604 舞い込んできた急報
僕の口から会議の流れを説明してくれと頼まれたので、ジョーダン司教が神託と称して突き付けてきた内容とそれに反発する各国の言い分。東方諸国を【暁の女神】様に加担させようという教国の思惑と、相手が【知の女神】様に従う軍勢であることが暴露されてからのやり取りをざっくりとお話すれば、酷いものだとケガネイ司教は顔をしかめさせた。
「人族国家間で目的のない戦争など起こるはずなかろうに。どこからともなく現れた悪鬼が罪なき信徒を蹂躙するなんて、幼子に聞かせるおとぎ話もよいところだな」
ヤレヤレマッタクとケガネイ司教が肩をすくめてみせる。領土的野心であったり、名声や財を手に入れるため。時に外敵を作ることで国内をまとめるためや私的復讐といった場合もあるけれど、戦争を仕掛ける側が達成すべき目標を定めていないなんてあり得ない。他国の外交官にそんなおとぎ話を披露すれば、ロクに情報収集もできない無能か、肝心なことを隠している詐欺師とみなされて当然だそうな。
「自分がそんな話を聞かせられれば絶対に何か隠していると疑うでしょうに、どうして他者がその説明で納得すると思えるのか不思議でなりません」
「国内派は聞き分けのよい信徒ばかり相手にしているから、自らを客観視する訓練が足りていないのだろう」
お前自身だってその説明じゃ納得しないだろうと、この場にいないジョーダン司教に向かってツッコミを入れるおっさん司祭。教団の聖職者たちは大雑把に分けて国内で信徒たちを束ねる国内派と、外国や国境沿いの街で他国との交渉を受け持つ外務派に分類されるそうだ。現在の総大司教が国内派出身なうえ、前任のアーカン王国大使のやらかしもあって、最近は国内派の発言力が増しているとケガネイ司教が教国の状況を教えてくれた。僕が悪いんじゃないと心の中で反論しておく。
「それにしても、ジェイネラル将軍を聖女様が指名されたとは……ずいぶんと性急な手を打ってきたように感じるな。なにを焦っておるのか……」
「我々に伝えられている神託は『諸国の協力を得て【暁の女神】様に加勢せよ』といった内容でね。外務派は軍司令官にアウドミラル提督を推しているんだ」
教団内では未だ選抜中とされており、国内派が陸軍のジェイネラル将軍を、外務派が海軍のアウドミラル提督をそれぞれ推薦しているのだとおっさん司祭が解説してくれた。諸外国にジェイネラル将軍ということで話を通してしまい、後からすげ替えることは国家間の信頼関係に悪影響を及ぼすと既成事実化を図る。その意図はわかるものの、さすがに急ぎ過ぎだと難しい顔をしているのはケガネイ司教だ。薄汚いやり方に怒りを覚えるより、まるで時間に追われているかのような焦り具合が気にかかるという。
――ピンポーン。この戦争には時間制限が存在します……
天上世界が地上世界から完全に押し出されてしまうまで。それまでの間に【暁の女神】様に捧げられる信仰をガッツリ減らせれば【絶頂神】様たちの勝ち。持ちこたえることができたなら【暁の女神】様の勝ちというのが、それぞれの勝利条件だ。あんまりグズグズしていられないという事情はあるのだけど、特に尋ねられてもいないのにそこまで明かす義理はない。国内派の思惑には興味ありませんという顔で、川で獲れたらしい白身魚の料理をモグモグする。ほど良く脂が乗っていて美味しい。
「そしてつまらん策を弄した挙句、此度の経緯をすべて掴んでいたアーカン王国に見破られ……いや、踊らされたと言うべきか。相手より自分の方が事情に通じていると思い込むのは国内派の悪い癖だな」
アーカン王国がどこまで知っているか確認しないままデマカセを吹聴し、結果として道化を演じさせられた。王国側が一枚どころか十枚上手で、聖女様に傷がつかないよう配慮までしてくれたとは笑うしかない話だとケガネイ司教が盛大にため息を吐き出す。
「守護精霊から神託に相当する内容をすでに伝えられていたというのも驚きですね。その……ベベアナ様とかいう精霊だけど、君は会ったことあるのかい?」
守護精霊という情報源は完全にノーマークだったとおっさん司祭が口にする。もしかしたら、これまでも裏側を知っている相手にバレッバレのハッタリをかましていたかもしれないと暗い顔をしていた。思い出したくない心当たりがあるようだ。自分たちの知る精霊とは違うのかと、僕に会ったことがあるか尋ねてきた。
「僕が在学している魔導院はヴィヴィアナ様が宿ってらっしゃる湖のほとりにありますから、実際に何度かお顔を合わせてます。季節の祭祀には姿を現してくれるようですし、人族のフリをして街を歩いていることも多いみたいですよ」
「守護精霊が街中を闊歩しているのかね?」
ヴィヴィアナ様祭りのたびにネクタールをおねだりにくるなんてことは言わず、祭祀にいらっしゃるとだけ答えておく。街の住人に紛れていることもあると告げたところ、ケガネイ司教がギョッとしたように目を見開いた。普段からメインストリートでど派手なパレードをしていると勘違いさせてしまったようだ。
「祭祀に現れる時はひと目でわかる精霊の姿なんですけど、人族に化けている時は見分けがつきません。湖の水を依代にした分体なので、姿かたちはどうにでもなるみたいですね。首だけの状態で湖に浮かんでいるのを見たこともあります」
「ぶっ……」
微美穴というペンネームでBL本の即売会に参加してますなんて言っても信じてもらえるわけないので、外見からは判別できないのだと説明する。水を依代にしているので形は自由自在。首だけのパターンもあると伝えたところ、食事が美味しくなくなるようなことを言うなとモーマンタインさんに叱られた。生首ではなく、首から下を形作る必要がなかっただけだと説明してもわかってくれない。
「なるほどな。それで、なぜアーカン王国にいる精霊が西方の事情に通じているのか、君には見当がつくかね?」
「僕たちには明かされてませんが、ヴィヴィアナ様は天上にいらっしゃる神様と連絡を取る手段をもっているみたいです。以前にも【竈の女神】様がアレを欲しがってるとおねだりしてました」
ケガネイ司教はヴィヴィアナ湖に宿っている精霊がどうして西方で起きたことを知っているのか不思議で仕方ないようだ。元々は天上で神様にお仕えしていた精霊で、今でも何らかの方法で連絡を取り合っていることまでは判明していると伝えておく。
「もはや、依代を有しているのと変わらんか……。精霊からアーカン王国へ伝えられた内容というのは話してもらえるかね?」
それはもう神様の依代を持っているのと同じことではないかと、頭が痛いとでも言うかのように額を押さえるケガネイ司教。王国が授かったお告げの内容は話しても大丈夫なのかと僕に尋ねてきた。機密事項であることを危惧されているみたいだけど、僕にぶっ刺さってくる魔力が鋭さを増した気がする。どうやら、ここからが本題であるようだ。
「世界のあり方をめぐって【絶頂神】様を始めとする神々に【暁の女神】様が反旗を翻したと聞いてます。【暁の女神】様は地上に降りられた後に天上と地上をつなぐ門を破壊。天上に残された神々は【知の女神】様に神託を下させ、人族に【暁の女神】様のいる神殿を攻めさせることにしたという話でした」
聖女様は天上に残されたままとか、この争いには加わらないと神託を下していないことには触れず、国際会議の際に王様たちへ伝えられていたことだけ話しておく。ケガネイ司教に伝えられている神託も国内派の司教たちがでっち上げたものだと思うけど、ここでそれを指摘しても教団内の勢力争いに巻き込まれるだけだ。申し訳ないけれど、腐敗した組織の浄化作戦に手を貸している余裕はない。
「世界のあり方とな?」
「なにが起こるかわからない不安定な世界か、定められたことしか起こらない安定した世界かで意見が対立したそうです。今のこの世界は神様でさえ未来のことを知り得ません」
世界のあり方なんて言われても、漠然とし過ぎていてピンとこないのだろう。そんなことで神々が諍いを始めるのかとケガネイ司教が首をひねっていたので、不安定な世界とはいつ予想外の事象が発生して滅亡してしまうとも限らない世界で、安定した世界とは予定外のことが起きない代わりに予想を超えた発展や成長もない世界だと、僕にわかる範囲で説明する。
「う~む……単純なようでいて、とても根源的な違いのように思えるな」
「神々ですら意見がくい違う問題に人が答えを出せるのかと、アーカン王国の王様は匙を投げた様子でした」
「同感ですね。神々の視点は我々とまったく異なるということしかわかりません」
僕の大雑把な説明を耳にして、些細な違いでありながら世界がガラッと別物になってしまう気がするぞとケガネイ司教が難しい顔をしている。王様は考えることを諦めたようだと伝えたところ、神様の目に世の中がどのように映っているのか想像もつかないとおっさん司祭も肩をすくめていた。我関せずと料理をやっつけているのはモーマンタインさんだけだ。
「国王陛下の心労は察するに余りあるが、我々は聖女様にお仕えする立場だ。身の丈を超えた問題に頭を悩ませる必要がないのは幸いと言えるな」
「そうでした。我らはただ聖女様のお言葉に従うのみです」
もっとも、答えを出すのは我々ではないとケガネイ司教は判断を聖女様に委ねた。自分たちは決定に従うだけのリーマンですとおっさん司祭も考えることを放棄する。普段は好き放題にお告げをでっち上げているくせに、困った時だけ上司に丸投げとはけしからん部下どもだ。なんだか、聖女様は神託なんて下してないぞと真実をバラしてしまいたくなってきた。
――我慢だ。感情に流されてはいけない……
ふたりの困った顔を見てやりたいといういたずら心が湧き上がってくるのを懸命に抑え込む。国内派の不正を暴くなんてことにつき合っている暇はないのだ。出された肉料理をモグモグして心を落ち着ける。
「ご歓談中のところ失礼します。司教閣下、至急目を通された方がよろしいかと……」
自分たちは神のしもべ。決めるのは神様だから気楽なもんよとケガネイ司教とおっさん司祭が笑い合っているところに、給仕を務めていたひとりがメモを持ってきた。どうやら、急報のようだ。ワニどもが川から上がって攻めてきたりしたのだろうか。
「なっ、なんだとっ。猊下は正気なのかっ?」
どれどれとメモに目を通したケガネイ司教が突如として素っ頓狂な声を上げる。教団のトップがなにかやらかしたっぽい。誤報ではないのかとメモを持ってきた給仕に確認したものの、セントエウフォリオンに滞在している外務派司教からのヒッポグリフ便が到着したと耳にして顔色を青褪めさせた。わざわざ航空便を使うなんて、これはもう非常事態を覚悟した方がよさそうだ。
「僕たちは外した方がよさそうですね」
「……いや、内容は総大司教猊下の公式発表に関することだから外す必要はない。むしろ、君の意見も聞かせてもらえると助かる」
緊急事態とあっては仕方ない。まだお腹いっぱいになってないのにと瞳をウルウルさせているウシ獣人を連れて退席しようとしたものの、すでに公表されている内容だから隠す意味はないとケガネイ司教に止められた。国際会議に関係することなのか、僕にも聞いてもらいたいという。
「司教閣下いったい何が?」
「皆、落ち着いて聴くように。二日前のことだ。総大司教猊下がイクスブリッジの太守権限をすべて凍結。陸軍を派遣してジェイネラル将軍の統制下におくことを宣言した」
「ふぁっ?」
ケガネイ司教の驚きっぷりを見てただ事ではないと察したのだろう。なにが起きたのかとおっさん司祭が尋ねる。取り乱さないようにと前置きして読み上げられたメモの内容に、思わず変な声が出てしまった。ここワニガデールが攻められるという話なら今晩のうちにトンズラすればすむものの、よりにもよってイクスブリッジで軍政が敷かれるというのだ。
「どうして君が驚くのかね?」
「モロニダスさんはイクスブリッジで西方へ向かう船を探す予定でした」
「あぁ……それでは他人事と笑っていられないな」
さすがに反応が大袈裟すぎるのではないかとケガネイ司教に問い質される。ショックにプルプル震えて声が出ない僕の代わりにモーマンタインさんが答えてくれた。そいつは災難だったなと上辺だけの同情をかけられる。
「予兆もなく、このような強硬策に出るとは……やはり、なにか焦っているようだな」
イクスブリッジは西方との交易都市であるため聖女様の信徒でない外国人も多い。それはつまり、教団や聖職者の威光が通じない相手が多いということでもある。そのため太守にはワニガデールと同じく交渉に長けた外務派の司教が任命されているのだけど、その権限を凍結して軍に占領統治させるということは、軍事力を背景にかなり強引なことを企んでいる証拠だと予想を口にするケガネイ司教。一番考えられるのは、兵員を西方へ輸送するための船を徴発することだそうな。
「海軍の船は軍船だから、航海に慣れていない兵士を乗せる余裕なんてないんだ。兵を運ぶには交易船の方が適している」
水夫として役に立たない陸軍の兵隊さんは、早い話が荷物でしかない。軍船で乗せる場所を確保するには武装を降ろすしかないので、別に交易船を確保する必要があるのだけど、西方へ向かう船のほとんどはもう積み荷が決まっている。太守に依頼して通常の手段で手配したのではとても足りないから、無理やり奪うことにしたのだろうとおっさん司祭が総大司教の思惑を説明してくれた。
「交易船を徴発したりすれば西方との交易が断絶してもおかしくない。それだけの犠牲もいとわないなんて、猊下はいったい何を焦っている。どうしてそれほど急ぐのだ……」
もちろん、交易船を徴発したりすれば教国側だってタダでは済まなくなる。この先、西方諸国との関係悪化は避けられず、交易による収入は大幅な減少を余儀なくされるだろう。将来にそれほどの爪痕を残してでも、今この時に実行しなければならない理由があるのかとケガネイ司教が唸っている。
――そうか……。多分、総大司教って人は知ってるんだ……
一見、先のことなど考えない自滅必至の強硬策に思えるけど、僕の頭の中でひとつの推論がつながった。そう考えれば、この無茶な決定も先々のことを考慮したからこその行動なのだと筋は通ってくる。誰か知らないけど、この戦争の結末を伝えたのだろう。
【暁の女神】様が唯一の神様となった世界に聖女様はいないってことを……