6 やってきたメイド
「そろそろお昼の時間ではありませんか。お昼ご飯を食べるのですよ」
3歳児改め、タルトが空の高い位置にある太陽を指差しながら僕の袖を引っ張ってきた。魂が抜けたように落ち込んでいる僕を元気づけようとしてくれているのだろうか、嬉しくって仕方がないといった笑顔で昼食を勧めてくる。太陽の位置から推察するに、タルトの言うとおりちょうど正午になろうかという時刻みたいだ。
飲み物がないけど、用意しておいたパンはここで食べてしまおう。せっかく森の中まで来たんだし今日は天気もいい。いつまでも落ち込んでいないで、気分転換にピクニック気分に浸るのも悪くない。
日当たりのいい場所を選んで、敷物の代わりに用済みとなった召喚用魔法陣を広げて腰を下ろす。呼び出されるのが【真紅の茨】と確定してしまった以上、もはや使うことはないだろう。人知れず処分する方法を考えなければいけない。
「自分だけ座ってないで、わたくしも入れるのですよ」
空から墜落しても汚れひとつ付かないタルトに敷物を使う意味があるとは思えなかったけど、3歳児を立たせっ放しにするのも悪いので場所を開けて隣に座らせる。僕の隣にちょこんと座ったタルトの頭がすぐ近くで揺れていたのでつい見入ってしまう。
腰のあたりまで伸びた少し癖のある色の薄い金髪は、まるで宝石を薄く伸ばして作ったのではないかと思えるほど陽光を浴びて煌めき、風を含んでふんわりと膨らむ様は綿毛のようでとっても柔らかそうだ。
思わず手を伸ばしてしまったら、細いのにしなやかで羽毛のように軽く優しい手触りにケモラーでない僕ですらモフッてしまいたくなる。
「むふ~。もっと撫でるのです」
許しもなく髪に触れてしまったというのにタルトは怒ることもなくナデナデを要求してきた。3歳児らしく頭を撫でられると安心するのか、僕がヨシヨシと撫でてポンポンと軽く叩いてあげると目を細めて気持ちよさそうにしている。
こうしているとドワーフ国に残してきた妹たちを思い出してしまうな。自分がいなくなって寂しい思いをしていないだろうかと心配してしまう僕は兄バカと呼ばれる人種だろうか。少なくともシスコンではないはずだ。
タルトの髪の毛を堪能しすぎていけない方面に覚醒してはまずいので、名残惜しさを感じながらも手を放し、背負い鞄から昼食のパンを取り出す。コッペパンの切れ目を入れたところにバターをたっぷりと塗りつけただけのシンプルな食事だけど、袖の下に蓄えを使ってしまった今の僕に贅沢が許されようはずもない。
せめて、キャベツとソーセージを挟んでホットドッグにしたかったという未練を断ち切るため、一気にガブリと齧り付いた。
「あ……」
なんだろう? タルトが目を真ん丸にして「信じられない」といった顔をしている。もっとナデナデして欲しいのだろうか。仕方のない甘えん坊だ。左手で持ったコッペパンを食べながら、右手でタルトの頭をナデナデしてあげる。これでご機嫌が良くなるだろう。
「あああ……」
おかしい……。タルトが涙目になってしまった。僕はコッペパンを口に咥えると空いた左手でタルトの顎の下をコショコショしてあげる。
……ダメだ。なんか目に涙をたたえて肩を震わせている。なにがあった?
「どうしてひとりで食べてしまうのですかっ?」
「――はむげっ!」
タルトは泣きながら駄々っ子パンチを浴びせかけてくる。ええ~。だって、精霊は人と同じ食事なんて摂らないはず。エサ代が必要ないと言う話は嘘だったのだろうか。
とりあえず落ち着かせようとタルトの両脇に腕を差し込んで離そうとしたものの、3歳児の外見のわりに力が強くて押し負ける。僕を押し倒したタルトは流れるようにマウントポジションへと移行し、短い脚でガッチリと僕の両脇腹を固めて体をねじって抜け出すことを許してくれない。
そのまま僕の口からコッペパンを毟り取ると、僕のおなかの上に座ったままモシュモシュと食べ始めた。
僕がいったん口にしたことは気にもならないみたいだ。3歳女児に女の子らしい恥じらいを期待する僕が悪いのか、そもそも異種族なのだから異性として意識されるはずがないと納得すべきなのか、いやいやそれではまるで僕が3歳女児に異性として意識してもらいたいと期待しているみたいじゃないか、違うんだ僕は変態でも紳士でもなく、ただ幼い子に懐かれれば悪い気はしない一般的な感性の持ち主なだけで、本当なんだ誓って僕はロリコンなんかじゃないお願いだから信じてトラストミー!
僕が誰にするでもない言い訳をしている間にタルトは僕から奪ったコッペパンを食べ尽していた。満足したらしいタルトをおなかの上から降ろしてパン屑を払ってあげようと思ったけど、いっさいの汚れを弾く魔術でもかかっているのかひとかけらも残っていない。そんな都合の良い魔術は聞いたこともないけど、僕にも使えたら便利そうだ。
「全然汚れないんだね。魔術なの?」
「下僕たちの言う魔術とは違うのです。わたくしにくっつくことを許していませんから、そうなるだけの事なのです」
残念だけど魔術とは少し違うみたいだ。僕たちの使う魔術とは、ひと言で言えば『魔力と引き換えに精霊に自然でない現象を起こしてもらうこと』である。魔力だけでは何もできず、何がしかの現象を起こすのは常に精霊となるため、精霊が働いていない、若しくは未知の精霊による現象は魔術では再現できない。
魔術でも似たような術式は作れそうだけど、たぶん一切合切を問答無用で弾き飛ばしてしまうだろう。触れたいものも弾き飛ばし、最悪の場合、空気を弾いて呼吸すら許されないかもしれない。
精霊は融通なんて利かせてくれないから、対象物や非対象物は厳密に規定して術式に記述しておかないと思いもよらない事故を招く。魔導院で最初に叩き込まれることだ。
「そんなことよりも、お昼ご飯の後はお昼寝の時間なのです」
魔術で再現できない現象もタルトにとってはそんなこと。お昼寝の方が大切みたいだ。
「食べてすぐ寝るとブタになるよ」
「問題ないのです」
女の子としてそれはどうなんだと思いつつ、髪の毛の下に隠れていたフードのようなものを引っ張り上げようとしているタルトを手伝ってあげる。フードに髪の毛を収めて頭にすっぽりと被せてあげると、フードの上にはちょこんとした小さな耳、つぶらな瞳、特徴的な鼻を模した飾りがついていた。
――なるほど……とっくにブタだったわけか……
おなかの辺りだけ白く染め抜かれている僕がピンク色のツナギだと思っていたものは、どうやら『ブタさん着ぐるみパジャマ』だったみたいだ。
魔法陣だけでは敷物として小さいので、脱いだローブをタルトの足元に敷いて靴と靴下を脱がしてあげる。掛物が必要なら僕の上着を使えばいいだろう。お昼寝の準備が整ったところで、僕の腕を取ったタルトが「そばにいてくれる約束なのです」と添い寝をせがんできた。
この僕に添い寝を要求するなんて、子ブタのくせになかなかわかってるじゃないか……
自慢じゃないけど、僕は子供を寝かしつけることにかけては大ベテランの10年選手だ。田西宿実だったころも、モロニダスになってからも、僕は常に兄弟の中で一番上の兄だった。ぐずる幼い弟妹たちを寝かしつけてきた僕のあやしテクは伊達じゃない。僕のロリオカンに至っては、自分の手に負えなくなると僕に丸投げしてきたもんだ。
3歳女児が気持ちよく安心するポイントなんてすべてお見通しよ。お前はもはや丸裸同然。ご飯を食べてご機嫌な今、10分とかからず寝かしつけてくれよう!
素足が冷たくならないように下に敷いたローブを折りたたんで掛けてやり、僕の上着で肩や首筋に風が入らないようにしてあげる。枕がないので頭の下に腕を入れて、首に負担がかからないようこめかみの上の辺りで支え、あとは背中をゆっくりとポンポンしてあげればあ~ら不思議。ほんの5分ほどでタルトの意識は陥落して寝息を立て始めた。
人を騙して罠に嵌める悪魔もこうなってしまえば幸せそうな寝顔が愛らしいただの3歳児だ。僕にしがみつくようにして寝ているタルトの体からはじんわりと体温が伝わってきて、まるで湯たんぽを抱いているみたいな心地よさがある。
ここは日当たりも良いし、こう暖かいと僕まで眠くなってしまうな…………
…………いつの間にかうとうとしてしまった。太陽の位置からするとまだ夕方には早いから、2刻――前世での2時間――くらい寝入ってしまったみたいだ。タルトは……うわぁ……顔をふにゃふにゃにして盛大に涎を垂らしながら熟睡してやがる。
ややうつむき加減に寝ているので涎は下に敷いた魔法陣に零れて……って、魔法陣が発光している!?
僕じゃない。僕から魔力が引き出されていく感覚はない。となれば、考えられるのはタルトだ。変な夢でも見て魔力を注いでしまったのだろうか。
白く光っているのでこのまま何も出てこないことを期待したけど、僕が召喚に失敗した時と違って脈打つような発光を繰り返している。まるで、「邪魔だからさっさとどけ」とでも言っているかのように……
「タルト、起きてよ。魔法陣が起動しちゃってるよっ」
「……む~、もっと食べたいのです……」
ダメだ。完全に寝ぼけている。仕方がないのでタルトを抱っこして持ち上げ魔法陣から離れる。僕たちが離れたとたん、魔法陣が目も眩むほどに白く発光し1体の精霊が姿を現した。
――こっ、これはっ……!
魔法陣から現れた精霊は、上から下まで全身真っ白な、まるで白いメイド服に身を包んだ雪女のような白く美しい精霊だった。人族であれば20歳前後だろうか、白銀に輝く髪と瞳、雪のように白い肌、唯一色がついている大きなバスケットを抱える腕は細くたおやかで、そしてその儚げな印象に似合わず……おっぱいが大きかった。
そう……大きいんだ。僕は決してロリコンじゃない。貧乳を否定する気はないけど、やっぱり溢れんばかりの母性で包み込んでくれるお姉さんに憧れずにはいられない。
どうして……?
どうして、今になって現れたんだ?
僕にとって君は遅すぎた……
あの時君が来てくれたなら……僕は喜んで『初めて』を捧げたのにっ!
「おいしそうな匂いがするのですよっ!」
奥歯を砕かんばかりに強く噛みしめ、血の涙で悲しみを洗い流そうとしている僕の腕の中でタルトが空気を読まない声を上げる。食いしん坊め。ゆすっても起きなかったのに食べ物の匂いには敏感に反応するみたいだ。
だけど、確かに焼き菓子にありがちな香ばしく甘い匂いが漂ってくる。
「お前はあの時のシルキーではありませんか。するとバスケットの中身は約束のブツですか?」
「――――」
タルトの知り合いみたいだ。そしてこれが家に宿るメイド精霊のシルキーか。美しい姿をしていると精霊図鑑にはあったけど、これほどとは……
「――――」
「そういうことでしたか。良いのですよ。わたくしに仕えることを許します」
シルキーのたてるカサカサという衣擦れのような音はどうやら彼女の言葉みたいだ。タルトには彼女が何を言っているのかわかっているらしい。
僕に相談もなく従僕にしてしまったみたいだけど、それはつまり……これからも彼女と一緒にいられるってことだよね。従僕同士、お近づきになっちゃったりして……ムフッ、ムフフッ!
「あそこで気持ち悪い笑い声を上げている下僕は【真紅の茨】の先約がありますので手出し厳禁なのです」
「――――!」
3歳児め、余計なことを……
僕はどうやってもあのゲイ霊から逃れられないというのか……
「――――」
「おや、名前が欲しいのですか。よろしいのです。ど~んとわたくしに任せるのですよ。……シルキーですから……汁姫……お前にはシルヒメの名を与えるのです。それと、天上では二つ名がないと不便ですから、わたくしのお世話をするお前には【純白の斎女】の二つ名を贈るのですよ」
「――――!?」
任せろと言ってその名前はないんじゃないかな? シルキーだって泣いて……あれ? なんか、涙を流しながら嬉しそうに頷いている……
タルトにこっそり「そんなに嬉しいことなの」と耳打ちしたところ、「わたくしから二つ名を賜るのはそれだけで栄誉なことなのです」と堂々と言い放った。自分で言うなんて、いったい何様のつもりなんだろう。でも、二つ名なんてちょっとイイかもしれない……
「じゃあ、僕にもひとつカッコイイのをお願いしてもいいかな?」
「下僕にはもう付けてあげたではありませんか。二つ名をいくつも欲しがるなんて14歳の病気が悪化しているのです」
はて? 僕はタルトに二つ名なんて贈られていただろうか。これまでの会話を思い返してもそれらしい心当たりは……まさか【下僕】?
「最初に会った時に言ったはずなのです。【ニューゴブリン】を名乗ることを許すと……」
「やめてよっ! そんな二つ名いらないよっ!」
必死に抗議する僕を無視してタルトは「例のブツをよこすのです」とシルヒメさんの持っているバスケットに手を伸ばしていた。シルヒメさんが何か言うと、「それは良い考えなのです」と頷いて、彼女の手を借りて脱いでしまった靴やローブを身に着けていく。
シルヒメさんはテキパキとタルトの身だしなみを整え、被っていたブタさんフードを下ろして髪を取り出すとブラシもないのに手櫛だけで綺麗にまとめてしまった。その手際の良さに、さすがはメイド精霊と感心させられる。
「せっかくシルヒメがいるのです。どこかお茶を淹れてもらえる場所でオヤツの時間にするのですよ」
お茶か……。たしかに飲み物もないのにコッペパンを食べてそのまま昼寝をしてしまったせいでかなり喉が渇いている。僕は茶器なんて上等なものは持っていないので、行くとしたら学内にあるオープンカフェか……
シルヒメさんにお茶を淹れてもらうなら茶会室だけど、あそこは学校にまで使用人を連れてくる人向けだから高いし、今の時期は空きがなさそうだ。
「オープンカフェでもいいかな?」
「どこでもいいからちゃっちゃと案内するのですよ」