625 浜辺で講釈
新たに編制された連合陸軍の部隊に同行してドラスレイ王国へ向かう……予定なのだけど、軍隊が移動するには時間がかかる。ハーダンの街にはご機嫌な砂浜があるし、急ぐことはないと本日は湖岸のビーチでゴロゴロすることにした。好きなだけ砂浴びしていいぞと手綱を解いてやれば、バナナンテとエリザベスは大喜びだ。盛大にでんぐり返ってきれいに整備されていたみんなの砂浜をゴリゴリ荒らす。
今は戦争中なのだけど、帝国が侵攻する側なせいか人々の間に緊張感はない。暑さを避けてきた人たちでビーチはいっぱいだ。イベントなんかも行われているのかステージがあったりする。そして、中には当然地元のガキんちょだって混ざっていた。騎獣が珍しいのか見慣れない生き物が砂浜をでんぐり返っているぞと興味津々に寄ってくる。
「うわっ、砂がっ」
「ぺっ、ぺっ……ぐぢのながに……」
「君たち。砂浴びに巻き込まれたら大怪我するから近づかないように……」
なんだこのでっかいニワトリはと不用意に近づいてきたガキんちょどもだけど、バナナンテが勢いよく身体をブルブル震わせた際に飛び散った砂を盛大に被ってしまう。コケトリスの体重は300キロ以上あるので、下敷きにされて地面との間でゴリゴリやられたら人族なんてひとたまりもない。無事でいられるのは物理法則を無視したような頑丈さを誇る3歳児だけだ。危ないから近寄るなと警告すれば、砂を被らされるのは勘弁だとガキんちょどもは逃げていった。
「モロニダスさん。あっちから食べ物の気配を感じますよ」
存分に砂浴びしてバナナンテとエリザベスが満足したら、モーマンタインさんやオクタヴィアさんと一緒に面白そうなものはないかとビーチを散策する。食いしん坊のウシ獣人はさっそく食べ物を売っている屋台を見つけたようだ。どれどれと向かってみれば、今が旬の焼きトウモロコシに串焼き肉といった屋台が並んでいる前でレスリング大会が催されていた。ルールはほぼ大相撲で、優勝者には30食分の屋台チケットが進呈されるらしい。いかにもいっぱい食べそうなむくつけきマッチョメンどもが集まっている。
「すまないな、嬢ちゃん。獣人の参加は受け付けてないんだ」
「ぞんな゛ぁぁぁ……」
賞品はいただきだとモーマンタインさんがエントリーしようとしたものの、種族による差が大きいため参加できるのは人族だけと断られてしまう。当然と言えば当然なのだけど、これは種族差別だと嘆くウシ獣人を見ていておかしなことに気がついた。コーンクワッツの港に上陸してからというもの、ほとんど獣人の姿を見かけていない。モーマンタインさんのように西方出身の獣人だっているのに、もしや本当に差別されているのだろうか。
「そういえば、モーマンタインさん以外の獣人ってほとんど見かけてないね」
「帝国は人族国家に囲まれてますから、神殿にお参りするためなどはっきりした目的がある獣人しか訪れないんです」
獣人には人権が認められてないため隠れて暮らしているのかと思ったら、獣人たちの領域と接していないからだとオクタヴィアさんが教えてくれた。何らかの目的をもってはるばるやって来る獣人はたまに見かけるものの、ならず者みたいな連中はこんな遠くまで足を運ばないそうだ。土地をめぐって争った歴史もないから帝国の人たちには獣人を嫌う理由がないという。
「獣人たちの領域に近い国ほど蔑視する傾向が強いと聞き及んでおります。やはり、過去にあった紛争を引きずっているのでしょう」
「あぁ、そういう理由があったんだ」
差別や蔑視は脅威と感じた相手を威嚇する本能から生じているのではないかと口にするオクタヴィアさん。周辺国家に比べると神聖マリジル帝国は獣人に寛容だそうな。目にする機会が少ないと恐れる気持ちより好奇心の方が勝るのかもしれない。人族でないというだけで参加資格がないなんて、帝国は獣人を差別しているとモーマンタインさんは頑なに言い張っていたけど、焼きトウモロコシを買ってあげたら静かになった。
ンホオッ、ヲオンッ、アッー!……などとマッチョメンどもが奇声を上げながら組んず解れつしているレスリング大会の会場を離れ、他におもしろそうな催し物はないか探す。イボンモールでオムツ探偵ショーをやっていたようなミニステージの前に人だかりができていたので近づいてみれば、湖の乙女コンテストというミスコンとのど自慢を一緒にしたようなイベントが開催されていた。ステージの上では赤い水着姿をしたどこか見覚えのある少女が夏らしい明るい歌を披露して歓声を浴びている。
「あれってルビリウスさんではありませんか?」
はて、どこかで会っていたかなと記憶をたどっていたところ、ピョコピョコ司教にくってかかっていた女生徒だとオクタヴィアさんが思い出してくれた。僕の記憶力がボケているのではなく、今日は髪の毛をツインテールにまとめてコンテストのためかメイクもバッチリ決めているのでわからなかっただけである。ロゥリング感覚にはずいぶん慣れたものの、3歳児みたいに魔力で同一人物だと見破るようなマネはさすがにできない。
「湖の乙女に選出されると屋台で使えるチケット10食分、ベストに選ばれた娘には賞金まで用意されているそうですよ。オクタヴィアさん、エントリーしてみませんか?」
「どうして、自ら参加しないで他人に勧めるのか?」
「ンモーッ。私は畑を耕す時の歌くらいしか知りませんよっ」
飛び入り歓迎と書かれている看板に目を通したモーマンタインさんが、上位入賞だけでいいからとオクタヴィアさんに参加を勧める。本人は農耕するときにみんなで歌う唄しか知らないし、ひとりで歌う曲でもないそうだ。きっと、ンモー、ンモーとかけ声なんかの入った唄なのだろう。もっとも、参加条件にアマチュア限定ってあるので資格がないとダメ巫女様に断られてしまった。
「プロの歌い手だったんですか?」
「金銭をいただいていたわけではないのですが、女神様に歌や舞を捧げるのはお勤めでしたから……」
もしや、帝国のアイドル様だったのかと尋ねてみたところ、祭祀で歌ったり舞ったりするのも巫女の仕事という答えが返ってきた。そのための訓練も受けているという話なので、さすがにアマチュアとは言い難い。諦められないなら自分でエントリーするようモーモー鳴いているウシ獣人に申し渡し、ステージから下りてきたルビリウスさんのところへ向かう。
「お嬢様、素敵でございました」
「お嬢、やったぜ。入賞間違いなしだ」
「ふっふ~ん。今日は好きなもの食べさせてあげるから期待してなさいっ」
声をかけようとしたら、なんかガキんちょ数名に囲まれ有頂天になってやがる。地元のガキ大将ってヤツだろうか。会話を聞き取った感じ、食いしん坊のウシ獣人と同じく屋台のチケットが目当てのようだ。
「お腹を空かせている子供たちを手懐けて、なにをさせるつもりですか? さては、イケナイ薬の密売人に仕立て上げるつもりですね」
「ウチで雇ってる使用人の子供たちよっ。おかしなこと言わないでちょうだいっ」
何も知らない子供に犯罪の片棒を担がせようなんて、正義が許してもオムツが許さんぞと声をかけたところ、これは実家で働いている使用人の子供たち。おかしな言いがかりをつけるなとルビリウスさんはまなじりを吊り上げた。お嬢様に失礼なことを言うなとガキんちょどもも親分を擁護する構えだ。意外と面倒見がよいようで、しっかり慕われているらしい。
「お嬢、こいつなんなの?」
「司教様のお客人よ。人族の女性は神殿からいらした方だから失礼のないようにね」
「げっ、お貴族様かっ」
9歳くらいに見える鼻たれ小僧が僕を指差して、ちっこいくせに生意気なこいつは何者だとルビリウスさんに尋ねる。神殿からやってきた司教様の客人と教えられ、ヤベェ奴に目をつけられてしまったかと鼻たれは顔色を青褪めさせた。
「僕は外国から来た苦学生で、オクタヴィアさんは女神様に仕える巫女ですが位階はありません。モーマンタインさんは見てのとおり牛ですから、お貴族様なんていませんよ」
「ンモーッ、他人を牛扱いしないでくださいっ」
自分たちはこれといった身分のないド平民だと告げたものの、どうしてかモーマンタインさんがモーモー抗議してきた。種族の判別は外見や知能でなくて胃袋で決まる。人族扱いするなら食事量をオクタヴィアさん並みにすると申し渡したところ、自分は牛でごわすとあっさり引き下がった。プライドを捨ててでも食べることを優先するようだ。
「おっきなトリしゃん~」
「今、跨らせてあげるからね」
僕たちがご機嫌を損ねたら何をされるかわからないお貴族様でないとわかって安心したのか、ガキんちょどもの緊張がほぐれた。見慣れない巨大ニワトリが気になるようで、まだ5歳になってなさそうなちっちゃい子がバナナンテに近寄ってくる。その場に座らせて背中に跨らせてあげれば、歓声を上げて白い羽毛に覆われた首にガッチリしがみついた。バナナンテはもう慣れたもので、ちっちゃい子がなにをしても驚いたりしない。ゆったりと首を揺らしてゲストを楽しませてくれる。
「お嬢、入賞が決まったぜ。残念だけど賞金は持ってかれちまったけど……」
「充分よ。あなたたち、食べたいもの選んどきなさい」
ガきんちょどもをバナナンテと遊ばせていたところ、湖の乙女コンテストの結果が発表されたようだ。鼻たれがステージ上に掲示された選考結果を指差して教えてくれる。ベストに選出されたのはおっぱいの大きい白ビキニ姿のお姉さんで、選考過程に疑いを挟む余地はない。目的は達成されたとルビリウスさんが副賞の屋台チケットを受け取りにステージへ上がっていった。
「悪いけど、あんたたちにまで振舞ってあげる余裕はないわよ」
「気にしなくていいよ。ここまでの路銀がガッツリ浮いたから懐には余裕あるんだ」
ガキんちょたちは全部で6人。食べ盛りの奴もいるから僕たちの分はないぞとルビリウスさんが束になった屋台チケットを振ってみせる。そんなものは最初からアテにしていない。帝都からここまで宿代にも食事代にも食いしん坊どもの餌代にもいっさい費用がかかっていないので、屋台飯をケチる必要なんてないのだ。みんなでいただこうと60センチを超える大きなマスの腹わたを抜いて香草を詰め、ドラム缶を横にしたようなグリルで塩焼きにした料理を一匹分丸ごと購入する。
「お前、本当にお貴族様じゃないのか?」
「違うよ。ほ~らお食べ……」
「まいう~」
本来は切り分けて提供されている魚を丸ごとだなんてお貴族様の買い方だぞと鼻たれ小僧が疑いのまなざしを向けてきたものの、相手をしている暇はない。空いていたテーブルへ移動し、柔らかくて美味しそうなところをちっちゃい子に食べさせてあげる。モシャモシャ頬張る様子に、ふとコロリーヌのことが思い出された。元気にしているだろうか。
「なんで苦学生が外国で豪遊してんのよ?」
「ちょっと迎えに行かなきゃならない奴がいてね。その途中なんだ」
手下のガキんちょどもに魚を取り分けてやりながら、苦学生のくせにバカンスかとルビリウスさんが尋ねてくる。面倒見のよい性格で、皆のお姉さんとして懐かれているようだ。目的地に向かう途中で立ち寄っただけだから、すぐにここを発つと伝えておく。
「すぐにいなくなるのに、わざわざあんなマネをしたのね?」
「研究のヒントが得られたと感謝してくれていいんだよ」
「あんなのが、なんのヒントになるって言うのよ?」
先生になるわけでもないのに、嫌がらせのために知識をひけらかしたのかとルビリウスさんがギリギリ歯を鳴らす。教鞭をとるつもりはないけどヒントは与えたぞと告げたものの、パッと見て問題文を書き換えるなんてことがどうしてできたのか。そのカラクリにまだ気づいていないようだ。
「君はいろんな魔術語に精通しているみたいだね」
「もちろんよ。魔術を研究するなら当然でしょ」
西方系の魔術語はナンチャラ派ウンタラ語と非常に細かく分類されている。ルビリウスさんはおそらく、そのすべてを網羅しようとしてるのだろう。それが、とんでもない遠回りであることを知らないまま……
「神様や精霊がいくつもの言語を使い分けているなんて不自然だと、君は疑問に感じたことはないの?」
「不自然……」
「そうだよ。そんなの面倒だし不便じゃないか」
いくつもある言語を全員が理解しているなら、いちいち相手によって使い分けることはない。そう、公用語を定めてしまえばよいのだ。どうして僕でも思いつく程度のことを神様はしてこなかったのか。それをおかしいと疑問に思ったことはないのかと問い質したところ、ルビリウスさんは眉間にしわを寄せて考え込むような表情になった。
「それは……確かに不便かもしれないけど、何かしらの理由が……」
これまで当たり前のことと考えてきた常識を疑いきれないのだろう。自分たちにはわからない事情があるのではないかとルビリウスさんが口にする。もちろん明るみに出せない事情は存在するけど、そいつは人族側の都合でしかないのだ。
「僕が研究対象にしている魔術語はひとつだと言ったら、君は信用するかな?」
「ひとつだけ? それで、あんなことが……いえ、まさか……そんな……」
異なる魔術語が混じった術式を読み解いて、効果は変えないまま書き換えてみせる。たったひとつの魔術語を研究することでそんな芸当ができるのかとルビリウスさんが疑いのまなざしを向けてきたけど、ある可能性に思い当たったようで信じられないと目を見開いた。
「人族はいろ~んな魔術語があると考えているけどね。神様や精霊はひとつの言語として捉えているんだ。いくつにも分かれているのは人族側の都合なんだよ」
元々はひとつの言語であったものを人族が勝手に細分化しているだけ。精霊と同じように捉えることができたなら、意図を伝えるところは共通していて余計な部分が違っていることに気づけるようになる。だから、覚える魔術語はひとつで充分なのだと種明かしをすれば、ルビリウスさんが期待に満ちた瞳で僕を見つめてきた。
「それを教えては――」
「ヒントはここまで。ここから先は君の手で解明するんだ」
僕が与えるのはヒントだけだと告げたところ、世の中にうまい話が転がってるわけなかったとルビリウスさんがガックリ肩を落とす。悪く思わないでいただきたい。正解は彼女自身が見つけなければ意味がないのだ。
教えたところで、どうせまた忘れてしまう。かつて、最初の言語を講義するつもりはないのかとコノハナ先生から尋ねられた時、タルトはそう答えた。他人から教えられたことは忘れてしまったらそれっきりだけど、自分で見つけ出した答えならたとえ忘れてしまっても再発見できる。だから、音の変化量で言葉が綴られているという口で説明してしまえばそれだけなことを、タルトはわざわざ僕に見つけさせたのだろう。そうでなければ、またすぐに忘れられて終わりだと考えて……
「完全な答えを教えて欲しいなんて生徒は研究者に向かない。僕が通っている学校のある先生がそう語っていたよ。いつの日か本当の正解にたどり着けると信じて、不完全な解答だと知りつつもとりあえずの正解を積み重ねていく。それが研究するということだってね」
「う゛っ……」
他人から答えを教えてもらおうなんて考えていたら、まっとうな研究者にはなれないぞと言ってやったところ、ルビリウスさんはバツが悪そうな表情になって目を逸らした。自分で答えを出せなければ意味ないのだと彼女もわかってはいたのだろう。
「誰かから教えてもらった正しい答えよりも、たとえ間違っていたとしても自らが見出した過程を大切にしなさいと女神様の教えにもあります。これまでは意図をつかみかねていましたけど、モロニダスさんの話を聞いて合点がいきました」
隣で魚をモグモグしながら話に耳を傾けていたオクタヴィアさんが、【知の女神】様も似たようなことをおっしゃっていたと教えてくれる。もっとも、憶えたはよいものの意図までは汲み取れておらず、どのような場面で使えばよいのかわからない教えだったそうな。
「まぁ、厳しいと思うなら諦めたっていいんじゃないかな。そのうち僕が東方の国で発表した内容が、ここにも届くと思うからね」
「なっ……、このままおめおめと引き下がる私だと思ったら大間違いよっ」
もう充分にヒントは与えたろう。あとは彼女次第だ。無理だと判断したなら遠からず伝わってくるであろう僕の研究内容をパクってやがれと告げたところ、外国人にいつまでもデカイ面させておく自分ではないぞとルビリウスさんはツインテールを逆立てた。




