20 触れてしまった禁忌
「あなた方はいったい何を考えているのですっ!」
ムジヒダネさんを説得してもらおうと、首席のコテージを訪れて事情を説明したところ、案の定、雷を落っことされた。最初は呆れたように話を聞いていた首席だったけど、ヘルネストのバカが「腕試し」なんて口にしたせいで一気に火が付いてしまったのだ。
どうしてコイツはこうも迂闊なんだろう……
先輩方がフル装備で行くのは何のためだ? そんなところにロクな装備もない自分たちが加わって何ができる? 自らの実力を弁えていないのか? 危険を顧みず安易にクラスメートを誘うなど良識が欠如しているにも程があると罵倒の嵐だ。ヘルネストも怒りの鬼神と化した首席を前にして顔を青ざめさせている。
一方、タルトは首席の怒りもどこ吹く風と蜜の精霊と一緒にクッキーを頂いていた。
「お嬢様――」
先生方は何を考えている? 生徒から犠牲者が出たらどうする気なのだ? と矛先が先生たちに向かったところでそばに控えていたモチカさんが声をかけた。
「……なにかしら?」
「――メル……リアリィ先生の叙爵式のために先生本人もマジスカ学長も不在のはずです。おそらくは騎士課程のワーナビー先生の独断ではないかと……」
「あの方ですか……まったく余計なことを……」
リアリィ先生は僕たち教養課程を受け持っている先生のひとりで、魔導院の卒業後わずか3年でその研究成果が認められ準爵に叙せられることになった才媛だ。美人で優しくて生徒の面倒をよく見てくれておっぱいが大きいので生徒からの人望も厚い。
魔導院にいてくれれば、教養課程の生徒の参加など認めなかっただろう。
ワーナビー先生は騎士課程の先生のひとりだ。いわゆる体育会系気質って奴で、やる気とか根性とかをことさら重視し生徒を止めるよりも煽り立てることの方が多い。先生になる前は王国魔導騎士団の一員だった人で実力の方は折り紙付きなんだけど、おそらくはその性格が災いして魔導院の教師に左遷されてきたんだと思う。
魔導甲冑を使いこなし、空中で複雑な機動をこなしながら次々と魔術を放つ姿はもうアニメ世界の住人だ。
「ワーナビー先生では話すだけ時間の無駄です。安易な参加は控えるよう皆さんに伝えに行きましょう」
首席と連れ立って、まずは危険人物の住まう紅百合寮へと向かう。目的の場所へとたどり着いた僕たちを待ち受けていたのは、布団で簀巻きにされたクセーラさんだった。
「伯爵ぅ~。首席ぃ~。助けてよぉ~」
「クセーラは山狩りに行きたがる悪い子なの……終わるまでこうして縛っておくことにしたわ……」
いったい何事かと目を丸くしている僕たちに次席が説明してくれた。どうやらクセーラさんを簀巻きにしたのは次席のようだ。止めてくれるとは思っていたけど、まさか簀巻きなどという物理的拘束手段を用いようとは予想していなかった。
「姉さんはクセーラを心配しているの……街の外に出るときは一緒って約束したのに……ひとりで街から出ようだなんて……今度は腕一本では済まないかもしれない……」
「わかってますぅ~。もう山狩りに行きたいなんて言わないから。お願いだから解いてくださ~い」
なるほど、クセーラさんは過去に魔物に襲われて左腕を失っているから、次席は大切な妹を危険な目にあわせまいと強硬手段に出たわけだ。
「姉さん。せめてお手洗いだけでも……」
「クスリナ……瓶を……」
「やだああぁぁぁ……」
お手洗いに行きたいと主張するクセーラさんの前に、発芽の精霊が魔法薬を入れるのに使っていた瓶を持ってきた。次席も見た目はおとなしそうなのに徹底しているな。クセーラさんはもう泣いているぞ……
「オムツを着けていれば、このようなことで困ったりしないのです」
「ぞれぼやだあぁぁぁ……。ねえざま~。はんぜいじでますがら~。ぜっだいいがないがら~」
タルトは「それ見たことか」と言わんばかりの、呆れたような口調でオムツ推しだ。
号泣しながら体をクネクネと動かして縋り付くクセーラさんに、次席は「液肥の材料にするからこれにしなさい」と取り付く島もない態度で簀巻きの中に瓶を押し込んでいく。
次席はアレだな……怒っても表には現さず容赦がなくなるタイプだ。
「この寮の子たちには……山狩りには危険を覚悟して行くように伝えたわ……サクラノーメはそれでも行く気みたいだけど……」
「充分です。助かりますわ」
紅百合寮は次席が抑えてくれたので大丈夫だろうと、背後の「やああぁぁぁ……」というクセーラさんの泣き声とナニカが瓶に注がれるような音は聞こえなかったことにして、ムジヒダネさんが向かったと思われる白百合寮へと向かう。
僕たちが白百合寮の玄関をくぐると、ホールではちょうどムジヒダネさんとドクロワルさんが話し込んでいる最中だった。
「……いえ……わたしでは足手まといになりますし……」
「魔物が出ても私が排除するから、ドクロワルが戦う必要はないわ」
「……でも……魔物が出るかもしれないところなんて……」
「そんなところだからこそ、治療士であるあなたの力が必要なのよ」
予想通りムジヒダネさんが山狩りへの参加をゴリ押ししている。気品とか優雅さをことさら重視する南部派は行間を読んでくれるから、気が乗らない素振りを見せれば無理強いはしてこないのだろうけど、脳筋の西部派にそれは通用しない。
ムジヒダネさんには自分がゴリ押ししているという自覚すらないだろう。無理強いというのは首に縄をかけることだと思っているのだから。
「おやめなさいっ!」
ふたりのやり取りを耳にしたとたん、肩を怒らせた首席がスタスタと近づいてムジヒダネさんを一喝した。
「首席? どうしてここに?」
「どうもこうもありませんっ。山狩りに騎士課程でなくても参加できると聞いて舞い上がっている子がいないか確認に回っているのですっ」
「アーレイ……。ヘル君も……私を裏切ったの?」
首席の陰に隠れるようにしていた僕たちにムジヒダネさんが気が付いた。殺気が漏れてくる。ヤバイ……エクスキューショナーモードか?
「話をしているのは私ですっ。サクラノーメ・ムジヒダネッ!」
首席は【ヴァイオレンス公爵】のエクスキューショナーモードすら恐れることなく、僕たちを睨みつけていたムジヒダネさんに、「どこを見ている。私の話を聞け」とお説教を始めた。すごいカッコイイ……
そして、首席の陰で震えている僕たち。すごくカッコワルイ……
「騎士課程の先輩方が対魔物用の装備を持っていくということは、それだけの装備が必要になる状況を想定しているのです。剣が通じない魔物に対処できる魔導器をあなたは用意しているのですか? 空を飛ぶ魔物には? ロクに装備も揃えられないのに自分が魔物を排除するなどと、大口を叩くのも大概になさいっ!」
さすがは首席だ。ムジヒダネさんが魔物より弱いと言えば反発されるだろうけど、ただ強いだけでは通用しない魔物がいると言われたらムジヒダネさんも反論の余地がない。
堅い皮膚を持つ魔物なら熱や圧力を利用して倒さなければならないし、空を飛ぶ魔物を引きずり降ろすには投網や投げ縄のような装備が必要だ。個人でどんな魔物にも対処できるだけの魔導器を持ち歩くのは現実的ではない。
「さっすが首席……サクラを言いくるめちまった……」
「何を他人ごとのような顔をしているのですっ。あなたもそこに直りなさいっ。ヘルネスト・ウカツダネッ!」
余計なことを口にしたヘルネストはムジヒダネさんの隣に並ばされてお説教を喰らうことになった。
首席はそもそも魔物を相手に腕試しなどと考えるのは、魔物より自分の方が強いという浪人の思考だ。貴族の誇りがあるならば、自分より弱い魔物と戦うという考えは捨てろ。騎士が相手にするのはドラゴンのような人族が敵うはずもない魔物なのだからと、とうとう騎士の心得みたいな話まで始めてしまった。
「自分より弱い魔物を倒すのは浪人の仕事。自らを圧倒する強大な敵に立ち向かうのが貴族たる者の務めです。それが理解できないあなた方は、騎士ではなく浪人ですっ」
首席からきっぱりと浪人認定されてしまった脳筋バカップルはふたりしてシュンと項垂れている。ムジヒダネさんのこんな表情はレアだな……
山狩りに行きたいなら自分たちだけで行け。危険な場所にクラスメートを誘うな。先輩たちの足を引っ張るから武器は持っていくな。首席はふたりにそう言い残して、周りで様子を伺っていた南部派のまとめ役みたいな子を見つけて話をしに行った。
「アーレイ君が首席を連れてきてくれたんですか?」
「僕も昨晩ヘルネストに誘われたんだけど、あのふたりはちょっと血気に逸っているように見えたからね。ムジヒダネさんは僕が言っても止まらないだろうし……」
「そうでしたか。何だかわたし、いつもアーレイ君に助けられてばっかりですね……」
僕がドクロワルさんの役に立ったことなんて一度もないんだけど、ドクロワルさんはそんなことおくびにも出さずに、口元で両手の指を合わせて――お面のせいでわからないけど多分――微笑んでくれる。
いい子やなぁ……今回だって僕は首席にチクッただけなのに……
反省中のヘルネストと入れ替わる形で加わったドクロワルさんを連れて黒百合寮へと向かう。黒百合寮でも山狩りの話は噂になっていて、なんと南部派には負けられないと参加者の選抜中だった。
派閥から派遣するなどバカなことはやめて、危険を承知で参加したい人だけ参加するように申し渡して解散させる。首席は北部派なうえ、派閥間の争いには中立なので東部派も反発は少ない。南部派きっての衛生兵ドクロワルさんが「行きません」と言ったことも効果があったようだ。
男子寮の方は1学年上の先輩が回ってくれていたようだった。どの学年にも同じことを考える人はいるようで、やっぱり腕試しと称して人を集めようとした先輩がいたらしい。
女子寮の状況を伝えると、「腕試しバカはいいとして、派閥で動かれるのはやっかいだな」と頭を抱えていた。
「わたしも治療士を目指す以上、こういったことに参加できないといけないんでしょうけど……」
歩き疲れたので厚生棟のオープンカフェでひと息入れていたらドクロワルさんが呟いた。
「部隊での行動は専門課程で学ぶことですわ。教養課程のあなたが気にすることではありません」
「ドクロワルさんが魔物の出る場所に行くことはないよ。魔力同調は安全な場所でないとできないんだし」
治療士はゲームによくある回復役ではない。野戦病院みたいなところで重傷者の治療にあたるお医者さんだ。特に魔力同調は集中しなければ使えないし、患者も意識を失って動けない状態なので魔物を目の前にしてやるもんじゃない。
脳筋どもには初級の魔法薬でも渡しておけば充分だ……
「でも、自分だけ安全な場所にいるのも……」
「危険な場所ではあなたの能力は生かされないとわかっておいででしょう」
「ダメだよ。ドクロワルさんは一番に魔物に狙われるからね。あのふたりは自分が魔物を倒すことしか考えてないんだから」
「そんなに狙われそうに見えますか?」
ドクロワルさんは首を傾げて尋ねてくる仕種もかわいい。どんくさいから絶対に狙われるとは口に出せないな……
「そうですわね。野犬でも手強いと見た相手を避けて、弱いところを狙うくらいの知恵はありましたわよ」
「そうだよ。ドクロワルさんはあのふたりほど強くないし、動きも速くないし、食べるところがいっぱいあるから真っ先に狙われるよ」
「……アーレイ君。最後のはいったいどういう意味なんですか?」
僕のバカぁぁぁ――――!
やっちまった……ドクロワルさんが【ヴァイオレンス公爵】に負けないくらいの殺気を放っている。どんくさいを言い換えようとして、けっして口にしてはならない禁句が飛び出してしまったぞ……
「それでは私は先生方から話を聞いて来ようと思いますので、これで失礼いたしますわ」
ちょっ……まっ……逃げないで……
僕が禁忌に触れてしまったと気付いた首席はそそくさと席を立ってカフェを後にした。追いかけようとしたけど、ドクロワルさんにがっちりと腕を掴まれてしまって動くことができない。
「……アーレイ君。わたしの質問にきちんと答えてください」
「いだあぁぁぁ――――!」
掴まれた腕がギリギリとまるで万力のような力で締め上げられていく。折れる。マジ折れるから……ドクロワルさんのドワーフパワーで締め上げられたら、ロゥリング族の華奢な腕なんて砕け散るから……
「い、いやっ……ほら、ムジヒダネさんより柔らかくて美味しそうだって――ぎゃあぁぁぁ!」
「どの辺が柔らかいんですか? 脚ですか? わき腹ですか? わき腹ですね?」
感情のこもらない声でわき腹だと断定したドクロワルさんが手にさらに力を加えて締め上げてくる。このままでは本当に腕を千切られてしまう。
ダメだっ。最終手段を使うしかないっ!
「おっ……」
「お?」
「おっぱいが柔らかそうだと思ってました――――!」
「ど、どこを見てるんですかっ!」
ドクロワルさんが両手で胸元を隠したことでようやく僕の腕は解放された。危なかった。魔獣ではなく、同級生に腕を引き千切られてゴーレム腕を着けることになったら魔導院中の笑いものだろう。お願いすればクセーラさんはゴーレム腕を作ってくれると思うけどさ。大笑いしながら……
「アーレイ君! 女の子をそんなエッチな目で見るなんて失礼ですよっ!」
保護者モードになってしまったドクロワルさんはプンプンと怒りながらお説教を始めた。仕方なかったんだ。僕だって11歳の女の子におっぱいが柔らかそうだなんて言いたくなかったよ……
「下僕もたいがい迂闊なのです」
僕の隣でカステラに夢中になっていたタルトが呆れたようなため息を吐いた……




