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道案内の少女  作者: 小睦 博
第2章 アーレイ家の娘
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35 獄痩!!ドクロ塾

 とうとうこの日が来てしまった……

 授業の無いお休みの日が恨めしい……

 そう、ドクロワルさんのダイエット。すなわち、地獄のしごきの日である。


 今日は上天気だ。明るい日差しが窓から射し込んで、その下に備え付けられたふたつの箱からシュウシュウという音が聞こえてくる。シルヒメさんの作った毒蛇の飼育箱だ。

 登ってこれないように縁にかえしの付けられた箱を覗くと、藁の上でとぐろを巻いた毒蛇がしきりに舌をピロピロと出していた。エサを探しているらしい。


「お前たちはダイエットしなくていいなぁ……」


 獲ってきたカエルを入れてある箱から適当に太っているのを選んで飼育箱に放り込む。お腹がすいていたのか、すぐにガブリと毒の牙を突き立てた。


「お~い、モロニダス。ロビーにドクロワルが来てるぞ~」


 僕を呼びにきたヘルネストがドアを開けると、間髪を入れずにサクラヒメが部屋に入り込んで僕に襲い掛かってきた。いや違う。サクラヒメの狙いは毒蛇たちだ。

 あらゆる毒に耐性を身に付けて、毒が大好物というヒメバシリスクに毒蛇はご馳走でしかない。食事中の毒蛇たちをビックリさせないように、飼育箱に近寄られる前にキャッチする。


「ところかまわずバシリスクを連れ歩くものではないのです」

「ヘルネスト。この毒蛇がプロセルピーネ先生の毒蛇だってことを忘れたわけじゃないよね……」


 サクラヒメを返すついでに、使い魔が毒蛇を食べてしまうようなことがあれば、【魔薬王】に実験体にされるぞと念押ししておく。毒蛇からはタルトが毒を採取していて、一回では必要な分の毒が溜まらないので、しばらく飼って毒を吐いてもらわなければならないのだ。


 地獄のしごきについてくるというタルトを連れてロビーに降りると、動きやすそうなスウェットの上下を着こんだドクロワルさんが待っていた。今日は髪の毛を高い位置で結んだポニーテールにしている。

 僕はポロシャツのような半袖シャツに膝丈のハーフパンツ。冷え防止のために上にはコートを羽織っておく。


「お昼ご飯は用意してきましたから心配しないでくださいね。今日はボート漕ぎですよ」


 ドクロワルさんが、――お面のせいでわからないけど多分――にこやかに地獄の始まりを宣言した。


 ヴィヴィアナ湖畔の広場にあるボート乗り場で手漕ぎボートを借りて北を目指す。

 最初の漕ぎ手はドクロワルさん。ドワーフパワーを発揮してうんしょうんしょとボートを漕いでいく。途中で暑くなったとスウェットを脱いで、今は半袖シャツにブルマーという学校指定の体操服姿だ。真っ白な太ももに煌めく汗が眩しい。

 どこの誰だか知らないけど、この世界にブルマーをもたらした転生者の先輩に感謝を贈りたい。


「おっきなザリガニが手を振っているのです」


 ボートの縁から水面を覗き込んでいたタルトがザリガニを見つけた。ヴィヴィアナ様のお力なのか栄養豊富で浅瀬には水草が良く茂り生き物もたくさん棲んでいるというのに、湖の水はとても澄んでいて太陽が頭の上にあれば水深20メートルくらいまで見通せてしまう。


 どれどれとタルトが指差した先を見てみると、ハサミの先から尻尾の先までが60センチはありそうなザリガニがボートに向かってハサミを振り上げ威嚇していた。多分、ボートを捕食者だと思ったのだろう。あのバカでかいザリガニはヴィヴィアナ湖にだけ棲むという固有種で、大物になると1メートルを超えるという。

 食べると結構美味しいので、モウヴィヴィアーナの名物料理にもなっている。


「タルト落っこちるよ」


 タルトはボートの縁から身を乗り出して、こちらを威嚇しているザリガニに手を振り返している。精霊は水に落っこちても平気なのだろうかと考えながら眺めていたら、おバカ3歳児は本当に落っこちやがった。派手に水しぶきが上がる。


「タルトちゃんっ。すぐにボートを回しますからっ!」


 思いのほかボートに勢いがついていたのか、あっという間にタルトから離れてしまった。ドクロワルさんが急いで方向転換をさせようとしている。係留用のロープを手に巻き取って投げようとしたけど、目の前の非常識な光景に僕の手が止まった。


「わたくしを置いてきぼりにするのではないのです」


 タルトの奴がトコトコと水の上を走ってボートを追いかけてきやがる。唖然としている僕たちの前でボートに追いつくと、何事もなかったかのようによっこらしょと乗り込んできた。水に落っこちたというのに髪も服も全然濡れてない。


「タルトちゃんは水の上が歩けるんですか……」

「何を驚いているのです? やっていることはあの枷の術式と変わらないではありませんか」


 タルトの説明によると、自分の足元の水を動かなくしただけ。水面に『ヴィヴィアナロック』の動かない水の壁を作って、その上を歩いてきたのだという。確かに急斜面を転げ落ちてきたジラントの体重を支えられるのだから、タルトが乗っかったくらいではビクともしないだろう。


「足場に使うなんて発想はなかったよ……」

「下僕たちは壁とか枷といった言葉に囚われ過ぎなのです」


 もしかしたら、空中に順次足場を作っていけばコケトリスで空中散歩ができるかもしれない。今度、試してみよう……

 タルトが戻ってきたので、ドクロワルさんは再び北に向けてギッコギッコとボートを漕いでゆく。休みもせず2刻を超えて漕ぎ続け、魔導院は遥か水平線の彼方に消えてしまった。

 気が重い……


「腕が動かなくなってきました。早いですけど、お昼にしましょうね」


 ドクロワルさんもそろそろ限界のようで、肩で息をしながら震える腕でオールをボートに収納する。湖には人を襲うような生き物は棲んでいないけど、陸地に近づいてまたジラントに襲われては困るので、岸からたっぷり離れたところにボートを泊めて水上で昼食だ。


「……これは食べ物なのですか?」

「もちろん、健康にもいいダイエット食ですよ」


 3歳児が訝し気に手元を眺めている。ドクロワルさんの用意したダイエット食。つまり、味のことなど考慮せず、人体に必要な栄養素だけを純粋に抽出することを目指し、糖分、脂肪分、たんぱく質を必要最小限に抑えた団子状のナニカだ。早い話がダイエットサプリである。


 緑色の粉が振ってあるけど抹茶ではない。培養したプランクトンを乾燥させた苦いだけの粉だ。白い粉も塩や砂糖といった調味料ではなく、その正体はカルシウムの粉末。もう、料理ではなく調合で作り出された薬といった方が正しい。


「これを食事と呼ぶことは【竃の女神】に対する冒涜なのです」

「あぁぁっ!」


 タルトが渡されたドクロワルさん特製サプリをぺいっと湖に放り捨てた。そりゃそうだろう。生き物のように栄養素を摂る必要のない精霊にとって食事は嗜好品でしかない。生存のために食べるのではなく、美味しいものを食べるのが好きなだけだ。

 おやつしか食べたくないという子供にサプリ食を勧めても結果はわかりきっている。


「精霊は元々食事の必要がないからね……」

「タルトちゃんやクスリナちゃんは普通に食事をしていませんか?」

「食べることが好きな食いしん坊ってだけなんだ。食べさせないと機嫌が悪くなるらしいよ」


 ドクロワルさんに蜜の精霊や発芽の精霊がご機嫌を損ねてどうなったのか話してあげる。お腹が空くわけでもないのに食べたがり、美味しいものをいっくら食べても太らないと教えられたドクロワルさんは、滅多打ちにされたボクサーのように燃え尽きてしまった。


「太らないなんてズルいです。神様は不公平です」

「神々が不公平ならば、太れるほど食べられるドクロビッチは間違いなく恵まれた側にいるのです」


 神様の不公平を嘆くドクロワルさんだったけど、ダイエットが必要になるほど豊富な食料が得られる生き物なんて地上で一握りしかいない。太らないのが羨ましいなどという究極の贅沢を許されたことを感謝して、神様にたくさんお供え物をするべきだとタルトに言い負かされてしまった。


 アーカン王国は広大な穀倉地帯を抱えた農業国で、ヴィヴィアナ湖から流れ出たヴィヴィアナ川が、決して枯れることも荒れることもない水源としてこの国の食料供給を支えている。建国以来、干ばつや水害に悩まされたことは一度もなく、食料価格は周辺の国よりずっと安い。

 恵まれていないなんて言ったら罰が当たるレベルだ。


「もう動く元気もありません。帰りはアーレイ君にお任せします」


 きたよ。地獄のしごきが……

 ドワーフの力と持久力で漕いできた帰り道を、ロゥリング族の僕にひとりで漕ぎ抜けなんてあんまりだ……


 魔導院まではたっぷり15キロはあるだろう。いつもこうだ。往路はドクロワルさんが限界まで突き進み、復路は僕というお馴染のパターン。ギブアップが許されない状況に追い込んでの地獄のロードこそドクロワル式ダイエットの真骨頂である。

 ダイエットが必要なのは僕じゃないのに……


 ドクロワルさんと入れ替わり、魔導院に向かってボートを漕いでいく。体が小さく、力も弱い僕では大きなストロークが取れないためスピードが上がらない。ドクロワルさんの半分くらいしか出てないんじゃなかろうか。

 日が暮れる前に帰り着けるか不安だけど、やり遂げなければ寮に帰してはもらえない。ドクロ塾名物『暮落途酷戯ぼおとこぎ』とでも名付けたいところだ。タルトがこっそりオールを魔導器にしてくれないかと期待したけど、ドクロワルさんの膝の上でお昼寝を始めてしまい助けてくれそうにない。


「も、もぅ、限界だよぅ……」


 2刻くらい漕ぎ続けたところで体が動かなくなった。まだ魔導院は水平線の向こうだけど、もう汗びっしょりだ。オールを握る握力も残ってない。っていうか、手の感覚がないよ……


「大丈夫です。こんなこともあろうかと、中級の体力回復薬を用意しておきましたから」


 ドクロワルさんが薬の入った小瓶を鞄から取り出して渡してくる。意地でも僕に漕ぎ続けさせようというのか……


 中級の魔法薬は治療士とか看護兵といった人に処方してもらう摂取制限のある魔法薬で、体力回復薬は強行軍で疲弊した兵士をシャキッとさせる時なんかに使うと聞いた気がする。前世の軍隊でも覚醒剤みたいなものが使われてたって言うし、これヤバイ薬じゃないの?


「摂取量はわたしがちゃんと管理してますから、心配しないでくださいね」


 僕が飲むのを躊躇しているとドクロワルさんが安心して飲めと言ってくる。いや、ドクロワルさんの治療士としての能力を疑ってるわけじゃないんだ。僕が疑っているのは、ダイエットにこんな薬まで使用する君の常識の方なんだ……


「これって、目が覚めたように感じる薬だよね?」

「疲労による倦怠感が薄れますから、そんなふうに感じるかもしれませんね」

「また使いたくなる薬じゃないの?」

「よく効くって兵士の方々には大好評だそうですよ。必要もないのに欲しがる患者さんが多くて困るって……」


 大好評って……その人たちはリピーターじゃなくって、ヤク中じゃないの?

 この世界ではイケナイ薬の中毒が問題視されたことはないのか、ドクロワルさんは悪意を感じさせないまま、さあ飲め、すぐ飲め、早く飲めと勧めてくる。僕に……人間をやめろというのか……

 とっくに僕はゴブリンなんですけど……


「わたくしが寝ている間に下僕だけジュースを飲もうなんてズルいのです」


 僕がどうにかしてイケナイ薬を飲むのを回避しようと考えていたら、お昼寝から目を覚ましたタルトが僕の手から奪ってゴクゴクと飲み干してしまった。


「ちょっ、それはイケナイ薬だよっ」

「ハチミツが入っていて、甘くて美味しいのです」


 美味しいらしいけど、タルトがヤク中になってしまったら僕の手には負えないぞ。治療法なんて知らない。クスリを欲しがって暴れる3歳児をベッドに縛り付けておけばいいのか?


「タルトちゃんにはお薬が効くんですか?」

「わたくしには薬も毒も効果はないのです。美味しいかどうかがすべてなのです」


 どうやらタルトはヤク中になることもないらしい。衝撃に強く、ドラゴンに呑まれても平気で毒も効かないとか、どんだけ無敵なんだろう。


「飲みやすさを改良した試作品だったのですけど……効果が確認できないのでは実験は失敗ですね……」


 ドクロワルさんがなんだか物騒なことを呟いている。僕を実験体にするつもりだったのか?


 プロセルピーネ先生の弟子になってから、やり口がだんだん【魔薬王】に似てきた気がする。他人を追い詰めて否応なしに実験材料に使うとか、そんな師匠の一番悪いところをマネをしなくてもいいんだよ。っていうか、そこはマネしちゃいけないところだよ……


 タルトのおかげでイケナイ薬を口にするのは免れたけど、状況が良くなったわけじゃない。僕は疲れ切った体に鞭打ってボートを魔導院まで漕いでいかなければならないのだ。

 オールが鉄で出来ているかのように重く感じる。顔を上げる元気もないのでちゃんと水が掻けているかどうかも定かではないし、どこに向かっているのかもわからない。


「魔導院が見えてきました。あとちょっとですよアーレイ君」


 もう時間の感覚もなくなってしまったので、どれくらい漕いでいたのかわからないけど、ドクロワルさんの声に顔を上げて振り向いてみれば、水平線の向こうからモウヴィヴィアーナの街並みが見えてきたところだった。西側の端っこに見えるのが魔導院だろう。

 でも、まだ3キロはありそうだ。もう腕が動かないよ……視界もぼやけて……


「お~、モロニダス。見ろよ、でっかいザリガニが釣れたぜ」

「ヘル君。アーレイが虫の息になってる……」


 どこからか脳筋ズの声が聞こえてくる。とうとう幻聴まで聞こえるようになってしまったか…………


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