187 この思い出をみんなにも
思い出の人たちは、いつまで田西宿実のことを憶えていてくれただろう。いつか、戸籍や卒業アルバムに名前が残っているだけの存在になってしまうとしても、一日でも長く僕のことを憶えていてくれたらと願わずにはいられなかった。赤信号に飛び込んで勝手にいなくなってしまったのは僕の方だ。悲しみに涙して欲しいとも、香典は3万円以上なんて図々しいことは言わない。ただ、何かの拍子でいいから在りし日の姿を懐かしく思い出してもらえたらと思う。
「これがバナナの味なのね~。一生、忘れないのね~」
「他の班が食べ物に苦労している中、私たちだけバナナを味わう。こんな贅沢はないわ~」
この味を忘れないと涙するロリボーデさん。イモクセイさんも子供や孫が魔導院に入学する歳になったら自慢してやろうと遥かな未来へ思いを馳せている。バナナを口にした女子たちは、皆揃ってこの時間を心に残そうと誓い合っていた。
「どれほどの言葉を連ねても、紙切れにバナナの味を残すことはできないのです。すべてを残してくれるのは思い出だけなのですよ」
バナナの味も、皆の笑顔も、今ここに流れる暖かな時間も、記録には何ひとつ残せない。だけど、彼女たちが今日という日を思い出す時、そこにはバナナと共に僕の姿もあるだろう。いったい何が不満なのだとタルトがドシンドシンと僕の膝の上にお尻を落っことす。
「そうだね。それも悪くない……」
田西宿実は大切な家族やチームメイトたちに、こんな思い出を残せていただろうか。今となっては知るよしもないし、知ったところでやり直すこともできない。彼らの心の片隅に残っていられたらと祈るばかりだ。
「なら、もっとたくさんの人たちに思い出を刻んであげないとね……」
「むむっ、下僕から黒くてドロドロして触れると臭くなりそうな魔力を感じるのです」
失礼なことを言う3歳児である。どれほど悔やんだところで過ぎ去った時間は変えられないのだ。僕は今ここに生きているのだから、今できることを全力でやり抜くまで。この思い出を少しでも多くの人たちに分け与えよう。
忘れたくても忘れられない、屈辱の記憶としてな……
「バナナの皮なんてどうするつもり?」
「すべての生徒たちに知らしめるのさ。アンドレーア班はバナナを食べたとね」
「いたずらを始めるのに、わたくしをのけ者にするのではないのです」
自分を仲間外れにするなとしがみついてくる【忍び寄るいたずら】様。いたずらなんて大層なことではない。今日という日を忘れないでいてもらうために、缶詰め補習を受けているところへ食べ終えたバナナの皮を放り込んでやるだけだ。人聞きの悪い言い方はやめていただこう。
「それが学年17位の思いつくことなの?」
「要は自慢しまくるってことね。面白そうじゃない」
お前はいったい何を考えているのだと顔をしかめるアンドレーア。だけど、イモクセイさんを始めとする女子たちはノリノリだ。この幸せを皆にも味わってもらおうと黒い笑みを浮かべる。タルトはもちろん大喜びで、さっそく今から行くぞとクマネストに跨った。
最初の標的は底辺班。ロゥリングレーダーを駆使すれば、バンガローの外から補習の行われている部屋を探し出すくらい造作もない。この陽気の中、全員がひと部屋に集められていては蒸し暑くてたまらないのだろう。爆弾を投げ込んでくださいと言わんばかりに窓は大きく開け放たれている。
「目標確認。ターゲットは全員あの部屋に集まっている模様」
「やっておしまいっ」
イモクセイさんの合図を受け、女子たちがクスクスと笑いながら僕の指定した窓へバナナの皮を放り込む。バナナグレネードが着弾すると、バンガローはたちまち蜂の巣を突いたような大騒ぎになった。
「おいっ、これはバナナじゃないかっ」
「てめえっ。独り占め……って、なんだこれっ? 中身がないぞっ」
「あいつらだっ。ゴブリンたちが皮だけ投げ込んできやがったっ」
底辺班のひとりが僕たちを指差して襲撃犯はあいつらだと叫ぶ。だけど、彼らは缶詰め補習の身。僕たちを追ってくることはできない。
「お前らが喰ったのかっ? バナナなんて喰いやがったのかっ?」
「美味しかったのね~」
「お前らっ、それでも人間かぁぁぁ――――っ!」
バンガローから出ることを許されず怒りの咆哮を上げる底辺ズに、ウフフフ……ホホホホ……と女子たちが笑顔で手を振り返す。イモクセイさんに至っては、アデューと投げキッスを決める始末だ。気分はすっかり女怪盗である。
「次、行ってみよぅ」
お次はエロスロード班。怒った首席が窓から飛び出そうとしたけど、モチカさんに巻きつく精霊を足に絡ませられて逆さ吊りにされる。そこで頭を冷やせと、そのまま放置されていた。
続いて東部派下位班。数日前まで一緒だった女子ふたりにアッカンベーされ、怒り狂った班員たちに班長が吊し上げられる。彼ひとりが悪いとは思わないけど、責任者ってのは責められるためにいるもんだ。仕事はきっちりこなしてもらうしかない。
そして今、僕たちは本命ともいえるターゲット。スネイル班のバンガローを目にしていた。
「セニョリータ、そいつをどうするつもりだ?」
ついてきたものの呆れた様子で見ているだけだったアンドレーアが、こっそりバナナの皮を手にしていた。尋ねてみたところ、せっかくだからスネイルの奴に叩きつけてやりたいという。
「オゥケェイ、奴は任せた」
顔をのぞかせたところに一発くらわせてやれと言って、奴らが缶詰めにされている部屋の下へ皆を案内する。バナナの皮を右手に持って左手でハンドサインを出せば、もう意地悪な笑みを隠そうともしないイモクセイさんが最初の一発を投げ込んだ。たちまち、バナナを食べた奴がいるぞと大騒ぎになる。
「こんなものを投げ込んだバカはどこのどいつだっ?」
どうせなら中身を寄越せとスネイル班の連中が窓から顔をのぞかせた。その中にスネイルの顔を見つけてアンドレーアが投擲体勢に入る。そして、ターゲットを確認した僕も投球動作を開始。セットアップポジションからのクイックスローだ。
「「ぶげっ……」」
スネイルと、続いて顔を出したクダシーナ君をバナナの皮が直撃する。投擲体勢に入ったのはアンドレーアの方が早かったけど、着弾は僕の方が先だった。ロゥリング族のちっこい身体とはいえ、ピッチングでど素人に後れを取る僕ではない。
「まさかっ、お前たちっ?」
「次席のバナナはたいへん美味しゅうございました。香りだけでもお楽しみくださいませ」
自分たちは味気ない領軍の携帯食なのに、こいつらバナナなんて喰いやがったのかと驚愕の表情を浮かべるスネイル。すかさず、ムォーフォッフォフォ……とイモクセイさんがヴェルサイユ風高笑いを浴びせかけた。他の女子たちもそれに続き、高笑いの大合唱だ。クマネストに跨ったタルトは手を叩いて大喜びしている。
「君はっ、こんなことをして何が楽しいんだっ?」
「もちろん、君たちの悔しがる顔を眺めるのが楽しいのさっ」
お前たちをバカにして楽しんでいるのだと、はっきり肯定されるなんて思っていなかったのだろう。クダシーナ君が顔を真っ赤にして睨み付けてくる。もっとも、仲間同士で殴り合いのけんか騒ぎを起こした後に、今度は女子班に手を上げたとなれば補習以上の処罰は免れない。どんなに悔しくても我慢するしかないのだ。
「苦労して、がんばっている人を嘲笑うのか。君はっ」
「そうだね、努力している自分は報われると勘違いしている君は見ていて飽きないよ」
「なんだとっ?」
誰もそのことを教えてくれなかったのか、クダシーナ君はとんでもない勘違いをしている。B、Cクラスの生徒と違い、Aクラスの生徒にとって努力することは息をするのと同じくらい当たり前なこと。がんばっているのは自分だけではないのだ。高い競争環境の中では努力もまたリソースのひとつにすぎず、いかにライバルより効率よく配分できるかが勝負の要。ロミーオさんは野人とサバイバルで競っても無駄だと言ったけど、それはつまり勝ち目のない分野に貴重なリソースを割いたりしないという意味である。
「がんばっているのが自分だけだと思っているのかい? 僕は苦労も努力していないと?」
「君には精霊がいるじゃないかっ」
……その精霊に一番苦労させられているんですが、何か?
タルトのおかげで努力せずAクラスになったとでも思われているのだろうか。契約してから首席や次席と一緒にいる機会が増えたので、傍目にはそう見えるのかもしれない。最後のひと押しをしてくれたのもタルトなので、精霊のおかげと言われるのは仕方のないことだろう。
だけど、あの3歳児は維持費がバカにならないんだよ……
精霊にお金なんて無意味だという態度とは裏腹に、とにかく金のかかる贅沢好きなのだ。タルトの他にメイドふたりと、クマ、ドラゴン、コケトリス2羽分の食費がかかるというのに、教員の報酬は全額園芸サークルに出資してしまい銅貨1枚分も家計には入れてくれなかった。果物がどっさり配分されるので文句も言い難いのだけど、それだけで一家を支えられる中級再生薬の稼ぎを際限なく呑み込まれていく僕の気持ちにもなってもらいたい。
「精霊と契約していれば、契約しているなりの苦労はあるさ。いい加減、自分のしている努力は特別じゃないってことに気付くんだね」
努力は無駄にならないと人は言う。だけどやっぱり、望んだ結果につながる努力とつながらない努力はあると思うのだ。僕に勝とうと躍起になるあまり、クダシーナ君は限られたリソースをやみくもにつぎ込んでいた。生まれながらの天才ならともかく、凡人にそんな余裕なんてあるわけない。そのことを理解しないうちは、「本人はがんばっているつもり」止まりである。
察しの悪い彼がこれでわかってくれるとも思えないけど、サービスしてあげるのはここまで。後は本人次第、若しくは有料だ。先生だって報酬をもらっているのに、タダで教えてやる義理はない。
「あまり調子に乗らないことです。いまに痛い目をみますよ」
「…………」
隣に目を向ければ、下位班をいじめ過ぎた挙句、リタイヤの道ずれにされたマヌケが自虐ネタを披露していた。どうやら盛大にスベッたようで、アンドレーアの顔は冷凍マグロの如く完全に凍り付いている。
「アンドレーア、そこは『お前が言うな』ってツッコむタイミングだよ」
「ええと……そうね。あ、あんたに言われたくないわよっ」
言われてからツッコむなんて、このコンビはダメだ。まったく息が合ってない。
「誰が漫才をしていると……」
「あんた。せっかくモロリーヌがジョークで流そうとしてくれたんだから、空気読みなさいよ」
冗談で言っているのではないと口にしかけたスネイルに、イモクセイさんがさらなるツッコミを入れる。ジョークにしておけば笑ってごまかせたものを、本気で言ってるならただのバカではないかとすっかり呆れた様子だ。
「リタイヤは下位班を追い詰め過ぎたあんたの失態でしょ。まさか、相手が言葉の通じないサルだったとでも言うつもり?」
「ぐっ……」
逃げ道を閉ざされて牙をむくのはイノシシに限ったことではない。もはやリタイヤは避けられないと悟ったからこそ、死なばもろともと下位班はスネイルたちとの殴り合いを決めたのだ。先に手を出してきたあいつらが悪いなんて言い分は幼稚過ぎるとイモクセイさんが鼻で笑う。
「女子班はバナナにありつけて、あんたに従った連中は仲良くリタイヤ。結果というものは残酷よね。ここまでの差がつくなんて……」
「イモクセイ……何が言いたい?」
「それは言わないでおくわ。誰かさんに悪いから……」
スネイルは派閥を率いられるような器じゃない。そんな奴を持ち上げたところで結果はこのざまだと言いたいのだろう。首席に次席、ロミーオさんに比べれば頼りないものの、アンドレーアは意外と面倒見がいい。ちょっと困っただけで仲間を捨て駒にするスネイルよりは派閥の顔役に向いている。そもそも、自分を頼ってくる仲間を足手まといと感じるような奴が、どうしてリーダーなんてやりたがるのか僕にはさっぱり理解できない。
パシリで満足している方が、よっぽど楽だろうに……
歯軋りするふたりを黙らせたところで、補習がんばってねと暇を告げる。バーナナ、バナナ、バーナナ♪ とバナナの歌を響かせながらキャンプ地を練り歩き、途中で見かけたロミーオさんとクセーラさんにバナナの皮をプレゼント。皆に幸せをお裾分けしたところでバンガローに戻ってお茶をいただく。
「伯爵ぅぅぅ――――っ。出てこぉぉぉ――――いっ!」
やり遂げた後の、この一杯が最高だぜと至福の時間を堪能していたところ、なにやら剣呑な声が聞こえてくる。気がつけば、アンドレーア班のバンガローは怒り狂った暴徒に包囲されていた。




