41 アーレイ家のデキる従妹
6月、魔導院のあるホンマニ公爵領の辺りには梅雨という季節がない。だけど、カラリと晴れ渡った空とは裏腹に僕の気分はどんよりと曇っていた。
プロセルピーネ先生がなめし終えたジラントの革を僕にくれたのだけど、それを聞きつけたアンドレーアがジラント革を我が物にしようと企んでいるらしい。なめし作業には研究員や特待生の生徒を動員したらしいので、そこから情報が流れたのだろう。
先生としては秘密にしているつもりもなかったのだろうし。
「姉は先輩の持っているジラント革をアーレイ家の資産だと話しておりました」
僕の従妹が教えてくれた。従姉でなく、従妹である。アンドレーアの妹で名をメルエラ・アーレイという。姉にそっくりな黒髪をツーサイドアップにしてお嬢様っぽくしているけど、勝気そうな顔つきがアンドレーアによく似ている。
今年、飼育サークルに入ってきた新入生のひとりで、アキマヘン嬢の取り巻きではないので指導を担当しているのは僕だ。
彼女の僕に対する接し方はアンドレーアとは正反対。父とアーレイ子爵家は完全に断絶したものと見做しており、僕のこともお従兄ちゃんとは認めてくれない。アンドレーアに分家扱いされるのも癪だけど、メルエラにアカの他人と言われると寂しい気がするのは僕が我が儘なせいだろうか?
どうしてこうも両極端なのかというと、どうも魔導院に来るまでの養育に当たった人が違うらしい。アンドレーアは父親と祖母に育てられたけど、メルエラの教育には祖父である前アーレイ子爵が当たったそうだ。
現在のアーレイ子爵はアンドレーアとメルエラの父親。僕の叔父である。
父を分家と考えているのは現アーレイ子爵と祖母で、離縁した者と見做しているのは祖父の方。ただ、父を目の敵にしているのは前者であるらしい。それがそのままアーレイ姉妹に引き継がれているようだ。
メルエラが教えてくれたところによると、僕のものではなく家のものなのだから、当然本家の嫡子である自分の手元に置くべきだと話していたという。この国には財産の帰属に関する法律がちゃんとあるから、僕のものは家のものなんて理屈、自分が不勉強だということを言いふらす結果にしかならないのに……
「プロセルピーネ先生は先輩にとって母方の親族ですから、ロゥリング族のものを取り上げたら問題になると申し上げたのですが……」
妹の方がよっぽど勉強しているよ。ジラント革は先生から可愛い甥へのプレゼントということになっている。ロゥリング族の先生が同族の甥に贈ったのだから、ジラント革はまだロゥリング族のものだ。
アーレイ家の資産なんて主張は通らないどころか、僕から無理やり取り上げれば、それは他種族からの略奪行為と見做されてもおかしくない。
「バカなお願いと承知していますけれど、何としてもあれを姉に渡さないでください」
自分が言っても聞いてくれないと諦め顔のメルエラが首を振る。その気持ちはよくわかるよ。僕も脳筋ズには散々手を焼かされているからね。猪を槍で狩ろうとするわ、猿を生け捕りにしようと関節技でグラウンド勝負を始めるわ……
「あと、確証はないのですが……姉は自分に都合の良い話を吹き込まれているようで……」
「アンドレーアを煽ってる奴がいるってこと?」
「ええ、先輩のものを家の資産だと言った後に、『言われてみれば当然よね』と付け加えました」
言われてみれば……。つまり、誰かに入れ知恵されたということだ。メルエラにもそれが誰かはわからないけど、ジラント革を欲しがっているのはアンドレーアだけではないという。
Aクラスに在籍しているだけあってメルエラは鋭い。アンドレーアよりも領主に相応しいのではと思ったけど、それは絶対にアンドレーアの前では口にするなと怒られてしまった。
姉より優れた妹など存在してはいけないそうだ。
「自分で加工できない素材など手に入れて、どうするおつもりなのか……」
どんなに貴重な素材でも、使えなければ押入れの肥やしにしかならないとメルエラがため息を吐く。
大きな亜竜の1枚革なんて、教養課程の工作室にある加工機では歯が立たない。専門課程の工作棟にある加工機でも足りないくらいだ。きちんとした物に仕上げたいなら、高等研究棟や先生の研究室にある設備を使わせてもらう必要がある。
ジラント革はアンドレーアに扱えるような素材ではないのだ。
「そういえば、僕の魔導器もずいぶんと欲しがってたよ。あれだってアンドレーアには使えないのに……」
「それは先輩の秘匿術式ではありませんか……」
どうしてそうも軽率なのだとメルエラが泣きそうな顔になった。
内容が公開されてないオリジナルの術式はひっくるめて秘匿術式と呼ばれ、法律上も知的財産のような扱いを受ける。秘匿術式には特定の化学物質を合成したり、質の良い産物を作るのに必要といった産業用の術式も多いので、各地の領主たちが領の財源として大切に保護していた。
そのため、秘匿術式に関するルールはとても細かく決められていて、王様といえども軽々しく要求できるものではない。その昔、特許のような制度を作ろうとした王様が、中央集権化の第一歩だと領主たちから総スカンを喰らって退位に追い込まれた例さえあるらしい。
貴族や士族にとっては最も重要な財産と言えるものなので、自らが仕える王様や領主に対しても秘匿する権利が認められている。秘匿術式の差し押さえは一族郎党皆殺しに匹敵する――口封じのため事実上ワンセット――とされる重い処分だ。
「お金が欲しいってわけでもなさそうなのにね……」
物は欲しがるわりにアンドレーアがお金を無心してきたことは一度もない。お金が必要なら初級再生薬の作り方を教えようかと言ってみたけど、余計なお世話だと断られてしまった。
「どうしてそこでお断りするのですかっ。使えもしない素材や術式より、課題の方を大事になさってくださいっ!」
とうとうメルエラが怒り出してしまった。馬場を仕切っている木の柵をペシペシと叩きながら、この場にいないアンドレーアに向かって魔導院の生徒として明らかに優先順位が間違っていると叱りつけている。この子も相当溜まっていたようだ。
妹に心配ばかりかけて、アンドレーアは困ったお姉ちゃんである。
とはいえ、アーレイ姉妹の仲は良いようで、山狩りの時には入学してくるメルエラを迎えに行って一緒にモウホンマーニで足止めを喰らっていたらしい。寮で過ごしている時はたいてい一緒だそうで、僕にわざわざメルエラを紹介しに連れてきたのもアンドレーアだ。
分家の者と紹介した僕をアカの他人と言われて面食らってはいたけどね。
「メルエラさん。そろそろ新入生の部が始まりますわよ。準備しておいてください」
首席が馬場の隅っこで僕とヒソヒソ話をしていたメルエラを呼びに来た。今日は飼育サークルの馬場で『エレガント落馬』の大会が催されている。首席が指導していた新入生も含めて、ようやく落馬の練習が終わったので大会を開くことにしたのだ。
先日、園芸サークルから果物の配布があったので、新入生の部では3位までの入賞賞品として温室バナナが用意されている。
園芸サークルに出資しているのは僕だけでなく、シュセンドゥ先輩とクゲナンデス先輩に首席も出資者のひとりだ。それぞれ1本ずつ提供し、1位は2本。2位と3位には1本ずつ渡すことにした。アキマヘン嬢の取り巻き候補たちが手を抜いてはつまらないのでエサを用意したのだけど、そのかいあって新入生たちはかなり気合が入っている。
「試合で手を抜くのは、相手に失礼というものですわ……」
「勝負というものは、真剣にやるからこそ楽しいのです……」
普段は太鼓持ちみたいな取り巻き候補どももバナナを吊るされてすっかりやる気だ。1位に2本としたのも、1本をアキマヘン嬢に進呈できるようにという作戦である。発案者はタルト。ひとりだけ抜け駆けできるようにお膳立てしてあげれば、人族は猿みたいに踊るものなのだと意地悪そうに笑っていた。
「1位になって、アンドレーアにもバナナをご馳走してあげなよ」
頑張りますと言って、メルエラは選手の待機場所へと走っていった。今は教養課程の部が終わったところで、次が新入生の部。最後が専門課程の部だ。僕は出場していない。体の小さい僕では、どうしても飛び降りた感が強くてエレガントに見えないから。
「わざわざ人のいないところで内緒話ですの?」
「たいした話じゃないよ。それより競技の方はどうだったの?」
「77エレガントで2位でしたわ。1位とは5エレガントの差です」
『エレガント落馬』は5人の審査員がそれぞれ持ち点20を持っていて、その合計が選手の成績となる。持ち点の単位はもちろんエレガント。5エレガントの差ということは、全ての審査員から1エレガント低く評価されたということで結構な差である。
もっとも、70エレガント台は専門課程の部でも見劣りしない成績だけど。
首席とお喋りしながら観戦している人の多いところへ戻ると、ドクロワルさんが下手な落っこち方をして足をくじいてしまった人を診察していた。黒スケを預けていることもあって、プロセルピーネ先生がサークル顧問のひとりとなっている。怪我人が出た時のために待機してもらっているのだけど、本人はお茶請けに出された枝豆に夢中で、弟子ばっかり働かせているようだ。
ドクロワルさんは顔も上げず一心不乱に診察しているけど、あれは違うな……
先生の隣でタルトたち精霊がシルヒメさんの焼いたお菓子にたっぷりと蜜をかけて頬張っている。見てしまったら誘惑に抗えないからと、お菓子を目に入れないようにしているのだ。下手に近づいてダイエットに付き合わされては敵わない。
今日はシルヒメさんや首席のところのメイドさんがお茶とお菓子を出してくれているので、ドクロワル城の陥落はもはや時間の問題だろう……
「アキマヘン選手。52エレガントで暫定2位です」
新入生の部が進んでいく。首席が指導していた子たちは落馬の練習に入った時期が遅かったのでまだまだ練習不足だ。メルエラには充分1位になるチャンスがある。と思ったら、次の男子が70エレガントを叩きだした。アキマヘン嬢の取り巻き候補のひとりだ。
あの野郎、とっくに馬に乗れるのに素人のふりしてやがったな……
「そうだろうとは思っていましたけど……」
指導に当たっていた首席は、彼がすでに騎乗技術を学んでいると感じ取っていたそうだ。こんなことで秘密を暴露してしまうなんてバナナより甘いと鼻で笑っている。でも、70エレガントはメルエラにはちょっときついな。無理しなきゃいいけど。
『エレガント落馬』に使われる馬は調教してない暴れ馬ではなく、調教した馬に騎手を振り落とす動きを憶えさせたものだ。ロデオと違って本気で振り落とされるわけではないけど、馬が大きく跳ねて危ないって思うところから、いかにも余裕があるように馬を降りると高評価が得られる。そういったタイミングを狙うのも大事なテクニックなのだけど、無理に狙い過ぎると本当に落っことされて怪我をしかねない。
メルエラは聡い子だから、わざわざプロセルピーネ先生に待機してもらってる意味を理解してくれてると思うけど、僕が余計なことを言ってしまったから心配だ。
「次はアーレイ選手です。覚悟はいいですね」
合図の拍子木が鳴らされ、メルエラを落っことしてやろうと馬が暴れ始めた。開始から3秒を過ぎたら降りていいのだけど、メルエラは6秒を過ぎてもまだ降りようとしない。馬の動きも大きくなってメルエラの体を跳ね上げようとする。
無理に1位を狙わなくっていいんだよ。タルトはまだバナナを2房も持ってるんだから。
70エレガントを出した男子と同じく、大きく跳ね上げられるタイミングを狙ってメルエラが飛び降りたけど、残念なことに騎乗技術と体格に差があった。すでに騎乗を学んでいた男子は跳ね上げられる高さを調節できていたけど、軽いメルエラは大きく跳ね上げられ過ぎてしまったのだ。
上手く着地したけど高さがあったせいか足を痛めたようで、それが顔に現れた。『エレガント落馬』では表情も評価ポイントである。
メルエラは59エレガントで暫定2位になったものの、僕が指導していた北部派の子に抜かれ3位という結果で新入生の部は幕を閉じた。2位の子は無理に1位を狙わず61エレガント。あとひとり僕が指導していた西部派の女の子は、相変わらずのオーバーアクションで大減点をもらって36エレガントだった。
最後の専門課程の部はクゲナンデス先輩が98エレガントと、2位に10エレガント差をつけて他を圧倒した。やったことは2位の先輩とほとんど変わらなかったけど、馬から離れる瞬間に一瞬だけ体を保持した後ふわりと着地したのだ。たったそれだけなのに、まるで柔らかい風に乗って舞い降りたかのような印象を受ける。
それはもう、観衆がため息を漏らすほど優雅で、サンダース審査員の20エレガントも決して依怙贔屓とは思わない。
「無理をして怪我をしたら元も子もないよ。バナナならタルトに言えば何とかなるんだから」
「申し訳ありません。ただ……先輩から譲られたのでは姉は口になさらないでしょうから……」
痛めた足首をドクロワルさんに診察してもらっていたメルエラに注意しておく。どうやら賞品として得たのならともかく、僕が譲ったバナナではアンドレーアが満足しないと思ったようだ。まったく、味が変わるわけじゃあるまいし。
骨に異常はないので、捻挫でしょうとドクロワルさんが治療術でパパッと痛みを取ってくれる。賞品を受け取ったメルエラは姉と食べるのだとバナナを大事そうに抱えて寮に戻っていった。まあ、バナナはシュセンドゥ先輩や首席も提供しているのだからアンドレーアも嫌とは言うまい。それよりも問題なのは、ドクロワルさんの横に積み上げられた空のお皿である。
これは……ヤバイ……
「アーレイ君。次の授業の無い日には、ダイエットを兼ねて素材採りに行きましょうね」
やっぱり、こうなるのか……




