29 モロニダス包囲網
夜の闇に覆われ、月明りだけが薄く射し込む暗い林の中、僕はひとり息を殺すようにして潜んでいた。明かりを灯すことはできない。そんなことをすれば僕がここにいることがバレてしまう。
僕は……追われていた。
見つかって捕らえられれば、僕を待っている運命はひとつしかない。周りはすべて敵だ。救援を呼ぶこともできない。自力でこの状況から脱出する以外に、僕に助かる手段は残されていなかった。
林を囲んでいる道にはいくつかの明かりが動いているのが見える。すでに敵に封鎖されてしまったようだ。強行突破はできない。探しているのが僕だと知られた時点で負けなのだ。魔導院に僕ほど小柄な男子生徒は他に存在しないから、ほんの一瞬、輪郭を捉えただけでも、彼女たちは探していた下手人が僕だということに気付くだろう。
「周りの道は封鎖したっ。お前はもう完全に包囲されているっ。無駄な抵抗は諦めて出て来いのぞき魔っ!」
近くからクセーラさんの声が響いてくる。僕に備わっている人族より遥かに鋭敏に魔力を感知するというロゥリング感覚が、声のすぐ隣にある激しい殺気を捉えていた。間違いない。【ヴァイオレンス公爵】が出陣してきている。捕まれば……命はない……
どうしてこうなった……いや、違う。全部タルトのせいだっ!
新学期が始まってから1か月が過ぎ、僕は早くも壁にぶち当たっていた。
ロゥリング感覚はロゥリング族だけが持つ固有の能力だ。使いこなすことができれば、あたかもレーダーでも見ているかのように隠れている敵を探知することができる。ただ、この感覚は人族に理解できるものではないから、他の人に使い方を教えてもらうことはできない。独学で身に付けるより他に方法はなかった。
僕の伯母であり、純粋なロゥリング族でもあるプロセルピーネ先生もあてにならなかった。ロゥリング族にとってこの感覚は産まれた時から馴染みのあるもので、魔獣が跳梁跋扈する森の中で成長していくうちに自然と使い方を覚えるものらしい。訓練なんてしたことがないし、やり方も知らないそうだ。
どんだけワイルドな子供時代を送ったのだろう……
これはむしろ、僕が転生者だということが裏目に出てしまったのかもしれない。知らず知らずのうちに前世で馴染んだ感覚にだけ頼ってしまい、なんか不思議な感覚があるなぁと思いながらもやっぱり五感を優先してしまったのだ。
実のところ、中二病だと笑われるのが嫌で親に相談したこともなかった。
そもそも訓練してないからニブチンなのだと言ったのはタルトだったので、困った時のお子ちゃま頼みと話を持ちかけてみたところ、3歳児は右手の人差し指を顔の横に立て、気真面目そうな顔を取り繕ってその言葉を口にした。
「わたくしにいい考えがあるのです」
ソレ、絶対ダメなヤツだろうとツッコミたかったけど、他にあてがない僕にはタルトの言いなりにする以外の選択肢が残されていなかった。
夕食を終えた後、タルトにほっかむりに鎧下だけという格好で寮の外へと連れ出される。タルトはいつものブタさん着ぐるみパジャマでフードを目深に被っていた。ほっかむりに全身タイツとか、ヒーローなんだか泥棒なんだかわからないスタイルだ。はっきり言って人に見られたくない。
人目を避けるため寮の回りの林を抜け、コソコソと道を横断してタルトが僕を連れて行ったのは、カリューア姉妹にムジヒダネさんたちが住まう紅百合寮の裏手だった。
寮の構造は男子寮も女子寮もどこもそう変わらない。僕たちのいる位置、高い場所に設けられた換気用の窓、壁の向こうがお風呂場であることは確実だ。こんなところに連れてきて、いったい僕に何をさせる気なんだっ?
「なんでのぞきっ? 君は僕を処刑させたいのっ?」
「誰が覗くなどと言ったのです。壁の向こうでお風呂に入っている人数を魔力で数えるのですよ」
タルトは覗かずに人数を当てろと言う。余計な魔導器なんかを着けてないお風呂場が一番好都合なのだそうだ。今日は人数だけだけど、慣れれば見知った相手の魔力を識別できるようになる。いずれはロゥリングレーダーで敵を識別することもできるようになるという理屈らしい。
「なんでわざわざ女子風呂なの?」
「スリルと期待がなければ下僕は真面目に取り組まないではありませんか」
うっ……。確かに男風呂を魔力で感じるなんて考えただけで嫌になる。訓練として考えるならむしろ逆効果だろう。
「こんなに離れていては下僕には無理なのです。壁際まで近づくのですよ」
林の中からでは遠すぎるとタルトが言うので、周囲に誰もいないことを確認してお風呂場の外壁にぴったりと背を寄せ、目を閉じてロゥリング感覚を壁の向こうにいる女の子たちに集中させる。僕はまだ方向と大雑把な距離くらいしか把握できないから、壁の向こうに混ざり合ったひと塊の魔力があることしか感じ取れない。
これを分類しろって言うのか……
「8人……かな?」
ずいぶんと時間がかかったけど、なんとかそれぞれの魔力の特徴を捉えて8つに分けることができた。
「では、答え合わせをするのです」
タルトはどこからか引き摺ってきたボロッちい木の梯子を換気用の窓の下にそっと立てかけながら僕に言った。えっ、まさか……のぞきはしないんじゃなかったの?
「答えを知らなければ訓練にならないではありませんか」
タルトは梯子を指差して急かしてくる。僕に女子風呂を覗けと言うのか……。お風呂に入っているのは10歳~12歳の女の子たちなんだぞ。マジ獣犯罪じゃないか……
「頭数だけ数えれば済むのです。さっさと済ませてわたくしたちもお風呂に入るのですよ」
仕方ない……答え合わせは必要だ。これは仕方のないことなんだ……。自分に言い聞かせながら、音を立てないように慎重に梯子を登る。
壁の向こうには瑞々しいパッションフルーツが……
キャッキャ♪ ウフフ♪ と甘い声が湯気に乗って窓から漏れてくる。
今、秘密の扉が僕の前に開かれ……なかった……
ま~たブタさんかよ……
湯煙の向こうに見えたのは安定のブタさんだった。数えてみると21頭もいる。プロセルピーネ先生の境地に達するには時間がかかりそうだ。こんなこったろうと思っていたさとため息を吐きながら梯子を降りていき、僕が最後の一段に足をかけたところで、仕組まれていたかのようにそれがぽっきりと折れた。
「わっ!」
急に足場を失ったことで僕は尻もちをついてしまい、壁にぶつかった梯子が派手な音を立てて転がる。
「何か音がしたわよっ」
「外に誰かいるのっ」
「のぞきよっ。のぞき魔がいるわっ」
ヤバイッ! お風呂場から女の子たちの悲鳴が聞こえてくる。タルトを連れて脱出しようとしたけど、辺りを見回しても姿どころか影も形も見当たらない。あのいたずら3歳児は、いつの間にか姿をくらませてしまっていた。
――タルトの奴っ。僕を置いて自分だけ逃げやがったっ!
くそっ、僕もグズグズしてはいられない。慌てて林の中へと身を投じる。夜の紅百合寮に「曲者じゃ~。出会え、出会え~」という声と金ダライを叩くような音が響いていた。
こうして僕は怒り狂った女の子たちからのぞき魔として追われる身となったのだ……
「お前のお母さんは泣いているぞっ。おとなしく投降すれば、両目を潰して舌を引っこ抜いてから焼けた銅を飲ませるだけで勘弁してやるっ」
クセーラさんが投降を呼びかけているということは、まだ僕は発見されていないということだ。そんな恐ろしく残酷な刑罰を加えるとか勘弁する気ナッシングだろう。女の子たちが手にしている明かりを頼りに包囲網の隙間を探すけど、女の子たちは妙に手馴れていてなかなか隙が見いだせない。
マズイな……男子寮は東の方向にあるのに、ドンドン西へと追い込まれている。
「道を照らす分だけ残して、明かりは消した方が良いですよ。林の中では光が届きませんし、こちらの位置を知られてしまいますから……」
最悪だっ! 今の声はドクロワルさんだ。僕を狩り出すのに白百合寮に応援を頼んだのか?
僕に相手の位置を教えてくれていた明かりが消されていく。僕にはまだロゥリング感覚があるとはいえ、ドワーフの眼を持つドクロワルさん相手では分が悪すぎる。
暗い穴倉に住むドワーフたちは、僕には足元すら見えないような暗闇のなかで拾った鉱石を見分ける眼を持っているのだ。いくらロゥリング感覚があっても、視界を奪われた僕とこの夜の林の中を真昼間のように見通せるドクロワルさんでは勝負は見えている。ひと目姿を見られて僕だとバレた時点で終了なのだ。
お面を外した素顔を見てみたいけど、さすがに命と引き換えにする気はない。せめてダンボールがあればっ……
とにかくドクロワルさんの視界に捉えられないように、ロゥリング感覚を総動員して距離を取りながら包囲網の薄いところを探す。だけど、こう相手が多くては精度の粗い僕のロゥリングレーダーでは殺気の雲に取り囲まれているようにしか感じられない。そして、見つかってないはずなのにきっちり僕を追跡してくる相手がいた。
なんでだっ? このままでは封鎖されている道へと追い出される……
ブタさんしか見てないのに、のぞき魔として処刑されるなんてあんまりだ……
「クックック……困っているようですね……」
暗闇から突然タルトの声が聞こえた。どこへ行ってやがった……いや、ここで姿を現すとはどういうつもりだ……
「下僕はわかっているはずです。助かりたかったら……」
アレか? 僕が退け続けている要求を飲めということか……
「そのために、また僕をハメたのっ?」
「そのような質問をしている暇があるのですか?」
「わかった……要求を飲むからっ……」
「交渉成立なのです。では、わたくしについてくるのですよ」
タルトに手を引かれて林の中をしばらく歩くと、前方の暗闇に大きな建物の輪郭が浮かび上がってきた。どこかの寮か? まさか僕を売る気か?
「そんな……」
林から抜けるとそこは紅薔薇寮の裏庭だった。気がつけば僕を追っていた女の子たちの気配はどこにもない。でも、女子寮のあるエリアから男子寮のあるエリアに来るためには、途中にある大通りを横断しなければならないはずだ。もっとも厳重に封鎖されていた場所でもある。
「なんでっ? どうやってっ?」
「抜け道を……知っているのですよ」
「抜け道って……」
「急ぐのです。お風呂の時間が終わってしまうではありませんか」
タルトに答えてくれる気はなさそうだ。こいつは3歳児のくせにお風呂がぬるくなってしまうとご機嫌斜めになる江戸っ子爺さんみたいな気質をしている。お風呂の時間が過ぎてお湯が足されなくなるとブーブー文句を垂れるのだ。
「ドクロビッチが出てきたのは計算外だったのですが、上手く働いてくれたのです」
お風呂の時間が終わりに近づいて、人の少なくなったお風呂場で湯船に浸かりながらタルトが機嫌良さそうに口にした。
あいかわらずシルヒメさんと一緒に紅薔薇寮のお風呂に入っているけど、寮生たちも1か月もすればブタさんに慣れたらしく、伏せられたカードを言い当てる透視能力者のような目で凝視することはなくなった。【禁書王】だけは密かに『ブタさんキャンセラー』の開発を続けているらしいけど、怪しげなメガネをかけてきてはガックリと肩を落としているところを見ると上手くいってはいないようだ。
「最初から僕をハメるつもりじゃなかったって言うの?」
「ドクロビッチのおかげでたまたま良い機会が得られただけなのです」
どうやら、のぞきがバレてからが本当の訓練だったらしい。紅百合寮のメンバーなら今の僕でもなんとかなると思っていたのだけど、白百合寮からドクロワルさんが出てきたせいで一気に難易度が上がってしまった。そこで救出することにしたのだけど、せっかくの機会なので取引を持ちかけることにしたのだとタルトは語った。
あれは取引じゃない、脅迫と言うべきだ……
「勘弁してよ。命懸けの訓練なんてスリルありすぎだよ」
「命懸けでなくては訓練にならないではありませんか」
超スパルタかコイツは……
そういえば、僕のロリオカンもスパルタだった。ロゥリング族の子供は皆、魔獣に追われながらロゥリングレーダーを身に着けていくのだろうか……恐ろしい種族だ……
お風呂の時間が終わってお湯が止まってしまったので、タルトがご機嫌を損ねてしまう前にさっさと上がる。明日は次席のところに顔を出さないといけない。タルトのしていた要求とは、次席から持ちかけられた一種の投資話みたいなもので、園芸サークルに出資しないかというものだ。
園芸サークルは観賞用の植物以外にも、果物のような食料品から調合で使われる植物まで手広く栽培している。中には高付加価値な植物や研究中の改良品種の試験栽培といったものもあるのだけど、上手く育つかわからないしお金もかかるので、収穫したものを院内で販売したりしてその費用を稼いでいた。
出資というのは、あらかじめまとまったお金を払い込んでくれた人に1年間、毎月なにかしらの収穫物を配分してくれるという話だ。出資というよりも青田買いに近い。
タルトがこれに引っかかった。大抵のものは店頭販売されるのだからその時に買えばいいのだけど、店頭販売されないものがないわけではない。
それが、温室バナナである。
園芸サークル自慢の温室で作られた南国フルーツは店頭販売がない。出資した人たちだけの特権だった。アーカン王国はバナナが育つような気候ではないので、輸入品のバナナは超高級品だ。僕自身、この世界でバナナを口にしたことは一度もない。
次席の話を聞いて魔導院にバナナが存在することを知ったタルトは当然それを欲しがった。お金がないと一旦は諦めさせたものの、それがヴィヴィアナ様には供物として捧げられると知り、許せないと泣き喚いて僕に出資するよう要求していたのだ。
出資は1口小金貨3枚。ラトルジラントで得た資金が全部なくなってしまうよ……




