517 暗躍を始めるドブネズミたち
秋のヴィヴィアナ様祭りが終わり、モウヴィヴィアーナの観光シーズンも幕を閉じた。街から人の姿がめっきり減って、大通り沿いのお店も半数近くが閉められたままとなる。魔導院の生徒たちにとっては、ここからが学年末に向けた最後の追い込み期間。なんだか空気がピリピリしているように感じるのも、風が冷たくなってきたせいだけではないと思う。そして、今さらながら僕は致命的な間違いを犯していたことにようやく気がついた。
「下僕~、早く朝ごはんに行くのです~」
「もうちょっとゆっくりしていようよぅ……」
早朝の冷え込みが厳しくなってくるこの季節。冷めることのない3歳児湯たんぽがとってもありがたいのだけど、毎朝のプチロリヴァという楽しみができてしまったせいでタルトが二度寝をしてくれなくなった。僕はギリギリまで暖かい布団に包まっていたいのに、朝ごはんの時間だとベッドから出ていこうとする。何度も起こしにくる手間が省けるようになってシルヒメさんはニッコニコだ。
「さぶぶぶうぇぇぇい……」
「なっさけない下僕なのです。さっさとくるのですよ」
いつも朝食をとる離れでは薪ストーブが焚かれているものの、そこに通じる渡り廊下はもちろん冷えっ冷えのままである。凍えて遭難しそうになっている僕を置き去りにして、3歳児はひとりだけ暖かい離れへ行ってしまった。シルヒメさんも救助にきてくれない。見殺しなんてあんまりだと冷たい仕打ちに涙しながら、無情な世間の風が吹きすさぶ冷たい廊下を這って離れへと向かう。
「はぁ……死ぬかと思った……」
「大袈裟な下僕なのです」
どうにか命をつなぐことのできる離れへとたどり着き、暖かい薪ストーブの近くに陣取って身体を温める。クソ3歳児は僕をトロールかなにかと勘違いしているようだ。寒さの厳しい地域では屋内でも凍死することがあると知らないのだろうか。
「仕方のないドブゴブリンだ。アシ1号、温めてやれ」
「フフッ……、モロニダス。お前の中に俺の熱を届けてやるぜ」
「邪教徒が近寄るんじゃないよっ!」
お祭りの期間中は邪教徒の集会に忙しく姿の見えなかったベリノーチ先生と【真紅の茨】だけど、今日に限っては朝っぱらから離れにいやがった。温めてやれと鉄仮面から命じられたゲイ霊が、身体を温め合う時は直接肌を触れ合わせるのが一番だと真っ赤なツナギの胸元を開きながら歩み寄ってくる。こんなところで「初めて」を奪われては堪らない。あっちへ行けと威嚇して追い払う。
「下僕はわたくしの下僕なのです。お前の順番は回ってこないのです」
これは自分の下僕だとタルトがトコトコ寄ってきたので抱き上げ、お腹をムニムニしてかじかんだ手を温めてさせてもらう。寒い日に手だけを湯船へ突っ込んだ時のようにじんわりと温かさが伝わってきて、そこから全身に熱が回っていくのを感じる。やっぱり湯たんぽは最高だ。
「まさか、ここまで気に入られてしまうとはな。早々に手放していただけるものと期待していたのに、俺としたことが甘かったか……」
手放すのがもったいないと思われるほどの獲物だったなんて予想していなかったと、表情に悔しさを滲ませる【真紅の茨】。タルトに飽きられるか、僕が3歳児の我が儘に我慢できなくなるのも時間の問題と考えていたらしい。
「とっとと諦めて他の獲物を狙えよ」
「冗談じゃない。そんなお前だからこそ、俺のものにしなければ気が済まないんだ」
僕のことは諦めていなくなれと言ってやったものの、是が非でも自分のものにしたくなったぜと【真紅の茨】は長椅子にどっかり腰を下ろして大きく開かれたツナギの胸元から胸筋を見せつけてきやがった。もう除草剤を飲ませてやりたい。イボ汁入りで強力なやつをドクロワルさんが開発してくれないだろうか。
「ふむ……冬の山小屋、薪はすでになく、男がふたり。何も起きないはずがなく……」
「ほう、マスター。新作のアイデアか?」
ベリノーチ先生は相変わらず何でも邪教的な方向にもっていかないと気が済まないようで、なにやら怪しげな舞台設定をブツブツ呟いている。ホンマニ公爵様は王都の環境が子供たちを堕落させているとおっしゃっていたけど、モウヴィヴィアーナの環境は人々を邪教に染めてしまうのではあるまいか。どちらかを好きな方を選べと言われたら、僕は迷わず王都を選ぶ。ホモになるなんて死んでも御免だ。
そうこうしているうちに首席たちもやってきて朝ごはんになる。今日は特に冷え込んでいるからと、プチロリヴァとの交換に角煮の入った温かいスープを出してくれた。とってもありがたい。
「ドブゴブリン、話があるから午後は飼育サークルにいろ。後ほど行く。アキマヘンの奴も捕まえておけ」
朝ごはんを終えて午前中の講義に向かう支度をしようかという段になって、午後は飼育サークルで待機しているよう副顧問の鉄仮面から言い渡された。僕を無理やりゲイ霊の餌食にするつもりかと疑ったけど、アキマヘン嬢も一緒ということは違うようだ。この鉄仮面で正体を隠しているホンマニ宗家出身の元公爵令嬢は現公爵令嬢に厳しいから、なにか課題を与えようというのだろう。僕はお手伝いかと思われる。
「わかりました。談話スペースにいなければ鶏舎を探してください」
すっかり邪教に染まり脳みそが腐りきっているベリノーチ先生だけど、教師としては信頼がおけるので承知しておく。今日はコケトリスたちと遊ぶぞとタルトは大喜びだ。僕の返答に頷いた鉄仮面はアシ1号を引き連れて邪教徒のアトリエへと引き上げていき、こちらも出かける準備に取りかかることにした。
講義を終えた後、コテージで昼食をいただいたら指示されたとおり飼育サークルへ向かう。アキマヘン嬢とおしゃべりしながら馬場での練習風景を眺めていたら、予定どおりベリノーチ先生が陽光に鉄仮面を輝かせながらやってきた。
「ふたりとも揃っているな。よろしい、ついてこい」
いったいどこに連れていかれるのかと訝しんでいたら、ついた先はゴーレム三輪車レース用のサーキットだった。エントリーを予定している教養課程の生徒たちが早くもシェイクダウンに取り組んでいる。サークルに姿を現さないと思ったら、ゲイマル君にソウナンデス君も試験走行の真っ最中だったようだ。
「どう思う?」
「どうとおっしゃられましても……」
観戦用のスタンドからしばらくシェイクダウンの様子を眺めていたベリノーチ先生が、唐突にアキマヘン嬢に質問を投げかける。尋ねられた側は質問の意図を計りかねているようだ。彼女はこれまでレースに参加する側で、こうやって外側から眺めるのは初めてだからそれも仕方のないことだろう。昨年の決勝レースを特等席から観戦していた僕には、先生の言いたいことがよっく伝わってくる。
「ドブゴブリン、お前はどうだ?」
「まるで進歩していませんね。昨年のレースからトップ3が抜けただけになるかと……」
さっきから何台もホームストレートを魔導推進器でかっ飛ばしていってるものの、昨年のアキマヘン嬢やマジスカ君、バグジードに匹敵する三輪車はひとつとしてなかった。直噴型のような新方式を採用した生徒はひとりもいないようだ。これでは上位3名を除いた状態で昨年のレースをやり直すのと何も変わらない。
「その通りだ。アキマヘンやマジスカがいなくなったのをよいことに、同じ学年の連中さえ出し抜ければ優勝だとでも考えているのだろう」
「つまらない連中なのです」
無理をしてまでいなくなった強豪を超える必要はない。それがゲイマル君たちの共通認識なのだと思う。実績のない新方式は製作難易度が高いうえ、常に動作不良などのリスクがつきまとう。思いどおりの結果が得られなかったとしても、どこに問題があるのか誰も教えてはくれない。手探り状態で先の見えない開発を進めるより、確立された技術を採用する方が確実という理屈はわかる。とはいえ、タルトの言うとおり効率的に勝ちを拾おうとしている連中なんて観ていても楽しくないのは確かだ。
「ゲイマルクにオレッシマーまで、なんて志の低いことを……」
あいつらは強敵のいなくなった状態でレースをやり直したいだけ。そう告げられたアキマヘン嬢はまなじりを吊り上げて威嚇するように精霊の翼をバサバサさせた。負けん気の強いチャレンジ芸人には、自分より上手のいなくなった隙を狙うというやり方が姑息に思えるのだろう。今年もエントリーしたいという考えが表情にありありと浮かんでいる。
「あいつらに思い知らせてやれ。やり方は任せる」
「わかりました。今すぐ人を集めて折檻を……」
「バカモノ、あくまで競技の範囲内でだ。もちろん貴様の出場は認められん」
思い知らせろと命じられ、間髪入れず物理的にお仕置きしようとするアキマヘン嬢。なかなかのドブネズミっぷりだけど、さすがにそうじゃないと鉄仮面ドブネズミに止められた。競技規定に違反することなく連中にわからせろというのが今回の課題のようだ。
「ドブゴブリンはこういうのが得意だろう。補佐してやれ」
「いたずらなら下僕の出番なのです。ど~んと任せるのですよ」
予想していたとおり、僕はアキマヘン嬢のサポートだったようだ。ちゃんと結果は出してやるから安心しろとタルトの奴が勝手に請け負ってしまう。面倒なことを引き受けんなとコースに放り出してやりたいところだけど、ベリノーチ先生の出した課題の裏側には競技会が盛り上がらないのでは困るという魔導院側の思惑が透けて見える。そして、ファミリーのボスである鉄仮面ドブネズミのさらに後ろで糸を引く影の支配者が存在することもわかっているのだ。つまり、これはおっぱいドブネズミからの依頼と考えていいだろう。
「報酬のおっぱいはいただくとリアリィ先生に伝えておいてください」
「チッ……抜け目のない奴だ」
思ったとおり、ベリノーチ先生はリアリィ先生の意を受けて動いていた模様。ゲイマル君たちの性根を叩きなおすと同時に、競技会が拍子抜けだったと言われないよう盛り上げなくてはならないのだから、相応の報酬は用意していただく。おっぱいがかかっているとあっては手を抜くわけにはいかない。俄然、やる気がわいてきた。
「それじゃ、作戦会議といく前にゲイマル君たちにひと言挨拶してこようか」
「あとは任せる。このイノシシ娘に裏から手を回すことを教えてやれ」
「ギョイッサー」
猪突猛進気味なアキマヘン嬢にドブネズミのやり方を覚えさせろと言い残して、鉄仮面ドブネズミはサーキットから去っていった。僕たちはスタンドからピットエリアに降りてターゲットの姿を探す。
「やぁ、ソウナンデス君。調子はいかがかな」
「あっ、先輩に代ひょ……な、なにか御用で……」
コースからピットインしてきたソウナンデス君に歩み寄って声をかける。僕はにこやかに振舞っていたものの、アキマヘン嬢の様子からただの激励ではないと気づかれてしまったようだ。いくら表情が普段どおりを装っていたとしても、精霊の翼が荒ぶる鷹のように広げられているところを見れば、よっぽど空気の読めない奴でない限りただ事ではないと察するだろう。その時のご機嫌が翼に出るところは矯正させた方がいいかもしれない。
「アキマヘン嬢。翼、翼……」
「あっ……失礼しました」
相手をバリバリに威嚇しているぞと小声で伝えたところ、怒れる公爵令嬢も気付いてくれたようでサッと翼を閉じさせた。こうなっては致し方なし、さっさと本題に入ろう。
「ソウナンデス君。その三輪車では昨年のオムツフリーナちゃん専用しゃいくろん号はおろか、準優勝の車両にすら届かないよ。本気で優勝を狙っているんだろうね?」
昨年はバグジードにぶっちぎられて予選落ちだったはずだ。優勝候補がどの水準にあるのか身をもって経験しているはずなのに、昨年とほぼ変わらない車両で出場するなんてやる気あんのかと言ってやる。
「改良は加えてますっ。昨年のままじゃありませんっ」
「その改良とやらで、しゃいくろん号を超えてみせると?」
「でも、代表は参加しないじゃないですか……」
もちろん、多少の改良は施されているのだろう。だけど、問題はそれが目指した水準にある。アキマヘン嬢は参加できないという言い訳から、昨年の上位入賞者を到達目標から外していることはあきらかだ。
「まぁ、出場するのはソウナンデス君だ。これで勝てると思っているならそれでもいいさ」
「なにが言いたいんです?」
とりあえず彼の考えは確認できたので、せいぜいがんばってねと伝えてソウナンデス君のピットを後にする。ここに来た目的はアドバイスではなく、アキマヘン嬢に彼らの理屈を認識させること。達成できたなら長居する理由はない。続いてゲイマル君のピットを尋ねれば、やっぱり同じような考えでいることがはっきりした。
「ゲイマルク。南部派の2連覇がかかっているのです。あなたでもオレッシマーでも構いませんが、優勝を逃すことは許しませんよ」
「任せてください。私とオレッシマーで優勝、準優勝を占めてみせます」
ゲイマル君とソウナンデス君のどちらか一方が優勝するようにとチーム監督のアキマヘン嬢がオーダーを出せば、調子のいいゲイマル君は南部派のワンツーフィニッシュを決めてみせると言い切った。同学年で出場してくる生徒の実力は僕なんかよりよっぽど正確に把握しているだろうから、負けないという自信があるのだろう。ダークホースはどこに潜んでいるかわからないということを思い知らせてやらねばなるまい。
順位が確定する時まで気を抜かないようにと告げてサーキットを後にし、飼育サークルの談話スペースへ戻る。弟分たちの前では平静を保っていたものの、アキマヘン嬢はとっくにブチ切れてもう爆発寸前だ。頭から立ち昇る湯気が見えるくらいプンスカ怒っている。
「さて、どうしたもんかね?」
「先輩のやりたいことはもうわかってます。あのふたりが絶対に負けるはずないと考えている相手に、完膚なきまでに叩き潰させるおつもりですね」
察しのよいアキマヘン嬢は、ここまでのやり取りから僕の狙いを正確に読み取った模様。あのふたりにこれ以上ないくらいの恥辱を味わわせてやると意気込みを表明してくれた。
「ナイスドブネズミだ。君もわかってきたね」




