630 託されたもの
「んもぉぉぉ――――うっ。私のご馳走を横取りする輩は許しませんよっ」
たかりに参ったと悪びれもせず口にするおっさんに向かって、ご馳走は誰にも渡さんとモーマンタインさんが怒りの咆哮を上げる。当然の反応ではあるものの、ちょっと冷静になっていただきたい。すり鉢とすりこぎがあれば〆マンドレイクをとろろにできるのだ。条件次第ではお裾分けしてもよろしいのではなかろうか。
「他人からご馳走を奪わんとする不届き者っ。痛い目に遭いたくなかったら、おとなしくすり鉢とすりこぎを置いて立ち去りなさいっ」
ここは交渉でとパンツを引っ張って制止しようとしたものの、指をひっかける前に激怒したウシ獣人がおっさんに喧嘩を売ってしまった。すり鉢とすりこぎは置いていけと要求しているあたり、マンドレイクのことは頭にあるようだ。もう、どっちが強盗なんだかわからない。
「ふはははっ。武の心得ある者ならば、某が腕前のほどを確かめて進ぜようっ」
流離いの武芸者を名乗るおっさんがおとなしく引き下がるはずもなく、すり鉢とすりこぎを近くにあった岩の上に置くと、欲しければ奪ってみせよと槍を構える。命の取り合いまでするつもりはないようで、穂先には革のカバーが被せられたままだ。一方、魔導甲冑の肩アーマーを盾代わりに構えたモーマンタインさんは覚悟いたせと殺る気マックスで剣を引き抜いた。こうなっては致し方なし。いざという時に待ったをかけられるよう、腰袋の中にあるヴィヴィアナロックの魔導器へそっと手を伸ばす。だけど、その瞬間になって初めておっさんから貫くような魔力が突き刺さってきた。
――僕の動きを警戒している?
視線を睨み合うふたりへと戻せば、モーマンタインさんの肩越しにおっさんと目が合った。殺気立ったウシ剣聖様と相対しながら横槍を警戒することも忘れないなんて、こいつはただの脳筋武芸者ではない。1対多数であったり、敵味方入り乱れての乱戦に慣れているようだ。まるで、地獄のような戦場を渡り歩いてきた歴戦の兵である。
「余計な手出しは無用っ。いざ、参られぇぇぇいっ!」
「うもぉぉぉ――――うっ。またですかっ」
専守防衛を口にしながら先制攻撃を仕掛けるのが槍使いのお約束なのか、ツイチャルモン総司令と同じく参られよと叫びながら槍を突き出すおっさん。この卑怯者めとモーマンタインさんが怒りの雄叫びを上げる。だけど、【槍手】のツイチャルモンと違って一筋縄ではいかない相手な模様。おっさんは穂先で突くだけでなく、石突で打ちかかってもくるうえ、棒術のように振り回したと思ったら構えの左右を入れ替えていたりと動きを読ませない。モーマンタインさんはこれまでどおり堅く守っているものの、カウンターを入れるタイミングを測りかねているようだ。
―――なんか、よく似てるな……
多彩な技を披露するおっさんに対してモーマンタインさんは防戦一方だけど、派手な槍の動きを別にすればふたりの足運びは同門であるかのようにそっくりだ。河原には踏んづけたらズリッといきそうな小石がゴロゴロ転がっているのに、両者ともに足を滑らせるような素振りはまったく見せない。
「なかなかやるではないか。だが、これはどうかなっ」
「んももっ?」
これでどうだとおっさんが足元の小石をつま先で弾き飛ばせば、この試合が始まってから……というより、僕の知る限り初めてモーマンタインさんがたたらを踏むような動きをみせた。
――あれ、タルトがムジヒダネさんを相手に使っていた手口じゃないか……
かつて、【ヴァイオレンス公爵】にイボ汁玉を踏み潰させた技をおっさんが使ったのだ。足を踏み出そうとしたその場所にジャストタイミングで小石を蹴り転がされ、とっさに踏みとどまって足を引くモーマンタインさん。それでもバランスを崩すことがないのはさすが剣聖様だけど、おっさんは相手が踏み込もうとするポイントを予測して石を蹴り込んだり石突で払ったりする攻撃を組み込んできた。田西宿実の世界にあった対戦格闘ゲームで同じことをすれば、きっと置き○○って呼ばれると思う。
「んもぉぉぉう。やりにくいですねっ」
どうにか穂先をかいくぐって懐に入り込もうとするものの、その度に踏み込みを潰されてモーマンタインさんは焦れてきたようだ。ンモー、ンモーと唸り声を上げている。一方、おっさんの方はつま先や石突を使って小石を跳ね上げ始めた。視界をよぎっていく障害物が鬱陶しいのだろう。剣聖様はめっちゃ戦いづらそうにしているけど、相手に実力を発揮させず勝利するのは戦いの基本。そのための手段を戦術と呼ぶのだ。汚いとか卑怯なんて負け犬の遠吠えでしかない。
「ただの目くらましではないぞっ」
「んもっ?」
飛んでくる石ころを無視することにモーマンタインさんが慣れてきたころ、顔の高さに跳ね上げられた小石をおっさんが槍の石突で勢いよく弾き飛ばした。とっさに顔を背けて飛んできた礫をウシ剣聖様が角で防ぐ。だけど、その一瞬の隙をついておっさんが革カバーを被せたままの穂先を相手の鳩尾めがけて突き出した。お腹に触れるギリギリのところで寸止めにされた穂先を見て、敗北を覚った剣聖様がその場にペタリと尻もちをつく。
「某に搦め手まで使わせるとは、なかなかに天晴な腕前。恥じることはないぞ」
「ん゛もぉぉぉう゛。私のごぢぞうがぁぁぁ……」
打ち合うだけでは防御を崩せそうになかったので小細工を使わせてもらった。自分にここまでさせる相手はそうそういないから自慢してよいぞと満足げに語るおっさん。せっかくのご馳走が横取りされてしまうとモーマンタインさんはモーモー嘆いている。マンドレイクもお肉もたっぷりあるのに、ちょっとでも自分の分が減ってしまうのは不満なようだ。
「すり鉢とすりこぎを貸していただけるなら食事を提供しましょう」
「うむ、期待しておるぞ」
おっさんからすり鉢とすりこぎを借り受ける。マンドレイクをとろろにするから手伝うようパンツを引っ張れば、オゥオゥ嘆き続けていた負け牛は早く作ってくれと顔を上げた。結局、美味しいものが食べられるなら勝敗はどうでもよいらしい。
締めたマンドレイクからふたつを選んで頭のように見える地上部分を落とし、根っこも五体をバラバラにして皮をむく。包丁でザクザクと細かく刻んだらすり鉢に入れ、すりこぎでゴリゴリすり潰す。かなりネバってくるので水と調味料を少量ずつ加えながら粘り気を調整していたところ、このすり鉢とすりこぎは魔導器なのだとおっさんが教えてくれた。刻まれている魔法陣を発動させると、どんなにベタベタしたものもくっつかなくなるという。
――なんで、そんな魔導器を流離いの武芸者が持ち歩いているんだ?
試しに発動させてみたところ、すりこぎの先端にへばりついていたとろろがペロリと剥がれ落ちた。これはタルトがスイーツ伯母さんに渡した魔導竹べらと同じ術式だろうか。めっちゃ便利だけど、とっても怪しい。マンドレイクが手に入った途端、示し合わせたように魔導すりこぎを持った武芸者が現れるなんて出来過ぎもよいところだ。宿命の……いや、早くマンとろご飯を食べたくて仕方がない食いしん坊の作為を感じる。
「こんなもの、どこで手に入れたんです?」
「知り合いから頂戴した品でな……」
おっさんによれば知人から譲り受けた品だそうな。ウシ剣聖様をひと捻りできるタルトの知り合い。心当たりはあるものの、モーマンタインさんやオクタヴィアさんの前で下手に追求するのはやめておこう。一心不乱にマンドレイクをとろろにしながらシカ肩肉のローストが焼き上がるのを待つ。ほどよく焼き上がったシカ肩肉は浅い普通のフライパンに移し、お米を焚いている間に隣のかまどでジュウジュウ焼いて表面に焼き色を付ける。ご飯が炊きあがったらしばらく蒸らした後にお皿へ盛り、マンドレイクとろろをかけた上にスライスしたシカローストを並べればマンとろシカ肉プレートの完成だ。
「んもぉぉぉ――――う、手が止まりませんねっ」
「マンドレイクがこんなに美味しかったなんて信じられません……」
「実に天晴。推参仕った甲斐があったというものよ」
召し上がれと差し出せば、モーマンタインさんたちは待ってましたと食べ始めた。反応は上々だ。僕は食いしん坊3歳児の分を器に盛って、木立の中に設置した簡易獣舎へ向かう。今はバナナンテもエリザベスも外で遊んでいるから、置いておけばすぐに回収していくだろう。わざわざ魔導すりこぎを持たせたうえでおっさんを遣わしたタルトだ。こっそりチャンスをうかがっているに決まっている。簡易獣舎へ到着すれば、いつの間にか見覚えのないお盆があった。ここに乗っけておけということらしい。
「完敗でした。【剣聖】の称号はあなたに譲ります」
「某はもう身に余る二つ名を頂戴しておる。【剣聖】はそなたが名乗ればよかろう」
タルトの分をお盆の上に置いて河原へと戻る。ウシ剣聖様がちゃっかり恥ずかしい称号をおっさんに押し付けようとしたものの、二つ名ならすでにあると断られていた。称号でなく二つ名であるあたり、僕が予想したとおり天上にいらっしゃる神様なのだろう。本体を地上世界へ送り込んだら【暁の女神】様の戦略が台無しになってしまうから、依代に宿った分体のはず。シャルロッテみたいにタルトの奴が隠し持っていたのだろうか。
どうやって確かめようかと思案していたら、思いがけなくも聞き出す機会が巡ってきた。女性陣が昨日に続いて水浴びしたいと言い出したのである。ここから動くことまかりならぬと簡易獣舎に閉じ込められる僕とおっさん。バナナンテとエリザベスに見張られているから抜け出すわけにはいかないけど、秘密の話し合いをするのにちょうどよい機会が得られた。
「神様がどうしてすり鉢の運び屋なんてしてるんです?」
「もちろん、【忍び寄るいたずら】様から選択を委ねられた者に興味があったからだ」
このおっさん、【竜殺し】ポルデリオンがすり鉢とすりこぎを持って現れたのが偶然であるはずないのだ。僕に渡してくるようタルトの奴が裏で手を回したに決まっている。神様がパシリなんて誇りはどこへ行ったと問い質したところ、僕に興味があったので都合がよかったという答えが返ってきた。こいつも邪教徒だろうか。
「神様のくせして邪教に染まってるんですか?」
「おぬし、【真紅の茨】や【湖の貴腐人】に感化され過ぎておらぬか?」
隠れ邪教徒が近寄んなと睨みつけてやったところ、逆に僕の方が邪教の影響を受けているとツッコまれてしまった。僕は敬虔なおっぱい教徒だとはっきり告げておく。証拠として微美穴先生作品を踏んづけたって構わない。
「【忍び寄るいたずら】様と【暁の女神】様は、はるか昔より機をうかがっていたように思えるのだ。おふた方に心を決めさせたのがそなたであることに疑いの余地はない。もし、某も候補のひとりであったのなら、何が足らなかったのか気にならぬはずないであろう」
今回の一件で感じたのは、何千年もの昔からタルトは選択を委ねてもよいと思える相手を探していたのではないかという疑問だという。まだ生きていたころからタルトと関係の深かった神々はもちろん、イグドラシルへ還ってしまった大勢の生き物たちも、ひとりひとり慎重に見極められてきた。ようやく現れた待ち望んでいた相手。それが僕だとポルデリオンのおっさんは考えているそうだ。
「候補ですか?」
「うむ、某だけではなく【大賢人】に【安らかなる終焉】、もしかしたら【光棒の舞手】だって、選択を委ねるには値せぬと判断されたのかもしれん」
自分が不合格にされた試験を突破する奴が現れた。いったい何が違ったのか、知りたくなるのは当然ではないかと【竜殺し】が語る。その気持ちは理解できなくもない。ロゥツルペターンで行われたオーディションでオムツレディーが選ばれた時、納得のいく説明を求めるとエラソーさんは椅子を蹴り倒していた。誰だって同じ反応をすると思う。
「それで、答えは得られました?」
「無論まだだが、そなたを知ることはできた。答えは天上で考えればよい」
結局のところ、単純に会ってみたかったというのが本音なのだと笑うポルデリオン。僕だけでなく、己の技を受け継いでいる相手と手合わせすることもできたと満足そうだ。言いつけられたとおりにしておけば好いことがあり、下手に断れば逃した魚は大きかったのだと後になって思い知らされる。数千年の昔から【忍び寄るいたずら】様のやり方は変わらないから、何かをお願いされるのはむしろチャンスであるらしい。
「では、某は失礼仕るとしよう。礼拝殿にこの槍を戻しておかねばならぬのでな」
用件は済んだとポルデリオンのおっさんが別れを告げる。手にしている槍が【竜殺し】の依代で、礼拝殿に保管されている遺品のひとつだそうな。勝手に持ち出して……というか、出歩いてしまったから、戻すために忍び込まなきゃならないという。
「依代であることは明かさないんですか?」
「うむ。必要であったから祀られて神となったが、人々の前に姿を現すのは心苦しいものがある」
神様の依代があるなら、そこは礼拝殿でなく神殿になるのだけれど、あえて礼拝殿のままにしているらしい。人族を苦しめていたハフニールが討伐されたからといって、翌日から世界が平和になり人々も豊かになるなんてことがあるはずもなく、実際には残っている魔物たちを駆逐して、荒れ果てた田畑を整備し直さなければならなかった。強大な外敵がいなくなってからは人族同士のいがみ合いも増え、当時の人々は心の支えとなる存在を求めていたそうだ。仕方なく神様になることを引き受けたものの、勇敢だった騎士たちの手柄を横取りしたようで心苦しいのだとでっち上げられた英雄がため息を吐く。
「命を放り出して人族の未来を勝ち取った方々です。手柄を横取りされたではなく、自分にできなかった役目をあなたに託した。そう考えると思いますよ」
玉砕覚悟で魔竜を討ち果たした騎士たちが、手柄なんてつまらないことを気にかけるような俗物であったはずがない。謙虚なのは結構だけど、度が過ぎれば大切な仲間を貶めることになると告げる。自らが報われることなど望まなかった勇士たち。残された者にできるのは、彼らの高潔な人柄を信じることだけだ。
「…………そうか……これは彼らから託された責務であったか。重いな……」
ポルデリオンのおっさんは納得できたようだ。責任重大だけど、仲間から託されたとあっては放り出すわけにはいかないと遠い空を見上げる。遠い昔に亡くなった仲間たちの姿を思い出そうとしているのだろう。
「だが、【忍び寄るいたずら】様がそなたに託した選択は……」
「重いですね。どうして僕が……と、つい愚痴を漏らしてしまいそうです」
視線を僕に戻したおっさんが、タルトから託された選択はもっと重いものになるだろうと口にする。どちらを選ぼうとも、その瞬間に世界が滅亡するわけでも、救われるわけでもない。だけど、今いる生き物だけでなく、これから生まれてくる生き物たちもすべて僕の選んだ世界で暮らしていくことになるのだ。さすがにプレッシャーを感じはする。
「ですけど、誰かの好きにされるくらいなら自分で選びます」
「誰かに決めてもらう方が楽であろうに、損な性分をしているな」
それでも、責任が重いからと尻込みするつもりはない。自分が決めたわけじゃないという無責任な立場からブツクサ文句を垂れるのは確かに楽かもしれないけど、それはヒトに飼育されなければ生きていけないペット用ハムスターの考えだ。我ら誇り高きドブネズミは、生きるも死ぬも自分次第というドブ環境を生き抜いていかねばならない。
「しかし、だからこそ【忍び寄るいたずら】様に選ばれたか……」
ドブネズミの心意気に打たれたのか、タルトがどうして僕を選んだのかわかったような気がすると呟く【竜殺し】。便秘が解消された朝のような晴れ晴れとした表情で馳走になったと言い残し、自らの礼拝殿に忍び込むべく森の中へ姿を消した。




