37 精霊を欲しがるクソビッチ
クセーラさんが首席の調合を台無しにしてから1週間が過ぎた今日、僕は首席とカリューア姉妹に連れられて浪人ギルドを訪れていた。初級再生薬の納品をするためである。
調合中の材料をクセーラさんに吹き飛ばされた首席は、調合室で攻撃魔術を放つとは何事だと烈火のごとく怒り狂った。クセーラさんのとばっちりを受ける形で僕まで一緒に大目玉を喰らい、罰としてクセーラさんは用意していた材料を没収され、僕は初級再生薬の作り方を首席に教えることになった。
首席が調合しようとしていたのは今年の課題のひとつである初級解毒薬――お腹が痛くなった時なんかに飲む食あたりの薬――だったけど、図らずも来年の課題である初級再生薬の作り方を知ることとなったのだ。これはもう棚からボタ餅と言っていいんじゃなかろうか。
僕だけ怒られ損な気がする。
「私が作るはずだったのに、伯爵がパンツなんて言うから……」
「首席を撃ったのはクセーラさんじゃないか……」
「ふたりとも同罪です。不毛な責任のなすりつけ合いはおやめなさい」
クセーラさんが未練がましく愚痴を零したせいで僕まで首席に睨まれた。首席と次席に遊んでないでさっさと運ぶように言われ、イリーガルピッチに牽かせた荷車をギルドの搬入口へと着ける。
鑑定してもらったところ、モウダメ草を使った僕の薬と、マジダメ草の分量を増やした次席の薬は品質3、効果3の標準的な出来上がりだった。丁寧にすり潰したのが良かったのか、プロセルピーネ先生の判定が厳しいのかわからないけど、試作品よりも品質が良くなっている。
マジダメ草で普通に作った次席の半分と首席の薬は品質3、効果2だ。草が痩せている分、効果が落ちてしまったのだろう。
「タルト……これを見てくれない……」
タルトに買取り金額表を見せる。僕の作った初級再生薬は瓶1本あたり小銀貨6枚だけど、水で薄めて品質4、効果2にすることができれば瓶1本につき大銅貨5枚がプラスされる。
「それでヴィヴィアナへのお供え物を用意しようというのですか。絶対にお断りなのです」
「瓶が増えた分はタルトの取り分だよ。小銀貨13枚があればお祭りでいっぱい買い物できるよ」
「そんなもの、下僕に払わせれば済むのです」
水増し行為をお願いしたけど、ヴィヴィアナ様への対抗心に燃える3歳児にイーッされてしまう。そこに、ハンカチに包まれたナニカを手にした次席がやってきた。
「お供え物にする前に……試験的に収穫したの……」
「話のわかるビッチは嫌いではないのです」
ハンカチに包まれていたのは、黄色い三日月のような形をした果物。タルトがずっと欲しがっていた温室バナナだった。バナナ1本で次席に買収された3歳児は、僕と次席の作った初級再生薬を簡単に水増しして見せる。
「これは……」
「魔力同調の重ねがけ……違うかしら……」
「知っているのっ。姉さんっ」
首席は初めて目にする水増し行為に驚くだけだったけど、次席はそれが魔力同調の技術を応用したものではないかと当たりをつけた。
「わかるのですか? 人族の魔力を感じる感覚はそこまで鋭くないはずなのです」
「クセーラから話を聞いて調べた……調合による魔力の同一化と魔力同調は……現象としては同じもの……」
魔法薬の水増し行為は一度クセーラさんの前で見せている。タルトの使った技術は、自分の魔力をいったん水の魔力に同調させ、次に同調した水の魔力ごと魔法薬の魔力に同調させて、最後にそれを固定するものではないかと推測していたそうだ。
当たっているという自信はなかったけど、自分に調べられる範囲では他に納得のいく説明がつかなかったと次席は語る。
「よく気が付いたのです。お前のことは今日から『はなまるビッチ』と呼ぶことにするのですよ。でも、本当は下僕に自分で気付かせる予定だったのです」
「光栄だわ……これからはアーレイには内緒にしておくから……」
ビッチなのに光栄だそうだ。タルトにあの技術を使わせるためにわざわざバナナを用意しておくなんて、次席はタルトの扱い方が上手いな。
「タルちゃん。姉さんがはなまるビッチになったのなら、私も……」
「お前はクソビッチで充分なのです」
「うぅっ……乙女にその呼び方は酷いよっ」
次席にあわせて自分の呼び名も変えてもらおうとしたクセーラさんがガックリと床に膝をつく。最初は次席をクサビッチ、クセーラさんをクセビッチと呼んだタルトだったけど、クセビッチは呼びづらいというそれだけの理由で、クセーラさんの呼び名はクソビッチに改められてしまっていた。
リアリィ先生のリアルビッチ以上に酷い呼び名である。
「ビッチが嫌ならオムツを穿くのです」
「だめぇぇぇ――――!」
タルトにスカートの裾をむんずと掴まれたクセーラさんが、悲鳴を上げながらスカートを必死で押さえる。3歳児の辞書にセクハラなどという言葉はないのだ。乙女はスカートでないといけないのか、クセーラさんは頑なにスカートを貫いていた。
首席みたいにズボンを穿いちゃえば捲られることもないのに……
魔法薬の納品を済ませた僕たちは、ヴィヴィアナ様のお祭りが近くて観光客で賑わってきたモウヴィヴィアーナの街へとくり出した。
ヴィヴィアナ様のお祭りは春、夏、秋の3回もある。豊作祈願とか収穫祭だとかいろいろ理由があるらしいけど、観光シーズンの始まる春のお祭りはスタートダッシュの起爆剤。夏のお祭りは一番の稼ぎ時で、秋のお祭りはシーズンが終わる前の最後の一稼ぎというのが本音だと思う。
以前行ったシナモンロールのお店は混んでいたので、マック・ア・チーンというお店に入ってひと息入れる。通称、マック。ヴィヴィアナ湖名物の大ザリガニの料理を出すお店だ。大きいのを丸ごと一匹グリルしたやつは結構な値段がするのだけど、パンにほぐした身を挟んだザリガニロールがお手頃価格で人気がある。
タルトは果物なんかを好むので、生臭物は食べないのかと思ったらそんなことはなかった。単に味の好みだったようで、ザリガニロールを小さく千切って食べさせてあげるとモシュモシュと頬張り始める。蜜の精霊や発芽の精霊も美味しそうにザリガニを食べていた。
「またアウェイ……また私だけアウェイだよっ」
ひとりだけ精霊のいないクセーラさんが寂しそうにザリガニロールを口にしている。そうはいっても、精霊との契約は相手が姿を現してくれないことにはどうしようもない。無理に呼び出そうとすれば、【真紅の茨】みたいなロクでもないゲイ霊が現れるだけだろう。
「ゴレームたんを連れてくればよかったんじゃない」
ゴレームたんというのは、クセーラさんが精霊の代わりにとゴーレムを仕込んで立ったり歩いたりできるようにしたモグラのぬいぐるみだ。タルトと同じくらいの大きさで、茶色い大きな頭にずんぐりとした体つき、前肢に生えた大きな爪が前世で見たロボットアニメに登場するやられキャラだったくせにいつの間にかマスコット的ポジションを確保した巨大機動兵器を彷彿とさせる。
「いやだよっ。本物の前ではよけい惨めになるだけだよっ」
「先日……また深い悲しみに包まれたそうよ……」
またか……。ゴレームたんはクセーラさんのお気に入りのゴーレムなんだけど、ゴレームたんと遊んでいると突如として深い悲しみと言葉にできない虚しさに襲われることがあるらしい。
そりゃまあ……ひとりでお人形さんごっこしてればねぇ……
「クソボッチは放っておいてバナナを食べるのですよ」
タルトは剥いたバナナをお皿の上に置いて蜜の精霊に命じてたっぷりと蜜を出させると、両端をナイフで切り落として蜜の精霊と発芽の精霊に分け与える。蜜の精霊は大喜びだ。発芽の精霊は使役者に似ていつもおすまし顔なのだけど、口元が微妙に吊り上っていて頬が緩むのを抑えきれていない。
「むぐむぐ……よく熟して甘いのです。バナナには幸せが詰まっているのです」
「オイシイ……」
精霊たちが美味しそうにバナナを頬張る姿に、クセーラさんが「ゴレームたんは何も食べてくれないんだよ……」と呟いてシクシクと涙を流し始めた。
「口を動くようにして胃袋を付けてみたら……」
「そういう問題じゃないよっ。伯爵に私の気持ちはわからないよっ」
ゴレームたんが物を食べられるようにと思ったのだけれど、クセーラさんは両手でテーブルをバシバシ叩きながらそうではないと主張する。
「大喰らいの使い魔が欲しければ……大モグラと契約すればいいでしょうに……」
「上からだよっ。上から目線だよっ。自分にはクスリナがいるからってっ」
クセーラさんは発芽の精霊みたいにお喋りができる妹みたいな精霊が欲しいのだとオイオイ泣き出した。でも、人族の言葉を話せる精霊なんてそうそういないんだけどなぁ。クセーラさんが普段目にしているのがタルトと発芽の精霊だから、普通にお喋りしてくれるものだと思っているのかもしれない。
「すでに他の使い魔がいると精霊と契約できないというのは本当ですの?」
首席がタルトに尋ねる。魔導院の生徒が契約していい使い魔はひとり1体までと決められているせいか、すでに使い魔がいる子の前には精霊は姿を現してくれないと信じられている。クセーラさんやアキマヘン嬢といった精霊との契約を望む子が使い魔を持たないのもこのためだ。
それが本当かどうかは知らないけど、精霊が現れたので使い魔を精霊に変えたという前例がないのは確からしい。
「簡単に従僕を捨てるような相手と契約したがる精霊なんていないのです」
契約できなくはないけど、使い魔を捨てるような人のところに精霊は現れないので、その考えで間違ってはいないとタルトは答えた。
「とりあえず成績を元に戻しなさい……精霊と契約しているのは優秀な人たちばかり……」
精霊と契約したければ成績を上げろと次席が口にする。クセーラさんは昨年の春学期が終わった時には学年6位という成績だったのに、突如としてゴーレム造りに傾倒して、学年末の成績では上位10人から外れてしまっていた。次席としては妹が成績を落としてしまったことが不満なようだ。
「そうですわね、シュセンドゥ先輩もクゲナンデス先輩も特待生ですもの。怠けている人のところには姿を現さないのかもしれません」
特待生というのは工師若しくは術師課程の生徒で、特定の先生の研究をお手伝いする代わりに個人的に指導してもらえる立場の生徒のことだ。早い話が徒弟制度である。
生徒を抱え込み過ぎないように、特待生は先生ひとりにつき各学年から1名という制限があるので希望すればなれるというものではない。成績上位ならなれるという保障もなく、自分の求める水準に達した子がいないと思えば特待生を取らないことも珍しくない。
特待生になると高等研究棟への立ち入りが許され、授業では教えない研究中や秘匿された技術を伝授されることもある。研究者への登竜門であり、卒業後も魔導院に残って研究員や先生となるのはほとんどが元特待生だ。教養課程のAクラスにいる子のほとんどは、特待生になることを目指しているといっても過言ではないだろう。
騎士課程にだけは特待生という制度がない。まあ、騎士課程の生徒が高等研究棟に入れたところで意味ないし、一子相伝の秘剣なんてものもないからね。
「でも、伯爵は……あだっ!」
口をとんがらせて僕をチロチロと眺めてきたクセーラさんの頭に、次席が拳骨を落っことした。
「アーレイに倣おうなんて……志が低すぎるわ……」
僕は精霊の使役者じゃなくってタルトのペットだからね。そこんとこ勘違いしないでよねっ。
「それにシュセンドゥ先輩と同じくポゥエン先生に師事したいというのなら、今の成績では叶いませんわよ」
ポゥエン先生は工師課程の先生で、魔導器を作らせたら一番と言われているシュセンドゥ先輩の師匠だ。工師課程の中では最も競争率が高い先生として知られている。成績上位10人の中に工師課程を希望するだろうと思われている子が3人はいるので、今の成績では書類選考で落とされると首席は言う。
「わかったら……精霊を望む前に勉強しなさい……」
精霊が欲しいという話が転じて、成績のことで怒られることになったクセーラさんはすっかりしょぼくれてしまった。もっとも、この中でダントツに成績が悪いのは僕なのだから、他人ごとだと笑ってはいられない。
――ドクロワルさんにはすでに特待生の椅子が約束されている……
学年トップの首席や次席を差し置いて、ドクロワルさんは早々に特待生の座を手に入れた。それも、これまで特待生を取ることのなかったプロセルピーネ先生の特待生第1号だ。彼女に追いつくにはAクラスになるくらいではまだまだ足りない。
特待生になれるくらいでないと、その背中に指を届かせることすらできやしない。
「ところで、首席と次席にちょっと話があるんだよね」
首席と次席が揃っている機会は少ないので、山狩りの時にムジヒダネさんを抑えてくれたお礼として考えていることを告げる。
「お待ちなさい。それはやり過ぎです。とても受け取れませんわよ」
「嬉しいけど……気持ちだけで充分だわ……」
「僕としては受け取ってくれた方が好都合なんだ。お金もかからないし、残しておいて目を付けられるのも面倒だから……」
侯爵家や伯爵家のご令嬢に相応しいお礼の品をお金で用意したら、僕の財布なんてチャーリーのごとく吹き飛んでしまう。やり過ぎと言われようがゴリ押ししてでも受け取ってもらうぞ。
なにしろ、これならタダで済むのだから。
「アーレイ君がその方が良いと言うのであれば……」
「その方が良いんだ。明日、シュセンドゥ先輩のところにいこうよ」
「いいなぁ……」
「クセーラには使い道がないでしょう……」
よし、なんとか受け取ってもらえることになった。クセーラさんには別のものを考えているんだけど、ちょっと反則になりかねないのでリアリィ先生に相談してからだな。




