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道案内の少女  作者: 小睦 博
第1章 掟破りの3歳児
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4 その約束は僕のため

 ――先回りされた! いつの間に?


「わたくしを置いてけぼりにしようたって、そうはいかないのですっ!」


 左拳を腰に当て、ズビシッ!という効果音が聞こえそうな勢いで右手の人差し指を僕に向かって突き付けながら3歳児が高らかに宣言する。一体、この3歳児は何者なのだろうと思ったけど、そんな台詞を吐こうものなら、「悪党に名乗る名前などない!」と返されそうなほどのキメ顔を前に僕は疑問を口にすることができずにいた。


「わたくしがどうしてここにいるのか、理解できないような顔つきですね?」


 鼻で笑いながら追い詰めるようにゆっくりと近づいてくる3歳児。木漏れ日を浴びて輝くドヤ顔が、「今すぐ聞け。どうやったのか聞け。説明してやるから聞け」という彼女の本心を雄弁に物語っていた。


 ……ここで乗せられたら負けな気がする。下手に詮索して3歳児の自分語りを聴かされるのも面倒だし、とりあえず偶然を装って誤魔化しておこう。


「やあ、こんなところで再会するなんて奇遇だね……」

「お前がそんなにヒキガエルに憧れていたとは気が付かなかったのです」


 顔に精一杯のさわやかな笑顔を貼り付けて再会の挨拶をした僕に返されたのは、目だけが笑っていないイイ笑顔を浮かべた3歳児の無情な答えだった。


 ――ヤバイ!


「なんでっ? どうしてここにいるんだぁぁぁっ!」

「…………」


 3歳児は沈黙している……


「ばかなぁぁぁぁっ! いったいどうやってっ!」

「…………」


 3歳児は冷たい眼差しで僕を見つめている……


「……すいまっせん。ご説明はありがたく拝聴させていただきますゆえ、何卒ヒキガエルだけはご容赦ください」


 あまりにも冷淡なリアクションに耐え切れなくなって、とうとう土下座で許しを請い始めた僕を呆れ果てた様子で眺めていた3歳児は、「まったく……」とため息を吐きながら右手の人差し指を顔の前に立てると――


「抜け道を……知っているのですよ」


 ――茶目っ気たっぷりの瞳を輝かせ、喜色溢れるいたずらな笑みを浮かべてそう言った。


「……あの……そんだけ?」

「お前のような痴れ者にはこれで充分なのです。それよりもどうしてわたくしから逃げようとしたのですか?」


 3歳児は両手を腰に当てると頬をプゥと膨らませて、自分が不機嫌であることをあからさまな態度で示しながら尋ねてきた。

 こんな森の中に都合よく抜け道が用意されていたなんて話を信じるほど僕はお人好しじゃない。先回りされたことには何か絡繰りがあるはずだけど、その見当もつかないのではもう一度逃げても同じ結果になる可能性が高い。なにより息が切れてしまったので次はさっきの半分の距離も走れないだろう。

 逃げるのは無理そうなので、諦めてルール違反のことには触れずに人知れず精霊と契約したかったことだけ告げる。僕が精霊と契約したことを知らない人たちを驚かせたかったのだと話したら、今度は目をキラキラさせた3歳児に「詳しく説明するのです」と喰い付かれてしまった。


「誰かをビックリさせるのにわたくしをのけ者にしようなんて、お前は浅はかなうえに愚かなのです。わたくしを誰だと思っているのですか?」

「いや……。誰って言われても……」


 そういえば、この3歳児は自分のことを「いたずらをする子供」って言っていた。ビックリさせることが大好きな、人を驚かす妖怪とかいたずら妖精の類だろうか?


「お前がど~してもと言うのなら、わたくしが契約してあげてもいいのです」


 見た瞬間にイラッとしそうなほどのドヤ顔で小さな胸を精一杯反り返し、「ドンと来い」とばかりに握った拳で叩いている。自分は人族が契約しているような精霊とは格が違う。自分と契約すれば人はおろか神様だってビックリ仰天間違いなしだと売り込んでくるけど、座敷童子みたいに幸運を招いてくれる妖怪ならともかく、人をホブゴブリンに売り渡すような悪魔との契約なんて願い下げだ。

 僕が丁重にお断りすると、ブスッとした顔で睨みつけてきた。


「それに召喚用の魔法陣はもう用意しちゃってるしね」

「そんなもので呼んだ精霊との契約なんてロクなことにならないのですよ」


 背負い鞄にしまっておいた魔法陣を取り出して見せると、3歳児はふてくされた表情のまま「やめたほうが良い」と警告してきた。3歳児に言わせると、精霊というのは大概が我儘で気難しい利かん坊で、よっぽど気の合う相手でなければ振り回されるだけなのだそうだ。


「……なるほど」

「どうしてわたくしを眺めながら納得しているのですっ!」


 ――いや、我儘で気難しい利かん坊で振り回されるだけって、まんま君のことだよね。それ自分の事言ってるよね。


 自分で言っておいて自覚がないのか、心外だと言わんばかりに肩を怒らせている3歳児。つい、反射的にツッコミそうになるのを寸前で堪える。下手に刺激して魔法陣を壊されでもしたら大変だ。

 プイッと横を向いて、「どうなっても知らないのです」とこちらと目を合わせようとしない3歳児をよそに魔法陣の準備をする。


 起動したときの発光が捉えられるように日陰になっている場所を選び、風で動かないように手ごろな石で四隅を押さえて地面へと固定すれば準備完了だ。この世界の魔術は前世で聞いたような霊脈だの星の位置だのを気にしなくていいので助かる。

 右手で魔法陣に触れて魔力を流し込むと羊皮紙に描かれている魔法陣がうっすらと白く発光し始めた。横目でチラチラと様子を伺っている3歳児の度肝を抜いてあげよう。


 魔法陣は使うのに呪文を唱える必要もなく、起動に必要な魔力さえ流し込めばそれだけで効果を発揮する。もともと魔法陣は長ったらしい呪文詠唱の手間を省くためのものだからね。

 魔力を流し込んでいくと白い光がだんだんと明るくなってきて、これ以上流れ込まないという手応えを感じたところでデジカメのフラッシュのように目が眩むほど強く発光した。


 ――成功した?


 白い光が消え去った後には……何もいなかった。


「プププ……」


 隣を見るとこちらに背を向けた3歳児が肩を震わせていた。言われなくても必死に笑いを堪えているのがわかる。自信満々に契約をお断りしておきながら召喚に失敗したことがよほどツボにはまったみたいだ。

 なんの、まだ魔力には余裕があるんだ何回だってチャレンジしてやる。今度こそっ……僕は再び魔法陣を起動させた。


 だけど、やっぱり精霊は姿を現してくれなかった。3歳児はその場にうずくまって、「ブブブブ……」という音を立てながら右手でペシペシと地面を叩いている。いくらなんでも、人の失敗をそこまで笑うなんて酷いんじゃないだろうか。

 僕が恨みがましい視線を向けていると、3歳児は涙を拭いながら身を起こして言った。


「お前、捧げ物もしないで精霊が来てくれると思っているのですか?」


 へ? ……捧げ物?


 僕が意味もわからずポカンとした表情をしているのを見かねたのか3歳児が説明してくれた。僕の使った魔法陣は特定の精霊を呼び寄せるようになっていないので、捧げ物を用意してある程度方向性を付けて呼び寄せるものらしい。

 捧げ物を気に入った精霊が来てくれる仕組みなので、何も用意しないのは魚を釣るのにエサを用意しないのと同じだそうだ。

 3歳児に「贈り物もせずに女の子がついてきてくれると思うほど顔に自信があるのですか?」と聞かれては恥じ入るしかない。3歳児の目には今の僕が、自称イケメンとか意識高い系みたいに映っていたのだろう。恥ずかしさに顔が熱くなる。恥辱の快感に目覚めてしまいそうだ。


 だけど、急に捧げ物なんて言われて困ってしまった。背負い鞄の中にお昼に食べようと思っていたパンが入っていたけど、3歳児に見せたら「パン種の精霊と契約したいのなら止めないのです」と言われたのでやめた。だって、パン種の精霊ってつまり……イースト菌だべ。

 学年首席が契約しているのは蜜の精霊だし、食べ物の精霊だからって軽んじるわけじゃないけど、魔術を学ぶ学校に在籍する身で将来の進路をパン焼き職人に定めてしまったら放校処分にされかねない。


 近くに咲いている綺麗な花を捧げ物とするのも3歳児に止められた。捧げ物は僕が大切に思っているものでないと意味がないそうだ。

 精霊は捧げ物よりも、そこに込められた想いに惹かれてやってくるから、「あなたにこれだけ大切なものを捧げます」という心意気を見せつけて精霊を惚れさせるのが契約するコツらしい。なんだか給料3か月分みたいで人間臭いと思ったけど、『大切なもの』の代わりに『価値のあるもの』でコロリといく人族と一緒にするなんて失礼だと3歳児に怒られた。


「そんな急に大切なものなんて言われても……。まさか魂を捧げろなんて言わないよね?」

「魂を捧げるのは神々の意に反する最大級の禁忌なのです。受け取ってくれる精霊なんていないのですよ」


 どうやら精霊は魂お断りみたいだ。でもそうなると本当になにを捧げたものか……


「何も用意していないのでしたら、お前の『初めて』でも捧げたら良いのではありませんか」

「――――!」


 人差し指を頬にあてた3歳児が無垢という表現がぴったりな表情のまま、とびっきりアダルティな提案をしてきた。


「は、『初めて』って……なにかな? なんの……『初めて』を捧げればいいのかな?」

「お前が大切に思う『初めて』を捧げれば良いのですから、そんなに鼻息を荒くして近づくのはやめるのです」


 いけない。3歳児に口にするよう迫っていい内容じゃなかった。人に見られたら変質者だと通報されること間違いなしだ。だけど……『初めて』って言ったら、今更チュウってことはないよね。


 やっぱり……『卒業』?

 綺麗な精霊のお姉さんと……

 そのまま契約してずっと傍らに……

 さようなら清らかな少年の日々。僕は本日成人式を迎えますっ!


 グフフフフ……笑いが止まらんわ。僕を「ゴブリン」と呼んだ連中より一足先に大人になって、「モロニダス先生」と呼ばせてやるぜっ!


「いい加減、気持ち悪い笑いはやめるのですよ」


 おっと……つい、妄想がはみ出てしまった。3歳児がキノコの生えた洗濯物を見るような目で僕を見ている。オゥケェイ、少し落ち着こう。もうチェリーボーイじゃないんだ、大人らしくクールにダンディーかつエレガントでハードボイルドに決めようじゃないか。


「フッ……だが、『初めて』なんてどうやって捧げるつもりだ3歳児?」

「……自分の名前と捧げ物を唱えながら魔法陣を使えば精霊には通じるのです」

「なるほど……簡潔かつシンプルな良い答えだ」

「…………」


 3歳児が何とも言えない生暖かい視線を向けてきたけど、大人の余裕で気にしないことにした僕は右膝を地面につき、右手で魔法陣に触れて再び魔力を流し込んだ。


「我、モロニダス・アーレイの『初めて』を捧げる。精霊よ、世界の狭間、時の深淵より来たれっ!」


 魔法陣がそれまでの白ではなく、真紅に発光した。――成功だ! 真紅の光に照らされて精霊がその姿を顕現させる。


 ――真紅に輝くドリルのような縦ロール……

 ――長いまつ毛に縁どられた憂いを含んだ瞳……

 ――シミひとつない美しい肌に真っ赤な紅が引かれた唇……

 ――こんもりとしたナニカを包む真紅の……ブーメランパンツ?


「嫌ぁぁぁぁぁぁぁっ――――!」


 僕の口から発せられたとは信じがたい絹を裂くような悲鳴が魔導院の森に響き渡り、本能的な恐怖を感じた僕は全力で後ずさる。

 真紅の光の中より姿を現したのは、美女の顔に鋼のごとき肉体の男というデキの悪いアイコラ画像のような精霊だった。


「フフッ……その歳で俺に『初めて』を捧げようなんて、なかなか業の深い小僧のようだな」

「クックックッ……計算通り、【真紅の茨】が釣れたようですね」


 なん……だって?

 僕が振り返ると3歳児は右手で口元を隠し、悪事が上手く運んだ時の悪代官のごとき嘲るような薄笑いを浮かべていた。


「騙したのっ! 僕を騙したのっ?」

「言い掛かりはよすのです。お前の望みどおり、精霊を呼び出せたではありませんか」

「不安か? お前の『初めて』はどっちも俺がちゃんと受け止めてやるから安心しろ」


 3歳児が【真紅の茨】と呼ぶ精霊のお尻の後ろ――あまり考えたくない場所のあたり――から伸びた茨が僕の足に絡みつく。茨に引っ張られると、体重の軽い僕では抵抗することもできずに引きずられてしまう。


「酷いよっ! あんまりだよっ! 助けてよっ!」

「契約の当事者でないわたくしが横から口を挟むのはノーマナーなのです」

「大丈夫だ。お前もすぐに受け入れると言うことを理解する……」


 嫌だっ! 僕が田西宿実だった時から数えて29年間も純潔を守り通してきたのは、断じてこんなゲイ霊に捧げるためじゃないっ!


「お願いだよっ! なんでも言うこと聞くからっ! 魂を捧げてもいいからっ!」

「まあ、お前がわたくしとの契約に応じる気があるのなら……」

「何も難しいことはない。お前はただ俺に委ねるだけでいい……」


 3歳児との契約? 応じるよっ! 助けてくれるなら悪魔とだって取引するよっ!


「契約しようっ! いやっ! して下さいっ! 今すぐっ!」


 このホモりゆく世界に残された最後の希望。地獄に垂らされた一本の糸に群がる亡者のごとく、3歳児に向かって必死に手を伸ばす。


「本当になんでも言うことを聞いてくれるのですか?」

「僕にできることならなんでもするからっ!」


「わたくし独りぼっちは嫌いなのです。いつもそばにいて欲しいのですよ」

「いつだって君のそばにいるよっ!」


「ちゃんと最後まで大切にしてくれないと嫌なのです」

「いつまでも君を大切にするっ!」


「では汝、今の誓約に嘘偽りなく、この【忍び寄るいたずら】との契約を求めるのなら、わたくしの手を取るのです」


 僕の前に満面の笑顔とともに差し出される小さな手。すがるようにその柔らかな手を握りしめた瞬間、僕の両脚を拘束していた茨がはじけ飛んだ。


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