519 サンディ覚醒
「なななっ、なんですかこの崖はっ? これのどこが斜面なんですかっ?」
しゃいくろん号を乗りこなすためには、コケトリスが尾羽で舵を取っている感覚をつかんでもらわなければならない。さっそく訓練を開始すると、クニーケさんをイリーガルピッチに乗せてすっかりおなじみとなった地滑り跡へと連れ出す。斜面の上に立って谷底を見下ろした途端、新たな塾生は話が違うと顔を真っ青にして騒ぎ始めた。イナホリプルに跨っている雪だるま先輩も、本当にドクロワルさんやアキマヘン嬢がここを駆け下りたのかとこめかみをヒクつかせている。
「ふたりとも、ご馳走したお肉は美味しかったかな?」
「あっ、あんたっ。まさか、そのために前払いをっ?」
「騙したんですねっ。何も知らない私たちを騙したんですねっ」
途中で放り出さない約束だぞと条件を思い出させてやれば、最初から騙すつもりだったのかとふたりは声を揃えて僕を非難してきた。騙すもなにも、僕は嘘なんて吐いていない。前払いの報酬を胃袋に収めたのは間違いなくふたりの自発的な意思によるものだ。受け取った以上、約束どおり務めは果たしていただく。タルトの奴はこうなることを見越していたようで、クマネストの背中でプギャーと笑い転げていた。
「ドクロワルさんやアキマヘン嬢だって駆け下りれたんだから、コケトリスにしがみついてるだけで大丈夫だよ。一度やってしまえばチョロイもんさ」
「嘘よっ。アキマヘンが断ったのは、こうなるのが嫌だったからに決まってるわっ」
怖いのは最初だけだからと説明したものの、雪だるま先輩はまったく受け入れない構えだ。報酬の肉を口にしたら崖下りを断れなくなるから、ひとりだけ遠慮したに違いない。代表までグルになって自分たちをハメやがったと、今さらどうにもならないことに憤る。
「まぁ、ものは試しって言いますから……」
「ちょっ、待っ……やだっ。なんで勝手にっ? 止まっでえぇぇぇ――――ぃ」
言葉ではわかってもらえないようなので、さっさと体験してもらうことにする。さぁ、行けと手で合図してやれば、ものわかりのよいイナホリプルはトコトコと斜面へ向かう。騎手の指示を無視するなと喚く雪だるま先輩を乗せたまま、ヒャッホゥと斜面を駆け下っていった。続けて、イリーガルピッチにも合図を出す。
「こっ、これは新入生に対する虐待ですよっ」
「僕は6歳の時分にやらされましたけど、それがなにか?」
「そういう虐待自慢はやめっ……でぐれりゃお゛ぉぉぉ――――ぅ」
手綱をガシガシ引いても意に介すことなく崖っぷちへ進んでいくイリーガルピッチの鞍上で、これは虐待だとクニーケさんが叫ぶ。彼女より幼く見えるシアちゃんだって雄鶏で斜面を下っていたのだから、この程度は標準的な訓練にすぎない……と思う。ロゥリング族は6歳で訓練を始めるのだと経験談を語ったところ、虐待マウントはやめろと言い残して崖の向こうへ姿を消した。
「さっ、わたくしたちも行くのですよ」
換えのオムツを渡してやろうと、雪だるまの精霊を抱っこしたタルトがクマネストで斜面へと駆け出していく。今日は崖下りでの動きを確認するためにオムツシローを連れてきたので、あまり指示は出さずコケトリスに任せて駆け下りてみる。実力のほどはフラッピングスピンの使えないイリーガルピッチといったところのようだ。
「ぼぉぉぉ……ごの歳になっでお漏らしだなんて……」
「うへへへぇ……おしっご……でぢゃいまじだ……」
「すぐに取り換えてくるのですよ。オムツの心配はいらないのです」
斜面を下っていった先では、どうやらオムツのお世話になってしまったらしい雪だるま先輩がべそをかいていた。泣いてるんだか笑ってるんだかよくわからない、正気を失ったかのような声を立てているのはクニーケさんだ。換えはいくらでも用意してやると、オムツ教の開祖様が新しいオムツをふたりに押し付けている。
「いつまでも濡れたオムツのままでいるとお腹を冷やすから、すぐ換えてくるように。逃げてもいいけど、底なし沼に追いかけられる覚悟をしておいてね」
「あんたには人の心ってもんがないのっ!」
さっさとオムツを変えてこい。逃げ出した奴にはドクロ塾名物、泥洲乱忍愚を楽しませてやろうと告げたところ、以前にも『ヴィヴィアナピット』にはまって埋められたことのある雪だるま先輩が僕をひとでなしだと非難してきた。そんなの、前払い報酬を受け取っておきながら逃げ出す方が悪いに決まっている。捕らえられた脱走兵に慈悲など無用と、ムジヒダネさんならそう断言するに違いない。
ノソノソとオムツ交換に向かうふたりを見送って、僕はイリーガルピッチとイナホリプルに異常がないか確認しておく。もう何度も駆け下りている場所なので、2羽ともすっかり慣れてしまった模様。疲れた様子もなく元気いっぱいだ。クニーケさんたちが戻ってきたのでコケトリスに跨らせ、再び崖上へと向かう。
「「あ゛あぁぁぁ――――っ」」
訓練を拒否する奴は底なし沼に埋めるぞと脅して斜面を駆け下りさせれば、ふたりはもう2度目だというのに盛大に悲鳴を上げながら谷底へ突っ走っていった。コケトリスに任せておけば大丈夫。怖がることなんてひとつもないのだと、どうして理解できないのか不思議でならない。
「あうぉぉぉ…………こ、腰が……」
「えへへへ……ぼう、おじっごもでま゛ぜん……」
2本目を駆け下りると、またふたりして地面に転がってしまう。腰が抜けてしまったと雪だるま先輩は虫みたいにピクピクし、クニーケさんはもう漏らすものが残っていないと怪しげな笑い声をあげた。泣いたり笑ったりしていられる間は、まだ余裕がある証拠。本当に限界を超えてしまった人間は無言になるものだ。いちいちひっくり返るなと、ふたりを3本目に取りかかるよう追い立てる。
「もうだめぇぇぇ~、死んじゃうぅぅぅ~」
「うっ、うっ……先輩に騙されて、もう後戻りできない身体にさせられてしまいました……」
4本目を終えたところでふたりが駄々をこね始めた。本人たちはまったく自覚していないようだけど、斜面を駆け下りても僕に文句をつけるだけの気力が残ってるってことは、それだけ余裕が出てきたってことだ。これくらいでよかろうと訓練を切り上げ、コケトリスたちを休ませてやる。ご褒美のリンゴをバスケットから出してカットすれば、さっそく食いしん坊どもがクレクレと寄ってきた。
「あ゛ぁ~、この子の羽あったかいですぅ~」
イリーガルピッチに翼の内側に入れてもらって、あったかいぞと声をあげているのはクニーケさんだ。もうここから出たくないなどとひきこもり発言をくり返す。そこはまだ体温を維持する能力が低いヒヨコがあっためてもらう場所なので、居心地がいいのは当然といえる。その様子を眺めていた雪だるま先輩もイナホリプルの翼の下へ潜っていった。冷たい風が身に染みる季節だから、フワフワの羽毛で覆われた風よけがありがたいのだろう。
「ひゃ~、ぬくぬくだわ――あっ……」
羽毛布団最高とコケトリスにあっためてもらっていたふたりが、突如としてなにかに驚いたような声を上げた。いったい何があったのか、見る見るうちに顔色を青褪めさせていく。危険な野生動物でも見つけたかと思ったけど周囲を見渡してもそれらしい相手はおらず、ロゥリングレーダーでも注意しなければならないような魔力は感知できない。いちおう警戒だけはしておくかと腰を上げたところで、オムツ教の開祖様がローブの袖口から新しいオムツを取り出す。
「あうぅぅぅ……緊張が解けた途端、急に……」
「えへへへぇ……ゆるんじゃいましたぁ……」
「さっさと取り換えてくるのですよ」
どうやら、これで安心と気を弛めた瞬間に決壊させてしまった模様。あったかい場所からモゾモゾ這い出てきたふたりは、なんてこったいとガックリ肩を落としてタルトからオムツを受け取り木立の向こうへ姿を消した。
崖下り訓練をしてから、クニーケさんのライディングは見違えるように変化した。尾羽の使い方を覚えさせていないコケトリスでは外側に膨らんでしまうようなスピードでコーナーに進入して、きっちり理想的なラインでクリアするようになったのである。やはり、他人になにかを教える時はドクロ塾が一番だ。ライダーの目途は立ったので、僕は三輪車の手配に取りかかることにする。
「えっ、推進器には手をつけないのっ? なんでっ?」
「走行性能は昨年のまま据え置きにしたいんだ。ひと目でしゃいくろん号だって見破られないよう、外装にだけ手を加えておこうと思ってる」
クセーラさんが秘密基地にしている園芸サークルの鍛冶作業場で、しゃいくろん号の整備と見た目の改造をお願いする。オムツ01の試験運用を経ていくつかの改善点が浮かび上がっているのにとチーフメカニックが首を傾げていたけど、性能は昨年のままというところがポイントなのだ。車体のフレームや推進器はそのままに、見た目の印象だけ変えたいのだとオーダーを伝えておく。
「バタフライスタビライザーの形状も変えられないかな。こう、先端が前に張り出すみたいな感じで……」
「あ、なんかカッコいいねっ。それ採用っ」
リアウイング状態のバタフライスタビライザーを上から眺めるとV字を逆さまにした形をしているのだけど、今回は前進翼っぽいW字型にできないかと大雑把なデザインを紙に描いて渡す。なんかカッコいいで採用してくれるところはさすがクセーラさんだ。理屈っぽいゴッツモーリ先輩ではこうはいかない。
「向かい風対策をアゲンストキャンセラーだけに頼るのは危ないから、流線型の外装をつけて……」
「伯爵みたいな汚い手を使ってくる子がいないとも限らないもんねっ」
「使ったのは僕じゃなくて、アキマヘン嬢だよ」
アゲンストキャンセラーは昨年、対抗策を披露してしまったので、今年はそれだけに頼るわけにもいかない。レース用のバイクみたいなカウルをつけて風の抵抗を減らすことにしようと提案したら、なぜだか僕がメルエラとゲイマル君を吹っ飛ばしたことにされていた。確かに対抗手段を用意したものの、使ったのはアキマヘン嬢だとはっきり訂正しておく。
「車体後部の逆回転するタービュランスはそのままにしておくの?」
「もちろんだよ。すでにタネは明かしてるんだから、引っかかる迂闊に慈悲はない」
昨年の決勝レースで左右から挟み込もうとするふたりを吹っ飛ばしたタービュランスはどうするのかと尋ねられたので、同じ手に引っかかるアホゥに手心を加える必要はないと答えておく。汚い、ダーティーだと言い続けてきたクセーラさんだけど、競技規定に違反するものではないという審判長の裁定に異議を唱えるつもりはないようだ。タネの割れた手品に引っかかる方が悪いと納得してくれた。
「1年前の三輪車で優勝が狙えちゃうなんて最近の子は甘いよねぇ。大型化研究の成果を試したかったのに……」
「優勝することが目的じゃないんだ。しゃいくろん号を上回ってきた生徒にまで勝つ必要はないさ」
チーフメカニック殿は直噴型魔導推進器に手を加えられないことがいたくご不満な様子。ゴッツモーリ先輩としている大型化研究で燃焼室に送られる空気の圧力をこれまでよりも高くすることに成功したそうで、さらに出力を引き上げることもできるのだぞとしきりに勧めてくる。目的は挑むことをしない空き巣狙いな連中に泣きべそをかかせてやること。しゃいくろん号は昨年の優勝ラインを示すインジケーターだ。そこを超えてきた生徒までぶっちぎってしまっては、ただの上級生による下級生イジメになってしまう。
「挑むより、いなくなった隙を狙おうだなんて、まったく狡っからいんだからっ。このクセーラさんに手間をかけさせた落とし前はつけてもらうよっ」
目の前にある頂上にたどり着かなければ、次に目指すべき頂は見えてこない。トップを追い越すのではなく、いなくなったらくり上がろうなんてことをくり返していたら、学問も技術も何ひとつ進歩しないではないかとプンスカ憤りを表すクセーラさん。真っ向からぶつかり合うことを好しとする性格なだけに、鬼のいぬ間になんとやらなやり口が気に入らないのだろう。アキマヘン嬢と同じく、自らの手で叩き潰してしまいたいという考えが表情にありありと浮かんでいる。
「競技の範囲内で思い知らせろってのがベリノーチ先生からの指示なんだ」
「えっ、伯爵の趣味じゃなくて先生からの依頼だったのっ?」
「僕が趣味でこんな手間のかかることすると思ってんの?」
「当たり前でしょっ。伯爵はこれまでの行いを胸に当ててよっく反省しなよっ」
クセーラさんは僕が意地悪でこんなことを企んでいると考えていたようで、鉄仮面からのオーダーを伝えたところ魔導院側の意向なのかと驚かれてしまった。趣味でこうも面倒なことやって堪るかと告げたものの、これまでだって相手を引っかけることに手間暇を惜しまなかっただろう。園芸サークルまで巻き込んで再生パイプ材で荒稼ぎした挙句、相手の弱みを握り込んだのはどこのどいつだ。己の所業を思い出せと、しゃいくろん号のシートをバシバシ叩いて正義の乙女が不満の意を表す。
「下僕のいたずらは手が込んでいて楽しいのです。すぐ嘘に頼る連中とは違うのです」
「やっぱり趣味でやってるんじゃないっ!」
いつだって必要に駆られてのこと。自らが楽しむためではないのだけど、ベコーンたんと遊んでいたタルトが余計な横槍をぶっこんでくれやがった。先生から指示されたことを言い訳に、趣味で意地悪を企んでいるとすっかり勘違いされてしまう。そんなことはない。趣味でいたずらを楽しむ暇人なんて……そこの【忍び寄るいたずら】様だけだ。
「まったくもうっ。引き受けたから手は貸してあげるけど、約束どおりベコーンたんにいっぱいご馳走するんだよっ」
「もちろんだよ。また栗とクルミが手に入ったから、今度はフワフワのパンにクルミのポリポリ感が加わったクルミ入り揚げ餡パンを作ろうと思うんだ」
しゃいくろん号の再整備はベコーンたんにご馳走することを条件に引き受けてもらっている。僕の悪事に加担するのは気が引けるけど、魔導院側の意向とベコーンたんのためだから仕方なく手を貸してやると頬を膨らませるクセーラさん。ノリノリで改造プランを語っていたのはどこのどなた様だとクソビッチのおつりを叩きつけてやりたい。
「気の回る下僕はなにも言わずに用意しておくものなのです」
そして、どんなものか説明するよりあらかじめ用意しておけと3歳児にうり坊の姿をした食いしん坊どもが僕のお尻にバシバシ攻撃を叩き込んできた。




