603 ワニガデールの太守
スートーの街を出立した僕とモーマンタインさんはトットコ、トットコ街道を駆け抜け、エウフォリア教国との国境にある川岸へ到着した。川幅が500メートルを超えてそうな大河で橋はかかっておらず、向こう岸とは船で往来しているようだ。渡し船に乗るべく桟橋へ向かえば、ワニが水面にプカプカ浮いてこっちを見てやがる。尻尾まで入れても2メートルに満たないので人喰いワニではないと思うけど、ちっこいロゥリング族ならワンチャンあると考えているに違いない。なんか、そういう顔つきをしている。
「あんなちっさい船で、よくワニがウヨウヨいる川を渡る気になるもんだね」
渡し船は1本マストに横帆を張った帆船で、全長は20メートルに満たず幅も5メートルくらいしかない。荷物を多く積むためなのかマストの位置が前寄りで不格好だ。人喰いワニの体当たりを受けたらひっくり返ってしまうのではなかろうか。
「充分、大きい方ですよ。大型軍船なんかと比べないでください」
あんなに小さくては不安定ではないかと指差したところ、キングゴウティン三世号を引き合いに出すのはやめるようモーマンタインさんにたしなめられた。まぁ、いい。いざという時は自分だけでもバナナンテの空中散歩で脱出できるよう、ヴィヴィアナロックの魔導器をすぐ取り出せるようにしておく。他の乗客は全員見捨てることになるけど、備えを怠る方が悪いのであって僕が責められることではないはずだ。
騎獣は人の4倍というボッタクリ運賃を支払って渡し船に乗せてもらう。船が桟橋を離れ川へ漕ぎ出すと、すぐ横をワニどもが泳いでついてきた。マヌケな獲物が落っこちてくるのを待っているのだろう。
「こいつら、人を襲う気マンマンだよ。追っ払わなくていいの?」
「魚をくれるんじゃないかって期待してるんですよ。いくらワニだからって丸呑みできない相手を襲うほどバカじゃありません」
水に落ちたマヌケを食べる気だとついてくるワニどもを指差したものの、たまに餌をくれる人がいるからだとモーマンタインさんは取り合ってくれない。こいつらは自分より大きい獲物もドリル攻撃でバラバラにして喰っちまう凶悪な生き物だと知らないのだろうか。こちらが油断したところを襲うつもりに決まっていると警戒していたところ、岸から100メートルほど離れたあたりでワニどもは引き返していった。けっして隙を見せない僕に恐れ入って諦めたに違いない。
この辺りは水運が活発なようで、川の真ん中あたりは上流や下流にある街へ向かう貨物船の航路になっているようだ。長さも幅も渡し船の倍はありそうな船が帆を広げて川を遡っていく。ワニガデールの街がある向こう岸は港になっているようで、いくつもある桟橋に中型の船が泊まっていた。貨物船の起こす波に揉まれながら、渡し船は港の一番隅っこにある小さな桟橋を目指して進んでいく。
「ほら、襲ってきたりしなかったじゃないですか」
「怪しい動きをみせたら容赦しないぞと、僕がずっと牽制していたおかげだね」
「その根拠のない自信がどこから湧いてくるのか不思議でなりません」
ワニガデールの桟橋に到着し渡し船から降りたところで、ここのワニは人を襲ったりしないとモーマンタインさんが言い張った。僕が船を守っていたことにはまったく気がついていないようだ。たんぽぽをムシャムシャしていれば生きていける牛には、いつだって喰うか喰われるかな肉食種族の世界が想像できないのだろう。
川沿いに位置するワニガデールの街は外壁こそないものの周囲は水堀で囲われており、さらにエリアを分割するように内堀が配置されているそうだ。僕たちが上陸した港も出島のようになっていて、橋を渡らなければ隣のエリアへ行くことができない。橋を渡るためには否が応でも出入国管理所を通過しなければいけないという構造になっていた。
「アーカン王国に駐在している大使司教様から紹介状をいただいております」
「ご案内いたします。どうぞこちらへ」
「こんな待遇を受けているのに貴族じゃないなんて、私は信じませんよ」
木造3階建ての出入国管理をしている庁舎に足を踏み入れれば、ロビーは入国審査を待つ人たちでごった返していた。教国民はこっち、外国人はあっち、水運業者はそっちだと仕分けしている係員さんに紹介状がある旨を告げれば、こちらへとロビーの隅っこにある目立たない扉から応接室のような部屋に通される。どう考えてもこれはお貴族様対応だとモーマンタインさんがンモー、ンモーと肩を怒らせるものの、僕が貴族はもちろん士族ですらないのは事実だ。現実を認めるよう言い渡しておく。
飾られている調度品を拝見しながら待っていると、祭祀用の礼装を身に着けたおっさんが部屋に入ってくる。仔豚司祭が着けていたのとそっくりだから、このおっさんも司祭様なのだろう。椅子に腰かけるよう勧められたので席に着いて、司教大使のくれた紹介状を渡す。封を解いて内容を確認していた司祭のおっさんだけど、ま~た余計なことが書かれていたのか急にギョッとしたように目を見開いた。
「君を礼拝殿へ招待したい。太守を任されている司教閣下と晩餐を共にしていただけないだろうか?」
「んもぉぉぉ……。ま~たこれですか……」
この都市の太守司教と晩餐会をセットしようぢゃないかと唐突に言い出すおっさん司祭。マットゥーナ司教様は、いったい何を書いてくれちゃったのだろう。頭がくらくらするとモーマンタインさんが目を回しているけど、頭が痛いのはこっちの方だ。
「サール公国でも同じようなお招きを受けました。情報を聞き出したいということであれば応じますけど、あまり体裁に気を遣う必要はありませんよ」
「どこの国も考えることは同じだな。だが、晩餐会の方が都合がよくてね――」
わざわざ大層な席を用意する必要はない。会議でも執務室でのやり取りでも話すことは一緒だと告げたところ、晩餐会にするのはこちらの都合なのだとおっさん司祭が顔を寄せてきた。
「――どこに情報を流すかわからない書記の連中を締め出したいのだよ。君の握っている情報を面白く思わない連中もこの国には存在する」
この都市の太守はマットゥーナ司教と懇意の仲だから、直筆の紹介状を持った客人が訪れたなら晩餐会でもてなすのも不自然ではない。そして、食事の席であれば給仕する人も含めて身元の確かな者に限定できると小声で話すおっさん司祭。官吏の中には疑わしい者も多いので、書記が同席して当たり前な会議は好ましくないそうだ。
「知られてはマズイと考える者がいると?」
「マットゥーナ司教に伝えられた神託は我々が聞かされている内容と異なるようだ。これだけでも話を拡散されるのは都合が悪い連中がいることはわかるだろう」
どうやら、ジョーダン司教は同じ教団内の聖職者たちにも黙ってお告げをでっち上げていた模様。もちろん単独犯であるわけがなく、今回の戦争を利用して派閥勢力の拡大を目論んでいる連中が背後にいることは明白だそうな。とんでもない不祥事なので、話が広まる前にもみ消しを図ることは目に見えているという。
ところ構わず口外するのは危険なので、国際会議でのことは晩餐会で司教閣下にだけ話してくれとおっさん司祭からお願いされる。どんな内容であれ、僕を裁判の証人にしたりしないとも約束してくれた。外国人の証言だけでは証拠として不十分だから、本格的に追求するのはマットゥーナ司教から詳細な報告が届いてからになるそうだ。
「では、太守司教様にだけお話しすることにしましょう。教団内の勢力争いに巻き込まれるのは勘弁願いたいですからね」
教団が一枚岩でないことは聖女様のお話から予想できていたものの、まさか外国へ伝えるお告げの内容まで一本化できていないとは驚いた。組織内部で様々な思惑があったとしても、対外的な体裁くらいは整えていると考えていたのだ。グダグダな足の引っ張り合いも、ここまでくるともう誰が教団を代表しているのかわからない。いつ梯子を外されるか知れたものではないので、関与は最小限にとどめるのが賢明だろう。勢力争いに利用されるのはまっぴら御免だと告げておく。
「感謝する。君にとって何ひとつ益のない話につき合わせるのは、これを最後にしよう」
このおっさん司祭の魔力から伝わってくるのは怒りを通り越した呆れの感情だ。少なくともジョーダン司教のでっち上げを知られて困る立場ではないと思う。口封じされることはなさそうだと晩餐会の話を了解したところ、つまらない話はこれっきりにすると請け負ってくれた。
僕はマットゥーナ司教に紹介された客人。モーマンタインさんはその従者というふれ込みで都市の中心にある礼拝殿へ招かれる。おっさん司祭は太守司教様からの信頼が厚いのか、あっさりと本日の晩餐を共にしようと話がまとまった。太守を務める司教様のスケジュールがたまたま空いていたなんてあるはずもなく、いくつかの予定がキャンセルされたことは明らかだ。もっとも、ライバル司教のヤバいネタを仕入れましたと聞かされれば重要性の低い会合のひとつやふたつはすっぽかしたくもなるだろう。
もちろん礼装なんて持ち合わせているわけがないので、僕とモーマンタインさんは侍祭が祭祀の際に身に着ける礼服を貸していただく。侍祭は聖職者ではなく教団に奉仕する信徒という位置づけなので、子供サイズや女性用も幅広く取り揃えてあった。お風呂をいただいてさっぱりした後、世話役を仰せつかったおっさん司祭に連れられて晩餐会の場へ向かえば、豪華ではあるもののこじんまりとした部屋へ通される。声が漏れるのを防ぐためか窓はなく、壁にはいかにも音を吸収しそうなでっかいタペストリーが飾られた、密談をするのにぴったりな部屋だ。
「隣の部屋に6人も潜んでいますね」
「それは給仕にあたる者たちだ。身元はしっかりしているので安心していい」
さっそくロゥリングアクティブサーチで周囲を探る。少なくとも魔術で身を隠している不届き者はいないようだ。隣の部屋から感じる6人分の魔力は給仕を任された人たちで、厳選されたメンバーだから心配はいらないとおっさん司祭が太鼓判を押す。
「奥の部屋にふたり……」
「奥は司教閣下の控室になってる。一緒にいるのは侍従だよ」
こっちにもふたり隠れているぞと告げたものの、太守司教様とおつきの侍従という答えが返ってきた。もったいぶって最後に登場するつもりのようだ。
「そして、天井裏に――」
「なにっ?」
天井の一角へ視線を向ければ、ここは無警戒だったのかおっさん司祭が驚いたような声を上げる。素直でよろしい。
「――は、誰もいないようですね。安心しました」
「うごっ……」
膝が抜けてしまったのか、その場にすっ転ぶおっさん司祭。そこまで大きなリアクションはしなくてもいいと思う。
「驚かせないでくれ。というより、どうして人数まで正確にわかるのだ?」
「それはまぁ、感じるとしか……」
こっそり人を配置していてもバレバレだぞと軽くジャブを放てば、どうして壁の向こうにいる人数を正確に把握できるのかとおっさん司祭が尋ねてきた。感じるとだけ答えておく。ロゥリング感覚を伝えるのに適切な言葉が見つからないだけで嘘は言っていない。バナナを食べたことのない相手にバナナの味を言葉で伝えることができないのと同じである。
「まもなく司教閣下がいらっしゃる。君はこちらだ」
部屋の真ん中には大きな長テーブルがで~んと鎮座している。席はここだとおっさん司祭が僕の身体を持ち上げて椅子に腰かけさせてくれた。隣はモーマンタインさんで、おっさん司祭が対面の席に着く。太守司教様が上座。いわゆるお誕生日席のようだ。僕たちが席に着くと奥の部屋に通じる扉が開いて、マットゥーナ司教より年上と思われる爺さんが入ってきた。身に着けている装束が司祭より重々しいので、この人がワニガデールの太守司教様だろう。
「太守を務めるケガネイだ。マットゥーナからの紹介状には目を通させてもらった。招待に応じてくれたことを感謝しよう」
今夜は内々の会合なので細かい作法を気にする必要はない。堅苦しくしないで欲しいと話しながら侍従のおっさんに椅子を引いてもらい着席するケガネイ司教。年相応に白髪なものの、名前のわりに頭はフサフサだ。モーマンタインさんの魔力からウキウキした様子が伝わってきたので、司教様がおっしゃっているのは無礼講という意味ではなく、教団内における特殊な作法は気にしなくてよいということ。常識的なラインは守るよう釘を刺しておく。
「外交交渉の心得もない者が手数をかけてしまったようだ。アーカン王国にずいぶん気を遣わせてしまったと紹介状にあったよ。完全な決裂に至ることは回避してくれた。それを裏で仕切っていたのが君のように見えたとね」
「さすがにそれは買いかぶり過ぎかと……」
僕がチョロチョロし始めるとアーカン王国がそれまでの流れを変えてくる。参加者である王様やホルニウス侯爵様を楽団の演奏者に例えるなら、僕が指揮者であるようにマットゥーナ司教の目には映ったらしい。ちゃんと控室に王女殿下と官吏たちが待機しており、僕は指示を届けていただけと説明する。
「どこの国も、もちろん我が国も同じようなことはしている。だから、わかるのだよ。そのような役を任せられるのは、王国側の目的や思惑を理解できている証拠だとな」
してやったりと笑みを浮かべるケガネイ司教。伝令役を任されていたと認めたことは会議記録に残る表面的な部分だけでなく、裏の事情にまで通じていると白状したも同然だったようだ。おそらく、マットゥーナ司教と同じく外務分野で経歴を重ねてきた人なのだろう。聖職者が白と言ったら黒でも白な信徒ばかり相手にしてきたジョーダン司教とは比べ物にならない交渉上手とみた。
「なに、無理に口を割らせようなんて考えてないから安心してくれたまえ。共に食事と会話を楽しもうぢゃないか」
口を割らせたりはしないけど、滑らせるのはそっちの責任とでも言わんばかりの表情でケガネイ司教が片手をあげて合図を出す。すぐに隣の部屋の扉が開いて、給仕にあたる人たちがお皿や食器を並べ始めた。コース料理のようで、最初はオードブルからだ。モーマンタインさんはもう興奮MAXである。
「教国に交渉事を得意とする方がいないはずありませんでしたね。油断していたと、素直に認めます」
「太守に任じられてからは、こんな会話を楽しむ機会もなくなってな。しかし、【鉄のホモ】の息子とは因縁を感じざるを得ない」
ケガネイ司教様は太守となる前にマイダディとバチバチにやりあった経験があるらしい。腹の探り合いとか、騙し合いが楽しくて楽しくて仕方ないようだ。気が重くなってきた。
そうか、全部アイツのせいか……