193 欲する者ほど手に入らないアレ
「オシャ、マンベ……」
その日の朝、教室に入った僕たちを迎えたのは次席と発芽の精霊によるダブルおしゃまんべだった。この子たちは長万部がなにか理解しているのだろうか。隣ではクセーラさんがチンバンジーの形態模写を、ムジヒダネさんがどじょうすくいを踊っている。
彼女たちにいったい何があった?
「一発ギャグがウケれば……秘匿術式をもらえると聞いた……」
「そんなバカな話、あるわけないでしょ」
一発ギャグで秘匿術式なんてどこから出た話だと尋ねる間もなく犯人は知れた。ロミーオさんがお腹を抱えて大爆笑していたからである。おそらくは、いたずらを成功させた首席がご褒美に秘匿術式を譲られたという話を脚色して伝えたのだろう。ムジヒダネさんにとっ捕まって腕を捻じり上げられながらも涙を流して笑い続ける。よっぽど傑作だったに違いない。
「お前のいたずらはまだまだなのです」
ロミーオさんのいたずらを下の上だと評するタルト。嘘を使うのは好ましくないそうで、騙すのと引っかけるのではまったく意味合いが異なるという。言われてみれば、確かに首席はゲイマル君を騙してはいない。自分の実力では無理だと彼が気付かなかっただけである。
「よくも騙してくれたねっ。笑うんじゃないよっ」
「サルビッチ、ぷぎゃぁぁぁ――――っ」
チンパンジーのモノマネをしていたクセーラさんに笑うなとポクポク叩かれても、ロミーオさんの爆笑は止まらない。というか、もう笑いすぎてわき腹が引きつっているのではなかろうか。事情を知っているはずの【皇帝】もグルだったようで、次席と発芽の精霊にゲシゲシ足蹴にされていた。
もちろん、お腹を抱えながら……
「いつまでも笑ってないで席につきなさい。授業が始まりますよ」
これからタルトによる基礎魔術理論の授業。監督兼アシスタントのリアリィ先生が鎮まれ鎮まれぃとパンパン手を叩く。相変わらず講義をするつもりはないようで、春学期と同じく穴あき問題が配布された。解けた者にはご褒美として、さらに難解な問題をくれるらしい。ただし、秋学期の試験にこれらの問題は出題されないという。
「出題されないのなら、この問題を解く意味があるので――うあぁぁぁ……」
「まったく……。いったい何のためにここにいるのです?」
試験に出ない問題を解いてどうなるのだと言いかけたスネイルを、音もなく席から立ちあがった首席が華麗な巴投げで窓の外に投げ捨てた。ここ2階だよ……
「先生、アレはいいんですか?」
「何のことですか? 先生は何も見ておりません」
僕は騒動の火種だといつも叱られているのに、クラスメートを2階の窓から放り出してもお咎めなしなんて釈然としない。反省室に閉じ込めなくていいのかと言ってみたものの、リアリィ先生は何も目に入らなかったと遠い空を眺めている。大人はやっぱり汚い。
「タルト先生。わたしの答えを見てください」
「よくぞここまでたどり着いたのです。満点なのです」
もう慣れっこになってしまったのか、スネイルのことなどなかったかのようにドクロワルさんがタルトに答え合わせをお願いする。満点だという3歳児の答えを耳にして、まさかもう解けたのかと教室中に戦慄が走った。
「ですが、期限はとっくに過ぎているのです。ご褒美はなしなのです」
ドクロワルさんが答えを見てくれと言ったのは、春学期に出された問題だった。とうとう、6殻の円形魔法陣まで完成させたらしい。その答えが何よりのご褒美だと、鼻歌を奏でながら席に戻ってくる。僕はとりあえずの正解を試験に間に合わせたところで満足してしまったけど、彼女はずっと本当の正解を探していたようだ。きっと、こういうところで少しずつ差を広げられているに違いない。
「本当の正解まで解いてしまいたいのは山々なのだが、どうにも目移りしていかんな……」
春学期に追加でもらった問題もとりあえず正解と言われた【禁書王】は、また新しい問題をもらってきた。最後まで解いてしまいたいのだけど、新しい問題があるとついそっちから手をつけてしまうのだと嘆いている。部屋に未確認の禁書を詰んでおくスペースがなくなってきたと余計な悩みを口にして、女子たちから冷たい視線を送られるところも相変わらずだ。
答え合わせを申し出てくる者がいなくなったことを確認し、使い魔たちの憩いスペースに移って遊び始めるタルト。アンドレーアの仔オオカミと激しくマウントを取り合う。バナナンテは蜜の精霊を跨らせてトテトテと走り回り、発芽の精霊は使い魔が憩いのスペースから飛び出していかないよう面倒をみていた。どうやらお姉さん役であるらしい。
「下僕~、こっちに来るのです~」
頭の中で大雑把な魔法陣の構造を考えていたところ、早くも飽きたらしい3歳児が僕を呼ぶ。仕方のない奴めと憩いスペースに行ってみたところ、何やら色とりどりの紙が散らばっていた。今度は折り紙を始めたらしい。とりあえず、タルトの折っている作品を握りつぶす。
「なにをするのですかっ?」
「許さないよっ。たとえ折り紙でもサソリは許さないよっ!」
僕の目の前でサソリなど折らせはしない。トノサマバッタにしなさいと折り方を教えてやる。幼い妹たちの相手をすることが多かったから折り紙には詳しいのだ。田西宿実48の得意技のひとつである。
「どうしてここまでサソリ嫌いをこじらせてしまったのか不思議で仕方がないのです」
ドワーフの洞窟にサソリはいないだろうと首を傾げる3歳児。この地上に存在している限り、どこにいようと同じことだと言っておく。奴らと同じ世界で生きることはできない。どちらかが滅びるまで戦いは終わらないのだ。
「バッタなのです」
タルトがトノサマバッタを自慢すると、蜜の精霊が僕の膝に乗っかっておねだりを始めた。なにか折って欲しいらしい。このサイズならと帽子を折ってカポリと被せてあげたところ、ピャーと喜んでチュウしてくれる。教室の一角から怒りの炎が吹きあがった。
「またヌトリエッタをタラシ込んでいますのっ」
ギャオォォォ……と咆哮を上げながらすっ飛んでくる首席。タラシ込まれたくなかったら、何か折ってあげろと折り紙を渡す。
「これはいったい、なんなのですか?」
「タルト。それは、【名状しがたい混沌のようなモノ】だよ」
「ネコですわよっ!」
なんでも人並み以上にこなすくせに変なところで不器用な首席は、出来損ないのカニだかタコだかわからないような物体をネコだと言い張った。ネコちゃんで遊ぼうと見せつけられた蜜の精霊は僕の頭を盾にするように身を隠し、怖がられてしまったと首席が涙目になる。
「はいはい、カニね。正しく折り目をつけて丁寧に折れば難しくないから……」
「ネコだと言ってるではございませんかっ」
カニの折り方を教えてあげようとしたところ、どうして意地悪するのだと首席がペシペシ床を叩く。いったい何が不満なのだろう。わけがわからないよ。
「ハナ……ツクレル?」
「もちろんだよ」
仕方のない首席にネコを折ってあげたら、今度は花を折れないかと発芽の精霊がクイクイ袖を引っ張ってくる。お安い御用だと引き受けようとしたところ、ずずいっと次席が割り込んできて、クスリナに花を贈るのは自分だと言ってきかない。ならばと折り紙を渡したところ、どうしてか次席はそれを突っ返してきた。
「ユリがいいわ……」
「自分で折るんじゃないの?」
「贈るのは私……製作者である必要はない……」
なんて心のこもっていないプレゼントだろうと思いながら、白地にオレンジのラインが入ったユリを折って渡す。次席が髪留めを使って発芽の精霊の頭に飾ったところ、濃いブラウンの髪によく映えてなかなか可愛らしい。羨ましくなったのか、さっそく同じものを要求してくる3歳児。クリーム色のブロンドに白いユリはパッとしないだろうと、紅いモミジを折ってあげる。
「紅く染まったカエデの葉はペドロリアンの象徴。我が領の生徒であるという自覚ができてきたようですわね」
「下僕ほどデキる下僕はそうそう見つからないのです。お前にはあげないのです」
モミジを折ったところ、それは実家の象徴だと首席が僕を北部派にしようとした。それを耳にしたタルトが、自分の下僕は渡さんと膝の上に覆いかぶさってくる。頭がちょうどいい位置にきたので、これ幸いと髪の隙間にモミジを挿せば、3歳児は満足してくれたのか足をパタパタさせて喜びを表した。
「ぬわぁぁぁ――――っ。ここは教室でっ、今は授業時間のはずだよっ」
「もうっ。気が散って手につかないじゃないっ」
精霊たちと仲良く遊んでいたところ、唐突にクセーラさんが雄叫びを上げた。ロミーオさんが席を立って、これは悪質な授業妨害であると監督のリアリィ先生に対処を求める。
「タルト先生。彼女たちは授業の妨げになっていますか?」
「そんなことあるわけないのです」
「だそうです」
だけど、僕たちが授業を妨害しているか判断するのはこの時間を受け持っている教員。すなわち、タルトである。お前たちの言い分には根拠がないとあっさり見限られたふたりは、抗議しても無駄だと悟ったのか憩いスペースへやってきた。やってられっかこんちくしょうと乱暴に座り込む。
「クセーラさん――」
「なに? 言い訳なら聞かないよっ」
いつもいつも見せつけやがってこの悪党とクセーラさんが僕を睨み付ける。
「――権力っていいよね」
「最低だよ、伯爵っ。最低だよっ」
人の道を3歩は踏み外している。腹を切って反省するべきだとクセーラさんは言うけれど、そんなことをしたら治療と称してプッピーとその弟子に改造されてしまう。僕は【皇帝】と違ってイボナマコ怪人なんかになりたくないので、断固としてお断りさせていただく。そのうち、全然集中できないとイモクセイさんやドクロワルさんもやってきて、基礎魔術理論の授業はすっかり折り紙教室になってしまった。
「ヒヨコなのです」
「よくできていて可愛らしいですね。アキマヘンさんが喜びそうです」
丸っこいからアキマヘン嬢が気に入るだろうとタルトの折ったヒヨコを褒めるドクロワルさん。どうやら生まれつき丸っこいようで、訓練してもイナホリプルのダイエットは進まなかった。もっとも、持ち主はそれが気に入っていて、丸っこいところがかわいいのだと言っている。
「伯爵ぅ~。公爵令嬢はどうやって精霊と契約したの~? 話聞いたんでしょ~」
クセーラさんはコスプレエンジェルの変身過程に興味津々な様子。どうすれば精霊が姿を現してくれるのか、教えろ、教えろと話をせがんでくる。はっきり言って参考になる部分なんかないのだけど、どうしてもというのなら聞かせてあげなくもない。
「湖畔でウトウトしてて、目が覚めたら羽が生えていたらしいよ」
「なにそれっ? 精霊ってそんなんで契約してくれるものなのっ?」
なんでも、イナホリプルを散歩に連れて行って、歩きつかれたので湖畔でひと休み。湖から吹いてくる風が気持ちよくて、遠くに見える雲を眺めながらウトウトしていたら、いつの間にか翼がくっついていたらしい。黒スケほどもあるでっかい白鳥を見たような気もするのだけど、寝ぼけていたので夢か現実か定かではないとオムツフリーナちゃんも首を傾げていた。どうやって契約したかなんて憶えていないそうだ。
「精霊とはそういうもの……クスリナも気がついたら契約していた……そう教えたはず……」
発芽の精霊とはカリューア伯爵のお城にある古い花壇で出会ったのだけど、最初は精霊と気付かず士族の娘のひとりだと次席は考えていたらしい。友達になりたいと言われて了承したら、それが精霊との契約だったという。どうすれば契約できるかなんて、契約している本人にもわからないのだから、他人の話を参考にしようとしても無駄だと次席が発芽の精霊の頭をナデナデする。
「羨ましい話だわ。いったいどういう基準で選んでいるのかしら?」
「ひとつ言えることがあるね」
「なにっ? 伯爵、なにか気付いたのっ?」
いいな、いいなと口にするロミーオさん。だけど、これまで精霊と契約した人の話を耳にして気付いたことがある。モチカさんも次席もアキマヘン嬢も、いつの間にか精霊と出会っているという点だ。タルトにしたって脈絡もなく墜落してきたし、魔法陣で呼び寄せた方は【真紅の茨】だった。ここから導き出される答えは唯ひとつ。
「精霊は物欲センサーを備えているんだ。それも、かなり高精度なものを……」
「ぶつよ……って、なにそれ?」
どうやら、この世界では物欲センサーの存在が認知されていない模様。これは、くじといった一定の確率で景品が入手できるものにおいて、本人がそれを欲すれば欲するほど大きく期待値を下回らせるという悪魔の発明である。引っかからないようにするためには、厳しい修行の果てに煩悩を捨て去らなければならない。ただし、そうすると今度はくじを引く熱意が失われ、結局景品は手に入らずじまいとなるので、あえて引っかかるのが猛者の証とされていた。
「またそんなデマカセを……」
「クセーラさんは物欲センサーの怖ろしさを知らないから、そんなことが言えるんだ」
次こそは、次こそはと気がついた時にはすってんてん。それでも、ここまでやった以上は何としてもと抜け出すことを許さない底なし沼。ヒトの欲望を際限なく吸い込んで、なおも肥大化を続けるブラックホール。忘れていたはずの、忘れていたかった忌まわしき記憶が浮かび上がってくる。
「うわぁぁぁっ。ダメだっ。アレを許してはいけないっ。ガチャは法律で禁止すべきなんだっ!」
「男爵っ。伯爵が壊れちゃったよっ」
「モロリーヌちゃんっ。気をしっかりっ」
封印されていたはずの記憶に悶え苦しむ僕の口元にイボ汁吸入器をあてがうドクロワルさん。霞ゆく視界の中、そのピンク色の髪に田西宿実がすべてを失っても手に入れることの叶わなかったレアキャラの姿が重なった。




