613 巫女と剣聖
浜辺でバカンスとはいえ、一日中ゴロゴロしていることは許さない。早朝トレーニングで食いしん坊どもをバシバシ走らせて鍛え直す。お天道様が高くなって気温が上昇してきたらおやすみだ。食材となる魚やエビを捕まえる数日を過ごし、今日は漁港近くにあるトウモロコシ畑へとやってきた。畑を荒らすイノシシに手を焼いているという話を耳にしたモーマンタインさんが、収穫物をお裾分けしてもらうのと引き換えに退治を引き受けたからである。
生まれ育った集落では農作物を狙うイノシシやキノボリグマなんかを撃退していたという話。どれほどの腕前なのか見せてもらおうと僕も同行したものの、ワッサワサに茂ったトウモロコシ畑を前に軽はずみなウシ獣人は涙目になっていた。
「これじゃ、どこにいるのかわかりません」
「収穫時期のトウモロコシ畑はこんなもんだよ」
家庭菜園ならともかく、本格的なトウモロコシ農場ともなれば人の身長より高く伸びたトウモロコシがズラリと密生しているのだ。忍び込んだイノシシを見つけ出すのは至難の業だろう。
――ロゥリング族でない限り……
もちろん、ロゥリングレーダーはとっくにイノシシの魔力を捉えている。今、この瞬間もどこに潜んでいるのかはっきりしているのだけど、底知れないウシ獣人の実力を見極めるよい機会だ。あえて黙っていたところ、モーマンタインさんが横目でチラチラとこっちの様子をうかがい始めた。
「モロニダスさんは見えなくても数と居場所がわかるって話でしたね?」
キツネ獣人の集落がブサオークに狙われた時のことをしっかり憶えていたようだ。数百メートルは離れている相手の向かう先や数をピタリと言い当てた。探り当てたというより、常に動向が把握できているように感じられたぞとモーマンタインさんが猜疑心に満ちた視線を向けてくる。僕がすでにイノシシの居場所をつかんでいることを察したのだろう。
「イノシシ退治を引き受けたのはモーマンタインさんでございまして……」
「ンモーッ。なんでそんな意地の悪いことを言うんですかっ」
意地悪するなとバナナンテに跨っている僕につかみかかってくるウシ獣人。自分たちは病める時も健やかなる時もお腹いっぱい食べさせあうと誓った仲ではないかと訳のわからないことをぬかす。そんな約束をした覚えはない。
「ほらっ。鳥さんもそうだっておっしゃってますよっ」
「バナナンテ、お前もか……」
僕としてはモーマンタインさんの実力を測りたかったのだけど、こともあろうにバナナンテの奴が裏切りやがった。こっちに批判的な視線を向けて、不満を表すようにグルグルと低く喉を鳴らす。もちろん、こいつのお目当てはお駄賃のスイートコーンだ。グズグズしていないで、さっさと手に入れろと言いたいのだろう。
仕方がないので策を授ける。畑の中を走る作業用通路が交差するポイントに射手である僕を配置し、モーマンタインさんと農場の人たちにイノシシを追い立ててもらう。ターゲットが追手の撃退を試みたならウシ獣人に成敗してもらい、逃げてきたなら通路へ姿を現したところで僕が仕留めるという寸法だ。あの辺りに潜んでいるからと指示し追い立ててもらえば、イノシシは収穫物を積んだ荷車やソリが通れるよう3メートルほどの幅がある通路を横切って逃げることを選択した模様。ズラリと並んだトウモロコシの合間から頭をのぞかせて渡っても安全か確認しているところを、40メートルほど離れた位置から射抜いて終わらせた。
「モロニダスさんは百発百中なんですか?」
「ここは横風に流される心配がないからね。この距離なら外さないよ」
人であればこめかみにあたる部分から矢を生やしてピクリとも動かないイノシシを見て、どうしてそんな簡単に急所を射抜けるのだとモーマンタインさんが呆れていた。百発百中が保証されているのはあっちの方だとは言わず、左右に密生しているトウモロコシが防風林になっているから当てやすいのだと答えておく。
「まだ若いメスかな。トウモロコシを食べて太ったなら美味しいと思う」
憐れなターゲットはまだ繁殖期を迎えていなさそうなメスだった。幼獣というほど小さくはないものの、成獣と呼ぶには小柄な体格で体重は60キロ弱といったところ。栽培品種のスイートコーンを食い荒らしていたせいか、こんな季節だというのにほどよくお肉がついている。ちょっとかわいそうではあるものの、人族なんてチョロイ連中だと学習した獣は危険なので始末するしかない。無駄にするのは申し訳ないのでこの場で血を搾り出し、農場の台所を借りて食肉にすることにした。
「んもぉぉぉう。お肉もお野菜もどっさりです。今日はご馳走ですねっ」
お駄賃としていただいたトウモロコシを始めとする野菜と解体したイノシシ肉を前にしてモーマンタインさんは大興奮だ。バカンスに入ってからは毎日のように贅沢三昧しているというのに、今日はご馳走にありつけるなどとふざけたことをぬかしている。やはり、身体だけでなく胃袋も鍛え直すべきだろうか。
エウフォリア教国海軍がキャンプを張っているビーチへ戻ったところで、以前作ったイノシシ出汁のピラフがまた食べたいとリクエストされる。今回はスペアリブではなく、厚切りにしたバラ肉を使い、ひっくり返しながら表面を焼くと同時に脂を搾り出す。焼けたバラ肉を取り出したらフライパンに残った油でお米を炒めるのだけど、今日は粒々コーンにみじん切りにしたニラを具材に追加だ。ニラを炒めた時の香ばしい匂いにモーマンタインさんが鼻息を荒くし始めた。
お米と具材を炒め終えたら鍋に移し調味料と水を加え、焼いたバラ肉を上に並べて一緒に炊く。角煮と呼べるほどではないにせよ、そこそこ柔らかく仕上がるだろう。ンモー、ンモーとテーブルに齧りついてあやしげな動きをみせるウシ獣人を横目に火加減を見ていたら、性懲りもなくアウドミラル提督とポッチ大尉がこっちに向かってきた。栄光ある海軍士官が苦学生にたかるんじゃねぇとパンチくれてやりたい。
「そう毎回、毎回、ご馳走にありつけると思ったら大間違いですよ」
「いや、君を訪ねてきた客人がいてね……」
「またオムツガールですか?」
「それが、神殿の巫女様なんだ」
いい大人が毎日のようにたかりにくんじゃねぇよと睨みつけてやったところ、僕を訪ねてきた人がいるのだと提督から伝えられた。心当たりはもちろんない。初めて訪れた西方に知り合いなんているはずないのだ。僕を知っている奴なんてオムツガールくらいだと問い質してみたところ、【知の女神】様にお仕えしている巫女さんという答えが返ってきた。なるほど、神様であれば僕に使いを寄越してもおかしくない。どうやら行き違いになってしまったようで、僕たちを探して漁港へ向かったという。
戻ったら連れてくるというので、今日はもう一日中ビーチにいると伝えてふたりを追い払う。横取りされないうちに片付けてしまおうと炊き上がったピラフを火からおろして蒸らすものの、どうやら連中の食い意地を見誤っていた模様。アキマヘン嬢の騎乗服みたいなパンツスタイルの上から乙女のマストアイテム白ワンピを被せたような格好をした女の子を伴って、あっという間に戻ってきやがった。巫女さんというふれ込みの娘は僕と同い年かひとつ下くらいで、使い魔なのかスプリンターを連れている。
「初めまして。私は【知の女神】様より遣わされましたオクタヴィアと……」
巫女さんが挨拶をしようとしたものの、待ちきれなくなったモーマンタインさんがピラフを蒸らしていた鍋の蓋を開けてしまう。食欲をそそる香りが一気に放出され――
「ぐぎゅるるる……」
――それに反応したのか巫女さん改めオクタヴィアさんの胃袋が盛大に鳴った。どうやら、食いしん坊どもが新たなる食いしん坊を呼び込みやがったようだ。
「今、食事をお出ししますのでこちらへどうぞ……」
「待ってくださいっ。違うんですっ。これはっ」
そんなにお腹を空かしているのでは仕方がない。ご馳走いたしましょうとテーブルに着くよう勧めれば、オクタヴィアさんは顔を真っ赤に染めて勘違いしないでくれと言い張った。勘違いかどうかはすぐにわかる。まぁまぁと席に着かせ、お皿にピラフを盛って差し出せば、オクタヴィアさんはギョッとしたように目を見開いて身体をプルプル震わせた。反応が甘いお菓子を差し出された時のドクロワルさんにそっくりだ。そのままスッとお皿を下げれば、おやつをオアズケされた蜜の精霊に匹敵する絶望の表情を浮かべる。新たなる食いしん坊はとってもわかりやすい。
「僕にとって穀物は栄養にならない嗜好品でしかありません。遠慮なさらずどうぞ」
「んもぉぉぉう。これは前よりも完成度が大幅に上がってますよっ」
「はうぅぅぅ……」
僕の分は別に肉を用意するから召し上がれとお皿をオクタヴィアさんの前へ押し出す。最初はあぅあぅ嘆きながら堪えていたものの、肉の臭みを消すニラにトウモロコシの甘みと歯ごたえが加わってデリシャス度はさらに加速したと感涙を流しながらモッシャモッシャ咀嚼するウシ獣人の姿に我慢できなくなった模様。とうとうピラフに口をつけ、あっという間に平らげてしまった。
「女神様。これが試練だとおっしゃるなら、あまりにも過酷すぎます……」
空になったお皿を前にして、かような誘惑は人が耐えられる限界を超えていると我慢のできない食いしん坊が涙をこぼす。もう呆れるしかない他責思考だ。自制することを覚えるまで増殖わき腹細胞活性化剤を投与してやりたいけど、今は自分の食事が優先だと枝肉になったイノシシからロースの部分を切り落とす。フライパンで厚切りロースステーキを焼いていたところ、もう殺意と呼んでも差し支えないような魔力がぶっすりと刺さってきた。僕の肉を狙う不届き者はどこのどいつだと振り向いてみれば、オクタヴィアさんが連れていたスプリンターとバッチリ目が合う。
「……イノシシ食べるか?」
本人だけでなく、使い魔まで腹を空かせていたようだ。もも肉のたっぷりついたイノシシの左脚を股間から外して空いているテーブルの上に置いてやれば、人族だろうがオークだろうが構わず喰っちまう亜竜は大喜びしてもも肉にかぶりついた。いくら契約で行動を制限しているとはいえ、狂暴な人喰い魔獣を腹ぺこでいさせるなんて危険極まりない。飼い主の責任ってヤツをしっかり叩き込んでおく必要がある。
「空腹のあまり人を襲ったりしないよう、充分な餌を与えるのは契約者の責任ですよ」
「ちゃんと食べさせてますっ。今朝だって豚肉を2キロほど平らげてるんですからっ」
「それはつまり、食いしん坊なのは契約者の影響だと?」
「う゛っ……」
契約者ならお腹いっぱい食べさせてやれと注意したところ、ちゃんと朝ご飯も食べさせてきたとオクタヴィアさんは言い張った。なら、意地汚いのは飼い主に似たせいかと問い質せば、めっちゃ嫌そうな顔をして言葉を詰まらせる。どうやら、答えは出たようだ。
「うへへへ……お腹いっぱい食べさせるのは契約者の責任ですか。素敵な言葉ですね」
「雇用主は飼い主ではありません」
そして我慢できないのではなく、最初からするつもりのないウシ獣人が言質はとったぞとひとり勝ち誇っていやがった。人族社会のルールを理解できない魔獣と、責任能力のある大人では扱いが違うのだとはっきり申し渡しておく。毎食ご馳走を提供してくれと駄々をこねるけど、イヤイヤが許されるのは3歳児までだ。ご馳走が食べたければ、しっかり働いて稼ぐしかない。
「それで、【知の女神】様はどうしてオクタヴィアさんを僕のところへ?」
「審判を託された者が【剣聖】を伴いやってきたので、話の通じない連中に足止めされないよう同行しなさいと指示を受けたのです」
焼き上がった厚切りロースステーキをモグモグしながら話を聞き出したところ、僕が余計な足止めをくらわないよう派遣されたそうな。話の通じない連中というのは、早い話が連合軍のことだろう。船旅でデブったバナナンテを鍛え直すのにちょうどよいとバカンスに興じているものの、勝手にいなくなるなと足止めされていることに変わりはない。ポチャスキン総司令やポッチ大尉は態度こそ友好的だけど、やっぱり行動制限を課すという結論に至ったことは事実である。
――まぁ、いよいよって時に僕が島流しにされてたんじゃ困るんだろうな……
ハズレジジイは奥の手があることを示唆していたものの、戦況は依然として【暁の女神】様陣営が優勢なままだ。最後の逆転チャンスが、今からじゃどんなに急いでも間に合いませんってところへ追いやられるのは避けたいのだろう。だけど、そんな【知の女神】様の思惑はどうでもいい。
「【剣聖】ってモーマンタインさんのこと?」
確認しておくべきはこっちだ。剣術の達人っぽいとは感じていたけど、まさかそんな恥ずかしい称号を名乗っていたなんて予想外もいいところ。このウシ獣人が剣聖様なのかとオクタヴィアさんを問い質す。
「私に伝えられているのは、東方から到着した船団に大きなニワトリを連れた男の子がいるという話だけで、【剣聖】という方に関してはなんとも……」
オクタヴィアさんは僕たちがコーンクワッツを離れた直後に到着したらしい。東方から来た船団にいる。巨大ニワトリを連れているというふたつの情報だけで、剣聖様に関してはこれといった特徴も教えられていないそうだ。連合海軍司令部からエウフォリア教国海軍の船団に不自然なくらい大人びている男の子がいたという話を聞き、陸路でここまで来て大きなニワトリを知らないかと尋ねたら僕に行き当たったという。となれば、真相は本人から聞き出すしかない。お前が剣聖様なのかと視線を向ければ、モーマンタインさんは脂汗を流しながら目を逸らした。
「なるほど。【剣聖】なんて自称していた恥ずかしい過去から逃れようと、東方へ流れてきたわけですね。わかります」
「違いますっ。自分から名乗ったんじゃなくて、押し付けられたんですよっ」