと何かを動かしたような音がした。
――あそこにあった椅子は邪魔だからどかしておいたはず……
振り向いて確認したものの、やっぱり誰もいないし近くに他人の魔力は感じない。だけど、僕は目に飛び込んできた光景に違和感を覚えた。できあがったショバやオムツ揚げを置いてあるテーブルのすぐそばに椅子が置かれているけど、食べ物を運んでいる時にぶつかると危険だから隅っこに片付けておいたはずなのだ。あんな、いかにも踏み台にちょうどよさそうな位置に置いてあるなんてあり得ない。
「出ておじゃれ。隠れていても、オムツは臭いでわかりまするぞ」
「……まさか、オムツを嗅ぎつけられるとは思わなかったのです」
田西宿実の記憶に残っていた時代劇の台詞を口にすれば、テーブルの下から光の粒子が湧き上がって薄いヴェールを身体に巻きつけただけの女の子を頭に乗っけたタルトが姿を現した。覆い隠す精霊の能力で姿と魔力を隠してもらい、こっそりつまみ食いをしようと企んでいたようだ。そんなにオムツが臭うのかとしきりにお尻を気にしている。
「げぼぐっ。わたくしは今すぐこのご馳走が食べたいのですっ」
「今、食べさせてあげるからおとなしくしなさい」
どうやら、マンとろつなぎショバに我慢できなくなって【暁の女神】様の神殿を抜け出してきたらしい。僕の腰にしがみついて、今すぐ食べさせろと全力で揺すぶってくる。まったく仕方のない食いしん坊だ。ショバとオムツ揚げにすりおろしたマンドレイクを一人前ずつテーブルの上に用意し、椅子に腰かけてタルトを膝の上に抱きかかえてやれば、久しぶりに感じる3歳児の体重と温もりにほっとするような感覚を覚えた。知らず知らずの間に、こいつがいることを当たり前と考えるようになっていたのだろう。
「下僕、どうしてわたくしが先ではないのですかっ」
まずは箸でショバを一本取ってつけ汁につけ、テーブルの上で期待に瞳を輝かせているヴェールに食べさせてあげたところ、ご主人様を優先しろとタルトが不満を爆発させた。僕の太ももにドッシン、ドッシンお尻を叩きつけてくる。なんだかとっても懐かしい。続いて3歳児に食べさせれば、こんなショバは初めてだと脚をバタバタ暴れさせた。魔導院では毎日のようにくり返されていたやり取りが、今はかけがえのないもののように感じられる。
「このオムツ揚げも素晴らしいのです。つゆがしみてとっても美味しいのです」
マンドレイクのオムツ揚げをつけ汁にちょっと浸して食べさせてやれば、美味しい、美味しいと食いしん坊は次々に呑み込んでいく。エセグルメ3歳児のレビューによれば、シャリッとしている中にわずかなネバネバが感じられて最高だそうな。
「下僕、すり潰したマンドレイクが余っているのですよ」
モグモグしているうちに、タルトの奴はまだ口にしていない品があることに気がついたようだ。あれはどうするのだと、マンドレイクのとろろを指差し尋ねてきた。そんなもの、最初から用途は決まっている。空いている器にショバを取り分けて上からつけ汁をぶっかけ、最後にとろろをどっさり加えたら混ぜてショバに絡ませていく。
「こんにゃショバは初めてなのでしゅっ」
田西宿実の世界では定番だった冷やしとろろ蕎麦だけど、この世界には伝えられていなかったらしい。大興奮したタルトがジュルジュルと冷やしマンとろショバをすすり上げる。覆い隠す精霊も気に入ったようで、ちっちゃなお口の周りをベタベタにしながら夢中でモグモグしていた。ヌトリエッタみたいでとっても可愛らしい。
「下僕ほどデキた下僕はいないのです。一緒でないとつまんないのです」
ご馳走をきれいに平らげた口元を拭ってやれば、ちゃんと抱っこしろと伝えたいのか3歳児はギュウギュウ背中を押し付けてきた。神殿にいるお世話係は何不自由ないよう取り計らってくれるけれど、それはすべて要求すればの話だそうな。
「わたくしをビックリさせようとはしない退屈な連中なのです。下僕と違って楽しくないのです」
要求すれば、要求したとおりにしてくれる。だけど、求めた以上のことはしてくれない。マンとろご飯とオムツ揚げをリクエストしておいたら、まだ食べたことのないマンとろショバを出してくる僕の代わりには到底なり得ないと、膝の上で身体の向きを変えたタルトがガッチリしがみついてきた。3歳児なりに僕と離れていることを寂しがってくれているようだ。ヨシヨシと頭を撫でて慰めてやる。
しばらく甘えん坊をあやしていたものの、ルルギッタン王子たちが集まっているところから離れてこっちへ向かってくる魔力を感知した。おそらく、ウシ獣人がおかわりを取りに戻ってくるのだろう。もちろんタルトも感じ取ったようで、身体を緊張させたことが抱っこしていた腕を通じて伝わってくる。見つからないうちに【暁の女神】様の神殿へ帰るつもりなのか、僕の膝からすべり降りると頭に覆い隠す精霊を乗っけた。
「もうすぐ迎えに行くからね。それまでの辛抱だよ」
「下僕のことを疑ったりはしませんが、急ぎ過ぎてしくじるのではないのですよ」
ほっぺをナデナデしながらあんまり待たせるつもりはないと伝えれば、しくじるんじゃないぞとのひと言を残してタルトの姿が見えなくなった。覆い隠す精霊の能力で覆われたのだろう。ロゥリングアクティブサーチを使えば魔力が押し戻される感覚が返ってきたものの、唐突にスッと手ごたえが消失する。【明日へと続く道】で神殿へ帰ったようだ。入れ替わりにモーマンタインさんが厨房へ顔を出す。
「ショバが足りません。おかわりを……なんですかこれ? ひとりだけ違うものを食べていませんでしたか?」
テーブルに残されている空になった器の様子が自分たちのものと違うことに気がついたのだろう。おかわりを求めてきたウシ獣人の目が真犯人を探し出そうとするオムツ探偵のように細められた。食べることに関しては、まったく勘の鋭い食いしん坊だ。
「おかわりは冷やしマンとろショバです」
「うもぉぉぉ――――うっ。さっすがモロニダスさん。そつがないですねぇ」
ちゃんと全員に行き渡るだけの量を計算してあるからと説明すれば、それでこそご馳走の伝道師だとモーマンタインさんはおっぱいをプルプル震わせる。おかわりの冷やしマンとろショバを用意しながら、僕はタルトが残した言葉に引っかかるものを感じていた。
――急ぎ過ぎてしくじるな……か。もしや、それを伝えに来たのか……