498 挑まない者たち
「わたくしはよい下僕を手に入れたのです」
朝食の時間、僕の膝の上でプチロリヴァをモグモグしながらタルトが満足したように呟く。なお、味はさんざん悩んだ末、カスタードにメロンの果汁と果肉を加えたメロン味に決まった。3歳児がありもしないバナナをねだったことは言うまでもない。
「よしよし、美味しいですか? ワルキュー」
隣ではドクロワルさんが手乗り死神にプチロリヴァを食べさせている。本人はすでに平らげてしまっているのだけど、また研究で夜更かししたのかゾンビ状態で席に着き、意識のないまま自分の分をペロリと片付けた。栄養が脳みそに回るより早くシルヒメさんが器を下げてしまったので、ワルキューにだけ出されたものと勘違いしてすっかりご機嫌だ。真実は墓の中までもっていくことにしよう。
「ヌトリエッタッ。こちらにも美味しい煮凝りがございますわよっ」
そして、離れで一緒に朝食をいただいている首席は、どうして僕たちだけご馳走をいただいているのだと涙目になっている蜜の精霊を懸命になだめていた。違うのは味だけだと、牛肉の煮凝りをひたすら勧めている。用意されたプチロリヴァは4つ。一番違ってはいけない部分が違うものを推されても反応に困るだろうなと思いながら最後に残った器へ手を伸ばしたところ、こちらの様子をジッとうかがっていたヌトリエッタと目が合った。無言のまま、視線で何事か訴えかけてくる。
「すまないね。これを譲ったら、僕は百叩きにされてしまうんだ」
「あ゛うっ……ぞれは……でずけど……」
心を鬼にして、精霊をたらし込むなと叱られてしまうのであげられないのだと、僕にはどうすることもできない事情を告げる。絶望の表情を浮かべてガックリと肩を落とす蜜の精霊の様子に、それではまるで自分が悪者みたいではないかと首席が慌て始めた。そのとおりだ。この機会に悪者であることを自覚していただきたい。
「下僕。ゾルビッチに意地悪をするのは構いませんが、あんまりヌトヌトを苛めるのではないのですよ」
残念だが諦めてくれたまへとプチロリヴァを見せびらかしていたものの、蜜の精霊を苛めすぎるなとタルトからたしなめられてしまう。どうやら、僕がすでに解決策を思いついていることに気づいているようだ。
「仕方ないね。首席、お願いを聞いてくれるなら、その煮凝りと交換してもいいよ」
「はっ、その手がございましたわねっ。ですが……おっぱいを寄越せなんておっしゃられるつもりではないでしょうね?」
ナイスアイデーアと見開かれた瞳が、次の瞬間にはジトッと細められた。どうやら、破廉恥なお願いをするつもりではないかと疑われている模様。それも候補のひとつではあったものの、ドクロ先生の前でおっぱいが欲しいなんて口にしようものなら増殖女の子細胞を移植されてしまうこと間違いなしだ。迂闊な発言は身を滅ぼす。
「首席はバイオリンが弾けたよね。ヴィヴィアナ様の祝詞を普通の楽器でも奏でられるようにしたいから手伝ってほしいんだ」
コネーコさんに教えようとしたものの、そもそも魔術を使わない楽器で演奏することを考慮に入れていなかったのだと事情を打ち明ける。僕はこの国の楽器事情に詳しくないし、なにより田西宿実であったころから弦楽器に縁がない。木琴やピアノみたいに、ここを叩けばこの音が出るという楽器は直感的でわかりやすいのだけど、弦を指で押さえて演奏する楽器はさっぱりだ。弾いたことがあるのはエアギターくらいのものなので、代わりに試してくれる協力者が欲しかった。
「そのようなことでしたか。領民のためとあっては断るわけにもまいりませんわね」
アキマヘン嬢よりは己の立場を理解しているようで、みんなが楽しみにしているお祭りのためなんて言われたら断れないと、首席が煮凝りの入った器を差し出してきた。これで取引は成立だとプチロリヴァの器を渡す。蜜の精霊は大喜びだ。早く食べさせてくれと契約者の腕にしがみつく。
「ヌトリエッタ。これからは私が食べさせてあげますから、アーレイ君から食べ物をいただいてはいけませんわよ」
他人からもらった食べ物を口にしてはいけませんと、あ~んしている蜜の精霊にプチロリヴァを食べさせる首席。精霊の蜜にはさんざんお世話になっているのでご馳走をケチるつもりはないのだけれど、金の亡者が交換条件を呑んでくれるのはありがたい。
「タルト先生。そろそろお時間ですので行きましょうか」
朝食を終えたところでベリノーチ先生が3歳児を抱き上げる。本日は教養課程で基礎魔術理論の講座があるのでタルトとは別行動だ。たしか、ゲイマル君たちAクラスが対象という話だった。今年もまたタイムアタック試験をやるつもりだろうか。
「あいつらはつまらない連中なのです。下僕、さっさと迎えにくるのですよ」
「アーレイ君とひとつ下の世代は曲者揃いでしたからね。今の生徒はお行儀が良過ぎると感じるのも仕方のないことなのかもしれません」
タルトによれば退屈な連中だそうで、終了の時刻になったらグズグズしてないで迎えにくるよう仰せつけられた。僕たちと比べるから退屈に感じるだけで、ゲイマル君たちこそ標準的なのだと鉄仮面が抱っこした3歳児をおっぱいであやす。僕も3歳児になりたい。
「曲者という表現には承服いたしかねるところがございます」
誠に遺憾であると首席が頬を膨らまして抗議したものの、ベリノーチ先生は取り合わずフハハハ……と高笑いを響かせながら離れから出ていってしまった。僕たちはこれから統合魔術語の講座だ。コノハナ先生から泣きが入ったのか、基礎魔術理論と重なる機会が増えたように感じる。
「モロリーヌちゃんも支度をしましょうね」
さぁモロリーヌの時間だと、ドクロお姉さんにとっ捕まって念入りに仕上げられる。ふたり手をつないで講座が開かれる教室へ向かえば、途中で鉄百合寮の女子たちと遭遇した。キャアキャアと騒がしい女の子たちの中心にいるのは、それぞれの使い魔を抱っこしたクセーラさんとイモクセイさんだ。クマドンナはすっかり人気者になったらしく、今やベコーンたんと双璧をなす寮のアイドルだという。
講座が始まると、忌々しい3歳児がいないせいかコノハナ先生は上機嫌で解説を進めていく。どうしてか意地悪な問題を解いて見せるよう立て続けにあてられた。ここでも最初の言語の知識が邪魔をしてくれる。正解とされるのは余計なものがつけ足された統合魔術語での解答なのだけど、最初の言語による本来の形がわかってしまうゆえに、それに足をすくわれるのだ。統合魔術語の講座である以上、解答は統合魔術語でしなければならない。フランス語の試験にドイツ語で解答すれば、意味が通っていたとしても不正解とされるに決まっている。
僕からいくつかの不正解を引き出したことで満足したのか、講座を終えたコノハナ先生は勝ち誇ったような表情で意気揚々と教室から引き揚げていった。なんだか無性に悔しくなったので、次の講座にはこっそり3歳児を忍ばせてこようと心に誓う。
「あんな問題で不正解だなんてっ。タルちゃん先生がいなければ伯爵の実力も知れたものだねっ」
ヴィヴィアナ様やドルオータ様の祝詞を作っているうちに、僕はすっかり最初の言語で考える癖がついてしまった。まず最初の言語で正解を導き出し、それに相当する統合魔術語を探すという工程で問題を解いているのだ。そのせいか、最初の言語にはない語尾変化なんかをうっかり見落とす機会が増えた。基本的な術式構文ではないかとクセーラさんがニタニタ笑っていやがる。
「それで、精霊言語での解答はどうなるんだ?」
「こうなるよ」
一方、【禁書王】は僕が最初の言語で術式構築しているのを見抜いていたようだ。統合魔術語でない解答を求められたのでノートに僕の答えを走り書きしてやれば、首席や次席まで寄ってきて答えを写し取り始めやがった。特待生どもは実に抜け目がない。
『下僕っ。グズグズするなとわたくしは言ったのですよっ』
なんてちゃっかりした連中だと呆れていたら、頭の中にタルトの声が響いてきた。ペット用契約に含まれているご主人様の意思を伝える機能だ。なんだかイラついているご様子。ノートを鞄にしまい込み、もうちょっと見せてくれという懇願は無視して教養課程の建物へ急ぐことにする。
今となっては懐かしさを覚えるAクラスの教室に到着してみれば、入口のところでリアリィ先生が困ったような微笑みを浮かべて教室の中をうかがっている。どれどれとのぞいてみれば、教卓の上に座り込んだタルトに生徒たちが詰め寄っているところだった。
「ちょうどよいところに来たのです。下僕、この問題を解いてみせるのですよ」
呼びつけておいてちょうどよいも何もないだろうというツッコミを呑み込んで、3歳児が差し出してきた紙きれを受け取る。どうやら、タイムアタック試験を模した問題のようだ。解いてみろというので、問題に目を通し自分だったらこうするという術式を構築していく。
「タルトが考えた割には回りくどくて効率が悪いね」
「それはこいつらにあわせた問題なのですよ」
「あぁ、教養課程で学習する範囲内で答えないといけないのか……」
こうした方がいいんじゃねって部分が目に付くと思ったら、それは専門課程で学習した内容だった。なるほどそういうことかと納得し、チャチャっと解答を書き込んで3歳児に返す。受け取った紙切れを一瞥したタルトは、それをポイとゲイマル君に投げつけた。
「これっくらい下僕でなくても答えられるのです。無理でもなんでもないのです」
「ええっ? そんな簡単にっ?」
僕の解答に目を通したゲイマル君たちが、どうしてこんな短時間で解けるのだと目を丸くする。いったい何事かと思ったら、彼らはAクラスにもかかわらずこの問題を解くために講義時間のほとんどを費やしたらしい。そのペースでタイムアタック試験に挑んでも、Bクラスの上限である100点を超えられないだろう。そんな無茶な話があるかと担当教員に詰め寄っていたようだ。
「こいつらには下僕やアキビッチを追い抜こうという気持ちがないのです」
ゲイマル君を指差して、チャレンジ精神が欠如していると唇を尖らせる3歳児。それを聞いて、僕はマルダー伯父さんの集落で出会ったシオン君のスカしたお友だちを思い出した。集落代表に選抜される資格のない僕をいないものとして、残った中で一番になれればよいという考えの持ち主だ。彼と同じく、限られたグループ内での競争は今だけだってことに思い至らないのだろう。
「僕やアキマヘン嬢の学年も同じ試験を受けてきたんだ。評価基準の引き下げは学校側としてあり得ない判断だってわかんないの?」
同学年という集団における順位がすべてではない。比べる相手は他の学年にだっているのだから、評価基準をコロコロ変えていては比較できなくなる。それは決して受け入れられることのない要求だと告げてやれば、ゲイマル君たちはイボ汁を飲まされたかのようなしかめっ面になった。甘ったれたことをぬかすなとタルトが気勢を上げる。
「嫌なら受けなければ済む話なのです。わたくしは何も押しつけたりしてないのです」
Aクラスでタイムアタック試験に挑むかは自己判断だ。無理だと思うならBクラスで100点満点の試験を受けることもできる。僕たちのころから、その方針は変わっていない。自らにふさわしい試験くらい自分で選べと言い放った3歳児が抱っこしろと両腕を差し出してきた。ドッコイショと甘えん坊を抱き上げてやる。ゆっくり考えるこったと言い残して教室を後にすれば、リアリィ先生の隣に鉄仮面の姿があった。様子をうかがいに来たらしい。
「他の学年も比較対象と告げられた連中の顔はなかなか見物だった。上級生がいなくなれば自分たちの時代だなんて考えてる空き巣狙いにはいい薬だ」
「タンビーナ。教員なのですから少しは言葉を選んでください」
教養課程の建物を出たところで、イヒヒヒ……とベリノーチ先生が楽しそうに鉄仮面を揺らす。リアリィ先生に咎められるのもおかまいなしだ。
「今年は手のかからないおとなしい子ばかりでよろしいじゃありませんか」
「素直につまらない連中と呼ぶのです」
「拍子抜けだったのも事実ではあるのですが――」
昨年、一昨年が例外だっただけで、これが普通なのだと口にするリアリィ先生。もっとも、内心は複雑なようだ。正直に言えとタルトから告げられて、少々期待しすぎていたと本音をポロリと漏らした後、なにかを思い出したかのように殺気を放ち始めた。
「――遠征実習のさなかに行方をくらますような生徒に比べたらはるかにマシです」
どうやら、まだ僕のことを許していなかったらしい。感染力の高い非常識は反省室に隔離しておかなければ生徒たちが残らず汚染されてしまうと、鬼の形相になったリアリィ先生がおっぱいを逆立ててギリギリ歯を鳴らす。
「下僕はわたくしを楽しませることだけ考えていればよいのです。こ~んな心の狭い連中を気にかけることないのです」
「ぐぎぎぎ……」
だけど、もちろんタルトは先生の事情なんてお構いなしだ。ご主人様にご馳走を食べさせることが最優先。それがあるべき下僕の姿だと抱っこされた状態でジタバタ暴れるので、落っことさないよう抱えなおしてやる。こいつは他人の苦労なんて鼻くそより価値がないと考えているに違いない。
「主任、タルト先生に逆らってはいけません。ヴィヴィアナ様から公爵様に苦情が舞い込みます」
「仮面ビッチはよくわかっているのです」
「それが精霊のすることなのですかっ?」
そして、逆らえばヴィヴィアナ様にチクられるぞと部下からたしなめられたリアリィ先生は、精霊のくせにやることが人族臭すぎるとドスドス足を踏み鳴らした。




