3 落ちてきた3歳児
――なにか墜ちてくるっ!
振り向くように空を見上げた僕の目がもの凄い勢いで近づいてくるナニカを捉える。田西宿実の最後の記憶がフラッシュバックし、考えるよりも先に体が反応した。とっさに前方に向かって全力でヘッドスライディングを敢行する。
直後に僕の立っていた辺りにナニカが着弾した。雷でも落ちたかのようなとんでもない轟音と衝撃波に僕の小さな体が吹き飛ばされる。
わけがわからず吹き飛ばされて転がりながらもしっかりと頭だけは護っていたみたいで、泥だらけだけど怪我はしないで済んだ。泥を払いながら身を起こすと、目の前には小さいながらも立派なクレーターが出来上がっていた。あまりの惨状に足から力が抜けて尻もちをついてしまう。
……まさか、ルール違反の報復に魔術攻撃? これは『メテオフォール』って術式か?
召喚用魔法陣は発動していなかった。まだ未遂だというのにいきなり致死性の攻撃魔術を放ってくるなんて完全に殺しに来てる。とても学校とは思えない、あまりにも容赦のないやり方に、まるで悪魔に股間を鷲掴みされたかのような感覚を覚え全身が総毛立った。
……甘く見ていた。こんなファンタジー世界だから人の命が軽いのは覚悟していたけど、まさかここまでとは……
この1年間で同級生が数人退学して魔導院を去ったけど、いつの間にか姿を見なくなって事後的に退学したのだと知らされるだけだった。きっと彼らも同じように……それを知った僕も……
こんなことで殺されるの?
ここにいてはいけないっ! 今、追撃を受けたら今度こそ本当に助からない。とにかく移動して時間を稼がないと……
人目のあるところなら……。少なくとも他の生徒を巻き込むような手段は取らないはず……。どこか匿ってもらえるところを探して……
だけど、逃げることは叶わなかった。腰が抜けてしまっていて、手も足もガクガクと震えて力が入らない。
「こんな時に……なんで?」
僕はその場から動くことができずにいた。そして、唯一自由に動かせる視線がクレーターの真ん中で蠢くソレを見つけた。
……ナニカが這い出そうとしているっ!
追撃がないのは初撃がまだ終わっていないからだった。あんな墜ち方をしたのにまだ動けるなんて、よっぽど頑丈に作られた暗殺用ゴーレムだろうか。
頭の中に未来から来た殺人アンドロイドの名前が浮かぶ。ここは森のど真ん中で都合よく溶鉱炉なんてありはしない。戦っても苦しむ時間が長くなるだけだ。もう、最初の一撃を素直に受けておいた方が苦しまずに済んだのではないか……
そんなことを考えている間にソイツはとうとうクレーターの真ん中に空いた穴から這い出した。
――薄いクリーム色をしたふわふわの金髪……
――何かを探すようにクルクルと動く金色の瞳……
――プニッとした丸顔に柔らかそうなほっぺた……
――ソイツはまごうことなき……3歳児だった。
うん。まだ5歳にはなっていないと思う。まあ人族と仮定しての話だけど……
「ぅおのれツルッパゲ! 絶対に泣かしてやるのですから、覚えておくがよいのですよっ!」
うわぁ……。なんか天に向かって吼えている。何者だろう。あの勢いで墜落して平気なのだから、人族でないことは確かだ。やっぱり暗殺用ゴーレムなの? 3歳児の?
僕の疑問をよそに、謎の3歳児は僕を見つけるとこっちに向かってクレーターをよじ登ってきた。
「おや、今時珍しいオールドゴブリンでしたか……。ゴーブ、ゴブゴブ、ゴブリータ……」
クレーターの縁から頭を覗かせ、その金色の瞳でしばらくの間僕を見つめていた3歳児は、そこから這い上がりながら歌うように「ゴブゴブ」言い始めた。時折、「ゲッ」とか「ペッ」とかはしたない音を混ぜている。
最初はなにやら期待に満ちた表情をしていたけど、しばらくするとふくれっ面になって、両手を腰に当ててノシノシと近づいてきた。
「ぼ、僕を……殺すの? ちょっと違反を犯したくらいで……」
「むぅ、オールドゴブリンは人族の言葉を扱うのですか。そういえば、ゴブリン語はお前たちがゴブリンやホブゴブリンに枝分かれした後に発達した言葉でしたね。わたくしとしたことが失礼したのですよ。それで、どうしてわたくしがお前を殺さなければいけないのですか?」
「……僕を暗殺するために送られてきたゴーレムじゃ――いだっ!」
ゴーレムと言った瞬間に、3歳児の右フックが僕の鼻に炸裂した。
「ゴーレムと一緒にするなど、わたくしに対する冒涜なのですっ! そんなにヒキガエルに変えられたいのですかっ? わたくしがお前のために送られたなどと、自意識過剰も大概にするのです。お前は自分が選ばれた特別な存在だと信じ込んでいるのですか? 14歳の病気を患うには少し早いのではありませんかっ?」
マズイ。怒らせてしまった。泣く子と失禁する子供には勝てないと言うし、とにかくご機嫌を取らないと……
僕が知らないだけで、本当に人をヒキガエルに変える魔術があってもおかしくないし、改めてよく観察するとこの3歳児の身に付けている物から相当に気位の高い身分にあるのだとわかる。
おなかの部分が白く染め抜かれたピンク色のツナギのような衣服はともかく、その上に羽織っている白地に金糸で刺繍が施された袖口のたっぷりとしたローブはかなり上質な物に見えるし、同じように豪華な刺繍の布靴を履いている。
子供の履物にまでそんなお金をかけるのは大貴族くらいしか思い浮かばないし、その身にも着ている物にも傷どころか汚れひとつ見当たらないところを見ると、何らかの魔術的な効果が付与された宝物かもしれない。
――オジョウチャンカワイイネ~
とりあえずヨイショしまくったら機嫌を直してくれたのでなりよりだ。ミエミエのお世辞にドヤ顔で鼻をフンフンと鳴らしているあたりは見た目相応の3歳児と言える。
話を聞いたところ、「いたずらがバレてこれまで住んでいたところを追い出された挙句、空から落っことされた」らしい。
僕の理解を超える状況はわきに置いておくとして、たまたま落っこちた先に僕がいただけで、僕を殺しに来たのではないそうだ。いくらファンタジー世界でも校則違反即処刑というほど世紀末ではなかったみたいで安心した。
「結局のところ、君の種族はなんなの? 人族じゃないよね?」
「わたくしは、いたずらをする子供のめが……。めが……。え~と……精霊のようなもの……でしょうか?」
なんで疑問形? 目を泳がせながらの歯切れの悪い答えに、やっぱりゴーレムなのではと考えていたら、再び不機嫌な顔に戻った3歳児が睨みつけてきた。
「その目はわたくしをゴーレムと疑っている目なのです」
「ソ、ソンナコトハナイデスヨ~。それに君だって僕をゴブリンと勘違いしたんだから、おあいこじゃ……」
そうだ、いくら僕がゴブリンに似ているからって、本物のゴブリンと間違えるなんてあんまりだ。3歳児だからって甘やかしてはいけない。間違いは間違いだときちんと教えてあげるのが年長者としての務めだろう。
「何を言っているのです? お前はオールドゴブリンに相違ないのです。わたくしが間違えるはずないではありませんか」
3歳児は目を真ん丸に見開いて、「え、あんた何言っちゃってるの?」とでも言いたげな表情で言い切った。ゴブリンでないことが驚愕に値するほど僕はゴブリンに似ているのかと思うと、ちょっと……いや、かなりショックだ。
「僕の父親は人族で、母親はロゥリング族だよっ。ゴブリンの血なんて1滴も流れてないよっ!」
「人族の父とロゥリング族の母を持つなら、お前は疑う余地のない純血のオールドゴブリンなのです。今いるゴブリンとは祖を異にしていますから、ニューゴブリンを名乗ることを許してあげるのですよ」
なんでも、ゴブリンの祖は人族であるジェン・トルメン伯爵とロゥリング族の娘たちの間に生まれた混血種だそうだ。2千年以上昔、『ジェン・トルメンの乱』と呼ばれる人族とロゥリング族が交流を絶つきっかけとなった事件の最中に生まれ、どちらの種族にも受け入れてもらえなかった、かわいそうな子供たちなのだと涙ながらに3歳児は語った。
……嘘だ。嘘に決まっている! そんなの僕は信じないっ!
僕を「ゴブリン」と呼ぶ連中だって、本気で僕のことをゴブリンだと信じているわけじゃない。バカにされるのは悔しいけど、それはいずれ実力で見返してやろうと思っていた。だけど、今の話が本当なら、僕は真正のゴブリン。ゴブリン of the ゴブリンになってしまう。
『ゴブリンと呼ばれバカにされていた僕ですが、実は本当にゴブリンでした』なんて、素人小説のシナリオにしても酷い。それでは僕に向かって、「ゴブリンをゴブリンと呼んで何が悪い?」と言い放った連中こそ正しく、僕は単に事実を指摘しただけの相手を逆恨みしていたことになる。
あんまりだ……惨めすぎる……
大体、なんで3歳児がそんな昔のことを知ってるのさ? そんなの絶対おかしいよ!
幼児がイヤイヤをするように涙目で首を振る僕に向かって、3歳児は悪魔のような笑みを浮かべて囁いてきた。
「よいではありませんか。新たに誕生した純血のオールドゴブリンと聞けば、ホブゴブリンの娘たちが妻でなくても、一夜だけでもいいからと愛を囁いてくること間違いなしなのです。知らないといけないので教えておきますけれど、ホブゴブリンには花の妖精の血が混じっていますから、娘たちは皆、花のように可憐で美しい乙女なのですよ」
花のように可憐で美しい乙女に囲まれたハーレム……それは転生者の理想郷。僕にだってちゃんとモテチートは用意されていた。3歳児は、「お前が望むなら、今すぐホブゴブリンのところに送ってあげるのです」と僕に向かって手を差し伸べてくる。
――今こそ選択の時……
――ここでの僕はただの落ちこぼれ……
――その手を取れば僕にもモテチートが……
――夢の勝ち組ハーレムがこの手に……
――――いやいやいや……騙されるな僕!
「僕は人族だから! 人族として生きていくから!」
両手を背中の後ろに引っ込めながら叫ぶ。危なかった。チートなんてとっくの昔に諦めたはずなのに、思わず今後の人生をホブゴブリンに捧げてしまうところだった。
田西宿実として生きた18年、モロニダスになってからの11年、恋人なんて呼べる相手はいたことがなかったけど、僕だって健全な男子だ。女の子の体に興味がないはずもなく、いつだって恋人募集中。合計すれば魔法使い一歩手前の僕になんて恐ろしい誘惑を仕掛けてくるのだろう。
「むぅ。お前を連れて行けばホブゴブリンたちは一族を挙げて大歓迎してくれましたのに……」
頬を膨らませながら不満を零す3歳児。住んでいたところを追い出されたと言っていたけど、本気で僕を手土産にホブゴブリンのところに転がり込むつもりだったみたいだ。とても考えることが3歳児とは思えない。
精霊のようなものって……悪い精霊さんなの? 悪魔なの?
……これ以上、関わり合いにならない方がいい。さっさと退散しよう。
さっきの轟音で誰にも気付かれてないはずはないし、ルール違反の魔法陣を持っているところを見られたくない。吹き飛ばされていた魔法陣を手に取って破れたりしていないことを確認する。
羊皮紙に大きな丸い魔法陣が描かれた、いわゆる巻物なのだけど、使う前に壊されてしまったら渡した袖の下がパーだ。泥を払ってから丁寧に畳んで背負い鞄の中にしまっておく。
「すぐに先生が来ると思うから、君は動かないでいた方がいいよ」
「わ、わたくしを独りぼっちにしようというのですかっ?」
目をウルウルさせながら不安気な表情で見上げてくる3歳児。全身から立ち昇る『行っちゃやだオーラ』になんだかものすごい罪悪感を感じるけど、あれだけ派手に墜落してきたのだ。生徒から報告を受けた先生が様子を見に来るのは時間の問題だろうし、行くあてのない3歳児なら僕よりも先生方に保護してもらった方が良いに決まっている。
今は3歳児の為にも僕はここにいない方が良い。
自分が先生のところへ案内して保護してもらうという考えをきっぱりと切り捨てて、自己正当化を済ませた僕は振り返ることなくその場から駆け出した。
これでいい……。君の為にもこうするのが一番なんだ……。どうかわかって欲しい……。僕にとってもそのほうが都合がいいしね。
木立を避けながら森の中を勢いよく駆け抜ける。もっとも今の僕の体格も体力もせいぜい小学1年生程度しかない。日課としてジョギングなんかはこなしているけど、道もなく足元も整備されていない場所で鞄など背負っていては走れる距離なんて高が知れている。
だけど、いくら頑丈な悪魔でも3歳児の歩幅では僕のスピードについてこれないだろう。後をつけられないように、途中で何度か方向転換も加えておいた。
息が切れるまで走ったところで足を止めて、水筒くらい用意してくるのだったとちょっぴり後悔しながら一息入れる。耳を澄ませて後ろから追ってくる気配のないことを確認し、どうやら上手く撒けたみたいだと安堵しながら木に背中を預けて息を整えている僕の前に……そう、後ろからでなく前から、ソイツは姿を現した。
「どこに行こうというのですか?」




