600 サルコールたち
タヌコさんに紹介してもらった職人に矢の製作を依頼したところ、調整に二日かかるという話だった。飛び込みの依頼にもかかわらずトモダチなのだとサルコがお願いしたらあっさり引き受けてもらえるあたり、トラ獣人の盾を維持するのにひと役買っているサルコールたちは大事にされているようだ。厩舎付きの倉庫が空いていたので、完成するまで間借りさせてもらう。
「助かるわぁ。仕入れは結構な重労働だったのよ」
「ンモーッ、力仕事なら任せてくださいっ」
一夜明けた翌日、僕たちはタヌコさんとサルコに連れられて、集落の外れにあるサルコールたちの住む洞窟へ向かう。元気いっぱいに荷車を牽いているのはモーマンタインさんだ。酒場で売るお酒を仕入れると耳にして、酒好きなウシ獣人はお駄賃代わりのタダ酒にあっさり釣られやがった。
集落の外れに到着すれば、岩の壁が地面から生えたかのようにそそり立っている。もしや断層というヤツだろうか。そして、空堀と木柵に囲まれた砦みたいな場所があった。集落全体を防御するのではなく、襲われた時はここへ逃げ込むというのがタヌキ獣人の防衛戦術なのだろう。堀はそれほど深くないものの、入り口は跳ね橋になっているうえ櫓もあるからブサオークに攻められても撃退できそうだ。跳ね橋を渡って櫓を兼ねた門をくぐれば、中には武器や食料が備蓄されていそうな倉庫が立ち並んでいる。
「トモダチ キターッ」
砦の中に入った途端、トモダチが来たぞと声を上げてサルコがパタパタ走っていく。一番奥は岩の壁で行き止まりになっているのだけど、天井付きスロープの先に洞窟がぽっかりと口を開けていた。ゾロゾロとサルコールたちが姿を現す。
「トモダチ サケノム」
「アリガトー アリガトー」
「アカチャン ハルニウマレタ ダッコスル」
あっという間に僕を取り囲むサルコールたち。どこの神様か知らないけど、サルコだけでなく全員に夢を見させていたようだ。トモダチ、トモダチとペタペタ引っ付いてくる。そのうちのひとりが抱っこさせてやると春に産まれたばかりの赤ちゃんを差し出してきた。ちょうど、ゾンビになっていた赤ちゃんと同じくらいの大きさだ。抱き上げてほっぺをコショコショしてあげれば、食べ物だと思ったのかちっちゃな手で僕の指先を握り締めようとする。亡くなった赤ちゃんも、きっとこんな風に愛らしい子だったに違いない。
ふと、【暁の女神】様が創ろうとしているくり返す世界なら赤ちゃんのうちに失われる命をなくせるのではと思いつく。定められた出来事しか起きない世界なのだから、痛ましいシナリオは最初から排除しておけばよいと考えたところで、それがヘルネスト並みに浅はかな発想であることに気がついた。自然界にはほとんど生き残れないという前提で、とんでもない数の子供を残す生き物もいるのだ。そういった生き物は他の生き物に食べられることで食物連鎖を支えているから、すべての個体が無事に成長したら生態系は崩壊する。ひと握りが成長できればよしとするのも生存戦略のひとつであり、特定の種族だけ赤ちゃんのうちに亡くなることがないようにしてくださいなんて不公平なお願いを聞き入れてくれる女神様ではないだろう。
老いも病も争いもなかったという黄金の時代。誰もいなくならない世界で、生き物たちは新たな命の誕生を喜ばなくなったとタルトは語っていた。僕たちが生きる今の世界は、神様たちの様々な失敗と試行錯誤の末にバランスが保たれているに違いない。思いつきひとつで改善できるほど単純なものであるはずがないのだ。
「僕にできることなんて高が知れてるけど、君が元気に育ってくれたら嬉しいよ」
「ウイー?」
神様に頼るという安直な考えはさっぱり放棄してサルコールの赤ちゃんをヨチヨチとあやす。どこにでもいるありふれたロゥリング族でしかない僕にできるのは、せいぜい遊び相手になることくらいだ。まだ言葉を理解できるはずもなく訝し気に首を傾げていたものの、顎の下をコチョコチョしてあげればすぐに上機嫌になった。とっても愛らしい。生き物の赤ちゃんは見ているだけで心が和む。
「トモダチ ジョーズ アカチャン ヨロコンデル」
赤ちゃんはすっかりご満悦だとサルコールたちも手を叩いて喜んでいる。仲間意識の強い種族らしく、子供は群れで大切に育てている様子だ。僕がサルコールたちと赤ちゃんをあやしていると、お酒を仕入れてきたのか甕をいくつも乗せた荷車をモーマンタインさんが牽いてきた。
「ンモーッ。トモダチのおかげでた~んまり譲ってもらえましたよっ」
「今日はお得なサービスディとしましょう。予告なく割引になる日があれば、トラ獣人たちに毎日欠かさず確認に訪れる理由ができますからね」
イヒヒヒ……と笑い合うモーマンタインさんとタヌコさん。生まれたばかりのころは純粋無垢だったはずなのに、ここまで薄汚れてしまうものかと尿意が湧き上がってくるのを禁じ得ない。もっとも、パトロール隊が頻繁に訪れてくれればそれだけ安全になるってことくらい僕だってわかっている。最終的な勝者はサルコールたちなのだから、いただいたお酒は好きに使わせてあげよう。
明日も遊びに来るからと告げてサルコールたちのいる砦を後にし、タヌコさんの酒場へと戻る。モーマンタインさんはこれから芋の収穫を手伝いにいくそうな。お駄賃代わりのクズ芋が目的なのは間違いない。タヌコさんはランチタイムの仕込みに取り掛かって、僕はサルコを伴いバナナンテを散歩に連れ出す。テクテク集落の中を散策すれば、騎獣に跨ったのは初めてなのか住人とすれ違うたびにサルコがミテ、ミテとアピールする。こいつは人気者のようで、タヌキ獣人たちはみんな笑って手を振り返してくれた。
「トリサン ウゴカナイ?」
「こいつめ……食べ物を見つけるとすぐ止まりやがる」
最初のうちは順調だったものの、途中でバナナンテがピタリと足を止めて動かなくなった。どうかしたのかとサルコが首を傾げているけど、食いしん坊の考えることはひとつしかない。僕の視線の先では囲いの中で飼われているニワトリに、タヌキ獣人の少女が葉物野菜をどっちゃり与えているのだ。おそらく、虫に喰われてしまったので間引かれた廃棄野菜だろう。バナナンテの奴が期待を込めた瞳でチラチラとこちらの様子をうかがってくる。
「その野菜くずを少々わけてもらえないでしょうか?」
「おっ、お化けニワトリッ?」
まったく仕方のない奴だと呆れつつ、ニワトリを飼育している10歳くらいの女の子に話しかける。驚かすつもりはまったくなかったのだけど、自分よりデカいバナナンテを見てニワトリが化けて出たと腰を抜かしてしまった。
「タヌカ ハッパ チョウダイ」
「サルコちゃん?」
この子はタヌカちゃんと言うらしく、サルコは顔なじみのようだ。バナナンテを座らせて鞍から降ろしてやれば野菜くずをくれとタヌカちゃんにしがみつく。快く了解してもらえたので、バナナンテを囲いの中に入れて轡を外してやる。ニワトリたちは肝が据わっているのか、はたまた仲間だと認識しているのか、あっさりとコケトリスを受け入れて地面にばら撒かれた野菜くずを並んで啄む。好奇心の強い奴がいるようで、一羽が鞍の上に登って遊び始めた。もちろん食いしん坊はそんなこと気にも留めず、野菜くずを夢中でモグモグしてやがる。
「この子ってニワトリなの?」
「コケトリスって言うんだけど、種族なのか品種なのかと問われると……う~ん」
こいつもニワトリなのかとバナナンテを指差すタヌカちゃん。改めて尋ねられると、キジやヤマドリみたいに別種扱いなのか、田西宿実の世界にあったブロイラーとか烏骨鶏といった品種の違いなのかは謎である。これまで気にしたこともなかったので、ロリオカンにもプッピーにも正確なところは確認していない。僕はおっぱいを求めるハンターであって、生き物の分類学者ではないのだ。
「なんか、普通に混ざっちゃってるわね」
「でっかい仲間の近くは安全だってわかってんじゃないかな」
ここにいるニワトリは採卵用のようで、囲いの中にいるのは一羽残らず雌鶏だ。縄張りを主張する雄鶏がいないせいか、ゾロゾロとバナナンテの近くに集まってくる。野菜くずを平らげてしまうと、鞍によじ登ったり翼の内側に隠れたりして思いおもいにくつろぎ始めた。めっちゃ懐いてるぞとタヌカちゃんが呆れていたけど、雌鶏たちにしてみれば特大の安全地帯ができたようなものだろう。こんなバカデカい雄鶏がいるならイタチやオオカミを警戒する必要もない。
「まぁ、いいわ。私は卵を集めてくるから、サルコちゃんはニワトリたちを遊ばせててちょうだい」
「マカセテガッテン」
陽当たりがよく安全なバナナンテの近くでくつろいでいる今がチャンスだと、タヌカちゃんがニワトリの飼育小屋へ卵を漁りに向かう。雄鶏がいないから、すべて無精卵なはずだ。孵ったばかりのヒヨコも見当たらないし、繁殖はまた別の場所でさせているのだろう。しばらくすると卵を1ダースほど回収してきた。ミスト洗浄の魔導器で割ってしまわないよう慎重に洗ってあげる。
「ホンジツ サービスディ」
「じゃあ、後で半分ほど届けておくわ」
今日はお酒が安いのだとサルコが告げたところ、ピカピカになった卵を検分していたタヌカちゃんが差し入れを約束してくれる。まだ幼くても、この集落の安全がタヌコさんの酒場にかかっていることは承知しているのだろう。トラ獣人は大喰らいだから、お酒が進めばおつまみが欲しくなるに決まっているとニヤニヤ笑みを浮かべていた。集落ぐるみでトラ獣人を利用し尽くすタヌキ獣人のしたたかさには舌を巻くしかない。
タヌカちゃんと雌鶏たちに別れを告げ再び散策を続ければ、なんか甕がいっぱい並べられている場所を見つけた。どうやら、この集落では焼き物をやっているようだ。並べられているのは粘土を形成しただけの甕だから、焼く前に乾燥させている最中なのだろう。
「コレ カメノオッチャン」
「カメゾウだ。ちゃんと憶えろ」
お酒を造っているのだから、容器の需要はあって当たり前だ。陶芸家らしきタヌキ獣人のおっちゃんを指差して、甕を作ってくれるおっちゃんなのだとサルコが教えてくれた。焼き物工房の親方を務めるカメゾウだとおっちゃんが自ら名乗る。紹介するなら名前くらい憶えておけとカメゾウさんがしかめっ面になっていたけど、他人を下僕としか紹介しない3歳児よりはマシだと思う。
「ちょうど本焼きが終わったところだからな。窯から取り出すのは数十日後になるぞ」
今は焼き終わって登り窯を冷却しているところ。急激に冷ますと割れてしまうため、空気の流れを遮断してゆっくり冷ますから数十日ほどかかるという。モーマンタインさんが見つけた黒煙の正体は、焼いている時に上がる煙だったに違いない。
「ホンジツ サービスディ ヒマナラ ノミニクル」
やることがないなら飲みに来いとカメゾウのおっちゃんを誘うサルコ。これはもしや、同伴出勤のお誘いだろうか。やはりこいつはキャバ嬢だったようだ。
「粘土があるんですか?」
「おっ、陶芸に興味があるのか?」
「まったくありませんけど、祭祀に使う人型が欲しいんです。焼かなくていいですから」
サービスディと耳にして、そいつぁいいことを聞いたとカメゾウのおっちゃんがウキウキしていたので、お酒が入る前にすぐに使える粘土はないかと尋ねておく。エウフォリア教国へ入国する前にハズレジジイから最新情報を仕入れておきたいと考えていたのだ。おっちゃんが陶芸の道へ僕を引きずり込もうとしたけど、ロゥリング族に土を捏ねるような力仕事は無理。興味はないけど人型が入用なのだと伝える。いちおう神様を呼び出すのだから、祭祀と言っても嘘にはあたらないと思う。
「神像か? その神様の姿絵でもあれば……」
「人の形をしていれば事足ります。顔も鼻がついてさえいれば充分でしょう。あと、髪の毛はいりません」
神様の像は手間がかかるぞとカメゾウのおっちゃんが口にしたので、シルエットが人でさえあれば充分だと伝える。前後がわかるよう鼻だけはつけてもらい、もちろん髪の毛は不要だ。神様の姿を正確に模した像ではなくシンボルみたいなものだと説明したところ、それならばと粘土をコネコネして人型を作ってくれた。無造作な手つきで精密に形作っていく職人芸には感心するしかない。
「カメノオッチャン アリガトー」
「カメゾウだって言ってんだろ。あとで飲みに行くから、俺の分を残しておくようタヌコに伝えておけよ」
人型が手に入ったので今日の散歩はここまでだ。おっちゃんにお礼を告げて、ホテル代わりに間借りしている倉庫へ戻る。モーマンタインさんが出かけているのは好都合と、さっそくハズレジジイを呼び出すことにした。サルコには秘密を知られてしまうけど、この集落の外にまで言いふらすことはないと思うから構わないだろう。シャルロッテを瓶から取り出して不毛な頭頂部にプスッとやれば、人型がおなじみとなった虹色の輝きを放ち始める。
「今度は何の用だ?」
「シャベッタッ?」
苦々しげな顔で何用かと尋ねてくるハズレジジイ。人型が喋ったとサルコが目をまん丸にして驚いている。これでもいちおう神様なのだと説明したところ、ハズレジジイはしかめっ面をしていたものの何も言わなかった。シャルロッテが【絶頂神】様の依代になることをバラされたくないのだろう。粘土の人型が長持ちしないことはもうわかっているので、大陸西方における戦争の状況を尋ねておく。
「……わが軍、有利」
あ、これダメなパターンだ……