182 結ばれる紳士協定
実習10日目に降り始めた雨は翌日にどしゃ降りとなり、12日目の今日になってようやく雨足が弱まった。南の空が明るいから午後には上がるだろう。もっとも、キャンプ地はぬかるみだらけ。一歩外に足を踏み出せばそこは一面の泥沼で、荷車なんてまともに動かせたものではない。車輪をソリに付け替えて牛に牽かせればどうにかといったレベルである。
そんな中、次席のカリューア商店がオープンした。どしゃ降りの中をサソリゴーレムで買い出しに行ってきたのだ。ちなみに、マジデスカの街は昨日の時点で雨が上がっていたという。
「たっか……」
「値段は適正だと……自負しているわ……」
「どうみてもボッタクリ価格だよっ」
どれどれと品揃えを確認しに行ったところ、もうこれでもかというくらい足元を見た山小屋価格が設定されていた。何だこの値段はとクセーラさんが抗議するものの、これで適正だと次席は取り合わない。マジデスカまでの道の状況を把握しているのは次席だけ。彼女がここまで強気に出るということは、荷車が通れるようになるまでしばらくかかるということだ。
「モロリーヌ……あなたならメッセージに気付くと……期待している……」
唐突にメッセージとか言われた。なんのこっちゃ?
「どういうこと、姉さん?」
「クセーラは知らなくていい……知る必要はない……」
次席はそれ以上説明してくれず、冷やかしなら出て行けと店先から追い払われてしまう。困っている妹の足元を見るなんてとプンスカ怒るクセーラさんと別れアンドレーア班のバンガローに戻ってみると、昨日今日明日と3日分の食事を購入してくれたエロスロード班がやってきていた。
「3日連続なんて、とうとう勝負に出たの?」
「手持ちの食料がなくなってからだと、他の班と取り合いになってしまいますもの」
補給を絶たれてすぐに購入を決めたのはエロスロード班。他の班は食べ物が尽きたらアンドレーア班から買えばいいと考えるだろうけど、一度に焼けるパンの数には限りがある。奪い合いなっては充分な量が確保できず値上げされるおそれもあるので、今ある食料は残しておいてお金から先に使うことに決めたそうだ。もっとも、資金があるうちにご馳走をいただいておこうというのが班長の本音。道が回復しても最終日まで懐が持ちそうにないのだけど、断食のような代案しか思いつかず押し切られてしまったのだと首席が肩を落とす。
「次席のお店はもう見た?」
「もちろんですわ。計算してみましたところ、こちらで購入するより若干お得といったところですわね。食事の質を別とすれば……」
絶妙な値段のつけ方だと首席が眉間にしわを寄せた。アンドレーア班は完成した食事を提供してくれるけど、次席が売っているのは食材なので調理の手間や燃料代が含まれていない。パン種と石窯がある分を考慮すれば、カリューア商店の方が安いとは言い切れないそうな。
そうか、次席も安売り合戦はしたくないんだ……ということはつまり……
メッセージってのは、価格カルテルを結びましょうってことか?
カルテルの目的は競争の排除。サバイバル実習は競争なのだから、公然とカルテルを結成しては先生たちに潰されてしまうおそれがある。だけど、暗黙の紳士協定であれば話は別。それぞれがそれぞれの思惑に従ってつけた値段には先生たちも口は出せない。だからはっきりと言葉にせず、価格にメッセージを込めるなんて遠回しなことをした。
アンドレーア班が価格を維持している間は次席も安売りしないってことだな……
いいだろう。価格競争をして先を見通せなかった連中を喜ばせてやることはない……
「なにを独りでニヤニヤ笑ってらっしゃいますの?」
「その顔は悪いことを考えている時の顔なのです」
おっとマズイ、顔に出ていたようだ。この勘のいい3歳児は曲がりなりにも教員なので、紳士協定のことを覚られては面倒なことになる。どうにかごまかさなければならない。
「昨日、パンザーラに使うタレを調合しておいたんだ。試しに食べてみないかい」
「むむぅ……なにやら野菜をゴリゴリしていたアレですか? 早く食べさせるのです」
食べ物の話題を振ったところ、思ったとおり食いしん坊はダボハゼのように喰いついてきた。オリジナルソースと言えるほど大層なものではなく、すりおろした野菜に数種類の調味料を加えて煮込んだ焼き肉のタレ的なナニカだ。トマトソースより甘いのでタルトは気に入ってくれると思う。
「コホンッ……食事代を払っているのですから……」
「もちろん首席にも提供するよ。評判が良かったらメニューに加えるつもりなんだ」
ロリボーデさんが薄く伸ばしてくれたピザ生地に試作したタレを塗り、タマネギ、ジャガイモ、ナスを並べる。削ったチーズをかけた上からシカの燻製肉とトウモロコシの粒をトッピングしたら、後はイモクセイさんにお任せだ。田西宿実だったころに、こんな感じの和風ピザを食べた記憶があった。
「お好みでメープルシロップをかけても美味しいと思う」
「なんですのこの安物は? どうしてペドロリアン産の銘柄を選ばないのです?」
メープルを用意したところ、自領の蜜でないことに腹を立てる首席。楓の木から姿を現したという蜜の精霊も一緒になって頬を膨らませている。そこはタルトの好みというか、精霊の蜜は手に入るので風味の強い2級品、3級品を選んだのだと説明しておく。
「トウモロコシの焼ける匂いがしてきたのですっ。まだ焼きあがらないのですかっ?」
「ちゃんと一番いいところで取り出しますから、お行儀よくしててください」
石窯から漂ってくる匂いに我慢できなくなったのか、まだか、まだかと3歳児がテーブルをペシペシ叩いて催促し始めた。イモクセイさんにお行儀が悪いとたしなめられておとなしくなる。食いしん坊なので、料理を作ってくれる人の前では素直ないい子でいやがるのだ。そのうちまたソワソワし始め、ウーウー唸りだしたところでピザが石窯から取り出された。
「ぬぬっ……下僕にこんな才能があったなんて驚きなのですっ」
まだ熱々のピザをひと切れ手に取ったタルトは、必死にフーフーして待ちきれないとばかりに口の中へ放り込む。味わうためにはくっつくことを許さなければならないので、熱いものは熱いと感じるようだ。うむぅ、うむぅと唸りながらモシャモシャ咀嚼し、唐突に手をパンパン鳴らしながら宙に向かって今すぐ来るようにと声をかけた。ほどなくして、リアリィ先生のバンガローからシルヒメさんが姿を現す。
「下僕が作ったのです。この味を憶えておくのですよ」
それで再現できるようになるのか、これを食べろとタルトがひと切れ渡す。ピザを口にしたメイド精霊は一瞬より目になった後、何かを探すかのようにチラチラとこちらの様子をうかがいだした。その視線が、僕の調合した焼き肉のタレ的ナニカの入った瓶で止まる。
「――――」
ガサガサと衣擦れの音で何事か要求してくるシルヒメさん。これが味の秘訣だということに気がついて、味見させろと言っているのだと思う。スプーンにとってひと舐めさせたところ、嬉しそうに僕の頭をナデナデして先生たちのバンガローへと戻って行った。レシピが知れれば後は腕前の差がものを言う。タルトによれば僕の調合は雑で、シルヒメさんならもっと丁寧に仕上げてくれるそうだ。
「これは野性味あふれる漢の調味料だよ」
「わたくしではなく、【真紅の茨】のために作ったと下僕は言いたいのですか?」
「実は子供向けの甘口なんだ」
女子供が文句垂れるんじゃねぇと言いたかったけど、そんなにあの薔薇のゲイ霊と契約したいのかと睨まれてしまった。すっかり忘れていたけど、タルトに契約を破棄されたら僕は奴に『初めて』を奪われることが決定しているのだ。これは3歳児向けに甘くしたから男の口には合わないと訂正しておく。
「これまで食べたことのあるパンザーラとはまた違った味わいですわね。ヌトリエッタも気に入ったようですわ」
タレに充分な甘みがあるので、悔しいけどメープルシロップは風味を優先して正解だと首席が頷いている。口の周りをチーズだらけにして一心不乱にモックモックと食べていた蜜の精霊は、僕と目があうと嬉しそうに破顔した。食通気取りの3歳児にも、これくらいの可愛らしさを求めたいところだ。
「若様。首席がいただいているのは特別メニューのようですが……」
「それはぜひ、俺たちにも味わわせてもらいたいものだな……」
僕たちだけ違うものを食べていることにダエコさんが気付いたらしい。【禁書王】と一緒にやって来て自分たちにも食べさせろという。首席には好評だったから追加で焼くことにして、僕と【禁書王】の分にはジャガイモとトウモロコシの代わりにイノシシ肉とニンニクを山盛りにする。これぞ男のピザだ。
「この焼き肉パンザーラは食べごたえがあってよろしいですわね」
「君たち……女子なのだから少しは控えたまえよ……」
僕は間違っていた。北部派の女の子はスイーツ系ではなく焼き肉女子だったのだ。焦げたニンニクの香りが食欲をそそると男のピザは取り上げられ、お前たちはこれでも喰っていろと甘くした子供向けのピザを押し付けられる。そんなにニンニクを食べてはおならが臭くなるぞという【禁書王】の警告にも耳を貸さない。
「下僕のパンザーラはとっても美味しいのです。一緒に食べるのですよ」
お前も食べるのだとタルトがメープルシロップのかけられたピザを僕の口に押し込んでくる。焼き肉パンザーラと名付けられた男のピザは首席たちに平らげられてしまい、結局ひと口もいただけなかった。
「底辺班がリタイヤしたそうだね……」
「奴らはしょせん派閥から相手にされなくなった鼻つまみ者……」
「足を滑らせて沢に落ちるなんて、我らCクラスの面汚しよ……」
「Cクラスってだけで充分面汚しだよっ」
夕方になって雨は上がったものの、足元はドロドロのままなのでどこに出かけようという気にもならない。ムジヒダネ班のバンガローでヘルネストたちと四天王ごっこを楽しんでいたところ、そもそもCクラスでいることが西部派の面汚し。目くそが鼻くそを笑っているとクソビッチにツッコまれてしまう。
先日、戸板に乗せられていた生徒は水を汲みに行って足を滑らせたという話だった。落ちたと言っても1メートルくらいの高さなのだけど、水桶を抱えていたせいかロクに受け身も取れなかったらしい。治療費の支払いで限度額をオーバーしてしまい最初のリタイヤとなった。底辺班の最下位決定である。
「まぁ、リタイヤすれば食べ物はもらえるし、最終日までバンガローで缶詰め補習だからね。【禁書王】はむしろ羨ましがってたよ」
リタイヤした班にはリアリィ先生がキープしているホンマニ領軍の携帯食が提供されるから、食事に頭を悩ませる必要はなくなる。ただし、バカンスが許されるはずもなく担当教員の元でみっちり補習だ。エロスロード班の担当教員はモチカさん。実習が終わったら教員でなくなってしまうので、彼女の指導を受けるチャンスはこれっきりなのだと【禁書王】は力説していた。
指導つってもチョップだけどな……
「マジか……サバイバル実習で勉強とかあり得ねぇよ」
「そんなこと言ってるから、いつもいつも69位なんだよっ」
お前はむしろ補習してもらえとクセーラさんがヘルネストの背中をビシビシ叩く。
「補習の先生は担当教員だから、ムジヒダネ班の場合はソコツダネ先生だよ」
「ファル姉か、ぬかるみの上で槍を使う方法を教えてくれっかな?」
「ダメだ。ウチの班は……」
担当教員が【絶叫王】だから武技の補習になると知った途端、リタイヤも悪くないと態度を一変させるヘルネスト。それではペナルティにならないではないかとクセーラさんが頭を抱えた。
「まぁ、ウチはイノシシの肉で当面しのげるけどな。ロミーオやスネイルのところはどうなんだ?」
「食べ物が尽きてから泣きついてくるだろうって首席は予想してたね。いっぺんに来られても困るんだけど……」
5班分の食事ともなるとさすがに厳しいうえ、パン種や生地は前日から仕込んでおかなければならないのだ。飛び込みで来られてもたいしたものは用意できないから、次席のお店に行ってもらった方がいいだろう。アンドレーア班は事前予約、その場しのぎならカリューア商店という住み分けができる。もちろんこれも紳士協定で、需要をシェアしようなんて約束はない。
「姉さんはがめついんだよっ。他人の弱みにつけ込むような商売をしてっ」
肉には困ってないムジヒダネ班もパンや野菜類までストックがあるわけではないから、最低限必要な分は購入しなければならない。街まで買い出しにいけるのが自分だけなのをいいことに殿様商売しやがってとクセーラさんがお姉さんを非難する。
「あのゴーレム、本来はクセーラのものなんだろ?」
「えっ、あっ……あはははっ、夏の間は貸してあげるって約束しちゃったんだよっ」
そんなに不満があるのにどうしてサソリゴーレムを次席に使わせておくのだとヘルネストに尋ねられ、一度した約束を反故にするなんて人の道に反すると笑ってごまかすクソビッチ。前金でいただいたレンタル料を使ってしまったから取り返せないとは言いたくないらしい。
「賃料をいただいちゃってるそうだよ」
「なんで伯爵が知ってるのっ!」
「はっ、そんなこったろうと思ったぜ……」
これは信義の問題であってお金は関係ないとクセーラさんが言い張るものの、ごまかそうとした人間の言葉を信じる者なんていない。騙すつもりはなかったのだとすがるゴーレムの持ち主に、ヘルネストたちは仲間すら金で売る守銭奴のレッテルを貼りつけた。




