40 思い出の中の人たち
僕は……ふてくされていた。僕の一番嫌いな授業……。そう、『体力』の授業である。
『体力』の授業ではマラソン、体操、球技などをするのだけど、今日の授業はこの世界でリングクリークと呼ばれている球技。前世で言うところのバスケットボールだった。
バスケットボールは悪魔のスポーツだ。僕にできることは何もない。前世ではちっちゃいバスケ選手が活躍するアニメもあったけど、あんなのは全部嘘っぱちだ。身長がすべて。背の低い者にはコートに入る権利すら認めない差別意識にまみれたスポーツである。
だけど、たとえリングの高さまでボールを投げられなくたって、たかが球技ごときに腹を立てる僕ではない。
体力がないからってふてくされているわけではないのだ。ロゥリング族である以上、体力では人族に敵わない。それは当たり前のことで、僕にロゥリング族の魔力が与えられた分のハンデと考えれば妥当なところだろう。
今さら、そんなことを嘆いたりはしない。
だけど……どうしてこうなった……
誰かがこんなことを望んだというのか……
どこのバカがこんなルールを作ったのだ……
魔導院指定の体操服は男子までブルマーという校則をっ!
ううっ……キモッ……
コートの中ではブルマーを穿いたCクラスの男どもが激しくボールを取り合っている。女子はマラソンなのでグラウンドに出て行ってしまい、ここには怪人ブルマ男しか残っていない。はっきり言って目のやり場に困る。これも性的な意味に含まれるのだろうか?
ウゲェ……
シュートを決めたヘルネストが後ろ手でブルマーを直しているところを目撃してしまった。もうやだこんな授業……
「モロニダス。ロゥリング族だからって体を動かさないでいると鈍っちまうぞ」
「ヘルネスト。『体力』の授業中は僕に近寄らないでってお願いしたよね……」
少しは体を動かしたらどうだとヘルネストが近づいてくる。はっきり言って変質者にしか見えない。近寄るなこの変態っ!
キモネストから目を逸らしたら、Cクラスの変質者どもの中で唯一見た目は女の子に見えるクダシーナ君の姿が目に入った。Cクラスには騎士志望で体格のいい男子が揃っているから、小柄で細身なクダシーナ君がゲームに加わっても潰されてしまうだけだろう。僕と同じく座って見学していたようだ。
騒ぎの後で首席に聞いたけど、クダシーナ君を足蹴にしていた南部派の女子は彼と同じ領の出身で幼馴染み。彼女は領主の娘で、彼は領主に仕える士族の息子だという。
争い事を好まない性格に加えて、子供のころから身分をわきまえろと叩き込まれてきたクダシーナ君は、理不尽な要求を突きつけられても自分を犠牲にしてしまう。彼女はそのことをずっと歯がゆく思っていたらしい。
何とかならないものかと頭を痛めていたところ、派閥という後ろ盾もなく、家柄も良いとは言えず、クダシーナ君よりも弱っちい。ないない尽くしの僕がBクラスの奴らに啖呵を切っているではないか。ちょうどいい機会だと、彼女は僕を利用してクダシーナ君の言い訳を封じることにした。
首席の知っている彼女は人を足蹴にして喜ぶような子ではないそうだ。まさか頭を踏みつけるとは思っておらず首席も驚いていたという。そんな素振りまったく感じなかったけど……
むさい男のブルマーに比べたら、男の娘のブルマー姿の方がまだマシだとクダシーナ君を眺めていたところ、僕の視線に気付かれたようでコートの反対側に逃げられてしまった。あからさま過ぎたろうか。ホモだと誤解されていたら嫌だな。
「下僕はボールで遊ばないのですか?」
リングクリークに使われているボールで玉乗りをして遊んでいたタルトが尋ねてきた。
「これが野球なら意地でも参加するんだけどね」
前世にあった球技のいくつかはこの世界にも存在した。ルールなんかから判別する限り、名前は違うけどサッカー、ラグビー、テニスらしきものはあるようだ。ただ、いくら探しても野球はなかった。ドワーフ国でも、魔導院の図書館でも探してみたけど、野球と思しき記録やルールブックは存在しなかった。
「ヤキウとはなんなのです?」
「夢だったもの……かな……」
僕の体格では、もうマウンドからホームまで届くかもわからない。この小さな手では田西宿実のウイニングショットだったフォークボールを投げることは不可能だ。ヴィヴィアナ様祭りで久しぶりにカーブなんて投げたせいか、ついつい前世のことを思い出してしまう。
練習はつらかったけど、それでも……野球は楽しかった……
チームの皆はどうしただろう。大学に行っても、社会人になっても野球を続けたろうか。僕は野球のない世界で、野球などとてもできない種族に生まれ変わってしまった。あの敗戦をやり直させて欲しいとは言わない。ただ……草野球の試合でいいんだ。もう一度、彼らと野球をすることができたなら……
思い出そうとしても出てこないのに、不思議と今日は彼らの姿、彼らの声、彼らのプレーの一つひとつが鮮明に思い出せてしまう。そして、田西宿実が甲子園に行くことを誰よりも楽しみにしてくれていた家族の姿も……
僕は……皆に別れの言葉ひとつ伝えることができなかった……
「下僕は泣いているのですか? どこか痛いのですか?」
タルトに言われて、僕は自分が涙を流していることに気が付いた。田西宿実は交通事故で死んだ。今さらどうすることもできない。今の僕はモロニダス・アーレイで、この世界にはこの世界での家族がいる。
僕はもう田西宿実ではないのだと納得したはずなのに……記憶が溢れてくるのを止められない。
共に夢を追ったチームメイトたち……
僕たちを応援してくれていた同級生……
決勝戦の日にこっそりお祝いの準備をしていた僕の家族……
僕が何も言わずに置き去りにしてしまった人たちだ。思い出せば辛くなるとわかっているけど、それでも忘れてしまうことなどできはしない。
どうして前世の記憶を持ったまま転生などしてしまったのだろう。知ったところで何もできやしないのに……。人は死んだら終わり。それでいいじゃないか。手の届かない過去を思い出すくらいなら、何も知らないまま今を生きる方が幸せだったろう……
「下僕の魔力からは深い後悔が伝わってくるのです。それほど悔やまなければならないことがヤキウにはあるのですか?」
タルトが膝の上に乗ってきたので抱っこすると、3歳児は慰めるように僕の頬を優しくなでる。そう、これは後悔……いや、ただの未練だ。田西宿実の時間は過ぎ去ってしまった。どれほど想いを巡らそうとも、もう二度と彼らと顔を合わせることはないのだとわかっている。それなのに、どうしても考えてしまうのだ。
今一度、会うことができたなら、どんな言葉を伝えようかと……
「今の下僕はわたくしの抱っこ係なのです。過ぎてしまった時間より、わたくしを大切にする約束なのですよ」
甘えん坊の3歳児はもっとちゃんと抱っこしろとしがみついてくる。言われなくてもわかってるさ。今のこの世界には、思い出よりも大切にしなけばいけない人たちがいるってことくらい。
タルトを抱っこし直してほっぺたをナデナデしてやると、3歳児は満足したように体を預けてきた。湯たんぽを抱っこしてるような心地よい体温が伝わってくる。しばらくモゾモゾしていたのが動かなくなったと思ったら、お昼寝にはまだ早いというのに寝てしまったようだ。
こんなところでお昼寝を始められてしまったら、僕が動けないじゃないか。まだ授業中だっていうのに…………
…………なんだろう……空のてっぺんから鉄仮面が僕を見降ろしている……夢か……
「アーレイ君。授業中に堂々とお昼寝とはいい度胸ですね。気に入りました。女子と一緒にグラウンドを20周してきていいですよ」
やっちまったっ!
つい、タルトにつられて僕までお昼寝に入ってしまった。しかも、ベリノーチ先生に見つかるなんてっ。何で誰も起こしてくれないんだよっ!
「サー、女子は10周だったと記憶しています。サー」
「授業をさぼって昼寝をするほど体力に自信のあるゴブ公には倍でも少ないくらいですっ!」
「サー、コケトリスの使用を許可願います。サー」
「バカ言ってないでさっさと走りなさいっ。3倍にされたいかっ。この、のろま野郎っ!」
うおぅ。ベリノーチ先生がなんか妙に気合入ってる。グラウンドは1周500メートルくらい。僕に10キロの距離を走り抜けなんて、これはもう体罰ってヤツではないだろうか。重い荷物がない分、ドクロワルさんのダイエットよりはマシだけど……
仕方がないのでブルマ男たちから逃げられたのだと思い直し、女子たちに交じってグラウンドを走る。この時ばかりはロゥリング族の小さい体が恨めしい。なにしろ、一緒に走っている女子のペースについて行けないのだ。せっかくの低い視点も、ブルマーから伸びる太ももがあっという間に目の前から遠ざかってしまっては意味がない。
田西宿実であったころは、テニス部の女子の後ろをぴったりついて行くなんて楽勝だったのに……
「アーレイ君。そんなやる気のない態度では、とてもAクラスには届きませんよ」
授業の終わった放課後。今日はリアリィ先生が補習をしてくれる日だけど、マラソンで体力を使い切ってしまった僕はぐったりと机に突っ伏していた。タルトはすでに長椅子でお昼寝に入っている。いいなぁ……
「たかだか49位なんかで満足してもらっては困ります。それではベリノーチ先生が報われません」
「ベリノーチ先生が?」
「当然です。わざわざ個人授業を付けているんですからね」
リアリィ先生はベリノーチ先生に実績を作ってもらいたいらしい。先生にも成績というものがあり、成績が向上する生徒が多ければ評価され、成績が悪化する生徒が多ければダメ教師と呼ばれる。新任の先生がCクラスを任されるのは、今以上に成績が悪化することのないクラスだからだそうな。
新任で担当したCクラスから、Bクラスを飛び越えてAクラス入りした生徒を出したとなれば快挙だ。ベリノーチ先生はまだ若くて押しの弱いところがあるので、生徒に甘く見られているのではと他の先生たちから軽んじられている。文句の付けようのない実績を上げさせて、ベリノーチ先生に自信をつけさせるとともに、他の先生たちからも一目置かれるようにしたいのだとリアリィ先生は語った。
「Aクラスに行きたいからと先生を煽って利用したのですから、アーレイ君には意地でもAクラス入りを果たしてもらいます。いえ、これは義務ですよ」
ベリノーチ先生を困らせて利用した以上、当初の目的くらい達成しなければ許さない。Aクラスになれなければ、主任教員の権限でAクラスになれるまで留年させてやると宣告されてしまった。
いや、確かに背水の構えで臨む覚悟だったけど……そこまでしなくったって……
「身の程なんてわきまえちゃいないさ、だから――」
「タルトッ。寝てたんじゃなかったのっ?」
「――僕はAクラスに行くんだ。Bクラスに行きたいとは思わないっ。キリッ!」
「やめぇぇぇ――――!」
お昼寝をしていたはずのタルトが、僕がBクラスの奴らに切った啖呵を口調までマネして再現してみせた。いや、キリッなんて言ってないしっ。そんなドヤ顔もしてないよっ。その変なポーズは完全に作ってるだろう。
「あらあら、実際はそんなでしたのね。私も見たかったものです」
リアリィ先生がクスクスと笑う。違うよっ。少なくともポーズなんて決めてないしっ。ん……実際は?
「先生……知ってたんですか?」
「フフッ……ペドロリアンさんが教えてくださいました。よく言ってくれたとベリノーチ先生も喜んでいましたよ」
くっ……首席がチクッっていやがったのか……
「ですが、アーレイ君が本気だということはわかりました。それでこそ補習のし甲斐があるというものです」
Bクラスの生徒に口で脅された程度で退いてしまうようなら、いくら補習をしたところで意味がない。そういった圧力を上手に捌くことも上流階級となる者には必要とされる。むしろ様々な方面から圧力をかけられるのが当たり前の社会で、流れに逆らわず生きていくのもひとつの処世術。それは決して間違いではない。
実際に暴力が振るわれるようなことにならない限り、先生たちは口出ししないという。
上手なやり方とは言えなかったけど、話を聞いて自分の生徒が潰されてしまうのかと肩を落としていたベリノーチ先生は、僕が真っ向から挑戦状を叩きつけたと聞いて手を叩いて大喜びしたらしい。嬉々として補習計画を立て始めたそうだ。
それでか……妙にやる気に満ち溢れていたのは……
「退路は断ちました。これで後はAクラスになるだけです。さっ、補習を始めますよ」
なんてこった、背水の構えはあくまでも心構えってヤツだったのに……
……でも、心が高揚するのを感じる。勝ち続ければ上に進め、一度でも敗けたら終わり。僕たちはそんな中で頂点を目指したんじゃないか。91人中、30位以内なんて、せいぜい2回戦を勝ち抜く程度の条件だ。これで留年するようでは、あいつらに笑われてしまうよ……
風が新緑の香りを運んでくる反省室の中に、一瞬だけ埃っぽいマウンドの匂いが漂ったような気がした。




