610 煽る提督
航海は順調に進み船団がゼック海に入ったあたりで、西方にある国の哨戒船と思われる中型船が接近してきた。海の上には共通の手旗信号があるようで、互いに水兵さんがパタパタ旗を振ってなにかを伝えあっている。しばらく旗でのやり取りを続けたのち、グレートデキン号の横に並んで接舷してくる哨戒船。ロープで離れないよう固定してタラップが渡されると、ちょっと飾りの多い軍服を身につけた青年が移乗してきた。
「オゴラレイロ王国所属、哨戒船アベンジャミン号の船長を務めますポッチ大尉です。今現在は連合海軍のもとでゼック海の警備にあたっております」
「エウフォリア教国海軍で提督を拝命しているアウドミラルだ。任務には喜んで協力しよう」
オゴラレイロ王国はゼック海に面している諸国のひとつなのだけど、今は戦時下ということもあって【知の女神】様のもとに連合軍が結成されているそうだ。アベンジャミン号は【暁の女神】様陣営の船が海域に侵入してこないよう巡視任務についているという。自分たちは微妙な立場で少し込み入った話になるからと、アウドミラル提督がポッチ大尉を応接用の船室へ招く。
「お話を整理しますと、教国……いえ、総大司教猊下は【暁の女神】様に加担される意向なのですね。イクスブリッジの太守と提督が反抗した理由をうかがっても?」
かくかくしかじかと教国での出来事を説明したところ、ポッチ大尉はモッチャール司教とアウドミラル提督が半ば公然と総大司教様に楯突いたことを疑問に感じたようだ。そこまでの行動を起こすには相当な理由と、こうするのが正しいという確信があったはず。どうしてそのような判断に至ったのだと問い質してくる。
「猊下の決定は信徒と国の将来に大きすぎる負担を強いるものだった。まるで、先のことなど考慮する必要はないと言わんばかりだ。聖女様が信徒を見捨てるような神託を下すとは思えず、猊下は個人的な野心に囚われていると我々は判断した」
西方で戦争が始まることを伝えてきたのは【暁の女神】教団の特使だった。つまらぬことを吹き込まれ、聖女様を含む神々がいなくなった世界で東方大司教になる夢でもみているのだろうとアウドミラル提督が語る。フムフムと話の内容をメモするポッチ大尉。【暁の女神】様陣営がエウフォリア教国を味方につけようと動くことは予想されていたのか驚いた様子はない。東方諸国の反応を尋ねられたので、西方まで軍を派遣するなんて戦費の負担がシャレにならないから尻込みしていると伝えたら、それが常識的な判断だろうと納得してくれた。
「連合軍の中核を担うような強国は戦後処理で充分な見返りを得られるのでしょうけど、つき合わされる小国は堪ったものではありません。収益に期待できない未開発の土地を押し付けられて終わるに決まってます」
中途半端に戦争協力したところで負担に見合うだけの利益は得られない。東方諸国の王様たちはよくわかっているとポッチ大尉がため息を吐き出す。大きな収益を上げられそうな貿易港に鉱山、穀倉地帯は軍事力に秀でた強国が残らず持っていってしまい、弱小国家に割り当てられるのは開発投資が必要なド田舎と相場が決まっているそうな。
「資金を投じて開発しても、それはそれで目をつけられるといったところかな?」
「歴史はそのくり返しですよ。提督はよくおわかりで……」
ものになるかどうかわからない開発は他者に着手させ、見込みがありそうなら手伝ってやると後から首を突っ込んできてごっそり権利を持っていく。捻りも何もない手垢がつくほど使い古された手口だとアウドミラル提督がニヤニヤ笑えば、人族の歴史はそれで説明しきれるくらい進歩がないとポッチ大尉は肩をすくめてみせた。なんか、田西宿実も同じような話を耳にした記憶がある。ベンチャー企業が新しい市場を開拓しても、後から参入してきた大企業が規模の違いで席巻していくというアレだ。欲深い連中の考えることは世界が違っても同じらしい。
「事情はだいたい把握しました。ですが、この規模の武装船団を連合海軍司令部が置かれている港へ案内するわけにはまいりません。コーンクワッツへの入港はこの船と僚船一隻までとしてください」
遠洋航海に耐えられる船は残らず連れてきたので、アウドミラル提督が指揮している船団には大型から中型の軍船が20隻も所属している。教国海軍がイクスブリッジを離れた事情を聴きとり終えたポッチ大尉に、コーンクワッツに入港してよいのは2隻までと言い渡された。半日ほど離れた場所にちょっとした湾があって、係留杭などの施設も充実しているから船団はそちらに停泊させてほしいそうだ。漁港があるけど桟橋への接舷と乗組員の上陸は認められない。ただ、漁船から補給物資を受け入れることは構わないし、漁港の人たちも手筈は心得ている。話によれば料金表まで用意してあるという。
「当然の対応だな。コーンクワッツへは本船とゼカマタ号で向かうとしよう。ところで、神聖マリジル帝国のポチャスキン海軍大将は連合軍に参加しているだろうか?」
「ポチャスキン閣下なら連合海軍の総司令官に就いておられます。面会できるかうかがっておきましょう」
エウフォリア教は【暁の女神】様教団から分派した組織だから、敵対勢力であると警戒されるのは当然のこと。今の話だけで疑いが完全に晴れるはずもないとアウドミラル提督は納得しているようだ。ポッチ大尉の指示どおり船団はコーンクワッツから離れた場所に待機させることを承諾する。併せて知人と思われる人物の所在を確認したところ、連合海軍のトップという答えが返ってきた。仕事のデキる大尉が面会可能か確認してくれるというのでお願いしておく。
「では、停泊地までアベンジャミン号がご案内いたします」
話は決まったとポッチ大尉が席を立つ。小国の士官さんにもかかわらず大国の提督を相手にまったく気圧された様子がなく、淡々と任務をこなす姿にアウドミラル提督も好感を抱いたようだ。軍人たる者はかくあるべしとウムウム頷いている。大尉が戻ったところで2隻の船を固定していたロープが解かれ、先導するアベンジャミン号を追って船団もゆっくりと進み始めた。
船団を停泊させておく湾に到着するとアウドミラル提督は司令部人員のほとんどを別の船に移乗させた。グレートデキン号が船団を離れている間の指揮を執らせるためだろう。僚船として同行するゼカマタ号は比較的コンパクトな船体をしていて小回りが利くタイプの船だ。自分に万が一のことがあった場合に備えた采配であることはあきらかで、まだ【知の女神】様陣営が味方だって決まったわけではないと警戒していることがうかがえる。
船団と別れアベンジャミン号に連れられてコーンクワッツの港へ向かえば、話のとおり半日ほどでイクスブリッジのような大貿易港が見えてきた。本来は交易のための埠頭も、今は半分が軍港として使われているようだ。ずんぐりむっくりした交易船でなく、スラッとして厳めしい軍船が並んでいる。グレートデキン号が桟橋に係留されれば、すぐに武装した兵隊さんたちが集まってきた。彼らも僕たちを警戒しているのだろう。
「上陸するのは私と副官。それに、君と従者の4名だ」
「僕もですか?」
「東方諸国の情報を持っているのは君だけだ。忘れないでもらいたい」
船から降りるのは自分と副官に僕とモーマンタインさんだとアウドミラル提督から告げられる。どうして僕までと尋ねたところ、アーカン王国であった国際会議の様子を知っているからだと言われてしまった。本人が直接見聞きした情報は、誰かから伝え聞いた情報よりも信憑性が高い。とっておきの情報源を隠していたと思われたくないそうだ。
「会議に出るってお金になるんですか?」
「その情報を誰よりも速く伝えられるならな。おそらく、彼の次にその情報が届くのはひと月以上先のことになるだろう。それも、断片的な伝聞の形でだ」
平民から税金をまき上げて、お貴族様は会議に出るだけで大儲けかとプンスカ憤っているのはモーマンタインさんだ。国際会議の場にいた者のうち、今現在西方に所在しているのは僕ひとり。そこに価値があるのであって、会議に出るだけで儲かるわけではないとアウドミラル提督が説明してくれる。
「それを欲しがっている者のところへ、一番速く届ければ金になる。扱っているのが情報か品物かの違いだけで、やっていることは商人と違わんよ」
モーモーとおっぱいを膨らませるウシ獣人に、情報は二番手になった瞬間に価値が暴落するし、市場なんて場所もないから買い手を見つけるにも苦労する。情報屋は普通の商人よりも厳しい世界だぞと告げて提督がタラップを降りていく。実際のところ、どんな商売にも苦労はつきものなのだろう。ジョーダン司教のようにすでに情報を掴んでいる相手にでっち上げ情報を売ろうとすれば、手痛いしっぺ返しをくらいかねない。エウフォリア教団の司祭たちは司教がやらかすのを今か今かと待ち構えているみたいだし、あの司教様は無事に生き残れるだろうか。
「誰に何をどう伝えるのか。しくじったら首を刎ねられかねないのが情報って商品だけど、興味があるならとっておきの……」
「食べられないものなんていりませんっ。私たちも急ぎますよっ」
やらかしたらお金の代わりに命を失うけど秘匿情報が欲しいなら教えてやるぞと告げたところ、モーマンタインさんは実に食いしん坊らしい理由で拒否りやがった。転げ落ちたら危ないからと、僕を抱き上げてタラップを降りる。
コーンクワッツに上陸した僕たちは兵隊さんに囲まれて連合海軍の司令部へ向かう。連れていかれたのは軍隊にはあまりそぐわない装飾が豪華なお屋敷だ。元からの軍港ではないので、きっと商館を間借りしたのだろう。こちらへどうぞと通されたのは会議室のような実用一辺倒の部屋で、なんだか取調室のような印象を受けた。
「帝国軍監察部のキャネル大佐です。エウフォリア教国の海軍がいかなる目的で来航したのかうかがわせていただきたい」
お茶も出さないなら、せめてカツ丼くらい出せよと思いながら待っていると、なんか目つきの悪い痩せぎすなおっさんが部屋に入ってきた。監察部のロリコ……じゃなくて大佐だそうな。名称から推察するに、物資の横流しとか公金横領といった軍人さんの不正を取り締まっている部署だと思う。用心しなければならないのは、こういった部署は往々にして不正を暴いた数が本人の評価につながるところ。実績を重視することには一理あるものの、その組織自体が厳しく監督されていなければでっち上げの温床になりかねない。
「目的ならポッチ大尉に伝えたはずだが」
「小国の大尉などアテになりません。あからさまに不自然な話すら鵜呑みにする連中ですからね」
アウドミラル提督も警戒しているようで、目的ならすでに伝えたはずだとそっけなく告げる。それに対して、弱小国家の軍人なんてたかが知れているとキャネル大佐は鼻で笑った。連合に参加している同盟国を見下すような大佐の発言を耳にして提督の魔力に不快感が混じる。まったく同感だ。内心はどうあれ、それを平然と態度に表すなんて、帝国軍監察部から規律が失われていることは明白。自身の行動も見張られているって緊張感がないから、建前と本音を使い分けるという組織人として当たり前の習慣が抜け落ちているのだろう。
「エウフォリア教はもともと【暁の女神】教団の一分派であると記憶しております。船団を率いて連合海軍の本拠地を訪れれば、不意を突いて襲撃するつもりではと疑われるのは当然のこと。それは提督も覚悟されていたのでは?」
「無論だ。だからこそ船団は指定された停泊地に置いてきた」
そもそもが敵の一味なのだから疑うのが自分の仕事だと語るキャネル大佐。わかっていたことだろうと尋ねられたアウドミラル提督は、襲撃が目的ではないから船団と別れて2隻だけで入港したと答えた。ポッチ大尉のとった処置は適切で、司令官不在の船団に襲撃を許すようなら、それは警戒を怠った帝国海軍が無能なのだと付け加える。
「君だって上級士官として、後続の船団が接近してきた時に備えて港を封鎖するくらいの指示は済ませているのだろう。戦力を維持したままの船団を警戒せず、ノコノコと単身上陸してきた相手を問い質すのが自分の役割などと勘違いしているわけではあるまい」
「なっ……」
自分はポッチ大尉によって、すでに無力化された状態にある。虜囚も同然の相手から事情を聴取するなんて仕事は軍曹にでも任せておけば充分で、帝国の大佐ともあろう者が優先順位を間違えるはずないことくらい承知しているとアウドミラル提督は実にわざとらしく肩をすくめてみせた。この御仁は相手を煽るのが大好きなようだ。
そして、呆れたことにキャネル大佐は本当に他の事そっちのけでこの場に来ていたらしい。田西宿実の記憶では大佐というイメージが強いけど、軍隊では相当に偉い人だったと思う。軍港の司令官とまではいかなくても、防衛や補給、陸上施設の警備といった担当部門の責任者を任されていてもおかしくないはずだ。つまりは部下の仕事っぷりを監督するのが役目の中間管理職であって、直々に……なんてのは明らかに自らの役割をはき違えている証拠である。お前は軍曹並みの仕事しかしていないと暗に示唆された大佐は顔を真っ赤に紅潮させてプルプル震え始めた。この御仁は煽られることに耐性がないようだ。
「船団が囮ということもあり得るでしょう……」
「副官と客人を連れているだけの私を警戒しなければならないほど、ここの警備は手薄なわけか。ならば、なおさら他に優先しなければならないことがあると思うがね」
船団に注目を集めておいて、侵入者が内部から破壊工作をすることも考えられるぞとキャネル大佐が言い張ったものの、苦し紛れのひと言であるとアウドミラル提督にあっさり見抜かれた。僕たち4人に暴れられたくらいで司令部が機能しなくなるなら、警備体制の見直しこそ最優先事項だろう。もちろん、ここの警備はそんなに緩くないってことくらい僕にだってわかる。僕たちが入ってきた扉の向こうにも警備の兵隊さんが……
――なんで8人もいるんだ。いや、聞き耳を立ててやがんのか?