621 伝承の裏側
戦略研究会へ顔を出した翌日、約束の指令書を届けに半ズボン伯爵がグリピィナ夫人の屋敷を訪れた。わざわざ伯爵様本人が来なくてもと思ったものの、傍系とはいえ帝室に連なる家の当主にご挨拶しないのは失礼だそうな。その条件だと直系で除籍されているオクタヴィアさんは該当しない。となると、残る候補者はひとりだけだ。
「ホホホのホ……」
「オクタヴィアさんの教育係を任されてたんですから、関係のある方だと気がついてしかるべきでしたね」
さてはあんたかと視線を向ければ、扇子で口元を隠しながらグリピィナ夫人がすっとぼけるように顔を逸らす。いくつもある傍系の中でも末席に近いので断絶しても困らない家とされているものの、帝室名簿によくよく目を通してみればずっと下の方にちゃんと名前があるそうな。ちなみに、名簿の一番最後はネルちゃんだという。
「……ダーリン」
「ほぅ、将来を約束されたのですか。これは陛下に報告せねば」
「夫人がいたずらで言わせているだけです」
悪い母親からよくないことを吹き込まれているネルちゃんが、お出かけの準備をしようと僕の手を取ってきた。今日はこれから帝都の劇場へ観劇に出かける予定だ。なお、オクタヴィアさんとモーマンタインさんがグリピィナ夫人のお供で、僕はネルちゃんをエスコートする役目を仰せつかっている。とんでもないところへ余計なことをチクろうとしている半ズボン様には、グリピィナ夫人の悪ふざけだとはっきり告げておく。
行き先はもちろんお貴族様が集まる劇場なので、それなりの格好をしないといけない。モーマンタインさんはわりと背格好がグリピィナ夫人と似ていたので貸してもらい、オクタヴィアさんは過去にもご厄介になっているようで本人のドレスが屋敷に保管してあった。僕の分は仕立て屋さんを呼んで既製品の子供服を用意してもらう。なじみの仕立て屋さんのようで、ネルちゃんのために新作の帽子も持ってきてくれた。
「ダーリン、かわいい?」
「よく似合ってるよ」
余所行きの格好に着替えたネルちゃんが新しい帽子を自慢してきた。かわいい、かわいいと褒めて、座っているバナナンテの背中に乗っけてあげる。ネルちゃんたっての希望により、グリピィナ夫人とお供のふたりが馬車で僕たちはバナナンテにふたり乗りだ。馬車に先導されて劇場へ向かえば、道行く人たちが物珍しげに僕たちを指差してきた。見て、見てと大喜びで手を振るネルちゃんの姿に、なんかサルコのことを思い出す。
劇場に到着したら正面玄関をスルーして、ひっそりとして目立たないけど警備は厳重な門を通って敷地内へ入る。ここの劇場は1階にある一般席と2階の特別席が完全に分離されていて、もう入口から別だそうな。建物の2階に上がれば談話室のような広間があって、奥の壁には扉がいくつも並んでいる。扉の向こうは観劇するための個室だろう。すぐにタキシードで決めたおっさんが寄ってきて、こちらでございますと案内してくれた。
「演目はポルデリオンの生涯第5章~竜殺し~ですか」
本日の舞台はかつて僕たちが魔導院祭で演じた「ポルデリオンの竜殺し」とほぼ同じストーリーのようだ。生涯と題しているだけあって全7章の構成で、第5章は最も有名な魔竜ハフニールの討伐を描いたパートらしい。ちなみに第6章は凱旋後にあったお姫様とのラブロマンスで、第7章では晩年が描かれるという。
「お隣にあるドラスレイ王国はポルデリオンが最後に住んでいたとされる地で、帝国でも人気の演目でございますのよ。東方諸国ではいかがなのかしら?」
「騎士の理想としてアーカン王国でも人気ですよ」
帝国領から【暁の女神】様の神殿との間にそびえ立つ山脈に沿って北東へ進むと、ポルデリオンが晩年をすごしたとされる地があるそうだ。長い歴史の中で支配者は何度も変わってきたものの、竜殺しの勇者を祀る礼拝殿は戦火をものともせず大昔のものが残っているという。東方諸国にはどのように伝えられているのかとグリピィナ夫人に尋ねられたので、実際は酒好きのおっさんだとか得意な武器は槍という口から出かかったタルト情報を呑み込んで、人族最古にして最強の騎士ですと答えておく。
「ぅおのれ、おのれ、おのれ、憎っき人族がぁぁぁ……。我らが同胞の恨み、晴らさずにはおくまいぞぉぉぉ……」
上演が始まると黒いフリルで飾られた鮮やかな赤のドレスに身を包んだ女優さんが、同胞の仇は絶対に取ると人族への復讐を誓う。どうやら、ポルデリオンに討伐される魔竜ハフニール役のようだ。タルトに入れ知恵されてロミーオさんが書き上げたシナリオがどこからか伝わったのか、西方でもハフニールに復讐者というポジションが与えられていた。
「昨年あたりから、敵役の背景に焦点を当てた脚本が増えてきましたのよ。物語に深みが増したと好評なようですわ」
ここの劇場はステージの奥がグルっと回って切り替わる回り舞台を導入しているようだ。テッテレッテレッテーと脳内で懐かしい曲が再生されるのを感じながら舞台が切り替わるのを眺めていると、これまで語られることのなかった敵役の動機や背景がクローズアップされるようになったとグリピィナ夫人が解説してくれる。これまでハフニールは憎まれ役ということもあって、とにかく粗暴で悪い奴という演出がされていたらしい。そもそも女性が演じるような役柄ではなかったという。
「……トッテモザンシンデスネ」
ロミーオさんの投じた一石は西方の演劇界にまで影響を及ぼしていた模様。あの時はゴブリンがさらにデカイ石を投げ込みやがったと荒れていたけど、教えてあげたら喜ぶだろうか。パクリだなんて無粋なことは言わず、斬新な脚本ですねと話を合わせておく。
「ダーリン。ハフニールはどうして怒っているの?」
「ハフニールには大切な友だちドラゴンがいたんだ。それが人族にやっつけられてしまったから、かたき討ちを誓ったんだよ」
まだ5歳のネルちゃんには難しかったようで、あいつは何に腹を立てていたのだと尋ねられた。ドラゴンにだって大切な友だちの一体くらいはいるのだと説明してあげる。
「ハフニールは悪いドラゴンじゃないの?」
「善い、悪いはそれを判断する者によって変わるものだからね。友だちドラゴンにとっては善い行いでも、人族や神様にとっては悪い行いだったりするんだ」
どうやら、ハフニールは成敗されて当然の悪者という固定観念をすっかり刷り込まれているようだ。幼い子にはオムツ探偵ショーくらいわかりやすくないと理解が追いつかないのだろう。物事の受け止め方は立場によって変わるもの。友だちが喜んでくれるからといって、人族や神様まで喜ぶとは限らないのだと教えておく。今はまだ理解できないかもしれないけど、いつか嫌でもわからされる時がくる。その日が訪れたらお兄ちゃんの言っていたことを思い出してほしい。
「おじちゃんたち、どうしてこんなところにいるの?」
「我々は魔竜の討伐へ向かう途中なのだ」
「ハフニールのねぐらなら、あの洞窟を抜ければすぐよ」
場面は変わって、日中なのに空が真っ黒な雲に覆われていて薄暗いという設定の森でポルデリオン一行が道案内の少女と出会うシーンとなった。ハフニールの手下がウロウロしていて人が住んでいる屋敷なんて残っているはずもない場所に、なぜメイドのお仕着せに身を包んだ少女がひとりでいるのか疑問を抱くこともなく示された洞窟へ向かうポルデリオンたち。昨晩、お酒を飲み過ぎて注意力がお留守だったに違いない。
――むっ、これはもしや……
書割で作られた洞窟の入口へポルデリオン一行が姿を消す。それは不思議でもなんでもないのだけど、僕の注意を引いたのは道案内の少女の方だ。一行が洞窟へ入っていくのを確かめた後、機嫌よさそうにスキップしながら舞台袖へと下がっていく。いかにも何か企んでいそうな演出を入れてくるとは、間違いなくアレをやるつもりだろう。ロミーオさんが観たらステージに霧化燃料弾を撃ち込みそうだ。
そして舞台はつつがなく進行し、とうとうポルデリオンとハフニールが相対する。大きな書割ドラゴンの胸部と重なって見える位置に赤いドレス姿の女性が立っているから、彼女はきっとハフニールの心情と心臓を表現しているのだろう。仕事着姿のワルキューが手にしていた大鎌のような武器をふるってポルデリオンの剣と打ち合うものの、最後には袈裟切りにされて倒れ伏す。書割ドラゴンは可動式だったらしく、もたげられていた首が下がって床に横たえられた。
「生き残ったのは私ひとりか……。そなたらの犠牲、無駄ではなかったぞっ。人族を滅ぼさんとしていた魔竜は、ここに討ち果たされたっ」
ステージの前方へと進み出てきたポルデリオンが、スポットライトを浴びながら剣を高く突き上げて勝利を宣言する。ファンファーレから始まる田西宿実の世界でめっさ有名だった国民的RPGを思い起こさせる曲をオーケストラが吹き鳴らし、竜殺しの勇者は都へ凱旋すべく舞台袖へと引き上げていった。照明がすべて落とされ、ステージ上が暗闇に包まれる。再び灯されたスポットライトに照らし出されたのは、ポルデリオンに道を教えたメイド姿の少女だ。
「あやつをここへ導いたのは貴様であったか……。なぜ……人族などに手を貸す……」
もうひとつのスポットライトが床に倒れ伏したままのハフニールを照らし出す。ロミーオさんの脚本と違って、ハフニールが最後に恨み言をこぼす相手は神様じゃないようだ。どうしてポルデリオンを連れてきたと道案内の少女を問い質す。こいつこそがすべての黒幕であると印象付けたいのはわかるものの、ちょっと演出過剰ではなかろうか。こういうのは直接的に明示せず、チョロっと匂わせるにとどめるくらいが適切。他人に語りたくなるネタを仕込んでおくことで話題性を長く維持し続けるのがイカしたやり方だと思う。
「人族を滅ぼさせるわけにはいかないの。それは私の予定表にないから……」
「ぐふうっ……」
予定外の事件を起こされるのは困ると、手にした短剣でハフニールにとどめを刺す道案内の少女。明らかに人の道を踏み外した外道の所業だ。もう、どっちが悪役なのかわからない。
「ダーリン、ハフニールがかわいそう……」
あんまりだと感じたのか、ネルちゃんまでハフニールに同情する始末。ドブネズミの僕も、タルトの奴があそこまで非道なことをしていたとはさすがに予想していなかった。
「……よし、あいつはもうおやつ抜きだ」
『待つのですっ。わたくしはあんなことしていないのです。これは悪質ないんしょ~そ~さなのですっ』
悪い3歳児におやつはやらんと心に決めたところ、様子をうかがっていたのかタルトの声が頭に響いてきた。でっちあげ脚本家の印象操作に騙されるなと懸命に訴えてくる。
『実際にハフニールを倒したのは【竜殺し】を連れていた騎士たちなのです。誰がとどめを刺したかなんてわからないのです』
ドラゴンと人族でタイマンになるはずがなく、実際は数十人の騎士たちが玉砕覚悟で攻撃を仕掛け、かろうじて相打ちに持ち込んだらしい。唯一の生き残りであるポルデリオンは当時まだ13歳で、騎士団長が身の回りの世話をさせるために連れていた従者だったそうな。戦闘中はブルって震えていただけ。何もしなかったおかげで生き残れたのだと、焦ったタルトがあんまり知りたくなかった事実を次々と伝えてきた。
『でも、強かったんじゃないの? ヌルヌルの地面でも槍が使えたって……』
『強くなったのは人族の都へ戻ってからなのです。ハフニールと戦った者たちが弱かったと思われるのが嫌で、いっぱい練習したのです』
ポルデリオンが最強の騎士となったのはハフニール討伐後のことであるそうな。仲間たちの名誉を守るために修行を重ね、亡くなった勇士たちは自分より強かったと語るのが常だったという。竜殺しの勇者として祀り上げられたのは、国をまとめるのに英雄の名声を利用しようと考えた王様の意向だったらしい。今も昔も、ヒトはしょせんドブネズミなのだと感じさせられる。
『ですから、おやつを作ったらわたくしの分も取っておくのです』
『へいへい……』
悪いことは何ひとつしていないのだから、おやつを取り上げるのは不当だと3歳児が言い張る。ハズレジジイから最後の一本を引っこ抜いたのは相当に悪いことだと思うのだけど、本人が健在なのだから僕が罰を与える道理はない。ちゃんと取り分けておくと安心させておく。
ステージへと視線を戻せば、舞台はフィナーレを迎えて出演者たちのカーテンコールが行われているところだった。左右から引かれてきた幕が完全に閉じる直前、最後に挨拶するのはもちろん道案内の少女だ。
「運命を紡ぐのが私の役目なの。悪く思わないでねっ」
これが自分の役割だと高らかに宣言して幕の向こうへ姿を消す道案内の少女。この舞台を担当した演出家は、これはこうなのだとはっきり表現するのがお好みらしい。これでは陰から歴史を操る正体不明の黒幕というより、こいつが倒すべき敵ですと明らかにされている悪の首領である。もうちょっとミステリアスな雰囲気があった方がウケると思うのだけど、考えてみればタルトの奴にそんな印象は欠片もなかった。あいつは傍若無人な悪のわがまま3歳児だから間違ってはいない。
「ちょっとあからさま過ぎるんじゃありませんか?」
「誰に合わせるべきか、演出する側も手探りしているところなのでしょう。数年前にはいき過ぎた暗喩が内輪話ばかりで退屈だと批判されていましたから……」
道案内の少女こそすべての黒幕と言わんばかりの演出がクドイと感想を述べたところ、演出家もまだまだ手探り状態なのだとグリピィナ夫人にたしなめられた。内情を知っている者にしか伝わらないようなメタファーを仕込みまくって、社交の場で一部の事情通がマウントを取りまくった結果、そんな内輪ネタに興味はないとファン離れを招いたことがあったそうな。今はちょうど、その揺り戻しがきている時期だという。
「あれは絶対に悪い子なのっ」
ネルちゃんは道案内の少女が役に立たない手下を始末したと受け止めたらしい。とんでもない悪党だとブーブー頬を膨らませていた。ハフニールは人族の国を7つも滅ぼした悪竜。あのような最期も致し方なしとオクタヴィアさんとモーマンタインさんがなだめるものの、納得いかないと脚をバタバタ暴れさせる。
「う~ん、そうだね。やっぱり、おやつ抜きが相当かな……」
『ですからっ、でっち上げられた話を真に受けるのではないのですっ』
ハフニール自身も裏で道案内の少女に操られていたということはあり得るかもしれない。そもそも、人族を滅ぼしてくれようと決意するには相応の原因があったはず。その事件にあの3歳児が関わっていなかったという保証はないのだ。やはりおやつ抜きにするべきかと口にしたところ、まだウォッチしていたのか頭の中にタルトの抗議する声が響き渡った。