25 ラトルジラント
僕たちを狙っていたジラントは1匹だけだったようで新たな殺気は感じない。ゆっくりと斜面を下りていくと、傾斜が緩やかになったところにジラントが転がっていた。イカス鎌でつついてみたけど、ピクリとも動かない。
「へんじがない。ただのしかばねのようだ……」
「見ればわかるのです」
落っこちてくるときは大蛇にしか見えなかったけど、あらためて見てみると蝙蝠のような翼と鋭い爪をもった前肢があるのがわかる。蛇よりもトゲトゲしてゴッツイ顔つきをしているし、鱗に覆われた身体は剣なんて弾き返してしまいそうだ。尻尾の先がなんだこりゃ? ガラガラヘビか?
「ラトルジラントじゃないですかっ。牙の毒は領軍が使ってた解毒薬では効きませんよっ」
僕がガラガラと尻尾の先を振って見せると、ジラントの種類に心当たりがあったらしいドクロワルさんが悲鳴を上げた。いろんな種類の毒が混じった猛毒を持っているうえ、たびたびその成分が変わるらしく、以前効いた薬が次も効くとは限らないやっかいな奴だそうだ。
「せっかくですから、持って帰って使うのです」
「そ、そうですっ。毒腺を取り出してヒメバシリスクに食べてもらわないと……」
どんな毒にも効く解毒薬なんてものは伝承の中に登場する秘薬で存在自体が怪しい薬だ。解毒にはその毒に合った解毒薬が必要になる。毒の成分が変わるせいで、あらかじめ解毒薬を用意できないラトルジラントの毒だけど、ヒメバシリスクなら毒の成分を分析する手間もなく確実に効く解毒薬の材料を提供してくれる。
「ええぇっ! ジラントが逃げちゃいましたよっ!」
「こんな重たいものを引っぱっていたら、おやつの時間に間に合わなくなってしまうではありませんか」
ラトルジラントの頭の辺りの地面が揺らめいたかと思うと、水面に沈み込むように頭からズルズルと飲み込まれていった。解毒薬の材料に逃げられたと勘違いしたらしいドクロワルさんが、大慌てでジラントが沈んでいった地面をペシペシと叩いているけど、これは大きさも量も制限なしというタルトの能力【思い出のがらくた箱】だ。
こんな状況だというのにおやつを逃したくない食いしん坊3歳児はさっさとイリーガルピッチに跨り、とっとと乗れとドクロワルさんに向かって鞍をポンポン叩いて急かす。
「ジラントはタルトが持ってるから大丈夫。山小屋に急ごう」
「えっ。タルトちゃんが? あんな大きいものを?」
「食いしん坊だから何でも飲み込むんだ」
ラトルジラントに追われたせいで大回りすることになったけど、山小屋へは徒歩の先輩たちより先に到着する。出かけて行った方向からでなく、水場になっている沢に森を突き抜けて現れたせいで、近くで鎧竜に水を飲ませていたシュセンドゥ先輩が悲鳴を上げて腰を抜かしてしまった。
「まったく……魔獣が飛び出してきたのかと思ったじゃない……」
突然、目の前にコケトリスが飛び出したせいで、僕だと気付かずに魔獣に襲われると勘違いしたらしい。
「猛毒のジラントですって? サンダース先輩は他の部隊に伝えに行ったのね?」
ジラントが出たのでサンダース先輩の部隊が撤退してくることと、相手は用意してある解毒薬が役に立たないラトルジラントであることを告げると、シュセンドゥ先輩は輸送部隊の人や領軍の責任者の人を集めて何やら話し合いを始めた。
これでも食べていろとリンゴとクッキーを渡されたタルトはご機嫌でクッキーをしゃぶっている。
「アーレイ。無事だったか。さすがに早いな……」
徒歩で撤退してきた先輩たちも到着したので、サンダース先輩がジラントを発見して他の部隊に報せに行っていることを伝えておく。相手がジラントで数はどれだけいるかわからないと聞かされて先輩たちは顔色を失った。
「アーレイ。支援部隊は魔導院に戻るわよ。あんたとドクロワルも急ぎなさい」
方針が決まったらしい。騎士課程でない支援部隊は伝令に使う馬だけ残して直ちに撤退だ。騎士課程の先輩たちは領軍と一緒に山小屋の防備を固めながらもうひとつの部隊が戻ってくるのを待つ。合流してからのことはサンダース先輩に判断してもらえばいい。
領軍は人数も多いし怪我人もいて、今日中に引き上げることができないので山小屋の防衛だ。
「でも、わたしは……」
ドクロワルさんは山狩り部隊に配置された治療士だから、部隊を残して撤退してしまったら勝手に持ち場を離れたことになる。
「ブチョナルド先輩の部隊にも治療士はいるわ。ドクロワルは解毒薬の準備を優先してちょうだい」
「騎士課程じゃないんだ。ワーナビー先生の評価なんて気にするこたぁない」
「つか、ワーナビー先生には知らせるなよ。『拠点を死守せよ』なんて指示を出しかねないぞ」
騎士課程の先輩たちはワーナビー先生の指示は仰がないことに決めたらしい。あの先生、強いは強いのだろうけど、恐ろしく人望がないな……
「わかりました。これを治療士の先輩に渡してください」
ドクロワルさんは自分の魔法薬が入れられた箱から1本の瓶を取り出すと、使用方法を紙に書いて騎士課程の先輩へと渡す。
患者の状態を保存する魔法薬で、容態は悪化しないけど回復もしなくなる。毒が回るのを遅らせる代わりに薬も効かなくなるという時間稼ぎの薬だそうだ。患者は仮死状態になってしまい、目覚めさせるにはプロセルピーネ先生の薬が必要になるので、薬を使ってから1日以内に必ず魔導院の治療室へ運び込むように念押ししていた。
「急ぎなさいっ。いつジラントが出るかわからないわよっ」
シュセンドゥ先輩に急き立てられて慌ただしく支援部隊は山小屋を後にする。そもそも魔物との戦闘なんて想定していないから、亜竜なんかに襲われたらひとたまりもない。のったり歩いてなんていられないので徒歩の人たちは駆け足だ。鎧竜もドタドタといつもより速く歩かされていた。
騎士たちが拠点にしている放牧地まで来たところで部隊を停止させて、先輩は騎士にラトルジラントが出たことを報告しに行ったので、僕たちコケトリス組は一足先に魔導院に向かわせてもらう。
コケトリスを駆けさせたまま魔導院の正門を入ったところで、横から飛び出してきたヘルネストとムジヒダネさんに止められた。探す手間が省けたので好都合だ。山狩りが気になって仕方のなかった脳筋ズは、正門の辺りで戻ってくる人から話を聞き出そうと待ち構えていたらしい。
「どうしたんだ。お前だけ戻ってきたのか?」
「急いで解毒薬を作りたいんだ。サクラヒメを治療室のプロセルピーネ先生のところまでダッシュでよろしくっ」
「サクラヒメを……わかったすぐ行く」
ヘルネストでもヒメバシリスクが必要と聞けば大方のところは察してくれたようで、注文どおりダッシュで走り去っていく。僕たちについてくることに決めたらしいムジヒダネさんを連れて中央管理棟にある治療室に入ると、プロセルピーネ先生はちょうどドクロワルさんが運ばせた領軍の兵士を手当てしているところだった。
「先生っ。ラトルジラントが出ましたっ」
「……やっかいね。手持ちの材料でどうにかなればいいけど……」
ドクロワルさんからラトルジラントが出たと聞かされて、先生はすぐになにか考え込むような表情になる。材料のやり繰りを考えているのだろう。
「それで、ジラントの死骸があるので毒腺の摘出を先生にお願いしたいと……」
「でかしたっ! さっすが我が弟子パナシャ~」
「いえ、倒したのはアーレイ君なのですけど……」
「甥でも弟子でもどっちだっていいわ。すぐに解体室に運んでちょうだい」
工作棟にある解体室に移動してタルトにジラントの死体を出してもらう。空中からニョロっと出てきて、床にとぐろを巻いたように寝かせられた。
長すぎて解体をする台の上に乗りきらない。毒腺さえ取り出せればいいと頭の部分を持ち上げて台の上に乗せておこうとしたけど、僕ひとりでは持ち上げられないほど重かった。ドクロワルさんのドワーフパワーを借りてようやく持ち上げる。
しばらくすると、プロセルピーネ先生が自分の研究室で飼っている黒地に白い斑点模様のヒメバシリスクを連れてきた。【闇夜に潜む漆黒の王】というこれまた中二ネームが付けられているのだけど、呼びにくいので知っている人たちは黒ゴマと呼ぶ。サクラヒメを連れたヘルネストも一緒だ。
「なにこれっ? 丸ごと運んできたのっ?」
ジラントの死体を見た先生はドビックリだ。あんなに重いもの、普通は頭だけ持ってくると思うよね。先生は先に検分を済ませると言って、苦労して台に乗っけた頭を降ろさせた。
「生まれて3年目ってとこね……同じようなのが何匹もいたなら、近くに繁殖してる親がいるってことだわ」
このジラントは体長が9メートルほどあるメスなのだけどまだ幼体だそうだ。あと2年もしていれば体長は12メートルを超え、成熟して繁殖できるようになっていたらしい。
「我が甥よ――」
悪い予感がするぞ。プロセルピーネ先生が「我が甥」なんて呼ぶときはロクでもないお願いをされると決まっている。
「――これちょ~だい♪」
両手を合掌するように口元で合わせ、上目遣いでジラントを丸ごとよこせと要求してきた。なんて業突く張りな伯母さんだろう……
「亜竜1体分の素材を独り占めする気ですか?」
「独り占めなんて人聞きの悪い……。騎士どもは吹っ飛ばすことしか考えてないから、傷のないラトルジラントの標本は貴重なのよ。素材を全部合わせた以上の価値があるの」
ジラントの首を折って殺すなんて普通はしないから、頭が吹き飛んで胴体は穴だらけになっているのが当たり前だそうだ。魔導院で無傷のジラントを丸ごと解剖できる機会なんてこれまでなかったから、素材とするよりも研究対象としての価値の方が高い。それはもうホンマニ公爵様が研究費を増額してくれるかも知れないくらいに価値があるらしい。
先生はどうやら解剖がしたいようだ。牙だの皮だのといった素材はいらないから、肝の方をよこせと言っている。ジラントをネタに公爵様に研究費をせびろうという魂胆が透けて見えるけど、確かに肝なんてもらっても僕には使い道がない。
でも、いいのかな……?
「え~と、実習で採れた素材は分配することになってたはず……」
「あんたは実習の参加者じゃないでしょ」
「あ……」
すっかり忘れていたけど、先生の指摘したとおり参加メンバーの中に僕の名前はない。僕が単独で山に入って手に入れた獲物をどうしようと、誰にも文句を言われる筋合いはないそうだ。だいたい、こんな貴重な研究対象をみすみすブツ切りの素材なんかにしたら、公爵様に研究費を削られてしまうと先生に泣き付かれてしまった。
「まあそういうことなら、先生の好きに使ってください」
「オゥ! それでこそ我が甥。研究室に来て弟子を嫁にしていいわよ」
「せ、先生、何言ってるんですかっ?」
プロセルピーネ先生が弟子と呼ぶのはドクロワルさんだけだ。自分を勝手に嫁にやってしまった先生に猛抗議している。僕はまだやんちゃな弟ポジションのままのようだ……
「じゃあ、毒腺の抜き取り方を教えるから、パナシャはしっかり覚えなさい」
ジラントの頭を解剖台に戻させた先生が解説を加えながら丁寧に毒腺を抜き取っていく。ムジヒダネさんも興味があるらしく、ドクロワルさんと一緒になって見学していた。
ほどなくして片側の毒腺が抜き取られる。反対側の牙にも毒腺があるのだけど、ヒメバシリスクは2匹なので片側だけで充分だそうだ。
僕とヘルネストに押さえつけられていたヒメバシリスクたちは、毒腺を目にしたとたん僕たちの腕から抜け出そうと暴れ始めた。足を絡ませて全身で押さえつけないといけないほどだ。かなりの猛毒だなアレは……
トレーに乗せられたご馳走をふたつに割ってそれぞれに与えると、待ってましたと言わんばかりにガブリとかぶりつく。2匹ともすぐにピクピクして動かなくなった。毒を受けているのだ。
しばらくして何事もなかったかのようにムシャムシャと食事を再開する。ヒメバシリスクが初めての毒に耐性を身に付けた証拠だ。これで2匹の角はラトルジラントの毒に対する解毒薬の材料として使えるようになった。
「お前たち、角を2本ずつよこすのですよ」
トレーに零れた毒もきれいに嘗めてしまったヒメバシリスクにタルトが命令すると、その頭からコロリンと2本ずつ角が抜け落ちた。
抜けた角はすぐ生えてくるけど、切ってしまうと残った根元が自然に抜け落ちるまで生え変わってこなくなる。切るのはかわいそうだとタルトが言うので抜くことにしたのだけど、声をかけただけで抜け落ちてくるとは思わなかった。プロセルピーネ先生も目を丸くしている。
「あの子、なんなの……?」
「精霊……のようなものだそうです……」
ラトルジラントを皆でヒィヒィ言いながら保存室という冷蔵庫へと運び込みドアに鍵を掛ける。鍵はプロセルピーネ先生が預かることになった。「あの騎士くずれには指一本触れさせん」と息巻いているので盗まれる心配はないだろう。
材料が手に入ったので今晩は夜を徹して解毒薬造りだ。プロセルピーネ先生は僕たち教養課程の生徒は立ち入れない高等研究棟にある機材を使って、ドクロワルさんは工作棟にある調合室を使えるように先生が手配してくれた。
一方、僕は寮に帰って休むように仰せつかる。ふたりのサポートは工師課程の先輩たちがしてくれるし、そもそも解毒薬を作れない僕には歌を歌ってドクロワルさんを励ますくらいしか仕事がないそうだ。
山狩りではお湯で体を拭くくらいしかできなかったので久しぶりのお風呂がありがたい。湯船に浸かって、横目でブタさんを眺めながらタルトとアヒルのおもちゃで遊んでいるとヘルネストがやってきた。近づいたってブタさんは消えてくれないぞ。
「あのジラントはお前が倒したんだろ。どうやったのか聞かせろよ?」
言いたくない……
コイツは絶対マネしようとする……
相手の強さを、僕の弱さを基準に量っているような奴に教えたら、明日にでもジラントを倒そうと出かけていくに違いない。ここはひとつ……
「慈悲深いヴィヴィアナ様が僕たちをお護りくださったんだ。あれはヴィヴィアナ様のお力に間違いないよ……」
「ヴィヴィアナ様だと……?」
「……間違ってはいないのです」




