607 価値をなくす提案
「その可能性は高いと感じている。考えれば考えるほど、間違いないという確信は深まるばかりだ」
聖女様のもとではこの国のトップが限界だけど、さらなる高みを目指せるチャンスが転がり込んできた。総大司教はその美味しそうな果実に手を伸ばしてしまったのではないかとケガネイ司教が語る。話を聞いているうちに、総大司教って人の背後に別の存在が隠れているのではないかと思えてきた。ピンク色をしたフワフワの綿毛に包まれて、見た目は孵ったばかりのコケトリスにそっくりなアイツである。
「西方で戦争が始まることを伝えてきたのは【暁の女神】教団が派遣してきた特使だった。私の記憶に間違いがなければ、まだ国内にいるはずだ」
「ほう……段々と見えてきましたな……」
エウフォリア教国に戦争が始まると第一報をもたらしたのは【暁の女神】様を信奉する教団の司祭だそうな。出国したとは聞いていないから、今でもセントエウフォリオンに滞在しているはずだとモッチャール司教がブルブル拳を震わせる。なるほど、戦争終結後の地位を約束されたわけかとアウドミラル提督がフムフム頷いていた。どうやら欲しがる精霊ではなく、裏で暗躍している工作員がちゃんと存在していたようだ。
「売国奴……いや、売教奴と呼ぶべきか。このまま奴の思いどおりになるのは腹の虫が治まらん」
「しかし、我々に何ができるでしょう。抵抗したところで勝機はありませんぞ」
総大司教の向う脛を蹴っ飛ばしてやりたいとモッチャール司教が憤りを表す。ジェイネラル将軍率いる陸軍を相手に戦っても勝利することは叶わないと冷静に戦況を分析しているのはアウドミラル提督だ。都市の防衛隊と協力してしばらくの間は抵抗できるものの、援軍のアテはないので最終的に陥落することは避けられない。制圧されるまでの時間を引き延ばすのが精一杯だという。
「ぐぎぎぎ……なにかっ。なにか手はないのかっ?」
「ぷっ……」
売教奴の思いどおりになってたまるかとテーブルをバシバシ叩いて案を出せと催促するモッチャール司教。その仕種がお前なんとかしろと問題を丸投げしてくる首席やクセーラさんと妙に似ていたので、つい噴き出してしまった。なに笑ってやがるんだとギロギロ睨まれる。
「では、ひとつ提案を。総大司教様が欲しがっているのはイクスブリッジの都市ではなく船です。陸軍が到着したら船を召し上げられるぞと公表して、一隻残らず港から追い出してしまってはどうでしょう。海軍には西方での情報収集でも命じられてはいかがです」
総大司教って人の目的はこの都市を西方へ援軍を送り出す拠点とすることだろう。勝利することはできなくても、イクスブリッジの戦略的価値をなくしてしまうことはできる。どれほどの戦力を用意したところで、戦場まで運ぶ手段がなければ活用する術はないのだ。軍隊を率いてはるばるやってくるジェイネラル将軍には申し訳ないけど、せいぜい無駄足を踏んでいただこうと提案すればアウドミラル提督がむむぅと寄り目になった。
「なるほど。ここを西方で始まった戦争の一局面として捉えるなら、敵の増援を足止めできれば充分という考えもあるか……」
【知の女神】様と【暁の女神】様。両陣営による争いを俯瞰して見れば、イクスブリッジは増援の進軍経路にあたる。重要なのは増援を主戦場へ到着させないことで、ジェイネラル将軍を相手に勝利を収めることではない。信徒たちが戦場へ送り込まれることを防ぎ、聖女様がいると思われる【知の女神】様陣営への協力にもなって、総大司教は【暁の女神】様から役立たずと評価されるなんて、こいつはひと粒で三度おいしい策だ。実行しない手はないと賛同してくれる。
「よし。すぐに軍が占領しに来ることと、出港前に済ませなければならない手続きを申告のみの無審査とすることを布告しよう。売教奴に思い知らせてやるぞっ」
アウドミラル提督からも勧められ、モッチャール司教は僕の提案を採用することに決めた。外国へ向かう船が出港する前にはどこへ何を運ぶのか申告して許可を得たうえで、イケナイ物を隠していないか積み荷の確認を受けるのが通例であるらしい。そういった諸々の手続きを、申告さえしておけばオッケーにする太守令を出すそうだ。布告された時点から有効で告知期間なしと知れば、賢い商人たちはかなり差し迫った状況であることを察してくれるという。
「アウドミラル提督。海軍にはこの少年と従者を西方にある港まで護送することを依頼する。全力で任務の遂行にあたってもらいたい」
「かしこまりました」
海軍の船を出港させる名目は僕を西方へ送り届けることだそうな。全力で……つまり、西方諸国の港まで遠洋航海が可能な船は残らず連れていけという指示にアウドミラル提督はニヤニヤしながら任務を受けた。そのドブネズミのような笑みにシンパシーを感じる。
「もおぉぉぉう。ど~して苦学生が軍船で外国まで送ってもらえるんですかぁ?」
「情報の価値はとんでもなく跳ね上がることがあるからな。戦時ともあればなおさらだ」
最初に会った時も軍船に乗り込んでいたし、もしやお貴族様たちの間では王子様を苦学生と言い換えることが流行っているのかと目を回しているのはモーマンタインさんだ。僕の持ってきた情報がなければ総大司教の思惑に気がつかないまま手遅れになっていた。国が転覆するほどの危機も事前に手を打つことができれば回避できる。それが情報の持つ価値ってもんだとケガネイ司教がニヤニヤ笑う。
「今日中に布告を出したいから私は執務室へ戻る。客間を用意させるから、今晩はささやかな晩餐を共にしようじゃないか」
やらなければいけないことが山積みだとモッチャール司教が部屋から出ていく。しばらくすると司祭の人がやって来て、僕たちを用意された客間へ案内してくれた。居間と寝室が別になっているスイートルームだ。苦学生の泊まる部屋じゃないとモーマンタインさんが頭をクラクラさせている。
「体調がすぐれないなら、晩餐会は辞退すると伝えておきますけど……」
「調子は絶好調ですっ。私だけのけ者にしようたって、そうはいきませんよっ」
だけど、具合が悪いなら休んでいるよう告げたところ、いつだって胃袋はベストコンディション。ご馳走をオアズケされて堪るかと食いしん坊がすがりついてきた。
エウフォリア教国は南国だけあって新鮮なもぎたてフルーツが手に入りやすいようだ。モッチャール司教との晩餐会ではメロンにオレンジ、早生のナシにバナナなど、どっかの3歳児が我慢できなくなるような果物がズラリと並んでいた。司教様にお願いして一部を部屋に持って帰り、居間のテーブルに置いておやすみする。思ったとおり、翌朝にはきれいになくなっていた。しばらくはおとなしくしていてくれるだろう。
昨日、軍隊が近づいていることと出港前手続きの簡略化が発表されたことで、太守府には朝から説明を求める人たちが詰めかけていた。どうにかしてくれみたいなことを言う人も多かったけど、下手に抵抗すれば市街戦に発展することもあり得る。ジェイネラル将軍がこの都市を占領し続ける意味をなくすための太守令は布告したとモッチャール司教が宣言したことで、すでに打てる手は打ってあるのだと納得してくれた模様。ものわかりの悪い一部の連中を残して太守府から出ていった。
「なんかあの人たち、自分はかわいそうってくり返してるだけじゃないですか?」
「だから、周りに遅れをとるんだろうね。要領のよい人たちは、あとは自分でどうにかするしかないって行動を始めてることに気づかないのさ」
自分たちは何も悪いことしてないのに軍に占領されるなんておかしいと太守府の官吏たちに群がっている人だかりを指差して、あいつらは泣きつけばどうにかなると本気で信じているのかとモーマンタインさんが尋ねてきた。置かれている状況はみんな同じ。とっくにスタートの合図は鳴らされたのに、いつまでもグズグズして走り出さないからビリになるってことを理解できない連中だと答えておく。
太守府を出て海軍の港に向かう途中、馬車の窓から外を眺めれば、バタバタと人が駆けずり回り商店にはど派手な値引き販売の札を掲げられている。軍による統制が始まったら、逃げ出すにせよ資産を隠すにせよ現金化しておく方が便利だと考えたのだろう。港近くにある太守府の出先事務所にはめっちゃ人が集まっていた。審査が省略されたおかげか、埠頭では交易船への積み込み作業が急ピッチで進められている模様。次々と荷車が牽かれてきて渋滞を起こす有様だ。
馬車が海軍の営舎へ到着したら、まずバナナンテのご機嫌伺いに向かう。思ったとおり不機嫌なご様子で、足をドシドシ踏み鳴らして不満を訴え厩務担当の兵隊さんを困らせていた。原因はもちろん飼料である。
「こいつは甘やかされて贅沢に育ってますから標準的な飼料では――んんっ?」
トウモロコシとカラスムギでは満足できない我が儘な美食家なのだと説明しようとしたところで、昨晩感じたばかりの甘い香りが僕の鼻腔をくすぐった。厩舎には似つかわしくない匂いだ。なぜこんなところでと房内を見渡せば、敷き藁の一部がかき集められて不自然に盛り上がった場所がある。雄鶏が卵を産むわけもなし。こいつはおかしいと調べようとしたら、バナナンテの奴が僕を近づかせまいと立ち塞がった。とってもあやしい。
「バナナンテ。クソビッチのおならを焚かれたくなかったら下がるんだ」
地獄の苦みを味わいたいのかと脅せば、逃げ場所のない房の中でイボ汁を撒かれては堪らないと諦めたようでバナナンテが渋々と引き下がる。盛り上がっている敷き藁を崩して中を改めれば、そこに隠されていたのは食べ終えた後のバナナの皮だった。
「……タルトが来たんだね。君、バナナを食べさせてもらったのに我が儘言ってたの?」
昨晩、テーブルの上から果物を回収していった3歳児がこっそり与えたに違いない。こんなご馳走をもらっておきながら、まだ飼料に文句をつけていたのかと問い詰めたところ、バナナンテの奴は顔を逸らしてすっとぼけやがった。とんでもない奴だ。
「食事の時間は終わりっ。運動の時間だよっ」
食いしん坊ニワトリを房から引っ張り出して手綱と鞍を着け、バシバシ拍車を入れて兵隊さんが訓練に使っているグラウンドを走らせる。こういうけしからん奴にはドクロ塾で思い知らせるしかない。わき腹が気になってきたのかモーマンタインさんもつき合ってくれた。お日様が昇って暑くなってきたあたりでここまでとし、風通しのよい木陰で休ませる。
「運動したらお腹が空きましたよぅ。お昼ご飯はまだですかぁ」
ランチの時間にはまだ早いというのに、お腹が空いたとモーモー鳴くウシ獣人。もしかして、超絶に燃費の悪い種族なのだろうか。西方まではこれまでより長い船旅になる。連れていったら積んである食料を食べ尽くされてしまうかもしれない。
「案内はイクスブリッジまでって約束です。西方までつきあう必要はないんですよ」
「軍に占領される寸前の街に置き去りなんて、それは心を捨てた鬼畜の所業ですよっ」
僕につき合って西方までくる義理はないのだぞと告げたところ、こんな場所で放り出すなとモーマンタインさんがつかみかかってきた。軍隊の統制下に置かれたら傭兵なんて半ば強制的に動員され、冷たい携帯食だけの食事で戦争へ駆り出されることは必定。そうなったらもう戦場で僕を探し出して相打ち覚悟で討ち果たすしかないと、逆恨みも甚だしい絶対殺す宣言を口にする。
「まぁ、一緒にきたいということなら止めませんが……」
「あったり前です。地獄の一歩手前までつき合って美味しいご飯を提供してもらいますからねっ」
実力の底が知れないウシ獣人に命を狙われては面倒だ。好きにすればよいと伝えたところ、ご馳走はいただくけど地獄の底まではつき合わないと告げられた。ちゃっかり自分だけ助かるつもりとは片腹痛い。もう傭兵の食生活では満足できない胃袋にしてやることを心に誓う。
「ここにいたのか。海軍の船団は明後日に出港するから、そのつもりでいてくれ」
木陰でダラダラしながら食いしん坊の胃袋を堕落させるメニューを考えているとアウドミラル提督がやってきた。出港の予定が決まったようで、提督の司令部がある船団の司令船、いわゆる艦隊旗艦に乗船させてくれるという。セントエウフォリオンに続く街道からイクスブリッジにやってくる人の数に減少傾向がみられ、数日のうちにジェイネラル将軍の軍が到着すると海軍は予想しているそうだ。
「港にはすでに触れを出して交易船の出港を急がせている。我々の出港も前倒しになる可能性があるから、連絡を受け取りやすい場所にいてもらいたい」
「ゴブラジャー」
予想より早く軍が到着するようなら予定を早めるとのこと。いつでも乗船できるところにいるよう言われたので、出港までは海軍の営舎でゴロゴロしていることに決めた。