532 牧場でミルクが手に入ったなら
僕たちに声をかけてきたおっちゃんはモーカラン氏といって、ここの農場主だそうな。宿泊施設は空いているから好きに使ってよいと言ってくれたので、ありがたく獣舎付きのコテージをひと棟貸していただく。コケトリスたちに飼料を与えて休ませてやり、コテージのリビングで休憩していたところ、モーカラン氏が紙束を抱えてやってきた。
「嬢ちゃん、すまない。またお願いしてもよいかな?」
「もちろんですとも」
モチカさんの前にドチャリと積まれる紙束。なんだろうと思って確認してみたら、それは領の行政機関から配布された様々な通知だった。制度が変わりますといった案内から、おすすめ製品の広告まである。なんのこっちゃわからん内容のものも多いので、宿泊場所を提供する代わりに解説や農場に関係あるものの仕分けをモチカさんにお願いしていたそうな。
「これは……園芸サークルのお嬢様の方が詳しそうですね」
「なにかしら…………麦の栽培に関する要領書の改定……あぁ……この話ね……」
ざっと目を通しながら重要なものとほっといて構わないものをより分けていたモチカさんが、紙束の一部を次席へ差し出す。どうやら、農場の技術指導にあたっている機関が発行している標準的な作業要領に変更があったという告知らしい。受け取った次席は思い当たる節があった模様。告知書にはあ~しなさい、こ~しなさいといった指示しかないけど、その背景にある理屈や意図などを交えて解説を始める。
「待ってくれ。すぐに連れてくるから、作業監督たちの前で話してもらえないだろうか?」
「その方がよいでしょうね……現行の要領書と……作付け計画もあると……話がしやすくて助かるわ……」
これはむっちゃ専門的な話になると察したようで、各部門の責任者を連れてくるからとモーカラン氏が話を遮る。なら作業要領と作付け予定表も用意するようにと次席に求められ、農場の本棟へダッシュで呼びに向かった。
「姉さんの趣味も役に立つことがあるんだねっ」
「この国が豊かなのはどうしてなのか……それが理解できないクソビッチへは……お小遣いを支給しても無駄のようね……」
「待ってよっ。どうしてそうなるのっ?」
慌てて駆けてくモーカラン氏を見送ったクセーラさんが、性懲りもなく迂闊なことを口にした。おすまし顔に青筋を浮かび上がらせた次席にお小遣い停止を言い渡され、どうしてそんな意地悪をするのだとすがりつく。動機そのものは趣味だったかもしれないけど、園芸サークルの研究規模は趣味の域なんてとっくに超えている。農業技術に関しては国や領主が運営する研究機関もあるものの、そこに研究者として採用されているのは園芸サークルで学んだ卒業生なのだ。人材の供給源であり研究の総本山でもあるのだから、趣味呼ばわりされて不機嫌になるのも無理はない。
魂の抜けてしまったクセーラさんが床に転がされたころ、モーカラン氏が3人のおっちゃんたちを連れて戻ってくる。作付けや休耕など耕作地を管理するプランナーに穀類と青果類の栽培チーフだそうな。いろんな書類と一緒に、サービスのつもりなのか焼き菓子の入ったバスケットも持ってきてくれた。おやつの気配を感じた食いしん坊たちが動き出す。
「おとなしくブツをよこすのです」
「お菓子はその精霊に渡してちょうだい……長くなりそうだから……仕事の話はこちらのテーブルでやりましょう……」
「精霊なのか……この子が……」
そのバスケットを寄越せとモーカラン氏に催促するタルト。専門家にしかわからない話になるからと、次席と3人のおっちゃんはリビングの隅にあるテーブルへ移っていった。3歳児とうり坊の他、蜜と発芽の精霊に加え手乗り死神にまでたかられて、これがすべて精霊なのかとモーカラン氏が息を呑む。
僕がタルト、発芽の精霊がベコーンたん、蜜の精霊とワルキューはそれぞれの契約者が焼き菓子を食べさせてあげる。おいしい、おいしいとモグモグする姿を見て、精霊というのはみんなヴィヴィアナ様みたいな神秘的な存在で、こんな可愛らしいものだとは思っていなかったとモーカラン氏が感心していた。微美穴先生を知ったら卒倒してしまうかもしれない。真実を目の当たりにする日が来ないことを祈るばかりだ。
「施肥をする際には……土壌に残っている養分のバランスも考えて……」
「なるほど、前に作付けした作物が減らしてしまった分をここで補充するのですな」
次席の方に注意を戻せば、案内の解説では飽き足らず栽培理論の講義となっていた。連作障害を避けるための輪作について話をしている模様。田西宿実の記憶には違う作物を植えるとよいくらいの聞きかじった知識しかないものの、肥料の選び方にもちゃんと法則があるらしい。3人のおっちゃんたちはめっちゃ真剣な顔で話を聞いて、ウムウムと頷きながらメモを取っている。
「魔導院では休耕地に……馬くらい大きくなるニワトリを放しているのだけど……好んで虫を食べてくれるおかげで……害虫の発生がかなり抑えられているみたいなの……」
「それはそれは……とても興味深い……」
まだ実験中と前置きしながら次席がコケトリス飼育を紹介している。休耕中に虫が大量の卵を産み付けて、作付けした途端に大発生という事態を回避できるのではないかと期待しているそうだ。牛とか羊と違って産卵される前に駆逐してくれるところがいいらしい。その話を耳にしたおっちゃんたちは、生体兵器バンザイと怖ろしいことを叫んでいた。
「また、すごいお嬢さんを連れてきてくれたね」
「入学した翌年には、もう園芸サークルを仕切っているような子ですから……」
ホンマニ領の技術指導員より詳しいのではないかとモーカラン氏が目を丸くしていた。ここ数年の間に採用された指導員がいたら総統から助言を受けたと告げておけばよい。それで作業要領と多少違ってもきちんとバックボーンを理解しての判断であることはわかってもらえると、仕分け作業を続けながらモチカさんが説明する。その異名なら伯爵家の嫡子であることを秘密にしたままでも、間違いなく次席のことだと伝わるだろう。
次席による栽培講座はおやすみの時間まで続き、大助かりだとモーカラン氏たちは満足してくれた模様。今年穫れた芋だと、サツマイモのような芋をお礼にどっちゃり譲ってくれる。甘いものが大好きな精霊たちは大喜びだ。とりわけベコーンたんは大興奮して、次席の足にしがみついて離れなくなってしまった。
「姉さぁぁぁん。返してよぉぉぉう……」
「今日は私が抱っこして寝るわ……クセーラはゴレームたんとベッドに入りなさい……ひとりでね……」
翌朝、モーカラン氏の農場を後にして再び耕作地や放牧地の間を抜けて行く農道を進む。よくもまぁ、こんなルートを見つけたもんだと感心するしかない。オムツレッドは意外に優秀だったのだろうか。途中、幅50センチくらいでチョロチョロ水が流れている沢に行き当たる。周りの地面は2メートルくらいの幅で削られているから、大雨が降ったりすれば水量が増えるのだろう。木製の粗末な橋が架けられていたものの、ゴーレムの重量に耐えられるか心配だとクセーラさんはわざわざ橋のないところを渡らせた。荷台にいるタルトが騒ぎ出さないということは、大きく傾いたり強い衝撃を受けたりしなかった証拠だ。どういう操作技術なのだとプロセルピーネ先生に脳みそを解剖してもらいたくなる。
この辺りは畜産が盛んなようで、先に進むにつれ耕作地より放牧地の割合が多くなってきた。見慣れないでっかいニワトリを警戒しているのか、羊たちが固まってこちらの様子をうかがっている。牛はのんびり屋なのか、我関せずと僕たちを気にする様子がない。羊は羊毛が主目的のもの、牛は乳牛種、食肉用には豚というのが主流のようで、たま~にお馬さんの姿もあった。
「私が来ました」
「これはモチカエイルお嬢様。すぐにお部屋を用意いたします」
お昼過ぎに領の境を超えてペドロリアン領へ入り、夕方近くになってモチカさんが案内してくれた牧場へ到着する。ここはショタリアン家が経営している牧場だそうで、オーナーの娘にあたるモチカさんの顔を確認しただけで宿泊棟を提供してくれた。飼育しているのは牛と羊に馬で、なんとヒポリエッタの生まれ故郷であるという。
「ようこそゾルディエッタ様。珍しいお召し物を着けておられますな」
「亜竜の革で拵えた特別製でございますのよ」
懐かしいヒッポグリフに跨っているのが領主の孫娘であることもわかっている様子で、牧場長らしいおっさんが鞍から降りる首席に手を貸しながらご挨拶していた。違いのわかる男らしく、ジラント革で作られたチャップスの希少性を見抜いた模様。彼女が自慢したくてたまらないところをしきりに褒めちぎっている。あいつは名うてのタラシに違いない。
僕たちが案内されたのは周囲を生垣で囲まれ小さな庭までついた、他の宿泊棟とはちょっと趣の異なるコテージだ。絵画なんて飾っちゃって妙に気取った感じを受けたものの、ここはショタリアン家やペドロリアン家といったオーナー関係者がいらした時に使う宿泊場所らしい。なるほど、上流階級仕様なのも頷ける。
「あいにくとご用意できるお食事が我々と同じものになってしまうのですが……」
「事前連絡もせずに訪れたのですから、なんであれ不満などございませんわ」
高貴な方々がいらっしゃるなんて予想していなかったので、今からでは従業員用の食事しか用意できないのだとおっちゃんが申し訳なさそうに告白する。タラシとしてはご満足いただけるものを提供できないのが心苦しいようだ。弁解なんて使えない奴のすることだと3歳児みたいなことは言わず、急遽立ち寄ることにしたので食事はなんでもよいと首席が答えてしまう。それは、ちょっと待っていただきたい。
「乳牛を飼育していますよね。食事はともかく、新鮮な牛の乳はありませんか?」
「げぼぐっ!」
せっかく牧場へ来たのだ。搾りたての美味しいミルクが手に入るのではないかと期待して横から口を挟んだところ、ご馳走の気配を嗅ぎつけたタルトが瞳を輝かせて腰にしがみついてきた。よいところに気がついたとバシバシお尻を叩いてくる。
「これは気が回らずに申し訳ありませんでした。ミルクでしたら今日の午前中に搾って、瓶詰めしたばかりのものがございます」
3歳児の様子に気づいたおっちゃんが、明日の早朝に出荷できるよう殺菌処理を済ませたものがある。ちっちゃい子がいるのにミルクを勧めないなんて不明であったと詫びをいれてきた。タラシにはタラシのプライドがあるのだろう。後頭部にしがみついた蜜の精霊に髪の毛をグシャグシャにされながら、精霊たちのために都合してくれるよう首席がお願いする。これでよし。とりあえずホットミルクで身体を温めよう。
「下僕はいつだってよいことを思いつく、とってもよくできた下僕なのです」
冬場は濃厚なお乳が出る時期だそうで、いただいたミルクは僕がイメージしていたよりトロっとしていた。かまどに火を起こし、かき混ぜながら鍋で温めてやる。沸騰するまで熱する必要はないので、縁の方がプクプク泡だってきたら火から離しカップに注ぐ。熱いから気をつけるようにと渡してやれば、タルトはフゥフゥ息で冷ましながらゴクゴクし始めた。口元に牛乳の幕をベッタリ張りつかせたまま美味しいぞと脚をパタパタさせる3歳児の姿に食欲を刺激されたのか、食いしん坊な精霊たちが僕の周りに集まってくる。
「ぐぎぎぎ……性懲りもなく精霊をたらし込んで……」
「どうしてミルクを温める程度のことを思いつかないのか?」
「結果論で偉そうな顔するんじゃないよっ」
発芽の精霊にはタルトと同じカップで、ベコーンたんの分はお皿で出してやり、蜜の精霊と手乗り死神にスプーンで飲ませてあげれば、おのれ精霊タラシと首席がギリギリ歯を鳴らして睨みつけてくる。思いつかない方が悪いと告げたところ、結果論でドヤ顔すんなとクセーラさんから猛抗議を受けた。結果論の用法が間違っているような気がするものの、荒ぶる魂に突き動かされている乙女に理屈は通用しない。指摘したところで揚げ足を取るなと逆ギレされるのがオチだ。
「下僕~。ロリヴァの素ならいっぱいあるのですよ~」
明日の朝はロリヴァが食べたいとおねだりしてくる3歳児。それを耳にした精霊たちが、僕の反応をうかがうように視線を集中させてきた。
「まぁ、ロリヴァでいいなら楽だからいいけどね」
その程度のリクエストを断る僕ではない。寝る前にミルクロリヴァを仕込んでおこうと請け負ったところ、精霊たちは1体を除いて喜んでくれた。ムスッと不機嫌な顔をしているのは、誰あろう最初にロリヴァをおねだりしてきたタルトである。
「お前たち騙されてはいけないのです。これはおねだりされたのをよいことに手を抜こうと考えている時の顔なのです。下僕はロリヴァとは違う、わたくしたちの知らないおやつを用意するつもりだったのではありませんか?」
わざわざ「楽だから」なんて前置きしたのは、別のサプライズを考えていたけどリクエストされたからロリヴァで済ませるつもりに違いないと頬を膨らませるタルト。喜んでいた精霊たちがピタリと動きを止めて、疑惑のまなざしを僕へ突き刺してきた。
「僕の心を読むのは二度としないんじゃなかったの?」
「そんなことしなくってもわたくしにはわかるのです。正直に白状するのですよっ」
すっとぼけようったってそうはいかんと3歳児がしがみついてきた。おやつで手を抜くのは悪い下僕のすることだとフルパワーで揺さぶってくる。発芽の精霊が僕を羽交い絞めに捕らえ、ベコーンたんが足のつま先をゲシゲシ攻撃してきた。蜜の精霊と手乗り死神まで両側から耳を引っ張ってくる始末だ。
「必要な道具が揃えばだけどね。ドクロワルさんの水だけ通す濾し器と、クセーラさんの調理用ゴーレム腕が入用なんだ」
「すぐに取ってきますね」
「もっちろんゴーレムに積んできたよっ」
ここの調理場にある器具だけでは足りないのだと伝える。精霊たちから期待のこもった瞳を向けられたふたりは、いそいそと必要なものを取りに行ってくれた。どこまで上手くできるかわからないものの、どうにか形にはなるだろう。
何やってんだコイツみたいな視線を浴びながら仕込み作業を済ませ、ほどよく濃縮されたミルクの入った鍋を風通しがよく朝方は氷点下まで冷え込みそうな場所に設置。攪拌棒が鍋の中心に来るよう調理用ゴーレム腕をセットしたら、埃や虫が入らないよう布をかけ縛っておく。ゴーレム腕の魔力結晶に魔力をフル充填して、切れるまでゆっくりかき混ぜ続けるようクセーラさんに動かしてもらえば、あとは出来上がるのを待つだけだ。
「下僕、いったい何を作るつもりなのですか?」
「そんなの秘密に決まってるじゃないか。さっ、おやすみするよ」
これはなんだとまとわりついてくるタルトを抱き上げ、あてがわれた寝室へ向かう。ビックリさせてやるから楽しみにしてなさいと3歳児をベッドに寝かせれば、どうしてか精霊たちが次々と布団の中へ入ってきてしまった。部屋の外からもの凄い怨念が立ち昇っていたものの、僕にはどうしようもない。気づかなかったことにして寝てしまおう。




