463 包囲網を抜けて……
あっさりとヘルネストを置き去りにして薄暗くなってきた森の中をバナナンテが駆け抜けていく。ロゥリングレーダーに感じる魔力から察するに、思ったとおり僕を追いかけることは諦めてくれたようだ。そして、僕が動いたことに気づいてひとつの魔力がこちらに向かってくるのを感じた。クッコロちゃんである。
「追手が放たれる前にできる限り距離を稼いでおきたいんだ。夜の森を進むけど大丈夫?」
「夜ニ行動スルノハ慣レテル。足手マトイニハナラナイ」
互いにロゥリングレーダーで位置を把握できるため行き違いになることはない。合流をはたしたところで今後の予定を伝える。事態が総司令の耳に届くまでの間に、どれだけここから離れられたかが逃走の成否を左右するのだ。グズグズしている暇はないとまっすぐ北へ向かう。
「ロゥリング族ノ居場所ハワカッテイルノ?」
「北に見える山脈に沿ってずうっと西に行ったところだって聞いてる」
「西ニ向カワナクテイイノ?」
「向かうよ。追撃を振り切ってからね」
北へ進路をとったことがクッコロちゃんはご不満なようだ。暗くなってきた森の中をタッタカ駆けながら、どうしてまっすぐ目的地へ向かわないのだと尋ねてくる。ロゥリング族の領域は西の方にあるし、最短距離で遠征軍の制圧地域を抜けたいならやっぱり西へ向かうのが一番近い。もちろん、リアリィ総司令も同じように考えるだろう。明日になれば最前線の防衛ラインはアリ一匹通してなるものかとガッチリ封鎖され、動員された領軍兵と魔導騎士によってしらみ潰しに捜索されることは明らかだ。そんな場所にみすみす飛び込むほど僕はチャレンジャーではない。
夜に活動する魔物の気配がチラホラ感じられたものの、足音も隠さずドタドタ走るコケトリスとクマに恐れをなしたようで快く道を譲ってくれた。途中いく度か休憩をはさみながら、この大所帯が隠れられる場所を探す。まっすぐに北上し、そろそろホンマニ領軍の制圧地域を抜けてペドロリアン領軍が展開している地域に入るかなというあたりでおあつらえの場所が見つかった。手綱を引いてバナナンテを止める。
「隠れ家にしているクマもいなさそうだし、ここで休もう」
立派な大樹が立っているのだけど、片側の根元にあった土が流されてしまったようで大きく根っこが露出し、その下にご機嫌な空洞ができている。こういった場所はたいてい野生の生き物が隠れ家にしているものだけど、おそらくここは広すぎるのだろう。コウモリ傘の骨みたいに張り出した根っこの上に枯れ枝なんかを乗せてカモフラージュすれば、上空からでは繁みにしか見えないはずだ。
周りに落ちていた枯れ枝や、ほどよく茂った枝を切り落として屋根を覆う。すっかり野生を捨てて動物園のパンダに成り下がっていたクマネストだけど、同じような場所にクマ穴をこしらえた経験があるのだろう。なにも指示していないのに、なかなかの芸術作品に仕上げてくれた。
「ささっ、おやすみする前にバナナをよこすのですよ」
できあがったアジトに潜んで、お天道様が空のてっぺんに登るまでゆっくりお休みすることに決める。まだまだ先は長い。休める時にしっかり休んで体力は温存しておこうと告げれば、待ちにまったお楽しみの時間がやってまいりましたと3歳児がクッコロちゃんに飛びついた。バナナをよこせと激しく催促する。
「君、まさかひとり占めするつもりじゃないだろうね?」
「そんなことはしないのです。バナナンテもクマネストも一緒に楽しむのですよ」
クッコロちゃんが取り出した房にはバナナが5本ぶら下がっている。全部ひとりで食べるつもりではあるまいなと問い質したところ、ちゃんとバナナンテとクマネストにも分け与えるつもりだとタルトは唇を尖らせた。僕が抜けているような気がするのは気のせいだろうか。
「ゴブリンの勇者が1本、バナナンテとクマネストに1本ずつで、わたくしと下僕で2本なのです」
さらっと2本分の内訳を隠す3歳児。僕たちで2本ということは、タルトがワン&ハーフで僕が半分だけということもあり得るのだ。そんな手に引っかかると思ったら大間違いである。
「どうして僕たちで2本ってまとめる必要があるの?」
「わたくしと下僕はひとつなのです。分けて考えることないのです」
きちんと内訳を公表しなさいと問い質したところ、モレルンジャーは一心同体、バナナはひとつとオムツブルーのような言い訳をオムツプラチナが口にした。いい大人が屁理屈のような言い訳をするから、それを目の当たりにした子供たちの心が汚れていくのではなかろうか。純真な赤ちゃんが成長するにつれ汚い大人に成り下がっていく理由が垣間見えたような気がするけど、この3歳児の本性は悪魔なので適切なサンプルとは言い難い。
「よく熟れたバナナなのです。わたくしが食べさせてあげるのですよ」
コケトリスもクマも甘い果実が大好物なので、タルトからいただいたご馳走を大喜びでムシャムシャ平らげる。今日はずいぶんと走らせたのに、すっかり上機嫌になってくれた。やはり、美味しいご褒美には疲れをふっ飛ばすナニカがあるのだと思う。
「下僕は抱っこしてわたくしに食べさせるのです」
さぁ食べさせろと3歳児が僕の膝に腰かけてきた。皮をむいてバナナを食べさせてやれば、ウキャーとサルみたいに脚をパタパタ暴れさせて喜びを表す。よっぽどバナナが食べたくて、食べたくて仕方なかったようだ。1本平らげたところで、下僕にはご主人様が食べさせてやるともう1本のバナナを差し出してくる。一応は僕に食べさせるつもりだったかと安堵して味わっていたのも束の間、最後のひと口分を自分の口に突っ込みやがった。
「また、卑しん坊したねっ」
「ちょっとくらいよいではありませんか」
食いしん坊のこめかみを両側から人差し指でビシビシ攻撃してやる。どうせ栄養にはならないのだからひと口くらいいいだろうと身をよじる3歳児。膝の上で僕の方に向き直ると、おやすみするから抱っこしていろとしがみついてきた。仕方のない甘えん坊めと背中をポンポンしてやれば、あっという間にバナナの国へ旅立っていく。
「マダ私ノ分ガ残ッテイル」
「それはクッコロちゃんが食べるといいよ。なにかお腹に入れておいた方がよく眠れる」
ゴブリンもやっぱりロゥリング族から枝分かれした種族だから食性が肉食に偏っているのだろう。嗜好品として親しまれているけど、取り立てて貴重でも珍しくもないものだと自分のバナナを譲ってくれようとした。この先、しばらくはサバイバル生活だ。ストレスを溜めて体調を崩されては困るので、ちゃんと自分で食べなさいと断りする。
「導ク童ニヨク懐カレテイルノモワカルワ」
「導く童? ああ、タルトのことか……」
バナナをモゴモゴ頬張りながら、こいつだとグースカおやすみ中の3歳児を指差すクッコロちゃん。そういえば、混血児はいらないと処分される寸前に監禁されていた場所からゴブリンの女神様たちを脱出させたのはタルトという話だった。どうやら、人族の「道案内の少女」に相当する異名のようだ。生きている間に二度と会うことはなく名前も素性も謎なままだったから、別名を割り当てるしかなかったのだろう。
ゴブリンたちは「導く童」を、種族を生き残らせるために神様が遣わしてくださった存在と信じているらしい。約束の谷にある神殿にはゴブリーヌ様が亡くなる前に記憶をたどって彫られたというレリーフが残されていて、依代に次ぐお宝として大切にされているそうだ。まさか本物に遭遇する日がくるとは思ってもいなかったと、クッコロちゃんが愛おしそうに3歳児のほっぺをプニプニつつく。
「夜が明ければ一気に警戒が厳しくなると思うから、今のうちに休んでおいてよ」
「ワカッタ」
明日からしばらくはゆっくりできないぞと告げれば、クッコロちゃんは僕の隣にきてクマネストに寄りかかった。フワフワだと柔らかいお腹の毛を堪能していたものの、疲れていたのかすぐに寝入ってしまう。無理もない。ずっと敵軍の制圧地域に潜んでいたのだから、気の休まる暇なんてなかったはずだ。今日くらいはゆっくり休ませてあげよう。
僕が目を覚ましたのはお天道様が空の一番高い位置にさしかかろうという時刻だった。リアリィ総司令が事態を察知したらしく、魔導騎士や竜騎士がアジトの上空を頻繁に行き来している。さすがに歩兵の捜索部隊はまだ展開されていないようだ。本日もまた強行軍となるだろうから、ドクロワルさんに持たされた牛肉をたっぷり切り取ってクッコロちゃんと食べておく。
期待したとおり、僕が西へ逃走を続けていると総司令は考えてくれた模様。首席あたりが逆張りを主張するかもしれないけど、全体を網羅しなければすまない性格をしているから一カ所に戦力を集中なんてことはしてこないだろう。ロゥリングレーダーで捉えた騎士たちも、揃って西へ向かうか、西から帰投してくるかのどちらかだ。
「騎士……あの空を飛んでいる連中は木々の下まで見通せないから、近づいてきた時だけ隠れれば充分だ。地上部隊による山狩りが始まる前に北へ抜けてしまおう」
今は夏の盛り。植物がこれでもかと葉を茂らせているので、上空からでは地表なんてほとんど見えやしない。厄介なのは歩兵なので、包囲される前に制圧地域から抜けてしまうのが一番だ。今日も忙しいぞとクッコロちゃんに行動計画を説明していたところ、何を考えたのかタルトが【思い出のがらくた箱】から春に課題で製作した楽器を取り出した。
「せっかくですから囮を仕掛けていくのですよ」
楽器で祝詞を奏でられるのだから、術式を奏でればそれは魔術となる。僕が持っている魔導器と組み合わせて使うこともできるのだと3歳児がやり方を教えてくれた。僕たちがこの辺りに潜んでいると勘違いしてくれるよう仕込んでおく。
アジトを離れ、上空を行きかう騎士に気づかれないよう警戒しながら北へ進む。南東の方角から魔導甲冑と思われる反応が近づいてきたので大樹の陰に身を隠したところ、北東の方角からも別の反応がやってくるのをロゥリングレーダーで感知した。いったん合流し、また別れて飛び去っていく。おそらくはホンマニ領とペドロリアン領の騎士だろう。どうやら、ホンマニ領軍の制圧地域からは抜けられたようだ。
もっとも、ペドロリアン領の騎士が偶然たまたまやってきたとも思えない。リアリィ総司令が脱走者の捜索に協力を要請したのだと思う。まだ包囲網を脱したわけではないのだと慎重に足を進めていたところ、東に雲みたいに広がっている魔力を感じた。
――よその領からの協力要請だってのに、ずいぶんと気合入ってんな……
これはペドロリアン領軍の山狩りと見て間違いないだろう。これだけの人員をこんなに早く投入してくるとは予想していなかった。僕を捕まえてペドロリアンになんの得があるのだと首席パパを問い質してやりたい。
「急ごう。包囲される前に抜け出さないと強行突破するはめになる」
南北に伸びた魔力の雲がジワジワとこちらに近づいてくる。今のペースを保ってもけっこうギリギリなのに、けっこう頻繁に魔導騎士や竜騎士が飛来するから、その都度隠れるために足を止めなくてはならない。進路を西に向けることも考えたけど、最前線はガッチリ封鎖されているはずだ。僕の索敵能力を知ったうえで、逃げ場のないところに追い込む作戦とみた。
夜を待って東に転進し、闇に紛れて山狩りラインをこっそり抜けてしまおうかとも考えたものの、これは間違いなく対ロゥリング族シフト。その手は警戒されているような気がする。首席パパが【皇帝】を作戦参謀に雇ったのかもしれない。あいつはロゥリング族への対抗手段を考えることがエロいことの次に大好きだ。
「休憩して食事にしよう。次に動くときは全速で駆けることになるかもしれない」
東に向かっても、西に向かっても、相手の思惑に乗せられるだけだろう。もちろん、このままのペースで北に向かっても状況は好転しない。どうにかして山狩りの布陣を崩さないことにはジリ貧だけど、アジトに仕掛けてきた術式が上手いこと効果を発揮してくれればチャンスが生まれる。今は力を蓄えつつ機会をうかがうのが正解だ。焦って動くような場面じゃない。
ここが勝負どころと見極めて、いざという時に備えて持ってきた飼料用のトウモロコシをバナナンテとクマネストに残らず与えてしまう。コケトリスやクマの食べ物は自生している植物の中にも見つけられるものの、手早く体力を回復させたいときは穀物に限る。この後にハードワークが待っていると察しているのか、どちらもひと粒も残さない勢いでバクバク平らげてくれた。僕とクッコロちゃんはもちろん肉で、何もしない3歳児にはクッキーをしゃぶらせておく。
「そろそろなのです」
「発動したね。相手は引っかかってくれるかな」
アジトだったところに固まっていた魔力が解き放たれて広く拡散していくのを感じる。バナナのご褒美だと、かつてタルトが首席に授けた魔術の効果が現れるのを遅らせる秘匿術式を教えてくれたのだ。楽器で時限発動術式を奏でた後に、霧を発生させる魔導器を使っておいた。アジト周辺は今ごろ、明らかに自然のものではない霧に覆われているはずだ。
あたかも、追い詰められた僕が背に腹は代えられないと発動させたように……
「動いたね。高速で飛び回ってる伝令がいる」
どうやら、騎士が空をかっとんで地上部隊に指令を伝えている模様。ペドロリアン領軍は霧が発生した地帯をグルッと丸ごと包囲するつもりのようだ。1本の紐で輪っかを作るように部隊を動かすのではなく、2匹の蛇が南側と北側から回り込むような動きをさせている。練度の高さに舌を巻くけど、おかげで僕たちの行く手を塞ごうとしていた部隊は蛇の尻尾となってまっすぐ南下を始めた。この機会を逃す手はない。
「前が空いた。一気に駆け抜けるよっ」
「ゴブラジャー」




