462 トンズラ作戦
クッコロちゃんとはいったん別れ、部隊と共に物資の集積所へと向かう。予定どおりお昼ごろに到着し、荷降ろしと馬を休めるため明日いっぱいまで休息と決められた。物資の集積所は周囲を柵で囲んだ砦のような造りになっており、門の上には弓兵を配置するための櫓が組んである。中にいる限り安全だと日向ぼっこしている僕たちの頭上を、本拠点から出撃してきたオムツ01が推進器全開で翔け抜けていく。
「相変わらずだらけきってございますわね」
「僕たちは4日かけて悪路を行軍してきたんだよ。今日くらい休んだって罰は当たらないさ」
オムツ01に随伴してきた首席が、僕たちを見つけてヒポリエッタを降下させてきた。バナナンテの隣に停めて鞍から降りると、性懲りもなく余裕たっぷりな態度をとりやがってとまなじりを吊り上げる。半日とかからず往復できてしまう人に言われたくない。
「ちょうどよいところに来たのです。ヌトヌト、蜜をくれるのですよ」
甘い蜜を出してやれとタルトがバナナンテとクマネストの飼い葉桶を指差す。飼料用の味気ないトウモロコシにも飽きていたのだろう。蜜の精霊にドパッと蜜をサービスしてもらい、食いしん坊の手下2頭は大喜びで甘くなったトウモロコシを頬張り始めた。
「行かなくていいの?」
「ヒポリエッタでは足手まといになってしまいますから、戦闘空域での随伴はアキマヘンさんにお願いしてございます」
オムツ01とオムツフリーナちゃんは足も止めず最前線へ行ってしまった。首席こそこんなところで遊んでていいのかと尋ねてみたものの、速度に劣るヒッポグリフがいては飛行魔獣に狙われた時に逃げられないので、ここで帰投してくるのを待つつもりだそうな。ワイバーンやグリフォンに追っかけられても余裕でぶっちぎれるから、ふたりだけの方が安全だという。
「逃げきれるなら安全とわかっているのに、どうして僕がひとりで出かけると叱られるのか?」
「逃げればよいという状況にもかかわらず、ことごとく相手を返り討ちにしてきたモロリーヌさんがなにをおっしゃってますの?」
コケトリスがいるんだから僕ひとりの方が安全だと主張してみたものの、寝言は寝てからほざけと言い返されてしまう。ラトルジラント、ヒハキワイバーン、サクラちゃんのお兄さんに王国魔導騎士と、いちいち撃退してきたのはどこのどいつだ。自慢の逃げ足を肝心なところで使わない奴なんて信用できるものかとデカ女に頬をグニグニ引っ張られる。退くわけにはいかない大人の事情があったのだと説明しても聞いてくれない。
「マイフレンド、暇なら近くにいる魔物を狩りに――って、首席っ?」
「ムジヒダネ領のおふたりはモロリーヌさんになにをさせるつもりでございますのっ?」
荒ぶる首席をドウドウとなだめているところへ追加燃料を投下してくれたのは、もちろん迂闊なる男ヘルネストだ。首席の前で僕を魔物狩りに誘うなんて不注意極まりない。一緒にいたムジヒダネさん諸共、そこに直れと申し付けられる。
「魔物狩りに行こうとしていたのはヘル君だけ。私はクマを堪能したかっただけよ」
「サクラッ、お前っ?」
迂闊はもう助からないと諦めたのか、自分は魔物狩りに出かけるつもりなんてこれっぽっちもなかったと涼しい顔で口にするムジヒダネさん。この裏切り者という許嫁の非難をさらっと聞き流して黄金色の毛皮に顔を埋める。フワフワで柔らかいお腹側と違って背中はけっこうゴワゴワしているのだけど、構わずモフモフ最高とクマネストにしがみつく。
「気持ちいいのはお腹の毛なのです。ムジヒ女はまだまだ甘いのです」
根性で垢すりタオルのような背中の毛にズリズリと頬ずりするサクラちゃんを見て、最高なのはそっちじゃないとタルトがクマネストに仰向けになるよう言いつける。トウモロコシを平らげたパンダ野郎がゴロリとひっくり返ったところで、お昼寝するぞと僕を手招きしてきた。
「下僕はちゃんと隣で手を握っているのですよ」
クマネストのお腹の上に腹ばいになった3歳児がどこにも行くなと僕の袖をつかむ。脱がせたローブを掛け布団代わりにかけてちっちゃな手を握り返してやれば、安心してくれたようでスヤスヤと寝息を立て始めた。寝ている時だけは天使のような愛らしさだ。
「タルトがお昼寝を始めちゃったら僕は動けない。魔物狩りにはいけないから安心していいよ」
このとおり、もうここから動けないのだと言ってやれば、疑り深い首席も納得してくれた模様。僕を集積所の外に連れ出すことは禁止だと脳筋ズを追い払い、寝ているタルトの腕に蜜の精霊を抱かせてくれる。
「行軍中もあんな調子でございましたの?」
「まあね。もっとも、近場には人族との一騎打ちに応じてくれる魔物なんて残っちゃいないけど」
性懲りもなく魔物狩りなんて企んでいるのかと首席が頬を膨らませていたものの、気配を隠せない脳筋ズでは逃げられて終いだから安心していいと伝えておく。昨年は遠征軍が手薄だったため最前線の防衛ラインに穴があった。物資の集積所付近まで魔物が入り込んできていたのもそのせいで、王国軍も参加している今年は状況が違う。ロゥリングレーダーで兵の動きを把握できるクッコロちゃんはともかく、並みの魔物では防衛ラインを突破してこれないだろう。
「油断なさらないようにと言いたいところですけれど、ロゥリング族にそれはイボナマコに泳ぎを教えるようなものでございますわね」
「気を抜いているわけじゃないさ」
魔物はどこに潜んでいるかわからないなんて、魔力から察知できるロゥリング族に言っても仕方がないと首席がため息を吐き出す。だらけきっているように見えるけど、それは危険はないと確認できているからなのだとわかってくれたご様子。フカフカの毛皮に埋もれて顔を蕩けさせている蜜の精霊を指であやし始めた。
しばらくゴロゴロしていると、獲物をハイエナし終えたのかオムツ01とアキマヘン嬢が僕たちのところへ降下してくる。帰投の時間がきたようだ。ムニャムニャと寝ぼけている蜜の精霊をそっと引っ張り出すと、首席はヒポリエッタに跨って本拠点へ飛び立っていった。グースカ寝ていたはずの3歳児がパッチリと目を覚ます。
「下僕、時はきたのです」
「それじゃ、行動を開始するとしますかね」
僕たちが待っていたのはこのタイミングだ。抜け出したことをリアリィ総司令まで確実に伝えてもらいたいものの、かといって早過ぎるのも困る。領軍と騎士団を総動員したローラー作戦なんてされた日には、いかにロゥリング族といえど炙り出されてしまうので、距離を稼いでおくための時間は欲しかった。僕が姿を消してから時間が経てばたつほど捜索範囲を広くしなければならず、包囲網の密度は薄くならざるを得ないからだ。そこで一番の邪魔者となるのは、もちろん空を高速でかっ飛んでいける伝令である。
総司令付き連絡員のふたりが帰投してしまった今、どんなに急いで報せたとしても半日はかかるだろう。それだけの時間があれば充分ここから離れられる。捜索範囲が絞れなくなれば、満遍なくすべてを塗りつぶすローラーも歯の欠けた櫛に早変わりだ。
『ちょっとロゥリング族の領域まで出かけてきます。さがさないでください』
とりあえず、総司令まで届けてもらう手紙をしたためる。理由は後で訊かれたら答えればいい。こいつを誰に託そうかと思案していたら、一緒に渡せとタルトが紙切れを寄越してきた。精霊の使う僕にはさっぱり理解できない文字で何事か書かれている。
「これじゃ誰にも読めないよ」
「シルヒメなら人族の文字に直せるのです」
どうやら暗号文のようだ。シルヒメさんへの指示だろうか。解読するには見せる必要があるから、確実に彼女の下へ届けられるだろう。それもまた計算のうちなのかもしれない。
『もうひとつはタルトからの伝言です。シルヒメさんなら読めます』
手紙に追記して最後に僕のサインを記しておく。準備を整えている間にお日様が傾いて、西の空は怒りの炎に染め上げられたかの如く黄昏色に燃え上がっていた。大噴火を起こすリアリィ山脈の姿が目に映るようだ。
「下僕、今になって怖気づいたのですか?」
先っちょにこみ上げてくる尿意を堪えていたところ、今さらブルってんのかとタルトにお尻を叩かれた。緊張していないと言えば嘘になる。魔物の領域で実習中に失踪なんて、リアリィ先生が激怒することは火を見るより明らかだ。戻ってきた時におっぱいデンプシーロールで許されれば御の字といったレベルの無鉄砲チャレンジだと思う。
「たとえそうだとしても、僕のすることに変わりはないさ」
それでも、約束した以上は守らなければならない。力及ばずということなら仕方がないけれど、言い訳ばかりで何も行動しないのでは底辺ズと一緒だ。悪いお兄ちゃんは田西宿実だけで充分。どれだけ想定外の事態が重なろうとも、できることをやらなくてよい理由にはしない。
僕の心は決まっているとバナナンテに鞍を乗っけていたら、怖い怖い首席がいなくなったと知って再びヘルネストがやってきた。狩猟に出かけるなら一緒に連れて行けとあり得ないことをぬかす。ちょうどいい。僕がロゥリング族の下へ向かうことを知りながら、みすみす見逃すマヌケ役はこいつにお願いしよう。ウカツが迂闊なのはいつものことだから、総司令もそんなには怒らない……ことに期待する。
「運動不足を解消するための、ちょっとした散歩だよ。魔物を探すつもりはない」
「マイフレンド、そんな言葉に騙される俺だと思うなよ」
荷車のペースにあわせてノロノロ歩かされたからストレスが溜まっている。軽く走らせるだけと伝えれば、迂闊なる男は予想どおり逆張りかまして一緒にくると言い出した。気のない素振りを見せつつ大物を狙うのはロゥリング族の常とう手段。僕の考えることなんてまるっとお見通しだと、晴れ晴れとしたドヤ顔を決めて言い放つ。あまりにもあっさり引っかかってくれたものだから、なんだか貧乏くじを引かせるのが悪い気がしてきた。
やっぱり心の痛まないエロオヤジにしておくべきだったかと後悔したものの、今さらどうしようもない。クマネストにタルトを乗せ、ヘルネストを伴って本拠点へつながる東側の門から集積所を出る。
「こっち側から出たのは見ている奴らの目を欺くためだな。俺にはわかってるぜ」
すっかり僕が魔物を探しに行くつもりだと思い込んでいるヘルネスト。こんなところで魔物を狩る理由が僕にはないということに、どうして思い至らないのか不思議でならない。価値観というものは人それぞれだ。自分と同じ尺度で測れる相手と、測れない相手がいるってことをいい加減学ぶべきだと思う。
「危ないから、槍の穂先にはカバーを被せておくように……」
「それじゃ、とっさの場合に使えないぜ」
「僕が不意打ちを許すと本気で思ってんの?」
魔物狩りにいくと信じ込んでいるヘルネストはもちろんフル武装だ。魔導軽装甲に身を固め、手には槍、腰には剣をぶら下げている。槍の穂先を保護するカバーを取ろうとしていたので、そのままでいいと告げておく。ロゥリングレーダーで察知できないサソリは神様が滅ぼしてくれたから、とっさの場合なんてありはしないのだ。
門を出た後はしばらく柵に沿って北に進み、適当なところで森へ踏み込む。せっかく重いフル武装をしてくれたのだから、その心意気を買って全速ダッシュでは息が続かなくなるところまで離れさせてもらおう。僕がトンズラしたと部隊に知れ渡るまでの時間は長ければ長いほどいい。
ガサガサと原生林を進んでいるうちにお天道様が沈んだ模様。まだまだ西の空は夕焼けの色を残しているけど、東の空には星が瞬き始めた。手紙が読めないほど暗くなっては困るので、このあたりが潮時だろう。一度休憩しようとコケトリスから降りる。
「ヘルネスト。君に伝えておきたいことがある」
「魔物か? どこだ?」
声をかけただけで脳筋は魔物かと槍の穂先カバーを外そうとした。どんだけ魔物に飢えてやがるんだとパンチくれてやりたい。
「手紙を書いたんだけど、目の前で読まれたくないからあっちの繁みの陰で目を通してきてくれ。魔物はいないから安心していい」
「なにっ? なんの手紙だっ?」
「読めばわかる」
僕とタルトのしたためた手紙を差し出して、繁みの向こうで読んでくるよう促す。迂闊なる男はどうしてか顔を真っ赤にしながら手紙を受け取ると、そそくさと繁みの向こうへ姿を消した。これでよし。後は逃げるだけとバナナンテに跨る。
「マイフレンドッ! これはどういうつもりだっ?」
静寂な森の中に突如として驚愕の声が響く。ヘルネストが大慌てで繁みをかきわけてきたけどもう遅い。こっちはすでに逃走態勢を整えさせてもらった。
「ふはははっ。さらばだウカツ君、また会おうっ!」
さぁ行けと拍車をいれれば、バナナンテは弾かれたように勢いよく駆け出した。タルトを乗せたクマネストもしっかりついてくる。全部併せれば重量が20キロを超えるであろうフル武装した迂闊に追いつく術は残されていない。ただただ、木立の中に消えゆく僕たちの姿を立ち尽くしたまま眺めるのみだ。
「ちょっ、待てこらぁぁぁ――――っ!」
僕をみすみす取り逃がした迂闊野郎という貧乏くじを引かされた男の怒号が夕暮れの森を揺るがしたものの、待てと言われて待つお人好しなんてもちろんいるはずもなかった。




