48 君の気遣いを無駄にするから
「アーレイ……自分のしたことがわかっていて?」
ムジヒダネさんが殺気のこもった目でギロリと僕を睨む。すでにトーメンターモードが発動している。逃げることはおろか、身動きすることすら許されない。
僕は……十字架にかけられていた……
朝、教室に入った途端、クラスメートたちに有無を言わさず縛り上げられたのだ。よく見ればAクラスやBクラスの生徒たちまでいる。
いったい、何があった?
「見損なったぞモロニダス。お前は弱っちくても、芯の通った男だと思っていたのに……」
どういうことだ?
ヘルネストにムジヒダネさんにロリボーデさんまで僕を糾弾する側にいるぞ。
「伯爵。次席と仲良くなったとたん、子爵を捨てるなんて……」
「次席に取り入るためにクセーラを利用していたのね……」
「用済みになったらポイ捨てか……バグジードと変わらねえじゃねぇか……」
「待ってよっ! なんでそうなるのさっ!」
何がどうなったら僕が次席に取り入って用済みになったクセーラさんを捨てたという話になるんだ。謹慎中のバグジードが腹いせに変な噂でも流したか?
「しらばっくれるなっ。昨日、食堂でクセーラ嬢はずっと泣いていたぞっ」
「ちょっ。それは捨てるとかどうって話じゃなくって……」
それは鋼を作る話で却下したのは次席だ。園芸サークルが壊れた農具なんかを提供してくれなければ材料だって手に入らないんだから、次席に断られたら僕にだってどうすることもできない。
「黙れっ。ゴブリンには反論する権利も、弁護人を呼ぶ権利もないっ」
おいぃぃぃ。いいのかそれでっ!
「ゴブリンは殺せっ!」
「ゴブリンを火炙りにしろっ!」
美少女の涙という正義の前には人権なんてヒキガエルの糞よりも価値がないのだろう。怒り狂ったクラスメートたちは完全に理性を失っている。木造の校舎の中で火炙りを実行しようなんて、正気の沙汰とは思えない。
「誤解だよっ。クセーラさんからちゃんと話を聞いたのっ?」
「伯爵は姉さんの手先になっちゃったから、もう私の言葉なんて届かないんだね……」
クセーラさんがいた。もう自分の言うことなんか聞いてくれないのだと、右手で目頭を押さえながらヨヨヨ……と泣き崩れる。
むっちゃウソ臭い……
「クセーラさん。次席を説得する手段がないわけじゃないんだけど……」
「…………」
シクシクと泣いていたクセーラさんの泣き声がピタリと止まった。
「でも、こう縛られていたんじゃどうしようもないね……」
「誰っ? こんな酷いことしたのはっ?」
僕を十字架から解放しながら集まっているクラスメートたちに「首謀者は名乗り出よ」とクセーラさんが声をかける。首謀者は他でもない君だと思うよ……
「それで、どうやって姉さんを丸めこ――いだっ!」
背後から忍び寄ってきた次席がクセーラさんの脳天に拳骨を落っことした。
「クセーラ……こんなに人を巻き込んで……またバカを始めたのね……」
「待ってっ。姉さんっ。ぶたないでっ」
涙目で弁解するクセーラさんに次席がゴッチンゴッチンと容赦なく拳骨を落っことす。
「いったい、何事ですの?」
首席までやってきた。もうすぐ授業が始まるというのに教室に人が少ないので、またもめ事かと見に来たらしい。
「なんでもない……クセーラがまたバカをやっただけ……首席の手を煩わせることではないわ……」
「なんでもなくはないよっ。はがっ!」
鋼と言おうとしたクセーラさんの頭に次席がガッチンと拳骨を振り下ろした。なるほど……次席は再生鉄のことを首席に知られたくないようだ。発芽の精霊のご機嫌を損ねないために却下したけど、かといって完全に諦めたわけでもないということか。
次席がチラリと僕に視線を向けてくる。ハイハイ、わかっていますとも……
「騒がせて申し訳なかったわ……もう授業が始まるから……サクラノーメ、クセーラを連れてきてちょうだい……」
僕が口元を隠して誰にも言わないというサインを送ると、次席は他のクラスの子を連れて教室から出て行った。北部派の首席や東部派のシュセンドゥ先輩の名前を出したのは失敗だったな。すっかり次席が警戒するようになってしまった。
あれは次席を丸め込むためのブラフで、僕も北部派や東部派に話を持って行こうとは思っていない。西部派の先輩に手を貸してもらわなければ難しいのだ。
「どういうことだ? クセーラと喧嘩したんじゃないのか?」
「もちろん違うよ。それよりも、よくも僕を磔にしてくれたねヘルネスト……」
「落ち着けモロニダス。これはアレだ……友人関係を円滑にする朝の軽いジョークってヤツじゃないか」
どこが軽いジョークなんだ。アメリカ人だって「おはよう」の代わりに人を十字架にかけたりはしないだろう。なんなら、挨拶代わりに痴漢行為のことをバラしてやるか……
「授業を始めますっ。席について……席に着けっ。このグズ豚どもっ」
ベリノーチ先生が教室に入ってきて、さっさと席に着けとバシバシ教卓を叩く。最近は口汚い教官キャラが板についてきて、反省室で補習しているときなんてもうノリノリで僕を罵倒している。
「休み明けから試験が始まりますっ。落第点を取った猿頭は焼けた鉄板の上で踊りながら補習だっ。覚悟しておけっ!」
生徒たちから上がったブーイングなど無視してベリノーチ先生は授業を始めた。まだ先生になって3か月だってのに、すっかり初々しさがなくなってしまったな……
授業が終わった後、アンドレーアを探す。あれから一度も顔を合わせていない。授業が終わった途端ひとりでどこかに姿を消してしまうらしく、Bクラスに行っても会えないのだ。
「本家ビッチなんて放っておいて、お昼ご飯を食べに行くのですよ」
本家、本家と口喧しいので、タルトはアンドレーアのことを本家ビッチと呼んでいた。食いしん坊3歳児はお昼ご飯が先だと主張するけど、お昼ご飯の後はお昼寝を所望してくるに決まっている。後回しにしてしまったら、結局探せず仕舞いに終わってしまうだろう。
「本家ビッチならあそこにいるのです」
アンドレーアを見つけるまではお昼ご飯にありつけないと悟ったらしく、さっさと済ませろとタルトが校舎の一角を指し示した。
「……知っていたの?」
「どうして魔力で探さないのです?」
なにわかりきったこと聞いちゃってるの?みたいな顔で問い返してくる3歳児。そうだった。タルトもまたプロセルピーネ先生並にロゥリングレーダーを使えるのだった。
探している相手の魔力を識別できれば、足跡をたどるように残された魔力をたどることもできる。広い範囲を探れるようになれば、今みたいに相手の居場所を特定してしまうことなど簡単だ。常に魔力を感じることを意識していろと、3歳児にクドクドお説教されながらタルトが指し示した場所を目指す。
アンドレーアがいるのは図書室だったようだ。扉を開けて中を覗き込むと、まだお昼ご飯の時間なせいか利用者は少なく人影はほとんどない。アンドレーアは……いたいた。大きなテーブルの端っこに腰かけて本をめくっている。
「やあ、アンドレーア。少しいいかな……」
「……あんたが私に何の用があるのよ?」
アンドレーアは警戒心マックスで僕を睨みつけてくる。これは仕方ないか。僕から彼女に話しかけるのは、入学してから初めてのことなのだから。
「なんだか最近元気がないようだから……」
「あんたが心配するようなことじゃないでしょ……」
確かに僕がアンドレーアを気にかけるなんて今さらなんだけど……
「何かしら? お礼を期待しているの? ありがとう。さっ、お礼は済んだわよ。さっさとどこかに消えてちょうだい」
「いや、お礼が聞きたかったわけじゃないんだ……」
アンドレーアが怪訝そうな視線を叩きつけてくる。
「その……ごめん…………あと、ありがと……」
僕はアンドレーアにひと言お礼を伝えておきたかった。
動機が何であれ、彼女が僕のために骨を折ってくれたことに変わりはなく……
僕はそんな彼女をずっと拒絶し続けて……
そして、そんな苦労をすべて徒労に終わらせてしまうのだから……
「なんであんたが私に謝んなきゃなんないのよ……」
元々機嫌が良いとは言えなかったアンドレーアの顔があからさまに不機嫌になった。
「いや……でも……」
「私はあんたのものを取り上げようとしたのよ。恨みなさいよっ。酷い本家だって……」
僕から顔をそむけたまま、アンドレーアが荷物をまとめて席を立とうとする。
「待ってよっ」
アンドレーアの子分になるつもりはないけど、かといって喧嘩別れもしたくはなかった。アンドレーアが自分を脅かす僕を嫌うのはかまわない。でも、自分は僕に恨まれているのだとアンドレーアに思い込んで欲しくなかったから、とっさに彼女の腕を引き留めた。
僕とアンドレーアの体格は、人族の子供でいえば5歳は違うということも忘れて……
「離しなさいっ」
力任せに僕を振りほどこうとしたアンドレーアに引っ張られて、僕は椅子から立ち上がる途中の彼女に突っ込んだ。
「大丈夫? アンドレーア」
図らずも椅子ごとアンドレーアを押し倒してしまった。僕が身を起こすとアンドレーアが顔を真っ赤にしている。いけないいけない、女の子にこんな風に圧し掛かるなんて、紳士のすることじゃ……
うん……?
なんだこの右手の感触は……?
柔らかいのに弾力があってプニプニしているぞ……これはまさか……
恐る恐る目視確認してみると、僕の右手はお約束のものをガッツリと鷲掴みにしていた。うおぅ、これはヤバイ……
メルエラの言っていたことは本当だったようだ。こいつぁ、確かにクゲナンデス先輩より……
「アンドレーア……これは事故だから……」
「事故だって言うなら、さっさと離しなさいよっ!」
ぐふっ……
アンドレーアの右フックが僕の顔面を捉える。今まで一度たりとも手を上げたことなんてなかったのに、容赦なくグーパンチを叩き込んできた。
「あ、あんたっ。まさか……本当に……」
アンドレーアがザクロみたいに顔を赤らめたままゴブリンを見るような目で僕を睨みつけてくる。怒りによるものなのか、羞恥によるものなのか、体をブルブルと震わせながら手で胸元とスカートを押さえて完全ガードの体勢だ。
「近寄るんじゃないわよっ。このケダモノッ!」
「誤解だよっ。今のは偶然だよっ」
「偶然? いいえ……必然ですの……」
「メルエラッ?」
いつの間にかアンドレーアの後ろにメルエラが立っていた。
「姉様……千載一遇の好機をむざむざ放棄するなんて、アーレイ家の次期当主としての責務をお忘れですか?」
そのようなざまだから嫡子としての覚悟がないと言われるのですと、冷たい声でアンドレーアに語りかける。
「姉様には、少なくとも母様より魔力に富んだ種を孕んでいただかなければ困ります」
うおぅ……アンドレーアが完全にビビッてるぞ。種を孕めとは相変わらず表現がストレート過ぎる……
「先輩よりも魔力が豊富で、対価もなくアーレイ家に迎えられそうな殿方にお心当たりが?」
「それは……でも……」
「デモもストも平民のすることです。アーレイ家を絶やすおつもりなのですか?」
彼女たちの母親は伯爵家から嫁いできたって話だった。どのくらいの魔力の持ち主なのか知らないけど、仮にクセーラさんと同じくらいだとしたら、同学年でそれ以上の魔力を持った男子となると僕と【禁書王】、それにバグジードくらいだ。
【禁書王】は北部派伯爵家の跡取り息子だからアーレイ子爵家への婿入りなんてあり得ない。僕とバグジードの2択だとしたら、アンドレーアにとっては究極の選択だな……
「そ、そんなつもりはないわ……」
「ご理解いただけたようでなによりです。それではやり直してくださいませ」
胸の前でポンと手を合わせたメルエラがやり直しを要求してきた。顔は微笑んでいるのに、ヤバイ……目がマジだ……
「やり直しって……?」
「あちらの古い統計資料の棚は使う人などほとんどいません。絶好のポイントです」
メルエラが隅っこに並んでいる本棚の影を指差しながら、自分が見張っているから安心してくださいと薦めてくる。この子は僕たちに何をさせる気なんだ……
「ちょっとアンドレーア。何とかしてよ……」
「ダメよ。この話になると、あの子は一切妥協しないの……」
やっぱりアンドレーアは肝心な時に役に立たない本家だった。
「姉様、手をこまねいていてはクゲナンデス家やペドロリアン家に先を越されます。早い者勝ちなんですよ」
魔力に溢れた子孫を残すことは貴族の義務。これは義務であり、そして今、天の時と地の利はアーレイ家にあるとメルエラが力説する。言ってることは正論かもしんないけど、この子目がイッちゃってるよ……
鼻息も荒く、僕たちを本棚の陰に押し込もうとグイグイ押してくる。
「アーレイ家の方々は、図書室で何をなさるおつもりなのかしら?」
首席が現れた。これぞ天の助け……
「おのれ……邪魔が入ったか……」
メルエラ……それは時代劇に出てくる悪代官の台詞だよ。11歳の女の子が口にする台詞じゃないよ……
「姉様がグズグズしているから……致し方ありません。いったん引きますよ……」
鞄を盾にするように構えたメルエラが、アンドレーアの手を引いて首席の横へジリジリと回り込む。首席よりも出口に近い位置まで移動したところで、後ろも見ずに一気に駆け出した。これで煙玉でも使っていれば完全に忍者だ。
「助かったよ。首席~」
「人は時として心に獣を宿すと言いますけれど――」
アーレイ姉妹の姿が見えなくなったところで僕が安堵しながらお礼を言うと、首席は呆れたような顔でため息を吐きながら僕へと視線を落とした。
「――体は小さいのに、アーレイ君の中にも1匹のケダモノが棲んでいたようですわね」
「待って。なんでそこでケダモノに変換されるのっ?」
一文字増えただけなのにもの凄く印象が悪くなったよ。




