461 心に残った約束
森に潜んで姿を見せない相手から突き刺すような魔力を感じる。これは僕自身に注意が向けられている時の感覚だ。試しに荷車の裏側へ隠れてみたものの、ロゥリング感覚に伝わってくる魔力に変化はなかった。視線が遮られてもロックオンが外れないってことは、視覚以外の感覚で僕を捉えているということ。これだけ人や馬がゴチャゴチャしている中で嗅覚や聴覚ってこともないだろう。となれば、答えはひとつしかない。
それが可能な相手に心当たりはあった。魔力からは敵意ではなく、なにかを待ち望んでいるような感情が伝わってくる。もしかして、僕を探してこんな危険な場所に潜んでいたのだろうか。
「ねぇ、タルト。この魔力って?」
「1年前に会ったばかりでもう忘れてしまったのですか。下僕は若ボケなのです」
一度顔を合わせただけの相手を魔力で識別できる方がおかしいと思うのだけど、イキり3歳児はドヤ顔で僕が健忘症だと鼻を鳴らす。まぁ、今は許してやろう。これで潜んでいる相手が誰であるかは判明した。おそらくは通りがかかる部隊を片っ端から魔力で監視し、それに気づいて反応してくる相手を探していたのだと思う。ロックオンが外れないのは、僕が注意を向けたために魔力を捉えられてしまったからだ。
「ん~、暗くなってしまう前に接触しておくか……」
お天道様はもう地平線の向こうに隠れてしまったけど、まだまだ西の空は明るい。暗くなってから部隊を離れると怪しまれるので、用があるなら早いうちに済ませてしまった方がいいだろう。クマネストに児童翻訳機を乗っけてバナナンテに跨る。
「マイフレンド、どこに行くんだ? 狩猟ならつきあうぜ」
森に入ろうとする僕たちを見つけてヘルネストが声をかけてきた。相手したくない時に限って目敏いとは面倒な奴だ。ウカツは迂闊らしく見逃しておけとパンチくれてやりたい。
「…………うんこ。ついて来たら農奴が排泄物に興味を示すようになったと次席に報告する」
「卒業後はカリューア領で堆肥奉行なんて冗談じゃないからやめてくれ」
堆肥の原料に興味があるのかと問い質してやれば、友だちをファーマーに売るなんて人のするこっちゃないとヘルネストは威嚇音を立てながら逃げていく。堆肥の製造量は収獲を左右する重要パラメーターだから、それを取り仕切る立場ともなれば作付け計画にだって関与できるはずだ。カリューア伯爵領の堆肥奉行は園芸サークルのメンバーが内定をもらったら泣いて失禁するレベルのエリートコースだと思うのだけど、脳筋はムジヒダネ子爵領で騎士になる方がお好みらしい。やはり、ウカツはどこまでも迂闊だった。
首尾よく邪魔者を追い払ったところで森に入り、誰にも見つからなさそうな場所へとバナナンテを駆けさせる。ターゲットが動いたことを察して、魔力で僕をロックオンしていた相手もこっちに向かって移動を開始した。ここなら大丈夫というところでバナナンテを止め、念のため『ヴィヴィアナロック』の魔導器を用意して彼女が追いついてくるのを待つ。
「ハローゴブゴブ……」
「ココニクレバ、アナタニ会エルト思ッテイタ」
攻撃の意思がないことを示すためか、開いた両手をこっちに向けた状態で小さな影が木立の間から姿を現す。僕が身に着けているジラント革のエプロンとよく似た造りの貫頭衣に防具代わりの毛皮という、1年前に会った時と寸分変わらぬいでたちをした少女だ。予想していたとおり、魔力で僕をロックオンしていたのはゴブリンの勇者クッコロちゃんだった。ゴブリン語で話しかけてみたものの、どうやら人族の言葉を学んできたご様子。互いに片言な相手の言葉で挨拶を交わすという、なんともマヌケなことになってしまう。
「言葉を覚えてきたの?」
「使命ヲハタスタメ、ドウシテモ必要ダッタ」
ここにきたのは使命のためらしい。いったい何だろう。もしかして、僕の子種を孕んでくるとかだろうか。見た目は12歳の女の子と7歳の男の子が赤ちゃんを作るなんて倫理的にヤバすぎる。薄い本を出したら禁書に指定されること間違いなしだ。
「アナタニ私ヲ――」
ふおぉぉぉ――――っ。ヤバイぞこれは。だけど、種族維持のためならば仕方ないのかっ?
「――ロゥリング族ノトコロヘ連レテイッテモライタイ」
「ほわっ?」
使命というのは背徳感溢れる子作りではなく、ロゥリング族の下を訪れることだそうな。はて、ゴブリンたちはロゥリング族に見つかることを何よりも怖れていたのではなかったか。どういう風の吹き回しなのかと尋ねてみたところ、種族の指針を定めるために必要なのだという。
人族とロゥリング族が再び交流を始め、ゴブリンの御子や勇者の能力が衰える一方、人族の中には僕のような混血児が増えていく。それが時代の趨勢だと、クッコロちゃんは仲間を引き連れて約束の谷へ赴きタルトの伝言をホブゴブリンたちに伝えたという。激しい論争がまき起こったものの、このまま何もしなければ種族の衰退は避けられない。どんなに理不尽であっても現実から目を逸らすのは自殺行為だという結論に至り、人族若しくはロゥリング族との和解の道を探ることになった。そして、ロゥリング族の反応を確かめる役にクッコロちゃんが名乗り出たそうだ。
「人族トハ長ラク争イ合ッテキタ。互イニ恨ミヲ抱エテイル者モ少ナクナイ」
ゴブリンに親しい友人を殺された人族。人族のせいで家族を失ったゴブリン。どちらも、突然和解なんて言われても納得できないだろう。それならまだ、接触を断っていたロゥリング族の方が見込みがあるとクッコロちゃんは考えているらしい。ロゥリング族がまだ混血種を許していなかった時は生きて同胞の下には戻らないと誓いを立て、谷の位置が漏れることを怖れるホブゴブリンたちを納得させたという。
「生きては帰らないって……」
「追ワレタラ逃ゲ切レナイ。結果ハ同ジコト」
なんだか重い話になってきた。そんな覚悟完了しなくてもと思ったけど、ロゥリング族がゴブリンを敵視しているならどの道自分は助からない。誓いなんて形だけのものだとクッコロちゃんはあっけらかんとしている。
「心配ナノハ、姿ヲ見ルコトスラ叶ワズニ殺サレテシマウコト」
懸念されるのは侵入者として問答無用で始末されてしまうことだとすました顔で口にするゴブリンの勇者様。僕と遭遇した時の経験から探知範囲でロゥリング族に敵わないことは判明しており、魔力を感じ取れない距離からいきなり先制攻撃を仕掛けられる可能性もある。和解を受け入れてもらえないのは仕方がないけれど、話すら聞いてもらわずに倒れるわけにはいかない。そこで、僕に仲介役をお願いしようと探していたそうな。
「僕もロゥリング族の領域に足を踏み入れたことはないんだけど……」
「アナタハ神ニ仕エル巫女ト聞イタ。私ノコトハ気ニセズ、脅サレタコトニシテ構ワナイ」
クッコロちゃんは女神様に身体を乗っ取られている間のことをザックリとではあるものの理解しているという話だったから、僕がロゥリング娘であることもバレている。神様の巫女であれば、いきなり殺されることはないと踏んでのことのようだ。死ぬのは自分ひとりで充分だから、脅されて無理やり案内させられたことにすればいいと両手サムズアップを決めてきた。
種族のためなら己が命すら利用するなんて、ゴブリンの勇者様は自己犠牲の精神が強すぎるのではあるまいか。昨年も僕を始末するために、単身で遠征軍の制圧地域に忍び込んできたことを思い出す。もっとも、田西宿実もモロニダス・アーレイも自国や自種族が滅亡の危機に瀕した経験なんてないから、ゴブリンたちの抱いている危機感を理解できているかと問われれば、答えはもちろんノーだ。地球滅亡の日まであと○○日なんてのはアニメのお話でしかない。
「そんなこと頼まれても、僕だって実習中だしなぁ……」
誰かのために自らを犠牲にするのは尊いことだと思うけど、何事にも限度ってもんはある。ゴブリンは滅びていいとも思っていないし、クッコロちゃんの覚悟を無碍に扱うのも気が引けるものの、ゴブリンの知り合いにお願いされたから無断で実習をボイコットしましたなんて説明した日には、リアリィ山脈が再び火山活動を活発化させること間違いなしだ。僕は世界平和のために己のすべてを投げ打って悪と戦い続けるクモ男ではないのだから、ゴブリンの問題はゴブリンたちで解決してもらえないだろうか。
「タダデトハ言ワナイ。オ礼ノ品ハ用意シテキタ」
ちゃんと報酬は用意してあると背負い袋をゴソゴソあさるクッコロちゃん。なるほど、つまり仕事の依頼と考えていたわけか。クレクレとおねだりしかしない連中より道理ってもんをわきまえている。ゴブリンのお宝とはいったいなんだろうと、ちょっぴり興味が湧いてきた。
「ドウシテカゴブリーヌ様ハ、タイシテ珍シクモナイ植物ノ実ヲ持ッテイクヨウ告ゲラレタ」
「そっ、そんなバナナァァァ――――ッ?」
約束の谷にいっぱい生えているのだとクッコロちゃんが取り出したのは、まぎれもなく黄色い皮に包まれたあんちくしょうだった。大好物を見つけた3歳児がギュピィーンと瞳を輝かせる。
「下僕っ、下僕っ。わたくしの言ったとおり、バナナはあったではありませんかっ」
さぁ、今すぐ手に入れろと僕のお尻に3歳児コンビネーションブロウを叩き込んでくるタルト。そうはいっても、報酬なのだからバナナをいただくためには仲介役の仕事を引き受けなければならない。実習の途中で勝手にいなくなったりすれば、それこそ留年させられてしまう。
「なんでもするという約束だったではありませんかっ。手段は問わないのですよっ」
いかなる手を使ってでも入手せよと、タルトが3歳児百裂拳を放ってくる。つまり、仕事を引き受けたフリをしてだまし取るのもアリということだろうか。だけど、やっぱりそれは信義に反する。ここはどうにか3歳児様に我慢していただきたい。
「そりゃ、実習中に探せる範囲内でならなんでもするつもりだったけどね……」
「下僕はなんでもすると約束したのですっ。言い訳は聞かないのですっ」
さすがに実習ボイコットは限度を超えているだろうと説得を試みたものの、お目当てのブツを前にした食いしん坊は聞く耳を持たない。ご主人様をだましたのかとボカボカ殴りつけてきた。
「騙すつもりじゃなかったんだけど、ロゥリング族の領域なんて行ったことないし、これは予想外過ぎると言うか……僕にしてあげられる程度を超えていると言うか……」
「やぐぞぐなのでずっ。やぐぞぐじだのでずっ」
いくらなんでも無茶振りが過ぎると言ってもタルトは聞いちゃくれなかった。僕の袖をガッチリつかむと、約束したはずだと喚き散らしながらグイグイ引っ張ってくる。
「タルト。僕にだってできることと、できないことが……」
「げぼぐ……あのやぐぞくは……嘘だったのでずか……」
どうにもならないことだってある。心を決めて最初からなかったものと諦めるよう告げたところ、駄々をこねても叶わないと悟ったようで僕の袖をつかんだままタルトが力なく肩を落とした。今にも泣き出してしまいそうな表情で瞳をウルウルさせながら、バナナはそこにあるではないかと僕を見上げてくる。ここで折れてはいけない。時には厳しい態度をとることも必要だと自分に言い聞かせる。
だけど、そんな3歳児の姿に二度と会うことの叶わない懐かしい面影が重なった。
――また、同じことをくり返すつもりなのか。僕は……
田西宿実が置き去りにしてしまった妹たち。あんパンを作る約束も、ペンギンショーに連れていく約束もあった。いつでもはたせると後回しにしているうちに、永遠にはたされることのなくなってしまった約束だ。思い出せるものの他にも、些細な約束事はたくさんあったはず。悪いお兄ちゃんだったなと、心残りが後悔となって胸に痛みを覚えるほどに僕の心を絞めつけてくる。
タルトとだっていつまでも一緒にいられるという保証はない。明日にでも暴れ馬に撥ねられて、そのままイグドラシルへ旅立ってしまうかもしれないのだ。はたされることのない約束を、再び残してしまいたくないなら……
――いや、理屈なんてどうだっていい。僕の心はもう決まっている。
人は物事を理屈で判断などしていないというスイーツ伯母さんの言葉が思い出される。理由を考えている時、人はすでに結論を出してしまっているものだ。自分にする言い訳を考えるのに頭を悩ませても仕方ない。
「ロゥリング族の居場所は僕も大雑把にしか把握していないんだ。やれるだけのことはするけど、ご期待に沿えるかどうかは保証できない」
「げぼぐっ」
ため息を吐きながらクッコロちゃんをロゥリング族の下まで連れていくことを了承すれば、メソメソしていた3歳児が歓声を上げて飛びついてきた。僕の腕にぶら下がりながら小躍りして喜びを表す。
「構ワナイ。ソレデ充分」
もとよりそれ以上のことは期待していないと、クッコロちゃんは安堵の表情を浮かべている。さっそくバナナを寄越せとタルトが要求しようとしたものの、今はまだダメだ。仕事に取りかかる前にやるべきことが残っているので、お楽しみはそれからだと言い聞かせておく。
「このままいなくなったら、生徒が行方不明になったと大騒ぎになっちゃうからね。実習から離脱しますってリアリィ先生に報せたうえで、追撃の手を振り切らなきゃいけないんだ」
実習ボイコットはよいとしても、領軍に行方不明者捜索の手間までかけさせるのは申し訳ない。総司令にロゥリング族の領域まで出かけてきますと伝えておく必要はあるだろう。逃がすな連れ戻せと追手が放たれることはほぼ確実なので、まずは捕まることなく遠征軍の制圧地域から逃げおおせる策を考えなければならない。
「ここから西に行ったところに人族の砦があるのは知ってる?」
「モチロン」
「僕たちの目的地はそこなんだ。明日の日が傾くころまでに、君は北側に回り込んで待機していてくれないかな」
「ゴブラジャー」
部隊が目的地に到着した後に抜け出してくるからと、思いついた作戦をクッコロちゃんに説明する。決行は明日だ。いかなる包囲網が敷かれようとも華麗に突破してみせよう。




